魔術都市の分解学者

魔術都市の分解学者

last updateDernière mise à jour : 2025-09-27
Par:  黒兎みかづきComplété
Langue: Japanese
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魔法と蒸気機関が共存する、壮麗かつ退廃的な雰囲気の魔術都市。貴族階級の魔術師たちが華やかな生活を送る一方、その影では魔術が絡んだ奇怪な事件が多発している。法や常識では裁けない謎を、一人の天才が解き明かしていく。 天才の名はアレックス・グレイ。あらゆる謎を外科手術のように分解する、事件解決のスペシャリストである。冷徹で感情を表に出さない彼に、見習い新聞記者のミリーが出会うところから、この物語は始まる。「論理」だけを信じ、人の心を理解できない探偵アレックスと、「感情」を大切にし、人の心に寄り添おうとする助手ミリー。二人の凸凹コンビが魔術都市を駆け抜ける!

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Chapitre 1

01:墜落した歌姫

 新聞社「デイリー・ピープル」の編集部では、今日も京都手蒸気機関の熱気とインクの酸っぱい匂いが混じり合っている。

 ミリー・ウォーカーは、山と積まれた資料の整理をしながら、うんざりした気分でため息をついた。茶色の髪を無造作に束ねた彼女の瞳には、退屈への苛立ちが浮かんでいる。

(また資料整理……。いつになったら、私もまともな記事を書かせてもらえるんだろう)

 ミリーは十九歳。新聞記者になるという夢を抱いてこの魔術都市に出てきてから、もう半年が経つ。しかし、現実は先輩記者のコーヒーを淹れるか、過去記事のファイリングばかり。実務的で前向きな性格の彼女だったが、さすがに心がさくれ立つのを感じていた。

「おいミリー! こっちの資料、年代順に並べとけ!」

「はい、ただいま!」

 ミリーは元気よく返事をしながら、新しい資料の山を受け取る。

 窓の外では、雨が降っている。都市の無数の尖塔が雨に濡れて、小型の飛翔船が忙しなく行き交っていた。

 あの空の下では、きっと今日も様々な事件が起きているはずだ。それなのに、自分は埃っぽい編集部の隅で古紙と格闘している。この状況が、どうしようもなくもどかしかった。

 その時だった。

 編集部の扉が、バン! と大きな音を立てて開け放たれた。ずぶ濡れになったコートの男が、息を切らしながら駆け込んでくる。社会部のベテラン記者、マードックだ。衛兵隊との太いパイプを持つことで知られる彼は、血走った目で編集長を探している。

 編集部の喧騒が、さざ波が引くように静まり返っていく。誰もがただ事ではない気配を感じ取り、マードックの動向に視線を集中させた。

「編集長!」

 マードックは他の記者を押し退けるようにして、編集長のデスクまで突き進んだ。

「デカいネタです……! ロイヤル・オペラハウスの屋上から、女が墜落死!」

 オペラハウス。その言葉だけで、編集部内の空気が一気に張り詰めた。ミリーは資料を整理する手を止め、聞き耳を立てる。

「落ち着け! 誰なんだ、被害者は!」

 編集長の鋭い声が飛ぶ。マードックは一度ごくりと喉を鳴らした。そして編集部にいる全員によく聞こえるように、その名を告げた。

「エレオノーラ・ヴァレンティです! 数年前に失踪した、あの伝説の歌姫が……死体で発見!」

 エレオノーラ・ヴァレンティ。その名を聞いた瞬間、ミリーの背筋に電流のようなものが走った。全身に鳥肌が立つ。心臓が大きく一度、ドクンと鳴った。

(これだ……!)

 これはただの事故じゃない。ジャーナリストとしての魂が、大きな事件の到来を告げていた。

 周りの喧騒が、まるで水の中にいるかのように遠くに聞こえる。同僚たちの驚愕の表情が、スローモーションのように見えた。

 編集長がデスクを拳で叩き、編集部全体に檄を飛ばす。

「マードック! お前が現場へ行け。何が何でも一番乗りの情報を掴んでこい!」

 それから編集長は、熱の籠った目で食い入るように自分を見つめるミリーに気づいた。その瞳に宿る炎に何かを感じたのか、彼は指を差した。

「おい、そこの見習い。ミリー、お前だ! マードックのサポートにつくんだ。雑用でも何でもいい、現場で見て学んでこい!」

 心臓が大きく跳ねた。信じられない。この大事件に、自分も関われる。

「はい!」

 ミリーは裏返りそうな声で、精一杯の返事をした。

 ベテランのマードックは、さすがに落ち着いていた。コートの内ポケットから手帳を取り出し、編集長と二言三言、冷静に打ち合わせを始めている。

(待っていられない……!)

 先輩の落ち着きが、ミリーの焦りを煽った。一秒でも早く現場の空気を吸いたい。マードックを待っていたら、一番乗りのスクープを逃してしまうかもしれない。

 ミリーは二人に深く一礼すると、デスクの上の愛用のカメラと取材手帳をひったくるように掴んだ。

「お、おい、ミリー!」

 背後でマードックの呆れたような声が聞こえた。しかし、もう彼女を止めることはできない。許可は出たのだ。ならば、誰よりも早く現場に着くのが自分の役目だ。

 ミリーは決意を胸に、編集部の扉を蹴るようにして、雨の降りしきる魔術都市へと飛び出していった。

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01:墜落した歌姫
 新聞社「デイリー・ピープル」の編集部では、今日も京都手蒸気機関の熱気とインクの酸っぱい匂いが混じり合っている。 ミリー・ウォーカーは、山と積まれた資料の整理をしながら、うんざりした気分でため息をついた。茶色の髪を無造作に束ねた彼女の瞳には、退屈への苛立ちが浮かんでいる。(また資料整理……。いつになったら、私もまともな記事を書かせてもらえるんだろう) ミリーは十九歳。新聞記者になるという夢を抱いてこの魔術都市に出てきてから、もう半年が経つ。しかし、現実は先輩記者のコーヒーを淹れるか、過去記事のファイリングばかり。実務的で前向きな性格の彼女だったが、さすがに心がさくれ立つのを感じていた。「おいミリー! こっちの資料、年代順に並べとけ!」「はい、ただいま!」 ミリーは元気よく返事をしながら、新しい資料の山を受け取る。 窓の外では、雨が降っている。都市の無数の尖塔が雨に濡れて、小型の飛翔船が忙しなく行き交っていた。 あの空の下では、きっと今日も様々な事件が起きているはずだ。それなのに、自分は埃っぽい編集部の隅で古紙と格闘している。この状況が、どうしようもなくもどかしかった。 その時だった。 編集部の扉が、バン! と大きな音を立てて開け放たれた。ずぶ濡れになったコートの男が、息を切らしながら駆け込んでくる。社会部のベテラン記者、マードックだ。衛兵隊との太いパイプを持つことで知られる彼は、血走った目で編集長を探している。 編集部の喧騒が、さざ波が引くように静まり返っていく。誰もがただ事ではない気配を感じ取り、マードックの動向に視線を集中させた。「編集長!」 マードックは他の記者を押し退けるようにして、編集長のデスクまで突き進んだ。「デカいネタです……! ロイヤル・オペラハウスの屋上から、女が墜落死!」 オペラハウス。その言葉だけで、編集部内の空気が一気に張り詰めた。ミリーは資料を整理する手を止め、聞き耳を立てる。「落ち着け! 誰なんだ、被害者は!」 編集長の鋭い声が飛ぶ。マードックは一度ごくりと喉を鳴らした。そして編集部にいる全員によく聞こえるように、その名を告げた。「エレオノーラ・ヴァレンティです! 数年前に失踪した、あの伝説の歌姫が……死体で発見!」 エレオノーラ・ヴァレンティ。その名を聞いた瞬間、ミリーの背筋に電流のようなものが走
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02
 魔術都市を濡らす冷たい雨が、石畳を黒く染めていた。ミリーはずぶ濡れになりながら、ロイヤル・オペラハウスの荘厳な壁の影に身を潜める。心臓が早鐘のように鳴っているのが、自分でもよく分かった。 規制線の向こう側では、衛兵たちの硬い表情と、慌ただしく交わされる声が雨音に混じって聞こえてくる。(見つかったら今度こそクビ……でも、ここで引き返すなんて絶対にできない!) 衛兵と市民が言い争っている。どうやら今日の公演を観にやって来た客が、中に入れなくて文句を言っているようだ。 衛兵の注意が逸れた隙を突き、ミリーは猫のように身をかがめて規制線の内側へ滑り込んだ。 中庭は静けさと緊張感に包まれていた。手入れの行き届いた芝生の上に、白いシーツをかけられた遺体が横たわっている。雨がシーツを叩いて、その下の輪郭を悲しいほどくっきりと浮かび上がらせていた。 ミリーは中庭の彫像の陰に隠れて、息を殺しながらカメラを構える。シャッターを切る指が、緊張でわずかに震えた。(これが……エレオノーラ・ヴァレンティの最期……。なんて、あっけないんだろう。あんなに輝いていた人が……) ジャーナリストとしての使命感が、一人の人間としての哀れみを無理やり押さえつける。今は感傷に浸っている場合ではない。事実を記録しなければ。 ――と。 衛兵隊長に先導され、一人の男が現場に入ってきた。長身痩躯の、氷のように冷たい灰色の瞳だった。着古した黒いコートは雨を吸って重そうだ。艶のない黒髪は濡れて額に張り付き、その表情からは一切の感情が読み取れない。 整った顔立ちをしているだけに、身なりに気を使わない様子が際立って見えた。 男は現場の緊張感を意にも介さず、遺体に近づいていく。たった一瞥しただけで、興味を失ったように大きな欠伸を一つした。(なんなの、あの人? 謹慎すぎる。人が死んでいるのに、なんて態度なの!) ミリーは嫌悪感で胸がムカムカするのを感じた。 衛兵隊長が、その男に意見を求める。教えを請うような丁重な口調だった。「アレックス殿、何か……」 男は隊長の言葉を遮って、分かりきった答えを言うかのように平坦な声で断言した。「時間の無駄だ。これは殺人ではない。ただの自殺だ。こんな単純な構造(パズル)を分解(アナリシス)する価値もない」 冷たく感情の籠もらない言葉。死者への敬意など微塵も感
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03
 ミリーの燃えるような視線を、アレックスは温度のない灰色の瞳で受け止めた。彼の目に感情らしきものは見えない。 足元で騒ぐ虫けらを一瞥するかのような、完璧な無関心。その様子が、ミリーの怒りにさらに油を注いだ。 彼はミリーに一言も返すことなく、衛兵隊長に向き直った。肩越しにミリーを親指で指す。「邪魔だ。排除しろ」「なっ……!」 抗議の声を上げる間もなく、衛兵たちが彼女の両腕をがっしりと掴んだ。先ほどとは比べ物にならない力で、ミリーは現場から引きずり出されていく。(なんなのよ。私のこと、道端の石ころでも見るような目で見て!) 悔しさに唇を噛み締める。最後までアレックスは、ミリーを振り返りすらしなかった。 規制線の外に放り出されて、ミリーは雨に濡れた石畳の上に膝をついた。石畳が冷たくて、怒りが治まらなくて、彼女は身を震わせた。(覚えてなさい、アレックスとやら!) ジャーナリストとしての矜持が、あの男に踏みにじられた。このまま終わらせるわけにはいかない。 悔しさを胸に、ミリーはデイリー・ピープルの編集部へと帰った。◇ デイリー・ピープルの編集部に戻ってきたミリーは、編集長にこってりと叱られた。「ミリー、お前なぁ、いきなり衛兵と喧嘩してどうすんだ。マードックがどれだけ苦労してパイプを作ったのか、わかってんのか」「……すみませんでした」 ミリーがうつむくと、編集長はため息をついた。 とりなしたのは当のマードックである。「まあまあ、編集長。俺は気にしていませんよ。若い頃は勢いがあってこそです。……で? アレックスに会ったのか?」「知っているんですか?」「まあな。あの男は『アレックス・グレイ』。衛兵隊の民間協力者だ。今までにいくつもの難事件を解決している」「…………」 ミリーが不満そうに押し黙ったので、マードックは苦笑した。「お前さんの言いたいことは、わかる。アレックスは相当な変人だからな。だが彼が自殺だと言ったなら、そうなんだろう。なにせ彼の推理力と解決力は、誰もが認めている」「でも! 人が亡くなったというのに、ひどい言い草でした。ろくに調べもしないで自殺と決めつけて、もし違ったらどうするんですか!」「よし。それじゃあミリー、アレックスに会ってこいよ」「えっ?」 急に話の風向きが変わって、ミリーは目を丸くした。「この業界でや
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04
 ノックの返事はないままに、重い扉がひとりでに軋みながら開く。中に足を踏み入れたミリーは、その光景に言葉を失った。 古い紙と油、冷たい金属が混じり合った独特の匂い。絶え間なく聞こえる歯車の駆動音。床から天井まで、本、設計図、用途不明の機械部品が山と積まれ、足の踏み場もない。 壁という壁には、チョークで数式がびっしりと書き殴られていた。高い天窓から差し込む一筋の光が、空気中を舞う無数の埃を照らし出している。「何の用だ」 ガラクタの山の中から、アレックスが顔を出した。手には油で汚れた工具と、飲みかけで冷え切ったコーヒーカップ。迷惑そうな灰色の瞳がミリーを捉える。 ミリーは我に返ると、オペラハウスの現場で撮った写真を彼の作業台に叩きつけた。エレオノーラの遺体の写真だ。 デイリー・ピープル所有の魔道カメラは最新型で、とても鮮明に細部まで映すことができる。「あなた、どうしてあれが自殺だって断言できるんですか? 納得いくように説明してください!」 アレックスは億劫そうに立ち上がると、数式が書かれた壁の一角を指さす。そして推理を語り始めた。人の感情を完全に排除した、純粋な論理だけの推理だった。「屋上へ続く扉には、内側から強力な魔法錠。外部からの侵入は不可能。手すりに残された魔力痕は、抵抗したものではなく、自ら体重をかけた時に発生する微弱なものだ。他殺の可能性を示す物理的証拠はゼロ。実に単純な構造じゃないか」(なんて……なんて冷たい分析。でも、反論できない。私の常識なんて、この人の前では何の役にも立たないんだ……) 完璧で氷のように冷たい理論。ミリーは絶句した。 ミリーに元より証拠などない。ただ亡くなった人が不憫で、不明な状況を明らかにしたいと思っただけだ。その不明さの中に真実が隠れているのなら、調べたかった。 アレックスは話は終わりとばかりに、ガラクタの山に戻ろうとする。ミリーは諦めきれずに言い募った。「それでも、私は納得できないんです。本当に見落としはありませんか!?」 アレックスはため息をつくと、面倒そうに写真の束を手に取り、パラパラとめくる。 ところがそのうちの一枚で、指がぴたりと止まった。 彼はポケットから魔術師用の単眼鏡(モノクル)を取り出して、写真の一点を凝視する。そこには、エレオノーラのドレスの裾に付着した、肉眼では見えない微細な
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05
 アレックスの「目」としての初仕事。ミリーは少し緊張しながらも、ジャーナリストとしてルカス・アシュフォードの住むアパルトマンを訪れた。 ルカスは作曲家で、歌姫エレオノーラの愛弟子。エレオノーラが失踪――という名の隠遁生活――をしている間も、彼だけは密かに師事を続けていたのだ。 ミリーはデイリー・ピープルで資料に当たり、エレオノーラの人間関係を洗い出して、ルカスを探し出したのだった。 芸術家が多く住む地区にある、質素だが趣味の良い部屋だ。まず目についたのは、大きなグランドピアノ。部屋の大部分を占めている。ピアノの上や床には楽譜が散らばっていた。 部屋全体が主の悲しみを映すかのように、薄暗く静かだった。 ルカスは線の細い、儚げな印象の青年である。亜麻色の髪は少し乱れて、優しげな青い瞳は悲しみで深く翳っていた。ミリーの真摯な態度に、彼は少しずつ心を開き、師について語り始める。 彼は涙を浮かべ、か細いが熱のこもった声で訴えた。「エレオノーラ先生の歌声は、ただ美しいだけじゃありませんでした。聴く者の魂を震わせる、魔力が宿っていたんです。その声を失うことは、先生にとっては世界そのものを失うことと同じだったはずです。そんな方が、自らの伝説を汚すような最期を選ぶはずがありません」(歌声に魔力を……だから彼女は『伝説』だったんだ。歌は彼女の命そのもの。そんな人が、その全てを自ら捨てるなんて……ありえないわ) ルカスの師への深い敬愛と悲しみに心を打たれ、ミリーの中で「他殺説」への確信が固まった。◇ 意気揚々と時計塔に戻ると、アレックスは相変わらずガラクタの修理に没頭していた。「ルカスさんから話を聞いてきました。エレオノーラさんは、歌にプライドを持っていた。そんな人が自ら命を断つなんて、考えにくいです」 ミリーはルカスの証言を熱弁するが、アレックスは興味なさそうに聞いている。 やがて彼は無言で立ち上がると、巨大な黒板の前に立った。チョークを手に取り、ボードを中央の線で二つに分ける。 片側に【ミリーの取材(感情的
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06
 ミリーは、エレオノーラの魔力枯渇症という衝撃の事実を引きずったまま、デイリー・ピープルの編集部に戻った。戻るなり、編集長に呼び出された。重い足取りで編集長室の扉を開ける。 編集長は苦虫を噛み潰したような顔で、肘掛け椅子に座っていた。「ミリー、この件からは手を引け。衛兵隊上層部からの『お願い』だ。故人の名誉を守るため、これ以上騒ぎ立てないでほしい、とな」(故人の名誉……? 聞こえはいいけど、ただのスキャンダル隠しじゃない。有力者の不祥事を隠して、市民の不安を煽らないようにしたい。権力者がよく使う手だわ) ジャーナリストとして、ミリーはすぐにその裏にある政治的な理由を推測した。しかし、それでも拭いきれない疑念が残る。(でも、それにしてもおかしい。エレオノーラは引退した身なのに。一介の元・歌姫の死に、どうして衛兵隊の『上層部』がここまで神経質になるの? そう、まるで……彼女の死そのものより、『魔力枯渇症』という病気が知られること自体を恐れているみたい……) この事件の裏には、もっと大きな何かが隠されている。そう直感したが、会社という組織の前で、見習い記者の自分はあまりに無力だった。◇ 追い詰められたミリーが最後の望みを託して訪れる場所は、もはや時計塔しかなかった。「衛兵隊が圧力をかけてきました。自殺として、無理やり事件を終わらせようとしています。おかしいと思いませんか!?」 ミリーは必死の思いで、アレックスに訴えかける。感情的になっているのはわかっていたけれど、抑えられなかった。「ルカスさんの証言があります! 彼の涙は嘘じゃなかった。病気のことは隠していたとしても、自殺じゃないことだけは……!」 アレックスは作業の手を止めて、ミリーを見た。ムーンストーンめいた灰色の瞳は冷たく、感情の色が見えない。彼は言葉だけで、ミリーの最後の希望を無慈悲に「分解」していく。「ルカスはこう言ったんだったな。『先生にとっては世界そのものを失うことと同じ』。その通りだろう。だ
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07
 雨の中、戸惑いながら見上げるミリーに、アレックスは言った。「立て、見習い記者。パズルはまだ完成していない」 ミリーが置き忘れた魔道カメラを突きつけて、彼は続ける。「君が集めた感情的証拠(データ)と、僕が分析した物理的証拠(データ)。この二つは矛盾している。矛盾は、構造(パズル)が未完成であることの証明だ。君の『目』が必要だと言ったはずだ。静寂の塵を写し取り、ルカスから矛盾のかけらを聞き出したような『目』がな」「矛盾? でも、エレオノーラさんは自殺で、ルカスさんは彼女を神格化したくて手伝ったんでしょう?」「物理的証拠は自殺を示している。動機はエレオノーラの神格化。だが、君が聞いたルカスの言葉……あの涙と悲しみは、僕の論理では『嘘』だと断定できない。あれは、なんだ?」 アレックスの言葉は、命令でも侮辱でもない。純粋な問いだった。彼が初めて、自分の論理の限界を口にした瞬間。 彼が、ミリーの感じ取った「人の心」を、解くべきパズルの一部として真剣に向き合っている。その事実に、ミリーは顔を上げた。 アレックスの言う通り、まだわからない点がある。ルカスの心の裡だ。 彼がどういう思いで事件を起こしたのか。どういう気持ちで、心から敬愛していた師の最期を見届けたのか。その真実を聞くまでは終われない。(立たなきゃ) 田舎から出て新聞記者になったのは、真実を明らかにするためだ。偽りと不明さの中に置き去りにされて、悲しむ人をなくすためだ。 今、ルカスは偽りで組み立てられた謎の中で一人、苦しんでいる。 アレックスが謎を分解するのなら、ミリーは謎の中で泣いている人を助け出さなければならない。 ミリーはゆっくりと顔を上げる。雨と涙で濡れた顔を拭って、立ち上がった。その瞳にもう涙はない。強い決意の光が宿っていた。◇ 雨上がりのロイヤル・オペラハウスの屋上は、雨に現れて空気が冷たく澄み渡っていた。見上げれば満天の星空が、銀の砂を撒いたような輝きを放っている。眼下には魔術都市の無数の灯りが、宝石のようにきらめいていた。
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08
「ルカスさん……。あなたが彼女のために作った最後の曲は、どんな想いで作ったんですか?」 そしてミリーの問いが、ルカスの心の堰を切った。「僕は、先生が僕の曲で歌ってくれるだけで幸せだった。たとえ魔力を失っても、歌声の本質は変わらない。他の誰が何を言おうと、僕は先生の歌声を愛していた。それなのに、先生ご自身が自分を否定してしまった」 ルカスの瞳から大粒の涙が溢れ出す。「……先生は言いました。『ただの女として忘れ去られるのは耐えられない。私の死を、後世まで語り継がれる美しい謎にしてほしい』と……!」 彼は全てを告白した。師への敬愛と、その狂気じみた願いを断れなかった苦悩。彼女が身を投げた後、言われた通りに口をつぐんで、歌姫の死を伝説に仕立て上げた罪の意識を。  ルカスの役割は共犯者であり、信奉者であり、たった一人でこの世に残った証人でもあったのだ。「先生のための最後の曲は、ここに。歌う楽しさを思い出してもらえるよう、僕なりに力を尽くしました」 ルカスは数枚の楽譜を取り出した。何度も書いては消した跡のある、迷いの見える曲だった。「でも先生は、歌ってくださいませんでした。魔力を失ったご自身は、もう価値がないとおっしゃって。そんなことはないのに。僕の最後の願いすら、聞いてくれませんでした……」「愚かだな」 アレックスは冷ややかに答えた。「師の偶像を守りたいという自己満足。実に非合理的で、愚かな選択だ」「はは……。その通りです。僕はあの人に、生きてほしかったのに。できなかった……」 ミリーはルカスに駆け寄って、肩にそっと手を置いた。「いいえ、ルカスさん。エレオノーラさんの死は、あなたのせいじゃありません。あなたは、彼女の最後の願いを叶えた」 ミリーは彼の手を取った。楽譜を握って震える手を。「……でもこれからは、自分のための曲を書くべきではないでしょうか」 ルカスは肩を震わせる。何粒もの涙をこぼして、やがて立ち上がった。「……ありがとう、ミリーさん。罪を償った後は、もう一度曲を書いてみます」 彼は最後の楽譜を握りしめると、火の魔法を発動させた。  ――ボッ。楽譜は小さな音を上げて燃え始める。  ルカスは両手を広げた。折から吹いてきた風が楽譜をさらって、星空に舞い上げる。 燃える楽譜はたちまち灰となって風に乗り、魔術都市の夜空に散っていく
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09:燃やされた卒業制作
 魔術都市の頭脳と称される「王立学院」。その壮麗な白亜の塔が、朝日に輝いていた。  ミリーは、デイリー・ピープルの記者として、数日後に迫った卒業制作発表会の取材のため、その門をくぐった。活気に満ちた構内では、才能あふれる若き魔術師や錬金術師たちが行き来している。誰もが希望に満ちた表情をしていた。(すごい。ここが国の未来を作っている場所なのね。エレオノーラさんの事件とは全く違う、明るい光に満ちている) ミリーは胸を躍らせながら、取材対象者の一人が待つ研究棟へと向かった。 取材対象の一人リアム・コリンズは、平民出身ながら特待生として入学した天才。雑然とした研究室の中は、卒業制作の資料でいっぱいになっている。どれもが読み込まれ、付箋や栞が挟まれ、よれよれになっている。  リアムの研究に対する情熱がよく見て取れた。  ミリーは学院の教室に移動して、リアムへの取材を開始した。「僕の研究は『魔力共振理論』といいます。その、魔術の基本的な構造を、もっと効率的にできるかもしれないんです」 リアムは物静かで、少し気弱そうな青年である。初対面のミリーに気後れしていたが、徐々に熱を込めて話すようになった。  魔術に関して素人のミリーにも、わかりやすいよう言葉を選んで説明してくれる。「とても画期的な研究ですね!」 ミリーが素直な感想を言えば、リアムは恥ずかしそうに微笑んだ。「はい。そのつもりでいます。僕の研究はたくさんの人に支えられて、ここまで来ました。特に指導してくださったブラウン教授には、いくら感謝しても足りません。せめてものご恩返しに、特製の魔道万年筆を贈ったんですよ。喜んでくださいました」「まあ、素敵。リアムさんの研究が世に広まるのが楽しみです」◇ 対照的だったのが、もう一人の取材対象、イライアス・ブレッケンリッジだ。有力貴族の嫡男である彼は、ミリーとリアムが話しているところに割り込んできた。「平民がいくら足掻こうと、血筋と本物の才能には敵わない。卒業制作会で、それを証明してやろう」 イライアスは傲慢そうな笑みを浮かべる。リアムは困ったように笑った。「僕は全力を尽くすだけだよ。研究は才能の証明のためにあるわけじゃない。よりよい技術を世に広めるためだ」「ハッ! 綺麗事を言うな! 卒業制作で優勝すれば、名誉と賞金が手に入る。狙っていないと言えるのか
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10
 翌朝、学院は昨夜の事件で騒然としていた。 ミリーが現場となった研究室へ向かうと、廊下に衛兵隊が張った規制線の向こうで、憔悴しきったリアムが膝を抱えて座り込んでいた。研究室の中からは、魔力が焼けた後のツンとした空気の匂いと、焦げた木の匂いが漂ってくる。 衛兵隊の隊長らしき男が、部下に指示を出しているのが聞こえた。「現場は見ての通り、内側から魔法錠を施錠してある。争った形跡もなし。追い詰められた学生がやったんだろう。よくある話だ」(よくある話ですって? ろくに調べもしないで。彼がどれだけ情熱を注いでいたか、知りもしないくせに) ミリーが唇を噛み締めていると、廊下の向こうから一人の人影が静かに歩いてきた。オルドリッジ学院長だった。衛兵たちが敬礼し、道を開ける。 ミリーは学院長の登場に一縷の望みを託したが、その隣に立つ人物を見て、息を呑んだ。(嘘。なんであの男がここに!?) 着古した黒いコートに、全てを退屈だと言いたげな灰色の瞳。 悲しき歌姫の事件で出会った、時計塔の主。アレックス・グレイだった。 ミリーが目を丸くしてアレックスを凝視していると、オルドリッジ学院長は不思議そうに首を傾げた。「おや、ミリー君。こちらのアレックス君と知り合いかね?」「はい。その、以前、別の事件で」「ああ、なるほど。新聞記者の君ならば、知り合う機会もあるか。アレックス君は私の教え子でね。とても優秀で頼りになる人だ。今回このようなことが起きてしまって、私も憂慮していた。だから彼に調査を依頼したのだよ」 学院長はアレックスに向き直った。「見ての通りだ、アレックス君。衛兵隊は事故だと結論付けたが、私はどうにも腑に落ちん。あのリアム君が、自ら未来を絶つようなことをするとは……」「そうですか。まずは現場を見せてください」 アレックスは気のない返事をすると、黒焦げになった研究室に足を踏み入れた。 彼は内部の惨状を、まるで他人事のように眺める。床に散らばる繊細な魔道具の残骸にも、壁に残る魔力火災の痕跡にも、一
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