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第289話

Author: 桜夏
エレベーターのドアが完全に閉まり、中の人々の顔は見えなくなった。こうして、今日の「夫と第三者の修羅場」は、ようやく幕を閉じた。

駿は、そばにいる自社の社員たちを見た。皆、慌てて顔をそむけ、何も見なかった、何も聞かなかったというふりをしている。

「今日のことは、他言無用だ。内々で話すのも禁ずる」

駿は命じた。

皆は頷いた。当然、社長の前で軽率なことはできない。

「皆さんも誤解しないでください。蓮司は頭がおかしいんです。さっき言ってたことは、全部嘘ですから」

透子も言い、誤解を解こうとした。

浮気だなんて、全くのでたらめだ。蓮司の口は、肥溜めよりも汚い。エレベーターのドアが閉まるのがもう少し遅ければ、バッグを投げつけてやるところだった。

社員たちは彼女を見つめ、再び頷いたが、その眼差しには明らかに不信の色が浮かんでいた。

駿は透子の腕を取り、役員専用エレベーターの方へ向かいながら、小声で気遣った。

「新井蓮司に、何もされなかったかい?すまない、午後の会議に夢中で、彼が来たことを知らせるのを忘れていた」

「私は大丈夫です」

透子は言った。

「すみません、先輩。またあなたを巻き込んでしまって」

彼女は申し訳なさそうに謝った。

「気にするな。これで彼が完全に諦めてくれるなら、それに越したことはない。僕には何の影響もないさ」

駿は言った。

社内の噂については、自分が社長なのだから、社員たちも好き勝手なことは言えないだろう。

エレベーターが上がり、二人は中へ入った。その頃、ビルの前の広場では――

外へ出ると、蓮司は部下たちに先に会社へ戻るよう命じ、自分は車に乗って別の方向へと向かった。

蓮司が去ると、社員たちはようやく安堵のため息をつき、ひそひそと囁き始めた。

「今日の財閥家の秘め事、目撃しちゃったけど、私たち、口封じされたりしないかな?」

「新井社長も、よく耐えられるわよね。しかも、わざわざ旭日テクノロジーと提携しに来るなんて」

「見たでしょ、新井社長、奥様のこと死ぬほど愛してるのよ。第三者に手を出そうともせず、せいぜい襟首掴んで脅し文句を言うくらい。奥さんに浮気されても、提携をお願いしに来るんだから」

「まあ、男なら誰だって過ちは犯すものよ。新井社長は浮気したけど、本妻への愛もある。離婚したくないんでしょうね。でも、奥様の方が態
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