「さて、今回の件、レリアーヌから『厄介な隣人』が黒幕であるとの事だが……」
「はい。間違いございません。姿は確認できませんでしたが、あの特徴的な笑い声が聞こえてきましたので。
それに例え姿を見ていたとしても、『厄介な隣人』にとって姿は何の確証を与えるものではありません。 更には隣国の王女殿下の変容、あれは『厄介な隣人』が手を貸した結果だと思われます。 ……さすがに、普通の人間ではあのような変容を与える事など出来ますまい。 そして王女殿下に付き従っていた人間の有様から鑑みるに、あの状態は『厄介な隣人』が手を貸した代償として生気を奪っていった結果だと思われます」そう、随分と昔からその存在が語り継がれている『厄介な隣人』は、不思議な力を持つと言われている人外だ。
享楽主義で人々を混乱の渦に巻き込む為だけに、理不尽にその不思議な力をふるうという、文字通り『厄介な隣人』なのだ。その姿は、現れた時々によって全然異なっていて、本人かどうかは見た目で判断するのは難しい。
ただ、その特徴的な笑い方と、銀の瞳の色だけが『厄介な隣人』を見分けると、我が一族には伝わっている。 そもそも我が一族がこの国の配下にくだった理由も、『厄介な隣人』の存在が大きいと言われている。それだけ『厄介』な存在なのだ。
そんな愉快犯のような存在が、何故今回隣国の王女サマを唆してアン様を狙ってきたのか……?
「そうか……」
沈痛な面持ちで陛下が深く椅子に背を預ける。
「……ここ何年かは静かなものだったのですがね」
ぽつりとティボー公爵様も呟く。
「……隣国の王女の変容は……それほど酷いものなのか?」陛下に問われるも、一瞬だけ答えを躊躇する。
耳元まで裂けた口、野生動物の鉤爪のように変容した手、わたしがかどわかされた直後に王女サマが誇ってい『なんぞ……なんぞ……。思い違いだったか……? はて? はて? ティボー家の銀髪の女子(おなご)は黒髪の男子(おのこ)ではないのか? はてぇはてぇ? キヒャッ!』 ざざざっとこずえが鳴る。 雑木林を揺らす黒い影がチラチラと視界に映った。「……お下がりください」 バタンテールの技術を駆使して金髪の護衛騎士に扮しているとはいえ、中身はアラン様だ。 『厄介な隣人』が喉から手が出るほどに欲しがっている、ティボーの血を引く黒髪の男子だ。 だからこそ……ここで見つかる訳にはいかない。 ていうかもう部屋に閉じ込めておけばよかった! 心配だから……っていうアラン様の言葉に絆されて、変装術まで駆使して連れてこなければ……!『ならしかたないしかたない……しかたないっ!! にゃひゃひゃひゃひゃひゃ……!!』 声だけが辺りに響き渡り……そして消えていった。 周囲を見回しても、何の気配も感じない。 黒い鳥の気配も、もちろん魔女本人の気配も……。「……部屋に戻ります」 見た目アン様のわたしが、見た目護衛騎士のアラン様に声をかける。 駆け出しそうになる足をなんとか押しとどめながら、わたしたちはアン様の部屋へと戻るのだった。 「……アレが……『厄災』……か……」 金髪の護衛騎士姿のまま、アラン様が力なくソファに腰を落とす。 酷く疲れた様子を心配しながら、気分が落ち着くお茶でも用意しようと戸棚へと向かおうとしたのだが……。「……レア、こっちこい」「……お茶は……」「それは後でいいから」 大きな手で顔を覆ったままでいつもより沈んだ様子で声をかけてきたアラン様に近づく。 顔を覆っていたのとは逆の手が伸びて、わたしの腕を掴んだ。 そのまま引き寄せられて、気づけばアラン様のお顔がわたしのお腹辺りに埋まっていた。 そのまま腰に腕を回され、緩く抱き締められる。「……アラン様……」「…
「なにをなにをなにをなにをっ!! アンさまなんていないのよぉぉぉ!! わたくしをつまにっ! わたくしを公爵夫人にしなさいよぉぉぉぉぉ!!」 いつもは綺麗に整えていた髪を振り乱して目をカッと見ひらいたご令嬢は、とても正気には見えない。「ならば、あなたの目の前にいるわたくしはいったい誰だというのでしょう?」 取り乱す気配など微塵も感じさせないように、いつものアン様の淑女の鑑と尊ばれる姿勢を、仕草を思い出しながら問いかける。 今のわたしはアン様だ。比喩ではなく。 バタンテールの変装技術を駆使して、ついでに銀髪のカツラをお借りしてアン様になり切っている。 アン様の優雅な仕草をなぞるように首を傾げる。うん。我ながら淑女っぽくできてると思う。 だけど、それすら癪に障るのか彼女の顔はもはや人とは思えない程に目が吊り上がり、口が裂けていく。「あなたはアラン様なのよぉぉ!! 女のふりしてぇ!! るだけなのよぉぉぉ!」 血走った目がこちらを射抜く。 だけど……。「ならば確認してはいかがですか? わたくしがあなたのおっしゃる通り男なのかどうか……」 女学院の制服は白いブラウスとジャケット、膝下のプリーツスカートだ。 ブラウスの首元に手をかけ、上から一つずつボタンを外していく。 ……後ろで身じろぎする気配がしたがそれに構わず続ける。 開いた襟元から、ささやかとはいえ僅かなふくらみと谷間が覗く。「っ!? あなたは女じゃないっ! おんなじゃないぃぃ! おんなじゃないのぉぉぉぉぉ!!!」 飛び掛かってくる彼女の前に、後ろにいた護衛騎士服を着た人間が飛び出そうとする。 それを抑えてるうちに、彼女に胸倉を掴まれる。 ビリィィ!! 布を切り裂く音と、僅かに遅れてボタンが石畳を叩く小さな音が響いた。 わたしに制止されて動けない護衛騎士が、はっと息を呑む。 引きちぎられたブラウスは、白い布切れ
「ティボー様ぁ!」 うわぁ、既視感。 もはや何かが起こるならココ! とまで言わしめそうないわくつきになってしまった回廊で、件の伯爵令嬢に声をかけられ、二人同時に足を止めた。 くるりと振り返れば、異様なほど瞳を炯々と光らせたご令嬢が走り寄ってくるところだった。 んっと気づかれないように咳払いをして、喉の調子を整える。「……何か……用かしら?」 あり得ない程近い距離で足を止めたご令嬢から、後ずさって僅かに距離をとる。 そうすれば、ご令嬢が前にでて、わたしが後ずさり……と続けていくと、背中にとすりと自分以外の温もりが触れた。 うぅん。もう少し離れてほしい。 ちらりと背後に視線を向ければ、長い前髪に隠された瞳が油断なくご令嬢を見つめていた。 どうやら、この場を離れるつもりはないらしい。「ティボーさまぁ! いいえアンさま! いいえいいえアラン様!!」 興奮した甲高い声が回廊に響いた。 ご令嬢が声をかけてきた段階で、既に手配は完了しているので、彼女の声が無関係な人間に聞かれることはないだろう。「……あなた……何をおっしゃってるの?」 こてりと首を傾げれば銀(・)の長い髪が、わたしの動きに合わせてゆらりと揺れた。「うふふぅ! もうしってますものぉ! アンさまなんてぇホントはいらっしゃらないんですよねぇ? アラン様が女装してぇ、アン様になってるんですよねぇ! うふふぅ~! 公爵家のご令息が女装趣味とかぁ。 世間にバレたら大変ですよねぇ」 ねっとりと張り付くような声で声高に主張するソレは、ある意味真実だけど……。『女装趣味』の言葉に、アラン様が僅かに身じろいだ。恐らく致し方なく行ってた女装を、好き好んでしてたみたいに言われて微妙な気持ちになったのだろう。「……もう一度言うけど&he
「さて……どうしますか……」「……お前にオトメゴコロを期待した俺が間違いだった……」 アラン様の、いや女学院の寮にあるアン様のお部屋で、二人掛けソファに並んで座る。 ピタリとくっ付いた身体からアン様の体温が伝わってきて、ちょっとくすぐったい。 腰に回された手も熱くて、大きくて……胸がきゅっとなる。 そんな甘い空気をぶち壊すのは百も承知だけど、相手は『厄介な隣人』だ。 あまり時間がないのも否めない。「仕方ないです。『厄介な隣人』の眷属だったらしいあの黒い鳥を消しましたので、異変に気付いた彼女が来るまであまり時間もないでしょう……」 わたしの言葉に、アン様が、いやアラン様が考え込む。 「……俺のこと、バレたと思うか?」「……まだ疑いの段階かとは思いますが……。ただ……心配なのはあの伯爵家のご令嬢ですね」「あぁ、確かに様子がおかしかったが……」 アン様が首を傾げる。「もしかしたらですが……彼女も『厄介な隣人』に魅入られた可能性があります」「……『厄災』に魅入られるとは一体どういうことだ?」「アレは人の欲望に付け込んで、甘言を囁くんですよ。『願いを叶えてあげよう』って。 隣国の王女さまは自分勝手な生活を手に入れる為、生国を捨てこの国の王太子の妃となりたかった。そんな身勝手な欲望に目を付けたアレが手を貸したのでしょう。ただ……『厄介な隣人』の手を取ることは破滅への最短距離を進むのと同意。 願いが叶うかもわからず……いいえ、叶うことなくアレの餌食となる。その結果は……」
「やっぱりアラン様が悪いですっ!」 きっとアラン様を睨みつけたわたしにアラン様が驚きを露にする。「なんだ突然!?」「わたしがバタンテールの人間だってご存じでしょう?! バタンテールがどういう存在かご存じでしょう? なのに! なんでわたしを遠ざけるんですかぁ……」「う、うわっ!? レア?! ちょっ……?!」 ボロボロと、ボロボロと水滴が頬を濡らす。 あぁ、涙を流すなんてどれぐらいぶりだろう? バタンテールの厳しい鍛錬でも泣いた事なんてないのに。 「うわっ! レア?! 泣くなっ!」 慌てた様子のアラン様が椅子から滑り降りる。 ぼたぼたと水滴を溢しながら醜い泣き顔を晒すわたしを抱き寄せた。「アランさまのばかぁ! わたしが強いって! バタンテールの中でも強いってもうご存じでしょう? バタンテールの歴史は『厄介な隣人』との攻防だっていうのもご存じでしょう? なのになんでぇ……」 そう、バタンテールは遥か昔から『厄介な隣人』とやり合ってきた関係だ。 アレは滅ぼせない。ひたすら叩いて弱らせるか、飽きて別のとこに行くように仕向けてして退けることしかできない。 そしてアレに対応できる力を持っているのが我が家(バタンテール)だけなのだ。 だからこそ、我が家はこの国の守護を務めているといわれている。 もちろん相対するのは『厄介な隣人』だけではないが、その実力も実績も確かなものなのだ。 『厄介な隣人』絡みの事件が起きた場合、バタンテールの人間が対処するのは常識といってもいい。 それを遠ざけるだなんて……! しかも『厄介な隣人』に見つかれば、その身が無事かどうかすらわからないのに!「あらんさまのばかぁ……」 ぽろぽろと止まらない涙が、アラン様の女学院の制服を濡らす。耳に触れるアラン様の鼓動はいつになく速い。「&
「なんだ……? アレは……」 僅かに動揺を乗せたアン様の声が、わたしの背後から聞こえてきた。 油断なく周囲を見回して、もう不審なモノがないことを確かめる。「……お部屋に戻りましょう」 そう告げると、殊の外素直に従ってくれた。 アン様のお部屋の扉を開け、用心深く部屋の中を見回す。 特に異変は感じられない。 窓から外を臨めば、そこにはいつも通りの景色が広がっていた。 もちろん黒い鳥の姿もない。「っ! まったく! なんなんだあれはっ!」 どさりと令嬢らしくない仕草で、制服のスカートが翻るのもものともせず椅子に腰を落とすアン様。「……淑女の鑑はどうされました? アン様」「……お前の前で取り繕う必要なんてないだろう?」 ふんと淑女らしからぬ仕草で鼻を鳴らすアン様。 さらには華奢に見えて意外とがっしりしている手を翻(ひるがえ)してわたしを手招く。 一つため息を吐いて、アン様のお側に寄れば、腰を落とすように指示された。 仕方なく椅子に座ったアン様の前に跪く。見上げれば、銀の髪を揺らしてこちらを見つめる紅い瞳。 気まずくなって目を伏せれば、くっと顎を掴まれた。 わたしの平凡なヘーゼルの瞳とアン様の真紅の瞳が交差する。 「……主の命を聞けない護衛など信用ならんな」「わたしはわたしのご依頼主様の指示に従ったまでです」 紅い瞳を覗き込んできっぱりとそう言い切れば、アン様のお顔が悔し気に歪んだ。「だからって……だいたいなんだその格好はっ! お前は性別を偽って俺を騙していたのかっ?!」 それ、そっくりそのままお返ししますが?「最初に性別を偽ってたのはわたしじゃないです」「っ! 屁理屈言うな! レアッ!!」