「前に金城技術の動向を注視するように言っておいたけど、今そっちはどうなってるの?」とわこは尋ねた。「すみれは体調不良を理由に、ここ数ヶ月ずっと姿を見せていません。今は別の株主が表に立って、会社の業務を仕切っているようです」と副社長が報告した。「社長が産後の静養中に、金城技術はかなり大胆な動きを見せました。まず、潰れかけていたネットショッピングサイトを買収して、それから数十社と戦略的提携を結びました、完全に業態転換を始めてます。ドローン事業じゃ私たちに勝てないと悟ったんでしょう。今はECに力を入れているようです」とわこは一瞬、考え込んだ。「すみれは、もう実権を失ったってこと?」副社長は首を振った。「いえ、表向きはそう見えても、実際の経営方針は今も彼女の考えに沿って動いてます。知り合いから聞いた話ですが、彼らの最終目標は上場だそうです」とわこは目を伏せ、頭の中で対策を練り始めた。「社長は上場を考えたことないんですか?海外の会社もあれだけ大きくなったのに、上場してないですよね?」と副社長が聞いた。「うん、上場しない」とわこはきっぱり言った。「上場しなくても、ちゃんと利益は出せるし。上場すれば縛りが多すぎて、自由に動けなくなるのが嫌なの」「ははっ、やっぱりそう考えてると思いましたよ。実は最近、投資したいって話がよく来るんですが、全部やんわり断ってます。逆にすみれは真逆ですね。投資を集めることに全力で、ユーザー数を増やすために、とにかく資金を投入してます。つまり、お金でユーザーを買ってるようなもんです。で、業界のトップになって、上場に成功すれば、みんなが彼女の損失を肩代わりすることになる」とわこは、副社長の顔に浮かぶ羨望の色をじっと見つめた。「もしかして彼女に付いていきたいと思ってる?」「正直言うと、彼らの人事から声がかかったのは事実です。でも断りましたよ。もちろん、お金も大事だけど、それより仕事のやりがいとか楽しさの方が大事です。私は社長の起業家としてのスタンスが好きです。余計なことには気を取られず、自分のやるべきことに集中しています。その姿勢が何より魅力的です」「でも、私は今、心が揺れてる」とわこは本音を吐き出した。「彼女にされたことを、彼女自身に返したい。すみれをあの女を、殺してやりたい。惨めに、どうしようもないほどに」副社長
とわこは悪夢から飛び起きた。窓の外はうっすらと明るくなってきていた。彼女は上半身を起こし、照明をつけた。部屋の中はたちまち昼のように明るくなり、見慣れた風景を目にして、心に残っていた恐怖が少しずつ和らいでいった。彼女はスマホを手に取って時間を確認した。午前6時半。身体は冷えたり熱くなったり、安定しない。顎に触れた手には、ねっとりとした汗がついていた。夢の内容を思い出すと、今でも心臓がドキドキして落ち着かない。その夢を見た原因は、昨夜の奏との電話だった。奏が最後まで言わなかった言葉を、夢の中で補完したのだ。しかもその内容は、以前に和彦から聞いた話と似ていた。和彦はそこまで詳しく語らなかったが、どこかで聞きかじった話として似たようなことを言っていたのは事実だ。夢の中で奏は人を殺していた。そして、次は自分を殺すと言っていた。胸が何かで詰まったように苦しく、息もうまく吸えない。とわこはベッドから降りて、バスルームへ向かった。「ただの夢、夢は現実とは違う」心の中でそう何度も自分に言い聞かせる。夢が現実になることもあるけれど、大半は全くの別物。自分は奏に後ろめたいことなど何一つしていないのに、彼が自分を殺す理由なんてない。もし奏が子どもたちを奪いたくて彼女を殺そうと考えているなら、もうとっくに行動に出ているはずだ。精神的に不安定で突発的なことなら、それはもう運命としか言えない。彼女に抗える術などあるわけもない。シャワーを浴び終えた頃には、気持ちもだいぶ落ち着き、恐怖もやわらいでいた。バスルームを出たとわこはクローゼットの前に立ち、扉を開けて一式の服を取り出し着替えた。少しの間で外はだいぶ明るくなっていた。部屋の電気を消して、窓辺に行きカーテンを開けると、目に飛び込んできたのは塀いっぱいに咲いた花だった。この花は、母が生前に植えたものだ。母が亡くなったあとも、毎年この花が咲くと、まるで母がそっと見守って微笑んでくれているように思えた。もし母が生きていたら、きっと今ごろ家で蒼の世話をしてくれていたはず。昔、母はよく言っていた。「蓮とレラがもう少し大きくなったら、外で仕事したいな。家にいるだけじゃ退屈だからと」そのとき、とわこは「じゃあ、私のお金の管理をお願いするね」と、即答した。
結菜は普段、家に住んでいなかった。帰ってくるのは、年末年始などの節日だけだった。その日、妹の姿を見たとき、奏の気分は晴れやかだった。けれど、父は嬉しくなかった。酔いが回った父は、突然、結菜を殴った。一瞬で、すべての幸せな空気が崩れ去った。家にいた使用人たちは驚いて逃げ出し、結菜は叩かれながら、泣き叫んだ。母は必死に父を止めようとしたが、父は力任せに彼女を突き飛ばした。兄が母を抱えて部屋に戻り、父は結菜を無理やり引きずって外へ連れ出した。月の光が夜を照らしていたが、奏の目には、あたり一面が真っ暗に見えた。こんな苦しい日々、もう終わらせたい。その苦しみの原因は、父だった。だから、父さえいなければ、この家に苦しみはなくなる。その夜、奏は、自らの手で父の命を終わらせた。「とわこ、違うんだ。君が思ってるようなことじゃない。結菜は、俺にとって一番大切な存在だった。俺がそんなことを......」奏が言いかけたとき、とわこの部屋のドアが開いた。レラが手に紙を持って、ぱたぱたと走ってきた。「ママ!誰と電話してるの?」レラは好奇心いっぱいの目でスマホを見つめた。「先生からのプリント、明日の朝までに記入して持ってこいって!もうちょっとで忘れるとこだった!」とわこはすぐに電話を切り、娘から紙を受け取った。「今、ママが書くね」スマホを横に置いて、ペンを探し始めた。「この紙、なに書くの?」レラは小さな影のように彼女のあとをついてくる。「これはね、家族のことを書く紙よ」ペンを見つけたとわこは、机の前に座った。「ママのときは、こういうの書かなかったけどね」「ふーん、なんで今は書くの?」「先生がもっとみんなのこと知りたいのかもね」そう言いつつも、とわこは学校の学業に家族構成が関係あるのか、内心では少し疑問だった。でも、学校がそう言うなら仕方ない。書くしかない。ところが、「父親」の欄に差しかかったとき、彼女の手が止まった。奏の名前を書くべきか、書かないべきか。もし書けば、先生はレラに少し特別な配慮をするかもしれない。一瞬で思考を巡らせた彼女は、最終的にその欄を空白にすることにした。一方、その頃、電話が切れた画面を見つめながら、奏の胸は重苦しさに包まれていた。あんな話、電話で数言で説明できることじゃない。きちんと話す
夜になると、人は少し感傷的になるのかもしれない。どう返信しようかと迷っていたとき、彼から電話がかかってきた。彼女がメッセージを返さなかったから、電話には出るかもしれないと思って、かけてきたのだ。とわこは着信画面を見つめ、心臓が激しく跳ねた。出るか、出ないか、数秒間の葛藤の末、彼女は通話ボタンを押した。「とわこ、実は裕之は君が思ってるほど冷酷じゃないんだ」奏は口を開いた。彼女の興味を引き留めるため、まずは裕之の話題から入った。彼女は瞳のせいで、裕之の結婚には特別関心がある。「あいつは他の女性との結婚を利用して、瞳に最後の一押しをしてるんだ」とわこは彼の言いたいことをすぐに理解した。「でももし、瞳がその意図に気づかなかったら?」「それなら、それまでの縁だったってことだ」奏の声は冷静で抑制されていた。「もし君が他の男と結婚しようとしてたら、俺は絶対にその結婚を認めない」その言葉を聞いたとわこは、苛立ちを隠せなかった。「誰もがあなたみたいに何でもできるわけじゃないでしょ?どうして私の結婚を止める権利があなたにあるの?あなたが直美と結婚しようとしてたとき、私は何も言わなかったわ!」「それについて、今まさに話そうと思ってた」奏は話題を本題へと移し、少し声を落とした。「とわこ、俺が精神的な病を抱えてるって言ったら、君は引くか?すぐに答えてくれなくていい。俺が和彦に譲歩しようと決めたとき、気にしたのは世間の目じゃない。君と子どもが、俺のことで軽蔑したり、傷ついたりしないかって、それだけだった」「奏、私のことをそんなに脆いと思ってるの?」とわこは彼の言葉を遮った。「私も子どもも、そんなことで引いたりしない。あなた自身が一番気にしてるんじゃない。自分で自分を騙さないで。あなたが空港で私たちを捨てた、それが病気なんかよりよっぽど酷い裏切りよ!」彼女の激しい言葉のあと、電話の向こうはしばし沈黙に包まれた。少しして、とわこは続けた。「言い過ぎた。あなたの病気が私にとって問題になることなんてない。もしそれが深刻で、理性を失ってしまうような病気だったら、私、最初からあなたを好きになってない」「それは子どもの頃のことだ」奏の声は掠れていた。「よく意識が飛んで、自分が病気かもしれないって思ってた」「なら、精神科に行けばいいじゃない!」「行っ
レラはパジャマ姿で、髪をおろしたままリビングをぴょんぴょん飛び回っていた。まるで小鳥のように自由に跳ねて、両手を振りながら、どこで覚えたのか分からない鼻歌を口ずさんでいる。三浦は蒼を抱いて、横でその様子を微笑ましく眺めていた。蒼も、目をぱちくりさせながら見つめていて、ときどき声をあげて笑う。その光景に、とわこの口元も自然とほころぶ。彼女はリビングを離れ、主寝室に戻り、パジャマを手にバスルームへ入った。シャワーを浴びて部屋に戻ると、一日の疲れがすっと消えた。と同時に、昼間の出来事が頭に浮かんできた。あのバラの花束の件で、彼女は奏を誤解して怒鳴ってしまった。まだ謝っていない。彼が過去に許しがたいことをしたとはいえ、それとこれは別の話。彼女はスマホを手に取り、画面を確認した。奏から10分前にメッセージが届いていた。「裕之の結婚式、行くのか?」とわこは数秒考えてから返信した。「彼から招待されてないから」すると、2分も経たないうちに裕之から電話がかかってきた。電話を取ると、彼の焦った声が飛び込んできた。「とわこ、僕が招待しなかったって、本当にそう思ってるの? 確かに連絡したはずだけど」「連絡なんて来てないよ。私は瞳から結婚式のことを聞いたの」「しまった、本当に僕が忘れてたんだ!とわこ、4月1日、僕の結婚式、絶対来てほしいんだ。お願い!」彼の真剣な声に、とわこの胸が少しざわついた。「瞳のこと、本当に吹っ切れたの?」裕之はしばらく黙った後、重い声で答えた。「離婚を言い出したのは彼女だよ。僕をブロックして、全部切ったのも彼女。あんなに傷つけられて、それでも許さなきゃダメなの?君だって奏さんを許してないじゃないか。どうして僕だけが許さなきゃいけないんだ?」とわこは言葉に詰まり、少し申し訳なさそうに言った。「ごめん、ちゃんと誘ってくれたなら、出席するよ」「うん、遅くなったし、もう寝て」そう言って、裕之は電話を切った。スマホを見ると、奏から新たなメッセージが届いていた。「結婚式、瞳も連れて行って」とわこは眉をひそめて返信した。「なんで?」「裕之が、彼女にも来てほしいらしい。でも今は連絡が取れないみたいだ。俺からの頼みだと思ってくれ。今日の件は、それでチャラにしよう」彼は自ら朝の件について触れ、彼女が動きや
「違うもん!こっちから願い下げなんだから!」蓮は結翔を睨みつけ、トレーを持って離れようとした。彼と一緒にご飯なんか食べたくない。結翔は慌てて蓮の上着を掴んだ。「蓮、ごめんって!あのさ、近所の女の子がパパに捨てられたって言ってたから、つい......」その表情を見れば、悪意がないことくらい分かる。結翔はちょっと鈍いけど、根は優しい。蓮はしばらく迷って、また席に戻った。「また怒らせちゃったよね」そう言って、結翔は自分のお皿にあったチキンを蓮の皿に乗せた。「わざとじゃないんだ。うちのパパ、僕にすごく優しいから、蓮にもパパに可愛がってほしいって、そう思っただけで」「いらない」蓮はそのチキンを冷たく見つめた。「なんで?一人より二人に愛される方がいいじゃん?」結翔は素朴な疑問をぶつける。「そのチキンもいらない!不潔なんだから!」蓮はトレーを抱えて席をずらした。「えっ、ごめんごめん!」結翔は急いでチキンを自分の皿に戻した。「蓮、いつも文句言われてるけど、やっぱり一番友達になりたいのは君なんだよ。もし大会の枠が二人分あったら、君と一緒に出たかったな」蓮は眉をひそめた。「君に負けるとは限らないでしょ」「でも、期末試験は僕の方が上だったよ?クラスで僕が1位だったし」結翔はチキンをかじりながら言った。「でも、もし君の方が成績良かったら、それはそれでお祝いするよ。だって僕ら友達だし」「僕が勝ったら、絶対泣くくせに」蓮は意地悪く笑った。「泣いても容赦しないから」「ふん、僕が泣くわけないじゃん!」結翔は信じてなさそうに鼻を鳴らした。「そういえばさ、蓮の妹、最近お迎えに来てないよね?もう小学生になったの?」「まさか、僕と友達になったのって、妹に会いたいから?」結翔の顔が真っ赤になった。「ち、違うよ!そ、そんなつもりじゃ......」蓮はトレーを持って立ち上がった。妹を狙うやつなんて、絶対に許さない。常盤家。奏が家に帰ってシャワーを浴び、着替えを済ませると、もう昼の11時になっていた。書斎に入り、ノートパソコンを開いて、秘書が送ってきた会議の議事録に目を通す。同時にスマホもチェックした。とわこからメッセージは来ていないか。夜になっても、彼女からは一通のメッセージもなかった。電話もない。朝の件、まさかその
子遠は電話を切ると、スマホを奏に返した。「花は副社長が、社員全員を代表して贈ったそうです」その瞬間、奏の顔に浮かんでいた険しい表情がスッと消えた。「社長、とりあえずシャワーを浴びて着替えてきた方がいいですよ」子遠は奏の服についたコーヒーのシミを見て言った。「鈴木秘書が謝りたがってましたけど、顔が真っ青だったんで、先に仕事に戻るように言いました」奏は秘書を責めることもなかった。彼はスマホを手に取って部屋を出て行った。三千院グループ。とわこは花束が副社長からのものだと聞き、カッとなってそのカードを突きつけた。「全社員を代表して送ったなら、私たちの永遠の女神って書くべきでしょ!あんた、国語の成績悪かったでしょ?」副社長は肩をすぼめ、素直に頭を下げた。「文面的には、そんなに大きな違いないかなって、でも、みんな社長のことを女神って言ってますし」「言い訳しない!なんで事前に私に相談しなかったの?あんたのせいで、私さっき間違えて奏からのだと思って、電話でボロクソに怒鳴っちゃったのよ!どれだけ気まずいかわかってんの!」顔を赤らめながら水を飲もうとしたが、コップは空っぽだった。副社長はすぐさまコップを受け取り、水を注いだ。「社長!思いっきり叱って正解です!いい薬になったはずです!社員全員が花を贈ったのに、なんで彼だけ贈らなかったんですかね?花は高くないし、金はあるくせに、ケチるなんて、気持ちがない証拠ですよ」とわこ「......」副社長は丁寧に水を差し出した。「もういいわ、ありがとう。出てって」とわこは話を続ける気はなかった。「かしこまりました。ところで、業務報告でも受けますか?」副社長が提案した。「今日初出勤ですし、業務内容がまだよく分からないでしょう。各部署から報告させます」「午後にして。今はちょっと気持ちを落ち着けたい」彼に謝るべきか、それともスルーするべきか。とわこはまだ決めかねていた。西京大学の天才クラス。新しい先生が赴任してきた。外国から招かれた特別講師だ。彼は全く新しいカリキュラムと共に、ある国際的な大会の情報も持ってきた。「インターナショナル・ハッカーカップ」が今年6月に開催する。天才クラスから1名が代表として出場することになる。つまり、クラス全員がその1枠を巡って競争することになる。
通話が切れたスマホを見つめながら、奏の気分はどん底に沈んでいた。とわこに怒鳴られたことが原因じゃない。問題は誰かがとわこにバラの花束を贈ったことだった。もし贈ったのがマイクや涼太だったら、名前を伏せたりするはずがない。じゃあ、誰だ?一体誰がこっそり彼女に言い寄ってる?「引き続き、会議を進めてくれ」そう一言だけ言い残し、奏は会議室を大股で出て行った。幹部たちは顔を見合わせた。毎週月曜の定例会議は、各部門の進捗を社長に報告する大切な場だ。社長が途中で退席してしまっては、報告する相手がいない。奏は会議室を出ると、まっすぐ自分のオフィスへ戻り、ドアを閉めた。ドアの外では、秘書が目に涙を浮かべて立ち尽くしていた。こんな大きなミスをしたのは、彼女のキャリアで初めてだった。たとえコーヒーが熱くなかったとはいえ、社長のスマホ、手、そして服までびしょ濡れにしてしまった。今は叱られていないが、社長が落ち着いてから怒り出すかもしれないと、彼女はビクビクしていた。その時、「どうしたんだ?」子遠が通りかかり、泣きそうな表情の秘書に声をかけた。秘書は、会議室で起きた出来事を包み隠さず説明した。「社長、今は私を怒る暇もない。とわこさんに怒鳴られて、それどころじゃないから。でも、あとで冷静になったら絶対に私を叱ると思う」秘書は続いた。「いいなあ、とわこさん、もし今日のミスが彼女だったら、きっと社長のせいにしてたはず。『あなたが手を伸ばしてきたから倒れたのよ!』ってね」子遠は思わず吹き出した。「そんなことを言う余裕があるなら、大丈夫そうだな」「とわこさんの迫力に圧倒された。あんな強気な彼女、私も初めて見た。まさか社長に向かってあんなに堂々と怒鳴るなんて」秘書はしょんぼりと頭を下げた。「もう戻っていいよ。もし社長が何か言ってきたら、僕が庇う。君に悪気があったわけじゃないんだから」「ありがとう!どうか恋愛は順調にいくように、社長みたいに報われないなんてこと、ないように!」そう言って、秘書はすばやく秘書室に戻って行った。子遠は首を振って、ため息をついた。確かに今の奏は、少し情けないほど低姿勢だった。でも、それも仕方ない。とわこは今、三つの切り札を握っている。彼女の機嫌を取らない限り、奏には三人の子どもたちに近づく手
とわこはみんなに褒められて、心の中がパッと花開いたような気分だった。オフィスに到着すると、デスクの上に置かれた真っ赤なバラの花束を見て、彼女の笑顔が一瞬で凍りついた。その花束は普通のサイズじゃない。ざっと見ただけでも99本はありそうで、デスクの半分以上を占領していた。99本の赤いバラは男性が女性に愛を告白する時に贈るものだ。バッグを机に置いたあと、とわこは花の中を指先で軽く探った。すると、中に手書きのメッセージカードが差し込まれていた。カードにはこう書かれていた。「君は永遠の女神だよ」それを見た瞬間、奏の顔が脳裏に浮かんだ。こんな大げさな花束を贈って、こんなクサいセリフを書ける男、奏以外にいるわけがない。プライベートでならまだしも、ここは会社なのに。こんなことされたら、仕事に集中できなくなるじゃない!常盤グループ。今日は月曜日。毎週恒例の役員会議の日だ。奏は二日酔い気味のまま出社した。昨晩は少し飲み過ぎたせいで、今朝は頭がズキズキしていた。会議室に入る前、彼は秘書にコーヒーを頼んだ。会議が始まり、各部署の報告が順に続く中、秘書が淹れたてのコーヒーを持って入ってきた。ちょうどその時、彼のデスクに置かれたスマホの画面がパッと光った。「とわこ」の名前が表示されている。その瞬間、奏の心臓がドクンと高鳴った。慌ててスマホを取ろうとした彼は、秘書の差し出したコーヒーカップに手をぶつけてしまった。バシャッ!コーヒーが手に、デスクに、そしてシャツにもこぼれてしまった。秘書は真っ青になりながら謝り続けるが、奏はそんなこと気にする余裕もなかった。彼は慌ててスマホの画面を拭こうとしたが、うっかり通話ボタンとスピーカーモードを押してしまった。すると、とわこの声が、会議室中に響き渡った。「奏!花束を送ったのあんたでしょ!私がまだ十八歳の女の子だとでも思ってるの?こんなことで感激するとでも?子どもじゃあるまいし、いい加減に大人になってよ!私たちの問題は、花束ひとつで解決するようなもんじゃないのよ!」彼女は興奮しすぎて喉が渇いたので、デクスの上のコップを持って、水を飲んだ。奏はスピーカーモードになっているスマホを見つめながら、眉間にしわを寄せた。彼女の怒鳴り声が響き続けるなか、まるで時間が止まった