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第729話

Author: ちょうもも
決して良い噂ではないと、勘が告げていた。

伶の性格からして、彼が自ら進んで噂話をするなんてあり得ない。

誰かが持ち込んでも、普通なら聞き流す人間だ。

そんな彼が、今わざわざ「ある噂」と言ってきた。

直感的に――これは罠だ。

悠良はわざと眠そうにあくびをひとつ。

「明日にしましょう、もうこんな時間なんだから」

伶は眉をわずかに上げ、口元にうっすらと笑みを浮かべた。

その黒い瞳には、すべてを見抜くような鋭さが一瞬きらめいた。

「いいよ。じゃあ明日な。今日は早めに休め。

で、君の部屋で寝るか、それとも俺の部屋に行く?」

悠良は一瞬きょとんとした。

「どういう意味?」

「寝かしつけサービス」

伶はさらりと答える。

悠良はスマホで日付を確認してから、冷ややかに言った。

「もう日付変わってるわよ。契約は終わり」

「おっと、時間切れか。じゃあ一日延長だな。清算は明日にしよう」

そう言って、彼は悠良の返事も待たずにシャツのボタンを外し始めた。

悠良は思わず声を上げた。

「延長なんて受け付けないわ。寒河江さん、自分の部屋に戻って寝てちょうだい」

この男には破産の危機感というものがまるでない。

破産した人間が、まるで百万長者みたいに振る舞うなんてあり得るだろうか。

だが伶は手を止めず、淡々と告げた。

「悠良ちゃん、俺と君の仲だ。一日ぐらいおまけしてくれてもいいんじゃないか?」

「あのね......」

悠良は言葉に詰まり、反論できない。

気づけば伶はすでに彼女のベッドに横たわっていた。

悠良は拳を固く握りしめ、胸の奥に怒りが込み上げてくる。

彼女は彼の召使いじゃない。

呼ばれれば行き、いらなくなれば切り捨てられる存在じゃない。

外では若菜と楽しそうに話し、山荘に招待までされているというのに。

最初から若菜と関係を進めるつもりだったなら、どうしてわざわざ自分と光紀を呼び出した?

自分たちはプロジェクトを取るために来たのであって、二人の仲を取り持つためじゃない。

ベッドに寝そべる伶を見て、悠良は椅子に腰を下ろし、わずかに距離をとった。

「寒河江さん、もう自分の部屋に戻って。もし鳥井さんから電話でも来たら言い訳できなくなるよ。それに、契約時間は終わったんだから。今の私は寒河江さんと何の関係もない、恋人でもなんでもないの」

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