掌に乗せられた黒い箱。 その意味は私もよく知っている。 にこやかに笑っている岬くんは、自分のネックレスを外し、改めて私から奪った物を首にかけた。「似合う?」 指でつまんで、可愛らしく首を傾げる岬くん。「……いやいや! 似合うも何も、さっきと同じものでしょ!?」 思わず叫ぶ私に対しても、岬くんはぶれなかった。「えー、違うよ。ただのおまけと、君からもらった物では天と地ほどの大違い。ヒュディシェリを描いてる君なら、分かってくれると思うんだけど?」 そう言われて、私はぐうっと唸る。 あの名場面を知っているだけに、分からないなんて言える訳ないじゃない。いつか私もこんな素敵なプロポーズされたいな、なんて思ってもいたし。 だけどさぁ!? 今のやり取りにロマンチックな雰囲気なんてまるでなし! もらった~なんて言ってるけど、不意打ちでかっさらっただけでしょ!? じとっとした視線で睨みつける私を無視して、岬くんは元のネックレスを用済みとばかりに鞄に投げ込んだ。それとは反対に、赤い空き箱を大事そうに紙の手提げ袋に入れる。 それを見て、私はまた悲鳴を上げてしまった。「ちょっ! それ私の……!」 なんと岬くんの手には私が描いたヒュディシェリのイラストが、これでもかというほどデカデカと印刷された紙バッグがあるではないか。 私は普段小説を書いているけど、大きなイベントがある時にはイラストも描いていた。「確かこれって、今年のヒュディシェリ記念日に描いたやつ……!」 評判は良かったけど投稿サイトに上げただけで、紙バッグなんてグッズは作ってないはず。慌てる私を、岬くんはにこやかに眺める。「そうだよ? すごく好きなんだ、このイラスト。2人の気持ちがこもってるって言うか……あ、2次販売とかはしてないから安心してね?」 いや、問題はそこじゃないって。 もうここまできたら感心してしまう。 なんと言うか、私を好きだと言ったのも、キスしたのも、もしかしてヒュディシェリを模倣したものではないかと疑ってしまうのは仕方がないだろう。(うん、その方がしっくりくるわ。クラスカースト上位の岬くんが私を好きなんてナイナイ) 妙に納得している私に、岬くんはすかさず突っ込んだ。「違うからね?」 まるで心を読まれたようで、びくりと肩が跳ねる。「やっぱり。きっとただのファンだと
思った通り。 笹塚さんは俺を見るなり固まった。 その視線は、俺の首元に釘付けだ。 そこにあるのは、数量限定で作られたヒュディとシェリア姫の絆石。これは原作でも登場するキーアイテムで、不器用なヒュディがシェリア姫へ贈る、想いの詰まった石だ。 告知されてすぐ、笹塚さんなら購入するだろうと思って、俺も注文した。ペアセット販売だから、俺の元にも、今笹塚さんの胸元に輝くペンダントがある。「な、なんで……それ」 笹塚さんはもちろん意味を知っているから、俺の赤い石に戸惑っていた。「なんでって……黒薔薇が好きなら買うでしょ」 俺はさも当然という顔をして、笹塚さんの様子を探った。 黒薔薇とは、ヒュディ×シェリア姫のカップル名だ。2人のイメージカラーから作られたらしい。 ヒュディは黒い髪と軍服、シェリア姫は赤、そして薔薇を模したドレスを身にまとっている。黒薔薇は、まさに2人を表すのに相応しいものと言えるだろう。 笹塚さんも、当然知っている。同人誌まで作るくらい熱心なファンなんだから。 まだ状況が飲み込めないのか、口をパクパクさせる笹塚さんに、俺は更に追い込みをかける。「笹塚さん、シェリア姫の石も持ってるよね?」 セット販売だから当たり前だけど、わざと強調しながら問いかける。笹塚さんはコクりと頷くけど、その表情は疑問符だらけだ。「悪いんだけど、ちょっと見せてくれる?」 そう聞くと、少し戸惑いながらも自室へと戻って行った。 数分もしないうちに再び降りてきた笹塚さんは、赤い箱に入った石を見せてくれる。俺はすかさずそれを奪い取り、代わりに黒い箱を柔らかそうな掌に乗せた。「え、は?」 自分の手と俺を交互に見る笹塚さんは、とても可愛い。このまま持って帰りたい気持ちを押さえつけて、俺は口を開いた。「絆石の交換。もちろん、意味、分かるよね?」 ヒュディが石を渡すのは、プロポーズのシーンだ。 主人公に負け続けるヒュディは、とうとう追い詰められ、命の危機に晒される。『シェリア、お前は逃げろ。お前さえ生きていれば、俺達の勝ちだ』 ヒュディは、自国のために戦っていた。魔族だと迫害を受け、簡単に狩られる同胞達。シェリア姫は王の一人娘であり、自国の希望だった。 劣勢に陥ったヒュディは、王女であるシェリアだけでも逃がそうとしたんだ。『いいえ、私は貴方と共に生きま
悔しい。 昨日から岬くんに振り回されっぱなしだ。 今日なんていきなり家まで来て、結婚!? 私達まだ高校生でしょ!? お母さん達までまきこんで、一体何を考えてえんだろう。 私はこの年まで、恋愛の経験がない。告白されたこともないし、告白したこともないのに。 憧れはある。少女漫画のように、熱烈に好意を寄せられ、強引だけど甘く求められるような……あれ? 今、まさにその状態なのでは?「なってくれるよね? 岬 美希に」 髪にするりと指を絡め、囁く岬くんの声に、胸がキュッと鳴る。横で奇声を上げるお母さんのお陰で、流されずに済んだのは不幸中の幸いかもしれない。「あ、あのねぇ!」 私がなんとかこの状況を抜け出そうと試みると、さっきまでの色気はどこへやら。岬くんがにこりと年相応の笑顔で言う。「そろそろ準備した方がいいんじゃない? もう8時過ぎたよ。参戦服なら時間かかるでしょ?」 ハッとして時計に目をやると、もう8時10分を回ろうとしている。会場は家からバスで20分ほどかかるから、8時30分には出ないと、本当に時間がない。 サークル入場は一般開場から余裕があるけど、スペースの設営には意外と時間がかかる。お隣さんへの挨拶もるし、仲のいいサークルに差し入れもしたい。 でも、この場に岬くんだけ置いていくのは危険なのでは!? 時計と岬くんを交互に見ながら若干パニックに陥っていると、岬くんが更に急かしてきた。「ほらほら早く。僕も設営手伝うし、売り子もするか
叫び声を上げながら固まったお義父さんと、頬を染めキャーキャー騒ぐお義母さん。 どっちも笹塚さんに似ていて面白い。俺にとっては笹塚さんが最優先であり、物事の基準だ。笹塚さんがご両親に似ているという感情は湧かない。 それを眺めていたら、ドタバタと音を立てて笹塚さんがリビングに飛び込んできた。その姿を見て、俺は目を細める。(はい、アウト) その姿は、さっきのキャミソールとホットパンツの上からロンTを被っただけのもので、まるでそれしか着ていないような錯覚を起こす。普段はデフォルトの制服で隠されている素足は程よく肉付き、劣情を抱かせるには十分だ。「ねぇねぇ、美希。今から式場押さえちゃう? 和装もいいけど、やっぱりドレスよね~、岬くんはどうかしら?」 疼く下腹部から意識を逸らし、お義母さんに相槌を打つ。「そうですね、美希さんならどちらも似合うと思います。素敵な式にしたいですね」 実の所、既に貯金を始めている。中学の時に笹塚さんを知ってから、毎年のお年玉は全額貯金。高校に入ってからはバイトも始めた。それも全ては笹塚さんを手に入れるため。 笹塚さんが望む式を挙げたいし、家も準備したい。そして創作を楽しめる時間を作れるよう、専業主婦にしてあげたい。家事なんてそれなりでいいし、なんなら俺が全部やる。 俺は笹塚さんと生涯を共にできれば、それだけで満足だ。 それにはまだまだ足りないんだから、もっと頑張らねば。大学も、もう決めている。ゆくゆくは起業も考えているから、経済学部を選んだ。起業すれば、笹塚さんとの時間も捻出しやすくなるし、何より楽をさせてあげられる。 そのためには、成功できるだけの実力が必要だ。笹塚さんとの生活をより良くするため、俺はどんな努力も厭わなかった。 お母さんから結婚の話しを聞いた笹塚さんは、赤くなったり青くなったり、表情をクルクルと変えている。そういう所も可愛いと思えるのだから、本当に厄介だ。「ちょ、ちょっと岬くん!? お母さん達に何に言って……け、結婚て、気が早すぎるでしょ!?」 俺に文句を投げつけるその表情も、可愛くて、愛おしくて、そして美味そうだ。「え~、俺、昨日言ったよ? 幸せなお嫁さんにするって。聞いてなかったの?」 少しむくれて言えば、笹塚さんは面白いように慌てている。「なってくれるよね? 岬 美希に」 長い黒髪
階下から聞こえてきた叫び声に、びくりと肩が跳ねた。(な、なに!?) お父さんの怒号にも似た叫びと、お母さんの黄色い声に困惑しながらも、手近にあったロンTを被りリビングに向かう。(まさか、岬くん変な事言ってないよね!?) 同人誌即売会での奇行は、私に危機感を持たせるのに十分だった。たぶん、私や家族に危害を加える事はしないと思う。でも、どういった行動に出るのかが読めない。 昨日はオタク全開の服装だったのに、今日はしっかりキメて来ているし、それにあの言葉。 ――それとも、誘ってる? 思い出すだけで顔が熱くなる。 もしそんな事をお父さん達に言っていたら、恥ずかしくて死ねる。その点については、岬くんの信用はゼロに近かった。 学校ではそんな素振りした事もないのに、あの公開告白の後からは攻めの姿勢を崩さない。実を言えば、ブースに居座った岬くんはずっと私の手を握っていたのだ。机の下で指を絡め、お客さんが途切れたらじっと見つめてくる。 そして何度も呟くのだ。「はぁ……笹塚さん、可愛い。もう1回キスしいい?」 私はその度に冷や汗を流していた。陰キャのカースト底辺として生きてきたのに、そんな経験ある訳ないじゃい。なのに岬くんは手を緩めない。 帰り際にバス停で別れた時も、隙をついて額にキスされてしまった。真っ赤になって怒る私にも、岬くんは喜ぶ始末。 だからこそ、今両親に対して何を事を口走っているのか、考えるだけでも恐ろしくなってしまう。 バタバタと階段を下りて、リビングのドアを開く。 そこには立ち上がった姿勢のまま固まるお父さんと、頬を染めキャーキャーとはしゃぐお母さんがいた。その正面には岬くんが笑顔をたたえ、静かに座っている。「何、どうしたの!? さっきの叫び声って何!?」 そこでやっと私に気付いたお母さんが、こちらを見ながらにこやかに言った。「あ、美希ったら、こんなにカッコいい彼氏がいるなんて聞いてないわよ~? こんな子が息子になってくれるなんて、お母さん嬉しい!」 今、なんて言った……? 彼氏は分かる。だって実際に岬くんに告白されて、流されるようにではあるけど、彼氏彼女になったから。 でも、息子って? ゆっくり視線を向けると、岬くんはにんまりと笑う。「そういう事だから、今後ともよろしくね。美希さん」 その一言でハッとした。(外堀
バタバタと階段を駆けあがる笹塚さんの後姿は可愛らしく、緩む頬を何とか押しとどめて冷静を装った。『白い何か』がチラリと見えたからだ。「美希? どうしたの、うるさいよ~」 そう言って顔を出したのは、笹塚さんのお母さん。まだ若く、姉妹と言われても納得できそうだ。玄関に立つ俺に気付くと、少しびっくりして口を押さえる。「あ、あら、お客さんだったのね。えっと……」 口籠るお母さんに、俺は優等生ぶって頭を下げた。「早朝からお騒がせしてしまって申し訳ありません。昨日から美希さんとお付き合いさせていただいています、岬涼です。今日も一緒に出掛ける約束をしていたので、迎えに来ました。ついでと言ってはなんですが、ご両親にもご挨拶させていただければと」 お義母さんは聞かされていなかったのか、更に驚いていた。慌てて引っ込むと、今度はお義父さんを連れて現れる。「き、君が……美希と……? なんと言うか、随分とカッコいい子だね……」 今日はヒュディ仕様だから、タイプの違いに猜疑的なのかもしれない。笹塚さんは真面目な委員長タイプだ。俺は警戒を解くように、柔らかく微笑みながら落としにかかる。「はじめましてお義父さん、岬涼です。急な事で驚かせてしまったかもしれませんが、僕は美希さんをずっと好きだったんです。やっと昨日告白して、受け入れてもらえました。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」 深く頭を下げると、2人が慌てる様子が伝わってくる。いささか高校生にしては丁寧すぎる言葉使いも、隙を生むには好都合。両親と良好な関係が築けるに越した事は無いが、俺にとっては将を射るための馬に過ぎない。 笹塚さんは一見大人しいから、俺みたいなのが来たのも意外だったのだろう。俺が知る限り、笹塚さんは今まで彼氏がいなかった。正真正銘、俺が初カレだ。素のままで来てもよかったけど、第一印象は大事だからね。身なりには気を付けないと。 顔を上げると、2人はぎこちない笑みを浮かべながらも、俺を室内に案内してくれた。リビングのソファに座ると、お義母さんがお茶を出してくれる。「ごめんなさいね。そうとは知らずに、あんなだらしない恰好で出させてしまって。美希ったら水臭いわ。こんなイケメンが彼氏なんて、教えてくれてもいいのに。ね、お父さん」 話を振られたお義父さんは、しかめっ面で俺を値踏みしている。これも想定