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42話 隠し部屋に秘されたもの

last update Last Updated: 2025-06-10 14:30:07
【聖痕保有者(スティグマ)】

 ────具象の力を持つ者を示す。

 神々が人を創造した時に生まれた副産物。人知を越えた聖法の力を受け継いだ変則的な存在。刻の偶像クレプシドラによって選出されると言われている。その者たちが力を発動させる糧。それは《心(ヘルツ)》そのものである。

 閉ざされた書斎の中。旧語で綴られた分厚い本を抱えたキルシュはその一文を指でなぞっていた。

 ここは以前、ケルンに教えてもらった礼拝堂の内陣(チャンセル)奥にある隠し部屋。内陣とは聖者の控え室であるが、ここでさえ漆喰装飾が施されるなど絢爛豪華なのに、この隠し部屋はびっくりする程に質素だった。

 正面の壁は全て本棚。床から天井まで一面に古書がギッチリと詰まっている。

 部屋は随分とこぢんまりとしていたが、隅には書き物机と椅子も備え付けられていて、古書の解読を好む本の虫──キルシュにとっては、まさに夢のような空間だった。

 窓の無いので、空間は薄暗く空気もひんやりとしている。だがそのおかげで、並んだ書物はどれも驚くほど保存状態が良い。

 空間が狭い分、カンテラと毛布、それにコートさえあれば、十分に暖を取る事もできた。

 そんな現在は、《狂信者》の弔いから一ヶ月以上。もうすぐ年末を迎える。

 あれ以降、この森で《狂信者》を見る事は無くなった。

 二百年以上続いた呪縛を完全に解き放つ事ができた事に、ファオルも奇跡のようだと驚いていた。

 しかし……あれ以降、ケルンは《裁く者(リヒター)》としての責務が完全に無くなってしまったのである。

 それは良い事に違わないだろうが、どうにも持て持て余しているようで、夜明け前から薪割りをする軽快な音を聞く事が増えた。

 相変わらず湖に釣りに行くようだが、それ以外の時間は部屋で寝てばかり。

 そのせいもあって彼は、ファオルから『力を持て余した無職』だの『引き籠もり機械人形』だのと新たな不名誉な呼び名で弄られていた。

 何もする事が無い。或いは、張り詰めていたものから解放されたからだろう。

 彼の面輪は以前よりも、和らいだようにキルシュは思う。

 その影響もあってだろう。ケルンと過ごす時間は以前より格段に増えていた。

 だが、困った事も一つあるもので……掃除に入れば「添い寝して」と年中言われるもので……。

 そうしてベッドに引き摺り込
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     日付を跨いで、午前零時過ぎ。 キルシュは窓辺で、ぼんやりと降り積もる雪を眺めていた。 真夜中というのに雪明かりで辺り一面が青白く明るかった。窓辺から望む湖畔周辺は白々とした輝きを放ち、凍てついた湖面に処女雪が薄く積もっている。 〝南部〟辺境地とは言え、レルヒェ地方は厳冬だった。寧ろ、北部よりも降雪量が多いとも言われている程。その理由は、高々とした山脈が帝国南西部に走っているから。雪雲がそれにぶつかり、この一帯を根深い雪に閉ざすのだ。  さも当たり前の毎年の光景ではあるが、雪が降ればいよいよ本格的な冬が始まったのだと思う。(寒い……) ほぅと息をつくと、白い息が漂った。 明日も街に行くシュネを見送るのだから、早々に寝るべきなのだろう。それなのに、どうにも瞼が重たくならなかったのだ。 自分で自負できる程に単純な性質だ。悩みなんて大抵、湯浴みをしてさっぱりしてしまうか、少し眠れば吹き飛んでしまうのに。今回ばかりは、どうにも簡単に掻き消される事は無かった。  これまで自分の力が厭わしいと思った事は何度だってあるが、美しい花や生命力溢れる蔓草を芽吹かせるこの力自体は決して嫌いではなかったのに。 自分が怖いと初めて思ってしまったのだ。 キルシュは澱を吐き出すように、もう一度深い息をつく。(どうして、こんな力をクレプシドラは授けたのだろう……どうして私が) キルシュは自分の手の甲に描かれた花と蔓草を模った紋様を片手で摩る。 しかし、触れている手の感覚なんてもう無かった。 長い事窓辺でぼんやりしすぎただろうか。いい加減に寝よう。そう思って、キルシュが踵を返してベッドに向かおうとする最中だった。 ボーン。と一つ、静謐とした空間に柱時計の音が響き渡る。 その途端だった。たちまち鼻腔の奥に蘇ったのは、焦げ臭い匂いだった。 助けて、熱い、痛いと。聞こえる数々の悲鳴はやがて炎の音に掻き消されていく。 薄く開けた視界には橙色の火の粉が舞っていた。

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  • 機械仕掛けの偶像と徒花の聖女   39話 これ以上は進めない

     ──静謐に包まれた真夜中の森に二匹の《狂信者》の不気味な咆哮がこだまする。  それに答えるかのように、次々に身の毛もよだつ程に叫びが上がり、まるで悲壮の歌のように森の深層に響き渡っていた。    やがて、凍てつく程に冷たい風と共に一体二体とその数は増え、キルシュとケルンの目の前には数十体の《狂信者》の群れがぞろぞろと集まって来た。    男か女かも分からない、低くもか細い声で『憎い憎い』と彼らは繰り返す。  ケルンは緊張した面輪で手を下ろして、防壁を消す。だが、彼らは二人に襲いかかって来る事も無かった。    あの叫びで話を通してくれたのだろうか。キルシュは集まった《狂信者》たちの前に一歩み、スカートの裾を摘まむと膝を折って淑女の一礼を再びした。「**突然だったのに、集まってくれてありがとう。全員いるかしら? お願い、私たちについて来て欲しいの。その前に約束をしたいわ**」    ──私は彼に力は使わせないように監視する。もし、彼が先にあなたたちを攻撃したら、私を食べて構わない。ただし、あなたたちが約束を破れば、今まで通り。  それを約束する。不満は無いかと、キルシュは言葉も添えたが、彼らは何も言わず  それぞれが静かに頷いた。   「**じゃあ、みんなで一緒に教会まで向かいましょう。絶対に私と彼を見失わないで、ちゃんと付いてきてね。どうか私たちを信じて欲しいの**」    願うように、祈るように。キルシュは《狂信者》たちに朗らかに告げて背を向ける。「ケルン行こう」  傍らに立つ彼を一瞥して、キルシュはゆったりと真夜中の森を歩み始めた。  ──寒々しい晩秋の木枯らしが吹き抜ける森。  その中を、一つの群れが列をなして進んでいた。 先頭に立つのは、人間の少女と、青年の姿をした機械人形の二人。  そのすぐ後ろからは、異形の怪物――《狂信者》たちが、ぞろぞろと行進するように後に続いている。 キルシュは民族衣装の上にウールのケープを羽織っていたが、それでも身を刺すような寒気を覚えていた。けれど、それは気温のせいばかりではない。 ここまで懸命に言葉を尽くし、彼らに〝信じて欲しい〟と願った。  それでも、背後を歩く異形の《狂信者》たちを怖がらずにいられる訳がなかった。  元は、争い事を嫌がった人間だった事を信じようとは思っ

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