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last update Last Updated: 2025-08-27 06:46:33

 雨の中、戸惑いながら見上げるミリーに、アレックスは言った。

「立て、見習い記者。パズルはまだ完成していない」

 ミリーが置き忘れた魔道カメラを突きつけて、彼は続ける。

「君が集めた感情的証拠(データ)と、僕が分析した物理的証拠(データ)。この二つは矛盾している。矛盾は、構造(パズル)が未完成であることの証明だ。君の『目』が必要だと言ったはずだ。静寂の塵を写し取り、ルカスから矛盾のかけらを聞き出したような『目』がな」

「矛盾? でも、エレオノーラさんは自殺で、ルカスさんは彼女を神格化したくて手伝ったんでしょう?」

「物理的証拠は自殺を示している。動機はエレオノーラの神格化。だが、君が聞いたルカスの言葉……あの涙と悲しみは、僕の論理では『嘘』だと断定できない。あれは、なんだ?」

 アレックスの言葉は、命令でも侮辱でもない。純粋な問いだった。彼が初めて、自分の論理の限界を口にした瞬間。

 彼が、ミリーの感じ取った「人の心」を、解くべきパズルの一部として真剣に向き合っている。その事実に、ミリーは顔を上げた。

 アレックスの言う通り、まだわからない点がある。ルカスの心の裡だ。

 彼がどういう思いで事件を起こしたのか。どういう気持ちで、心から敬愛していた師の最期を見届けたのか。その真実を聞くまでは終われない。

(立たなきゃ)

 田舎から出て新聞記者になったのは、真実を明らかにするためだ。偽りと不明さの中に置き去りにされて、悲しむ人をなくすためだ。

 今、ルカスは偽りで組み立てられた謎の中で一人、苦しんでいる。

 アレックスが謎を分解するのなら、ミリーは謎の中で泣いている人を助け出さなければならない。

 ミリーはゆっくりと顔を上げる。雨と涙で濡れた顔を拭って、立ち上がった。その瞳にもう涙はない。強い決意の光が宿っていた。

 雨上がりのロイヤル・オペラハウスの屋上は、雨に現れて空気が冷たく澄み渡っていた。見上げれば満天の星空が、銀の砂を撒いたような輝きを放っている。眼下には魔術都市の無数の灯りが、宝石のようにきらめいていた。

 つい先日、歌姫エレオノーラが命を落とした場所。

 事件の始まりの場所に、ルカスが一人で佇んでいる。誰かが来るのを待っていたかのように。

 背後に響いた足音に、だが、ルカスは振り向かなかった。振り向かずともわかっていると言うように、足元に広がる人工の光を眺めている。

 その背中に、アレックスは言葉を投げかけた。

「密室、静寂の塵、そして師の病。全てのピースは、エレオノーラが自らの死を演出したことを示している。君の役割は、何だった?」

 ルカスは答えない。答えないこと自体が、エレオノーラの死の真相を物語っている。

(やはり、自殺だった)

 ミリーは目を伏せた。

 けれど同時に、あの時のルカスの涙に――心に嘘はないと、改めて確信をしていた。夜の光を前に立つ彼の姿は、ひどく悲しそうだったので。

 アレックスが一歩下がり、ミリーに視線を向けた。

 彼は謎を分解してみせた。次はミリーの番だ。

 ミリーは前に進み出て、ルカスの瞳をまっすぐに見つめる。心に浮かんだ問いを、静かに問いかけた。

「ルカスさん……。あなたが彼女のために作った最後の曲は、どんな想いで作ったんですか?」

 アレックスがわずかに目を見開いた。この時アレックスはルカスではなく、ミリーを観察していた。ミリーが論理や証拠ではなく、ただ相手の「心」の核心に触れようとするその瞬間を、驚きと強い興味を持って見つめていた。

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