「ルカスさん……。あなたが彼女のために作った最後の曲は、どんな想いで作ったんですか?」
そしてミリーの問いが、ルカスの心の堰を切った。
「僕は、先生が僕の曲で歌ってくれるだけで幸せだった。たとえ魔力を失っても、歌声の本質は変わらない。他の誰が何を言おうと、僕は先生の歌声を愛していた。それなのに、先生ご自身が自分を否定してしまった」
ルカスの瞳から大粒の涙が溢れ出す。
「……先生は言いました。『ただの女として忘れ去られるのは耐えられない。私の死を、後世まで語り継がれる美しい謎にしてほしい』と……!」
彼は全てを告白した。師への敬愛と、その狂気じみた願いを断れなかった苦悩。彼女が身を投げた後、言われた通りに扉に魔法錠をかけ、「密室」を完成させた罪の意識を。
ルカスの役割は共犯者であり、信奉者であり、たった一人でこの世に残った証人でもあったのだ。「先生のための最後の曲は、ここに。歌う楽しさを思い出してもらえるよう、僕なりに力を尽くしました」
ルカスは数枚の楽譜を取り出した。何度も書いては消した跡のある、迷いの見える曲だった。
「でも先生は、歌ってくださいませんでした。魔力を失ったご自身は、もう価値がないとおっしゃって。そんなことはないのに。僕の最後の願いすら、聞いてくれませんでした……」
「愚かだな」
アレックスは冷ややかに答えた。
「師の偶像を守りたいという自己満足。実に非合理的で、愚かな選択だ」
「はは……。その通りです。僕はあの人に、生きてほしかったのに。できなかった……」
ミリーはルカスに駆け寄って、肩にそっと手を置いた。
「いいえ、ルカスさん。エレオノーラさんの死は、あなたのせいじゃありません。あなたは、彼女の最後の願いを叶えた」
ミリーは彼の手を取った。楽譜を握って震える手を。
「……でもこれからは、自分のための曲
魔術都市の頭脳と称される「王立学院」。その壮麗な白亜の塔が、朝日に輝いていた。 ミリーは、デイリー・ピープルの記者として、数日後に迫った卒業制作発表会の取材のため、その門をくぐった。活気に満ちた構内では、才能あふれる若き魔術師や錬金術師たちが行き来している。誰もが希望に満ちた表情をしていた。(すごい。ここが国の未来を作っている場所なのね。エレオノーラさんの事件とは全く違う、明るい光に満ちている) ミリーは胸を躍らせながら、取材対象者の一人が待つ研究棟へと向かった。 取材対象の一人リアム・コリンズは、平民出身ながら特待生として入学した天才。雑然とした研究室の中は、卒業制作の資料でいっぱいになっている。どれもが読み込まれ、付箋や栞が挟まれ、よれよれになっている。 リアムの研究に対する情熱がよく見て取れた。 ミリーは学院の教室に移動して、リアムへの取材を開始した。「僕の研究は『魔力共振理論』といいます。その、魔術の基本的な構造を、もっと効率的にできるかもしれないんです」 リアムは物静かで、少し気弱そうな青年である。初対面のミリーに気後れしていたが、徐々に熱を込めて話すようになった。 魔術に関して素人のミリーにも、わかりやすいよう言葉を選んで説明してくれる。「とても画期的な研究ですね!」 ミリーが素直な感想を言えば、リアムは恥ずかしそうに微笑んだ。「はい。そのつもりでいます。僕の研究はたくさんの人に支えられて、ここまで来ました。特に指導してくださったブラウン教授には、いくら感謝しても足りません。せめてものご恩返しに、特製の魔道万年筆を贈ったんですよ。喜んでくださいました」「まあ、素敵。リアムさんの研究が世に広まるのが楽しみです」◇ 対照的だったのが、もう一人の取材対象、イライアス・ブレッケンリッジだ。有力貴族の嫡男である彼は、ミリーとリアムが話しているところに割り込んできた。「平民がいくら足掻こうと、血筋と本物の才能には敵わない。卒業制作会で、それを証明してやろう」 イライアスは傲慢そうな笑みを浮かべる。リアムは困
「ルカスさん……。あなたが彼女のために作った最後の曲は、どんな想いで作ったんですか?」 そしてミリーの問いが、ルカスの心の堰を切った。「僕は、先生が僕の曲で歌ってくれるだけで幸せだった。たとえ魔力を失っても、歌声の本質は変わらない。他の誰が何を言おうと、僕は先生の歌声を愛していた。それなのに、先生ご自身が自分を否定してしまった」 ルカスの瞳から大粒の涙が溢れ出す。「……先生は言いました。『ただの女として忘れ去られるのは耐えられない。私の死を、後世まで語り継がれる美しい謎にしてほしい』と……!」 彼は全てを告白した。師への敬愛と、その狂気じみた願いを断れなかった苦悩。彼女が身を投げた後、言われた通りに扉に魔法錠をかけ、「密室」を完成させた罪の意識を。 ルカスの役割は共犯者であり、信奉者であり、たった一人でこの世に残った証人でもあったのだ。「先生のための最後の曲は、ここに。歌う楽しさを思い出してもらえるよう、僕なりに力を尽くしました」 ルカスは数枚の楽譜を取り出した。何度も書いては消した跡のある、迷いの見える曲だった。「でも先生は、歌ってくださいませんでした。魔力を失ったご自身は、もう価値がないとおっしゃって。そんなことはないのに。僕の最後の願いすら、聞いてくれませんでした……」「愚かだな」 アレックスは冷ややかに答えた。「師の偶像を守りたいという自己満足。実に非合理的で、愚かな選択だ」「はは……。その通りです。僕はあの人に、生きてほしかったのに。できなかった……」 ミリーはルカスに駆け寄って、肩にそっと手を置いた。「いいえ、ルカスさん。エレオノーラさんの死は、あなたのせいじゃありません。あなたは、彼女の最後の願いを叶えた」 ミリーは彼の手を取った。楽譜を握って震える手を。「……でもこれからは、自分のための曲
雨の中、戸惑いながら見上げるミリーに、アレックスは言った。「立て、見習い記者。パズルはまだ完成していない」 ミリーが置き忘れた魔道カメラを突きつけて、彼は続ける。「君が集めた感情的証拠(データ)と、僕が分析した物理的証拠(データ)。この二つは矛盾している。矛盾は、構造(パズル)が未完成であることの証明だ。君の『目』が必要だと言ったはずだ。静寂の塵を写し取り、ルカスから矛盾のかけらを聞き出したような『目』がな」「矛盾? でも、エレオノーラさんは自殺で、ルカスさんは彼女を神格化したくて手伝ったんでしょう?」「物理的証拠は自殺を示している。動機はエレオノーラの神格化。だが、君が聞いたルカスの言葉……あの涙と悲しみは、僕の論理では『嘘』だと断定できない。あれは、なんだ?」 アレックスの言葉は、命令でも侮辱でもない。純粋な問いだった。彼が初めて、自分の論理の限界を口にした瞬間。 彼が、ミリーの感じ取った「人の心」を、解くべきパズルの一部として真剣に向き合っている。その事実に、ミリーは顔を上げた。 アレックスの言う通り、まだわからない点がある。ルカスの心の裡だ。 彼がどういう思いで事件を起こしたのか。どういう気持ちで、心から敬愛していた師の最期を見届けたのか。その真実を聞くまでは終われない。(立たなきゃ) 田舎から出て新聞記者になったのは、真実を明らかにするためだ。偽りと不明さの中に置き去りにされて、悲しむ人をなくすためだ。 今、ルカスは偽りで組み立てられた謎の中で一人、苦しんでいる。 アレックスが謎を分解するのなら、ミリーは謎の中で泣いている人を助け出さなければならない。 ミリーはゆっくりと顔を上げる。雨と涙で濡れた顔を拭って、立ち上がった。その瞳にもう涙はない。強い決意の光が宿っていた。◇ 雨上がりのロイヤル・オペラハウスの屋上は、雨に現れて空気が冷たく澄み渡っていた。見上げれば満天の星空が、銀の砂を撒いたような輝きを放っている。眼下には魔術都市の無数の灯りが、宝石のようにきらめいていた。
ミリーは、エレオノーラの魔力枯渇症という衝撃の事実を引きずったまま、デイリー・ピープルの編集部に戻った。戻るなり、編集長に呼び出された。重い足取りで編集長室の扉を開ける。 編集長は苦虫を噛み潰したような顔で、肘掛け椅子に座っていた。「ミリー、この件からは手を引け。衛兵隊上層部からの『お願い』だ。故人の名誉を守るため、これ以上騒ぎ立てないでほしい、とな」(故人の名誉……? 聞こえはいいけど、ただのスキャンダル隠しじゃない。有力者の不祥事を隠して、市民の不安を煽らないようにしたい。権力者がよく使う手だわ) ジャーナリストとして、ミリーはすぐにその裏にある政治的な理由を推測した。しかし、それでも拭いきれない疑念が残る。(でも、それにしてもおかしい。エレオノーラは引退した身なのに。一介の元・歌姫の死に、どうして衛兵隊の『上層部』がここまで神経質になるの? そう、まるで……彼女の死そのものより、『魔力枯渇症』という病気が知られること自体を恐れているみたい……) この事件の裏には、もっと大きな何かが隠されている。そう直感したが、会社という組織の前で、見習い記者の自分はあまりに無力だった。◇ 追い詰められたミリーが最後の望みを託して訪れる場所は、もはや時計塔しかなかった。「衛兵隊が圧力をかけてきました。自殺として、無理やり事件を終わらせようとしています。おかしいと思いませんか!?」 ミリーは必死の思いで、アレックスに訴えかける。感情的になっているのはわかっていたけれど、抑えられなかった。「ルカスさんの証言があります! 彼の涙は嘘じゃなかった。病気のことは隠していたとしても、自殺じゃないことだけは……!」 アレックスは作業の手を止めて、ミリーを見た。ムーンストーンめいた灰色の瞳は冷たく、感情の色が見えない。彼は言葉だけで、ミリーの最後の希望を無慈悲に「分解」していく。「ルカスはこう言ったんだったな。『先生にとっては世界そのものを失うことと同じ』。その通りだろう。だ
アレックスの「目」としての初仕事。ミリーは少し緊張しながらも、ジャーナリストとしてルカス・アシュフォードの住むアパルトマンを訪れた。 ルカスは作曲家で、歌姫エレオノーラの愛弟子。エレオノーラが失踪――という名の隠遁生活――をしている間も、彼だけは密かに師事を続けていたのだ。 ミリーはデイリー・ピープルで資料に当たり、エレオノーラの人間関係を洗い出して、ルカスを探し出したのだった。 芸術家が多く住む地区にある、質素だが趣味の良い部屋だ。まず目についたのは、大きなグランドピアノ。部屋の大部分を占めている。ピアノの上や床には楽譜が散らばっていた。 部屋全体が主の悲しみを映すかのように、薄暗く静かだった。 ルカスは線の細い、儚げな印象の青年である。亜麻色の髪は少し乱れて、優しげな青い瞳は悲しみで深く翳っていた。ミリーの真摯な態度に、彼は少しずつ心を開き、師について語り始める。 彼は涙を浮かべ、か細いが熱のこもった声で訴えた。「エレオノーラ先生の歌声は、ただ美しいだけじゃありませんでした。聴く者の魂を震わせる、魔力が宿っていたんです。その声を失うことは、先生にとっては世界そのものを失うことと同じだったはずです。そんな方が、自らの伝説を汚すような最期を選ぶはずがありません」(歌声に魔力を……だから彼女は『伝説』だったんだ。歌は彼女の命そのもの。そんな人が、その全てを自ら捨てるなんて……ありえないわ) ルカスの師への深い敬愛と悲しみに心を打たれ、ミリーの中で「他殺説」への確信が固まった。◇ 意気揚々と時計塔に戻ると、アレックスは相変わらずガラクタの修理に没頭していた。「ルカスさんから話を聞いてきました。エレオノーラさんは、歌にプライドを持っていた。そんな人が自ら命を断つなんて、考えにくいです」 ミリーはルカスの証言を熱弁するが、アレックスは興味なさそうに聞いている。 やがて彼は無言で立ち上がると、巨大な黒板の前に立った。チョークを手に取り、ボードを中央の線で二つに分ける。 片側に【ミリーの取材(感情的
ノックの返事はないままに、重い扉がひとりでに軋みながら開く。中に足を踏み入れたミリーは、その光景に言葉を失った。 古い紙と油、冷たい金属が混じり合った独特の匂い。絶え間なく聞こえる歯車の駆動音。床から天井まで、本、設計図、用途不明の機械部品が山と積まれ、足の踏み場もない。 壁という壁には、チョークで数式がびっしりと書き殴られていた。高い天窓から差し込む一筋の光が、空気中を舞う無数の埃を照らし出している。「何の用だ」 ガラクタの山の中から、アレックスが顔を出した。手には油で汚れた工具と、飲みかけで冷え切ったコーヒーカップ。迷惑そうな灰色の瞳がミリーを捉える。 ミリーは我に返ると、オペラハウスの現場で撮った写真を彼の作業台に叩きつけた。エレオノーラの遺体の写真だ。 デイリー・ピープル所有の魔道カメラは最新型で、とても鮮明に細部まで映すことができる。「あなた、どうしてあれが自殺だって断言できるんですか? 納得いくように説明してください!」 アレックスは億劫そうに立ち上がると、数式が書かれた壁の一角を指さす。そして推理を語り始めた。人の感情を完全に排除した、純粋な論理だけの推理だった。「屋上へ続く扉には、内側から強力な魔法錠。外部からの侵入は不可能。手すりに残された魔力痕は、抵抗したものではなく、自ら体重をかけた時に発生する微弱なものだ。他殺の可能性を示す物理的証拠はゼロ。実に単純な構造じゃないか」(なんて……なんて冷たい分析。でも、反論できない。私の常識なんて、この人の前では何の役にも立たないんだ……) 完璧で氷のように冷たい理論。ミリーは絶句した。 ミリーに元より証拠などない。ただ亡くなった人が不憫で、不明な状況を明らかにしたいと思っただけだ。その不明さの中に真実が隠れているのなら、調べたかった。 アレックスは話は終わりとばかりに、ガラクタの山に戻ろうとする。ミリーは諦めきれずに言い募った。「それでも、私は納得できないんです。本当に見落としはありませんか!?」 アレックスはため息をつくと、面倒そうに写真の束を手に取り、パラパラとめくる。 ところがそのうちの一枚で、指がぴたりと止まった。 彼はポケットから魔術師用の単眼鏡(モノクル)を取り出して、写真の一点を凝視する。そこには、エレオノーラのドレスの裾に付着した、肉眼では見えない微細な