そして、涙もポロポロと、とめどなくこぼれ落ちた。「安人、お母さんだよ。ごめんね、お母さんが守ってあげられなくて。この4年間、つらかったね......」綾の声は詰まり、言葉にならない。涙で視界がぼやける綾は息子をよく見ようと思い、何度もまばたきするが、視界が晴れたりぼやけたりを繰り返すばかりだった。彼女は感情をどうにもコントロールできずにいた。安人は綾を見つめ、ゆっくりと両手を上げて、小さな手で綾の涙を優しく拭った。それに刺激されたか、綾はさらに激しく泣きじゃくり、「お母さんだよ、安人、お母さんだよ......」と繰り返すばかりだった。それを聞いて、ようやく理解した安人は、静かに「母さん」と呼んだ。その「母さん」という言葉を聞いた瞬間、綾は4年間抑えてきた感情が爆発した。「ありがとう、生きていてくれてありがとう......」彩もまた一緒に涙を拭きながら、「二宮さん、もう全部終わったんです。親子が再会できたんですから、もう泣かないでください。安人くんが心配しますよ」と言った。幼い子供には、なぜ母親がこんなに泣いているのか、完全には理解できないかもしれない。しかし、泣くのは良くないことだと、子供なりに分かっている。優希のように口達者で、母親を慰めるような甘い言葉をたくさん言うことはできない。それでも、安人は本当に物分かりが良かった。彼は母親の涙が止まらないのを見ると、ティッシュを何枚か取り、辛抱強く涙を拭いてあげた。しかし、ティッシュは次々と濡れていくのに、母親の涙はまだ止まらない。安人の小さな眉間にはシワが寄り、黒い瞳には戸惑いと心配が浮かんでいた。しばらくして、彼は頑張って「母さん、泣かないで」と言葉を絞り出した。それを聞いて綾はハッとした。安人は母親に聞こえなかったかもしれないと思い、もう一度「母さん、泣かないで」と繰り返した。輝も「綾、見てみろ、彼が心配しているぞ」と慰めた。綾は鼻をすすり、しっかり者の息子を見て、顔の涙をぬぐいながら微笑んだ。「うん、お母さんも泣かない。お母さんはただ嬉しくて、やっと安人に会えたからだよ」安人は母親の目を見つめ、しばらくしてから、口角を上げて微笑んだ。その笑顔に綾もつられて微笑んだ。......空港で見送っていた者が清彦に電話し、綾
小さな安人は静かに綾の腕の中でうずくまっていた。彼は分かっていた。彩から、すでに自分の実の父親は誠也で、母親は綾だと聞かされていたのだ。安人は体が小さく、あまり話さない子だが、大人の言うことはよく理解していた。それも全部誠也が予め準備しておいたおかげだった。誠也は、この前DNA鑑定の結果が出た後、彩にこっそりと連絡を取り、安人に心の準備をさせてほしいと頼んでおいたのだ。彩も、安人が誠也と綾の子供だと知って驚いたが、それと同時に安人と綾のためにも心から喜んだ。だから、誠也に頼まれた時、彼女は迷わず引き受けたのだ。誠也は彩を見て、軽く頭を下げ「ありがとう」と伝えた。彩は鼻をすすり、安人と綾がついに再会したのを見て、胸をなでおろした。「碓氷さん、とんでもないです。私はただ、安人くんがかわいそうで......あなたのためではなく、安人くんのために力になりたいと思ったんです」克哉は二人の会話を聞いて、冷笑した。「誠也、やるじゃないか。俺が雇った人まで取り入るとはな」誠也は克哉を睨みつけ、低い声で言った。「克哉、人の心は金で買えるものではない」それを言われ、克哉は眉をひそめ、険しい表情になった。一方で、誠也は息子を抱いて泣きじゃくる綾を見て、胸が痛んだ。しかし、それもほんの一瞬だった。再び克哉に目を向けた時、彼の目には冷たさしか残っていなかった。「彼らを返してやれ」克哉はそんな誠也をしばらく見つめた後、冷笑した。「いいだろう!」それを聞いて、傍らに立っていた秘書は思わず驚いた様子で克哉を見た。克哉はソファに座り、目を細めながら秘書に再度指示を出した。「もう一度言わせる気?」「かしこまりました」秘書は慌てて返事をした。彼女は頷くと、綾に近づいて言った。「二宮さん、もうお帰りになって頂いてかまいません」それを言われ、輝もすかさず綾のそばにしゃがみ込み、優しく言った。「綾、安人くんを連れて帰ろう」綾は涙を拭った。「ええ」彼女は息子を強く抱きしめ、輝が抱こうとしても離さなかった。彩は誠也に協力したことで、克哉を裏切ったことになったのも同然だった。だから、綾は彼女も一緒に連れて行こうとしていた。克哉はもうすでに安人をも返すと決めたのだから、彩のことなどは気にするはずもなかった。彼が手を
しかも、DNA鑑定の結果、悠人と航平の父親に血縁関係はないことが判明した。その知らせを聞いた時から、誠也はずっと倒れないように無理をしていた。K国で安人に会っていた三日間、彼は特に変わった様子はなかった。しかし帰国前、中島医師に会いに行った際、再び発作を起こした。中島医師の適切な処置がなければ、あの日の誠也は、もしかしたら命を落としていたかもしれない。だが、これらのことはすべて内密に行われていたため、清彦、中島医師、そして丈以外は、誰一人知る者はいなかった。一週間の極秘治療の後、誠也は清彦に悠人をK国へ送るように指示した。しかし、克哉はそれでも安人を返そうとしなかった。安人が生まれた時、容態は非常に危険だった。克哉の医療研究センターのチームの懸命な努力のおかげで一命を取り留めたが、定期的にある薬剤を注射する必要があり、それが残りあと一回の注射となっていた。この注射をすべて受け終わって初めて、安人は健康な子供として生きていけるのだ。これも、今、克哉が誠也と示談できる唯一の切り札だった。「克哉、もう彼らにも出てきてもらいなよ」それを言われ、克哉は一瞬動きを止めた。誠也は部屋の隅にある監視カメラに視線を向け、「もし俺の予想通りなら、綾と輝は今、監視カメラを見ているんだろうな」と言った。「さすがだな!」克哉は誠也を見ながら笑った。「まさか、そこまで分かるとはな」「お前ならそうすると思っただけだ」誠也は冷静な黒い瞳で克哉を見据え、「わざわざ俺たちをここに集めたのも、興味本位でやったことなんだろう?」と言った。「ああ、航平がいなくなってから、俺の人生には何も楽しみがなくなった」克哉は笑いながら、陰険な目で誠也を睨みつけた。「誠也、お前さえいなければ、航平は死なずに済んだんだ!」「だからその罪は俺だけが背負えばいい。他の人を巻き込むべきではないだろう」誠也は落ち着いた口調で、感情を一切表に出さずに言った。「俺は綾とは既に離婚している。俺にとって彼女は今はただ、子供の母親に過ぎない。だからもうこれ以上彼女を苦しめるな」「誠也、今そんなことを言って、俺をバカだと思ってるのか!」「どう思うかはお前の勝手だ」誠也は言った。「まずは綾と安人を帰らせてくれ。俺はここに残ってお前の好き勝手に付き合うから」克哉は
別室で、その光景を目の当たりにした綾は勢いよく立ち上がり、モニターに映る安人を食い入るように見つめた。「まさか......」輝も驚きを隠せない様子だった。「安人くん?!」綾の目は真っ赤に充血していた。彩に抱かれた安人を見ながら、彼女は初めて彼と会った時の光景が脳裏に浮かんだ。今思えば、安人に会った瞬間から、自分は言葉にできないほど不思議な親近感を抱いていた。もう、確認するまでもない。この時、綾はすでに確信していた。安人こそが、自分の息子なのだ。そう思うと綾は涙がこぼれ落ち、居ても立っても居られなくなりリビングへと駆け出そうとした。彼女は今にでもすぐに息子の元へ駆け寄りたかった......だが、「二宮さん」秘書が綾を止めた。「今はまだ、そちらへ行けません」止められた綾は悔しい思いをいっぱいに秘書を睨みつけた。そこを輝がすかさず立ち上がり、綾の隣に歩み寄って優しく言った。「落ち着いて。まずは綾辻さんの真意を探ろう」綾も焦っていたが、ここは克哉の縄張りなのだ。彼が許可しない限り、息子を取り戻すのは難しいだろう、ということは分かっていた。そう思うと彼女は焦る気持ちを抑え、輝と一緒にソファに戻った。ちょうどその時、モニターに映っていた誠也が、安人を抱き上げた。意外なことに、安人は抵抗しなかった。それどころか、誠也の腕の中で、自ら手を伸ばして彼の顔に触れた。モニターからは音声が聞こえないが、別室とリビングはそれほど離れていないため、綾はかすかに安人の幼い声が聞こえた――「お父さん」綾は言葉を失った。安人は、自ら誠也を「お父さん」と呼んだ?一体どういうこと?もしかして、安人と誠也は、とっくに親子として再会していたのだろうか?誠也に懐いている安人の姿を見て、綾は複雑な気持ちになった。息子は、とっくに自分の元に帰ってきていたのに、ずっと気づかなかったのだ。安人は優希の兄なのに、優希よりも小さくて痩せ細かった。それも全部自分がちゃんと母としてそばにいてあげられなかったからだ。しかもそのせいで、安人は言葉の発達が遅れ、自閉症寸前にまでなっていた。そう思うと、綾の胸は張り裂けそうだった。自分は安人を守ってあげられなかった。母親として、あまりにも多くのことを彼にしてあげられなかった..
遥はそれを知ると、彼のことを役立たずと言い、彼に向かって激怒した。さらには、彼を産んだことさえ後悔しているとまで言われたのだ。悠人は、そんな鬼のような形相で、嫌悪感しかなく愛情のかけらもない遥を見て、すべての母親が自分の子供を愛しているわけではないのだと悟った。彼のいわゆる実の母親は、最初から最後まで彼を本当に愛したことなどなかったのだ。そしてその時、彼は綾のことを思い出した。あの5年間、彼は綾に大切にされ、優しくされていた。綾の声はいつもとても優しかった。そして、アイスクリームやおやつはなかったけど、綾はいつも体に良いクッキーやパンを手作りしてくれてた。綾に絵本を読んでもらった夜は、いつも穏やかだった。そしてあの時の彼は、悪夢なんて知らなかったのだ。綾は、彼のどんな幼稚な質問にも根気よく答えてくれてた。そして、彼もまたもう綾に構ってもらえなくなったことを思い出した......でも悠人は分かっていた。その全ては綾のせいではないのだ。自分が悪かったのだ。自分の行いが綾を悲しませたから、綾はもう自分に構ってくれなくなったのだと彼は思い込んでいた。今日まで、悠人はもう二度と綾に会えないと思っていた。ここで過ごす毎日が、とても不安だった。そこを突然綾が現れたので、彼はとっさに謝れば家に連れて帰ってもらえるんじゃないかと思った。「母さん、ごめん。もう二度と他の人を母さんなんて呼ばないよ。僕、もう大人だし、この世界であなただけが本当に僕を愛してくれてるってわかってる。母さん、ごめん。もう一度だけチャンスくれない?これからはあなたの言うことをちゃんと聞くから......」悠人はそのままひざまずき、そのまま綾に泣きついた。「母さん、ごめん、許して。お願い、許して。家に連れて帰って......」綾と輝は、悠人の行動に驚いた。二人はしばらく見ないうちに、悠人がどうしてこんな風になってしまったのかと、びっくりしていた。土下座するなんて、彼はよほど追い詰められただろう。克哉はそれを見て、顔を曇らせた。そして秘書に命じた。「みっともないから、連れて行け」秘書はうなずき、すぐに家政婦に悠人を連れて行くように指示した。悠人は行きたくなかった。ごねる彼を家政婦一人では抑えきれなかったので、秘書は警備員を呼んだ。
このやり取りのあと結局、綾はK国へ行くことにした。彼女は輝にそのことを話した。輝は彼女が一人で行くのを心配し、同行することを申し出た。綾も、誰かと一緒の方が安心だと感じた。その夜、彼らは岡崎家のプライベートジェットでK国へ向かった。夜通し飛行し、K国に到着したのは現地時間の午前10時だった。空港を出ると、克哉の女性秘書が待っていた。秘書は彼らを黒い高級車へ案内した。車は空港から市内中心部へ向かった。40分ほどの道のりだった。道中、車内はとても静かだった。目的地が近づくにつれ、綾の緊張は高まった。輝は彼女の気持ちに気づき、そっと肩に手を置いた。綾は輝の方を向いた。「綾、怖がらなくていい。私が付いているから」輝は優しく微笑んだ。「一緒に子供を迎えに行こう」綾は鼻の奥がツンと痛み、唇を噛み締めて頷いた。......車は克哉の別荘へと入った。秘書は綾と輝をメインリビングへと案内した。克哉はソファに座り、長い脚を組んで背もたれに寄りかかり、葉巻を吸っていた。彼は眉を上げ、葉巻を指で挟みながら煙を吐き出した。「よく来たな。気を使わなくていいよ。もう顔なじみだろ?さあ、好きなところにかけてくれ!」克哉はいつもこんな調子だ。綾と輝は慣れたもので、いちいち相手にしなかった。だが、二人は顔を見合わせ、言われた通りに座ることはなかった。「綾辻さん、私の息子はどこ?」綾は尋ねた。「焦るなよ」克哉は笑った。「夜通しで飛んできてるんだ、疲れただろ?まずはお茶で飲んで。岡崎先生、このお茶を試してみてみるといい。この間、M市から取り寄せた最高レベルの新茶だ。きっと気に入ると思うよ」「とぼけるな。私たちは綾の子供を連れ戻しに来たんだ。男なら、罪のない子供を交渉材料にするな。早く彼を渡せ!」克哉は眉を上げた。「二人ともずいぶんせっかちだな。まあ、せっかく遠くから来たんだ。望み通りにしてやろう」そう言うと、克哉は秘書の方を見た。秘書は頷き、隣にいた家政婦に言った。「子供を連れてきなさい」家政婦は二階へ急いだ。すぐに、階段の方で物音がした。綾は階段の方を見上げ、息を呑んだ。「母さん!」悠人は綾を見ると、目を輝かせて駆け寄ってきた。綾は驚いた。輝はすかさず綾の前に立