長野の別荘は、冬の気配を纏い肌寒い空気が漂っていた。庭の木々は葉を落とし、遠くの山々には白い雪が薄っすらと積もっている。そんな静寂の中、私の心だけが激しく波立っていた。
「なんで?なんで結果が証明されないの……?」
私は、凍える手でスマートフォンを握りしめ呆然としていた。鑑定機関からの電話で告げられた「生物学的な親子関係は認められない」という言葉が何度も脳内で反響する。
(瑛斗以外の人と誰とも関係など持っていない。それなのに、なんで慶と碧が瑛斗の子ではないなんて結果が出るの?どうして……)
取り乱し、混乱した状態ですぐに三上先生に電話を掛けた。別荘の広いリビングで震える声で鑑定結果を伝えた。
「三上先生……慶も碧も間違いなく瑛斗の子どもなのにDNA鑑定で親子関係がないって……信じられない。どうしてこんな結果が出たの?」
三上先生は電話の向こうでいつもと変わらぬ穏やかな声で答えた。
「華ちゃん、落ち着いて。僕は何があっても華ちゃんを信じているよ。華ちゃんが不貞だなんてありえない」
この世界で私を信じてくれる人が、まだいることに安堵した。先生の言葉は、優しく私を包み込んでくれる。
「華ちゃんにはつらい内容だと思うし、あくまでも可能性の話だけど、仮だよ、もし鑑定に出されたサンプルが瑛斗さんと
三上先生から告白された後も、先生は以前と変わらない態度で接してくれた。休日になると私のためにノンカフェインの紅茶など手土産を持って別荘に遊びに来てくれるようになった。慶と碧の相手を心から楽しんでくれる。抱っこしてあやしたり、いないいないばあをしてくれたり、子どもたちの笑顔を見るたびに私の心も温かくなった。子どもたちが昼寝をしている間、彼は私の話し相手になってくれた。家政婦や執事とは主従関係があり、友人として気軽に話せる相手がいない私にとって、三上先生とのおしゃべりは何よりの息抜きだった。「華ちゃん、最近どう?何か困ったことはない?」そう優しく尋ねる彼に、私は日頃感じている育児の戸惑いを素直に話した。双子育児の寝不足や、ミルクの量、離乳食の進め方。時には、ホルモンバランスの乱れで何でもないことで急に涙がこぼれてしまうこともあった。そんな時も私の言葉を遮ることなく、ただ静かに耳を傾け相槌を打ってくれた。「うん、うん……それは辛いね」「一人で抱え込まなくていいんだよ、華ちゃんはよく頑張っている」彼の温かい言葉が私の心に染み渡る。(話を聞いてもらうだけで、こんなにも心が軽くなるなんて……。)私を理解し寄り添ってくれる先生の存在がどれほど大きなものか改めて痛感した。
子どもが産まれて別荘に戻ったら、三上先生と逢う機会も少なくなると思っていた。しかし、時間を作っては長野の別荘にまで足を運んでくれた。ある日、気分転換にと私を近くの森へと散歩に連れ出してくれた。「二人とも身長も体重も順調に大きくなっているよ。」「良かった。ちゃんと育っているかな?とか心配だったので、三上先生にそう言ってもらえると嬉しいです。自分では分からないから、先生が検診に来てくれるの嬉しくて」「そうなんだね。でも、出来れば検診のためじゃなくて僕に逢うことを楽しみにしてもらえたら嬉しいな」「……え?」「華ちゃん、僕は華ちゃんが好きなんだ。医師と患者とかではなく、一人の女性として華ちゃんのことが好きだ。だからこそ、これ以上、華ちゃんに悲しい思いをしてほしくない。僕が側で支えられたらと思っているし、華ちゃん、慶くん、碧ちゃんを一生守りたい」そう言って三上先生から告白された。出産した時の夜、子どもたちの姿を見て感極まった時に優しく抱きしめられたこと、妊娠中やDNA鑑定の時など何度か『一人の男として頼って欲しい』と言われ、好意的に思ってくれていることは薄々感じていたが、ハッキリと告白されたのは初めてだった。しかし、すぐに返事をすることはできなかった。瑛斗に裏切られ傷ついた心が、新たな恋愛を受け入れる準備ができていなかったからだ。そして、今は子どもたちのことが最優先で恋愛など考えられなかった。「三上先生には感謝しかありません。でも……今はまだ子どもたちのことしか考えられなくて先生の気持ちには応えられません」私はそう言って断ったが三上先生は優しく微笑んだ。「構いません。僕は華ちゃんが心を開いてくれるまでいつまでも待ちます。僕の気持ちはずっと変わらないから」愛されていることを実感することがなくなっていた中で、三上先生の言葉は私を温かく包み込んだ。気持ちには応えられないが、向けられた眼差しは私が子どもたちを見る時のような愛おしさに溢れており、私の孤独や枯渇した心に灯りをともしてくれた。
しかし、喜びや幸せの裏には常に深い孤独感がつきまとっていた。別荘には家政婦や執事もいて日々の生活に不自由はない。家政婦や執事は、みな優しく小さなことでも気がつき親切にしてくれる。しかし、立場上、心から思ったことを対話出来る関係ではない。親しい友人もいなければ、連絡を取れる相手もいない。そんな時、世間から隔絶され『私』という存在が消えて透明になってしまったような気分だった。東京での華やかな生活は、遠い昔の夢のようだ。あの頃の私は友人に囲まれ、最新のファッションに身を包み、レストランやカフェでランチをしたり、ショッピングを楽しんでいた。パーティーや華やかな場にもドレスアップして顔を出して多くの人と交流をしていた。夫である瑛斗とも幸せな日々を送り、あの時の華やかな生活を送っていた。まさか、自分がこんな形で社会から切り離されることになるとは夢にも思わなかった。夜になると孤独感はさらに深まる。慶と碧が寝息を立てる横で、私は一人眠れずに暗闇の中で天井を見つめる。そして突然、恐怖と苦悩を味わった日々の光景がフラッシュバックする。瑛斗に突きつけられた離婚協議書。私を嘲るように笑っていた玲の顔。そして、私の命を狙っているかのように猛スピードで過ぎ去る車。DNA鑑定の結果を言い渡された時の事務的で冷たい女性の声。体中に恐怖が蘇り心臓がバクバクと音を立てる。目を閉じても眠ることが出来ず、意識がぼやけてくる中で朝の日の光を感じて身体を起こす日々だった。
長野の別荘での生活は、時間が止まったかのように穏やかだった。都会の喧騒から隔絶されたこの場所で、私は、慶と碧というふたりの希望に囲まれて暮らしていた。あれからもう3年の月日が流れていた。別荘の窓からは、四季折々の美しい自然が広がっている。春には芽吹く新緑が目に鮮やかで、夏には木々の隙間から爽やかな風が吹き抜ける。秋には燃えるような紅葉が山々を彩り、冬には静かに降り積もる雪が世界を白一色に染め上げる。この別荘は、父が私に残してくれた最後の優しさだった。そして、この場所が私と子どもたちを守ってくれる唯一の場所でもあった。慶と碧は、広い庭を駆け回り笑い声を響かせている。慶は私に似てパッチリとした二重に濃いまつ毛が印象的な男の子で、性格も控えめで何をするにも慎重的だった。碧は特に目元が瑛斗によく似ていて切れ長で涼しげな顔立ちの女の子。性格も碧の方が積極的で負けず嫌いだった。二卵性の双子は、性格も見た目も対照的で、それもまた愛おしかった。「ママー!、お花!」二人が庭で小さなタンポポを見つけて、目を輝かせ私の元へ駆け寄ってくる。そのたびに、胸いっぱいの喜びが込み上げてきた。「ありがとう。お花キレイだね。そろそろおやつにしようか」「やったー!食べるーーー!」私が声をかけると、二人は嬉しそうに振り返って勢いよく私の腕の中に飛び込んでくる。小さな二人の身体を抱きしめるたびに温か
数日後、私のスマートフォンに一通のメールが届いた。差出人は「一条瑛斗」。恐る恐るメールを開くと、そこには短い一文だけが記されていた。『離婚届が受理された。』私は息を呑んだ。DNA鑑定の結果を受けて、離婚届を出すかもしれないと予想していた。すぐに連絡を取ろうと瑛斗の番号に電話をかけた。しかしコール音は一度も鳴ることなく、「おかけになった電話番号は、現在ご利用できません」という無機質なアナウンスが流れた。何度もかけ直したが結果は同じだった。仕方なくメッセージを送ったが何日経っても既読になることはなく、ブロックされたことを悟った。呆然とスマートフォンを握りしめる。(離婚届は受理されたしブロックされてもう連絡を取ることも出来ない。瑛斗とはこれでもうおしまいなのだろう……。)こうして私と瑛斗の結婚生活は、偽りの鑑定結果とメール、そして一方的なブロックによって完全に断ち切られた。大好きだった初恋の人と結婚できて幸せに満ちていた。やっと待望の子どもも授かりこれからもっと幸せになると思ったのに、玲が帰ってきたことで事態は一変した。離婚を切り出され、玲の元へ行ってしまった瑛斗。家族からは瑛斗以外の子どもではないかと不貞を疑われ家を追い出された。そんなこと絶対ないのに、DNA鑑定では親子関係が証明されなかった。「私の結婚生活は何だったのだろう……。」
長野の別荘は、冬の気配を纏い肌寒い空気が漂っていた。庭の木々は葉を落とし、遠くの山々には白い雪が薄っすらと積もっている。そんな静寂の中、私の心だけが激しく波立っていた。「なんで?なんで結果が証明されないの……?」私は、凍える手でスマートフォンを握りしめ呆然としていた。鑑定機関からの電話で告げられた「生物学的な親子関係は認められない」という言葉が何度も脳内で反響する。(瑛斗以外の人と誰とも関係など持っていない。それなのに、なんで慶と碧が瑛斗の子ではないなんて結果が出るの?どうして……)取り乱し、混乱した状態ですぐに三上先生に電話を掛けた。別荘の広いリビングで震える声で鑑定結果を伝えた。「三上先生……慶も碧も間違いなく瑛斗の子どもなのにDNA鑑定で親子関係がないって……信じられない。どうしてこんな結果が出たの?」三上先生は電話の向こうでいつもと変わらぬ穏やかな声で答えた。「華ちゃん、落ち着いて。僕は何があっても華ちゃんを信じているよ。華ちゃんが不貞だなんてありえない」この世界で私を信じてくれる人が、まだいることに安堵した。先生の言葉は、優しく私を包み込んでくれる。「華ちゃんにはつらい内容だと思うし、あくまでも可能性の話だけど、仮だよ、もし鑑定に出されたサンプルが瑛斗さんと