LOGINShare
第352話
Latest chapter
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第359話
一時間後、綾と輝は喫茶店を出た。二人は車に乗り込んだ。白いレンジローバーは走り去っていった。その頃、喫茶店の二階、和風モダンな個室の中で、老人がドアを開けて入ってきた。黒のスーツを着た、先ほどから「山崎様」と呼ばれていた男は立ち上がり、老人に頭を下げた。「松本さん、契約書はサイン済みです。山崎様の指示通り、二宮さんの持ち株比率が最も高くなっています」松本利夫（まつもと としお）は契約書を受け取り、「二宮さんは何か要求を言ってた？」と尋ねた。「特に要望はございませんでしたが、株主であることは秘密にしてほしいとだけ言ってました。そして、ある女優を彼女の会社に引き抜きたいそうです」「誰かね？」「桜井さんです」利夫は携帯を取り出し、番号をダイヤルした。綾の要望を相手に伝えた。受話器の向こうから、山崎圭（やまざき けい）の低い声が聞こえてきた。「彼女が何を要求しようと、全て受け入れろ」「承知しました」電話を切った後、利夫は男に向かって言った。「これからこの会社は二宮さんが仕切ることになっているから、彼女からの指示に従うようにすればいい」男は恭しく頷いた。「はい、分かりました！」-一週間後、遥は元の事務所との契約を解除し、新しい芸能事務所に移籍した。この事務所は北城の老舗芸能プロダクションだった。新しい事務所は違約金を肩代わりしてくれるだけでなく、最高の資源を彼女に提供することを約束した。遥は以前の事務所でもトップ女優だったが、4年間の休業後、復帰してみると資源は全て新人たちに奪われてしまっていた。そんな時、以前の事務所よりも好条件を提示してきた新しい事務所が現れたので、遥は迷わず移籍を決めた。新しい事務所は彼女に新しいマネージャー、木村恒（きむら ひさし）をつけた。彼もまた、ベテランマネージャーだった。恒は遥を担当するやいなや、いくつかのCM契約と、最近話題のバラエティ番組への出演を取り付けてきた。わずか一週間で、遥は再び人気女優としての待遇を実感した。気分が良かったので、彼女は蘭に4000万円送金した。蘭は入金を確認すると、大喜びで治療費を支払い、薬を使うと体の痛みはかなり軽減された。遥は時間を見つけて蘭に電話をかけた。まずは蘭の病状を気遣った。蘭の精神状態はだい
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第358話
4年ぶりに戻ってきたけれど、アトリエは通常通り営業していた。綾が去った当初は、少しばかり顧客が減ってしまったが、ここ2年でようやく持ち直してきた。綾が優希を連れて戻ってくると、アトリエのスタッフは大喜びだった。優希を見て、スタッフは皆「可愛い」「母親にそっくり」と口々に褒めた。優希は社交的な女の子で、見知らぬ大人たちにも物怖じしなかった。輝は優希を抱き上げて皆に紹介すると、ゴールデンレトリバーを見せに連れてあげた。4年前は子犬だったゴールデンレトリバーも、すっかり立派に大きくなっていた。あの小さな犬小屋にも、もう入れなくなっていた。奈々は物置部屋を片付けて、ゴールデンレトリバーのために専用スペースを作った。まるで何かを感じ取ったかのように、犬は優希を見ると尻尾を激しく振った。輝は、アレルギーの心配があるので、優希が犬に触れないようにした。「おとなしそうなワンちゃんだね！」犬は「ワンワン！」と吠えた。「これはあなたのお母さんが飼っている犬だよ。来た時はまだ子犬で、本当に彼女に懐いていたんだ」「じゃあ、母さんはどうしてワンちゃんを連れて行かなかったの？」「その時優希を妊娠していたからね」輝は優希の頭を撫でた。「優希のことを大切に育てるために、縁ちゃんを置いていくしかなかったんだ」「縁ちゃん、かわいそうに......」犬は優希を見つめ、まるで言葉を理解したかのように、「ワンワン」と2回鳴き、舌を出した。優希は犬をすっかり気に入り、話しかけ始めた。おしゃべりな優希に犬も懐き、彼女の問いかけにしっかりと受け答えているようだった。それを見ていた輝は、笑って呟いた。「遺伝ってすごいな。親子そろって縁ちゃんと意思疎通ができるなんて！」-オフィスで綾は見慣れた景色を眺めながら、「4年経っても、ここは何も変わっていないわね」と呟いた。「毎日掃除しているんです。あなたがいつかきっと戻ってくると信じていましたから」奈々は綾を見て、泣きながら言った。「綾さん、もう二度と会えないと思っていました！」泣き腫らした奈々の目を見て、綾は少し困ったように言った。「どうしても言えない事情があって、この4年間、みんなに連絡できなかったの」「分かります」奈々はティッシュで涙を拭った。「岡崎先生が何度か来た
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第357話
悠人のためだったのか。意外だけど、それも当然のような気がした。「私があの子に何かしたっていうの？」綾は軽く笑い、「まるで私が虐待でもしたみたいに言わないで」と言った。「悠人は繊細なんだ」誠也は少し困ったように言った。「綾、お前が俺や遥に腹を立てているのは分かってる。でも、悠人に罪はない」綾は冷たく彼を見つめた。「悠人に罪はない？じゃあ、私の息子は死ぬべきだったっていうの？！」「そういう意味じゃない」誠也は眉間に皺を寄せた。「お前の気持ちは分かっている。俺にどういう態度を取ろうと構わない。でも、悠人の実の父親のことも考えて、少しは優しくしてくれないか？」綾は眉をひそめた。さすが敏腕弁護士の誠也だ。彼自身では自分を説得できないと分かって、あの犠牲になった悠人の実の父親まで持ち出してきた。「誠也、私も悠人の実の父親を尊敬しているけど、それと同時に息子を失った母親でもあるの。私は心が狭いから、あなたの寛大な愛を理解することはできない！悠人には、もうこれ以上怒りをぶつけないのが限界。自分の子供のように扱うなんて、できるわけがない！」「自分の子供のように扱う必要はない。ただ、少し気にかけてくれればいいんだ」「偽善的なことはできない」綾は冷淡な表情で彼を見つめた。「もし、彼の気持ちを思いやる母親が必要なら、柚先生が適任だと思うよ」それを聞いて、誠也の顔色は曇った。「綾、柚先生は俺が雇ったベビーシッターだ」「専門のベビーシッターがいるなら、なぜ私に無理強いをする必要があるの？」「悠人にとって、お前は特別なんだ」「それはあなたの思い込みよ。私が4年間いなくても、悠人は何も変わっていないじゃない」誠也は唇を噛み締め、黒い瞳で彼女を見つめた。「その株、本当に優希にあげたいと思ってるんじゃないなら、いらないから」綾は株の書類を机に戻し、立ち去ろうとした。すると、誠也が手を伸ばして彼女を引き止めた。「株は元々、優希にあげるつもりだった」誠也は書類を手に取り、綾に差し出した。「お前が代わりに預かってくれ」綾は彼を見上げた。「本当に優希のことを考えているの？これがあなたの言う父親の愛？5%の株を彼女に渡し、私に仇の息子を気遣わせる？誠也、あなたは優希の父親である資格がない！」それを言われ、誠也は何も言
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第356話
綾は、急に嫌な予感がした。「優希を見てて。ちょっと見てくる」「うん」優希の部屋から出ると、柚が隣の主寝室から出てきた。「柚さん、私のスーツケースはどこ？」柚は微笑みながら言った。「主寝室のウォークインクローゼットに置きました」「誰が主寝室に置いていいって言った？主寝室には泊まらないから」綾は不機嫌そうに言った。「主寝室に泊まらないんですか？」柚は驚いた。「でも、奥さんと碓氷さんはご夫婦なのに......」綾は説明するのも面倒になり、そのまま主寝室に入った。ウォークインクローゼットでスーツケースを見つけた。綾はスーツケースを引きながら部屋を出ようとした時、ドアのところで誠也とぶつかりそうになった。誠也は彼女の手元のスーツケースを見下ろした。「隣の部屋に行くのか？」「私が戻ってきたこと自体が最大の譲歩よ。これ以上、要求しないで」誠也は目を細めた。「どうしても、そうするのか？」「これが私の最低限の条件よ」綾は毅然とした態度で言った。それを聞いて、誠也は眉を少し上げて、それから体を横にずらして道を開けた。綾はスーツケースを引きずって、隣の子供部屋に入った。「バン」という音と共に、ドアが閉まった。柚は恐る恐る誠也を見た。「申し訳ありません、碓氷さん。奥さんとまだ完全に仲直りされていないとは知らず、誤解させてしまいました！」誠也は彼女をちらりと見て言った。「あなたは悠人のベビーシッターだ。こういうことは、今後使用人にやらせればいい」柚は頷いた。「分かりました」-夕食の時間になった。ダイニングテーブルでは、悠人と柚が隣同士に座っていた。誠也は一番奥の席に座っていた。綾は優希をベビーチェアに座らせ、子供用の食器を使って食べ物を分けてあげた。お腹が空いていた優希は、小さな箸を握りしめ、一生懸命に食べていた。お行儀よくご飯を食べる彼女は、可愛らしくて、見ているだけで心が和むのだ。使用人たちも、その微笑ましい光景に顔が綻んでいた。柚は優希を見ながら、思わず言った。「優希ちゃんは本当に奥さんにそっくりですね。とても可愛いです。こんな子が私にもいたら、夢の中でも笑ってしまいそうです」綾は、それを聞いて軽く微笑んだ。4年前、柚とは数日間一緒に過ごしたが、綾にとってはほんの
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第355話
輝と初は顔を見合わせて、吹き出してしまった。綾は優希の頭を撫でて、優しく諭した。「優希、行儀よくして」優希は頷くと、悠人の方を向いて、はっきりと挨拶した。「こんにちは。私は優希だよ！」悠人は、優希のピンク色の可愛らしい頬を見つめた。優希の顔立ちは綾にそっくりで、特に目は瓜二つだった。悠人は少し自信をなくした。母親には、自分の子供ができた。もう前みたいに、優しくしてくれることはないんだ。今は、「母さん」と呼ぶことさえ、許されない。悠人は泣きそうになったが、優希の前で情けない姿を見せたくなかったので、無理やり笑顔を作って言った。「こ、こんにちは。僕は悠人だ」その時、輝の携帯が鳴った。迎えの運転手が到着したらしい。「優希、じゃあ、私帰るからね。また明日」「おじさん、バイバイ！」優希は輝に投げキッスをした。輝は優希の頭を撫でて、綾に別れを告げ、スーツケースを引いて歩きだした。綾は優希を抱いて家の中に入った。初はスーツケースを引いて、その後ろをついて行った。悠人は綾の後ろ姿を見つめ、しょんぼりしていた。誠也は悠人の肩を叩いた。「焦るな。帰ってきたばかりだから、もう少し時間をあげよう」悠人はうつむいて、小さく「うん」と答えた。-1階の居間では、使用人服を着た数人の女性たちが声を揃えて出迎えた。「奥さん、おかえりなさいませ！」その光景に、初は驚きを隠せない。「まるでドラマの中にいるみたい！」綾は辺りを見回した。ここは南渓館よりもずっと広く、リビングにはキッズスペースまで作られていた。どうやら、誠也は優希のご機嫌を取るために、かなり気を遣っているようだ。そのキッズスペースは、彼女の古雲町の家にあったものとほぼ同じだった。柚は綾に近づき、満面の笑みで言った。「綾さん......いえ、今は奥さんと呼ばなければなりませんね。奥さん、優希ちゃん、お帰りなさいませ！」綾は眉をひそめた。「やっぱり、名前で呼んで」「いけません！」柚は綾にウインクした。「碓氷さんから、今日から奥さんと呼ぶようにと、命令されているんです。あなたが、この家の奥さんですから、私たちもこれからはあなたの指示に従わなければなりません！」綾は「奥さん」と呼ばれるのが嫌だった。その時、誠也が悠人を連れて入って
碓氷先生、奥様はもう戻らないと 第354話
「だって、あの人はお母さんが産んだんじゃないもんね。お兄さんには自分のお母さんがいるんでしょ」誠也の顔が曇った。「綾、子供にそんなこと言うな」「どうして？」綾は冷ややかに笑った。「あなたは優希に悠人と仲良くしてほしいんでしょ？だけど、悠人が急に現れた優希を受け入れられるか、考えたことあるの？」誠也の顔色はさらに悪くなった。「お前は優希に悠人を警戒しろと教えているのか？」「ただ優希に事実を伝えているだけ。優希はまだ小さいけど、バカじゃない。悠人との付き合い方は、彼女自身の考えがあるから」誠也は綾を見つめ、失望の色を隠せない。「綾、お前は変わったな」「あなたは私のことを何も分かっていなかっただけ。悠人のこともね。誠也、そんな風に私を責めないで。自分に問いかけてみて、本当に悠人のことを愛しているの？もしそうなら、どうしていつも彼の面倒を誰かに押し付けようとするの？」誠也は黒い瞳で綾を睨みつけた。しかし、綾はもはや彼に構わず、窓の外に視線を向けた。それを見た誠也も、それ以上何も言わず、顔をしかめて背を向けた。車内は急に静まり返った。優希は輝に両手を広げた。「おじさん、抱っこ！」輝は優希を抱き上げ、頭を撫でた。「私と離れたくないのか？」「うん」優希は輝の胸に顔をうずめ、どこか浮かない顔をした。輝は優希の沈んだ気持ちに気づき、小さくため息をついた。「おじさん、あの人、あんまり好きじゃない」優希は顔を上げ、小さな声で言った。「あの人、いつも母さんを怒らせるんだもん。どうしてあんなに意地悪なの？」輝は、今の誠也と綾の関係を優希にどう説明すればいいのか分からず、「大人のことは大人に任せておこう。優希は楽しく過ごせばいいんだよ」とだけ言った。優希は目をこすった。「ちょっと眠い」輝は優希が楽な姿勢になるよう抱き直した。「抱っこしてやるから、このままちょっと寝てていいよ」「うん」優希はあくびをかきながら、目を閉じた。そしてすぐに眠りに落ちた。-30分後、送迎車が住宅街に入り、道路に沿って道を進んで行った。まもなく3分ほどで、西園寺館に到着した。車が庭先に止まった。ドアが開き、一行は順番に降りていった。車の音を聞き、悠人は待ちきれずに飛び出してきた――「お父さん！母さん！」9歳の悠
