Se connecter魔法と蒸気機関が共存する、壮麗かつ退廃的な雰囲気の魔術都市。貴族階級の魔術師たちが華やかな生活を送る一方、その影では魔術が絡んだ奇怪な事件が多発している。法や常識では裁けない謎を、一人の天才が解き明かしていく。 天才の名はアレックス・グレイ。あらゆる謎を外科手術のように分解する、事件解決のスペシャリストである。冷徹で感情を表に出さない彼に、見習い新聞記者のミリーが出会うところから、この物語は始まる。「論理」だけを信じ、人の心を理解できない探偵アレックスと、「感情」を大切にし、人の心に寄り添おうとする助手ミリー。二人の凸凹コンビが魔術都市を駆け抜ける!
Voir plus新聞社「デイリー・ピープル」の編集部では、今日も京都手蒸気機関の熱気とインクの酸っぱい匂いが混じり合っている。
ミリー・ウォーカーは、山と積まれた資料の整理をしながら、うんざりした気分でため息をついた。茶色の髪を無造作に束ねた彼女の瞳には、退屈への苛立ちが浮かんでいる。(また資料整理……。いつになったら、私もまともな記事を書かせてもらえるんだろう)
ミリーは十九歳。新聞記者になるという夢を抱いてこの魔術都市に出てきてから、もう半年が経つ。しかし、現実は先輩記者のコーヒーを淹れるか、過去記事のファイリングばかり。実務的で前向きな性格の彼女だったが、さすがに心がさくれ立つのを感じていた。
「おいミリー! こっちの資料、年代順に並べとけ!」
「はい、ただいま!」
ミリーは元気よく返事をしながら、新しい資料の山を受け取る。
窓の外では、雨が降っている。都市の無数の尖塔が雨に濡れて、小型の飛翔船が忙しなく行き交っていた。 あの空の下では、きっと今日も様々な事件が起きているはずだ。それなのに、自分は埃っぽい編集部の隅で古紙と格闘している。この状況が、どうしようもなくもどかしかった。その時だった。
編集部の扉が、バン! と大きな音を立てて開け放たれた。ずぶ濡れになったコートの男が、息を切らしながら駆け込んでくる。社会部のベテラン記者、マードックだ。衛兵隊との太いパイプを持つことで知られる彼は、血走った目で編集長を探している。 編集部の喧騒が、さざ波が引くように静まり返っていく。誰もがただ事ではない気配を感じ取り、マードックの動向に視線を集中させた。「編集長!」
マードックは他の記者を押し退けるようにして、編集長のデスクまで突き進んだ。
「デカいネタです……! ロイヤル・オペラハウスの屋上から、女が墜落死!」
オペラハウス。その言葉だけで、編集部内の空気が一気に張り詰めた。ミリーは資料を整理する手を止め、聞き耳を立てる。
「落ち着け! 誰なんだ、被害者は!」
編集長の鋭い声が飛ぶ。マードックは一度ごくりと喉を鳴らした。そして編集部にいる全員によく聞こえるように、その名を告げた。
「エレオノーラ・ヴァレンティです! 数年前に失踪した、あの伝説の歌姫が……死体で発見!」
エレオノーラ・ヴァレンティ。その名を聞いた瞬間、ミリーの背筋に電流のようなものが走った。全身に鳥肌が立つ。心臓が大きく一度、ドクンと鳴った。
(これだ……!)
これはただの事故じゃない。ジャーナリストとしての魂が、大きな事件の到来を告げていた。
周りの喧騒が、まるで水の中にいるかのように遠くに聞こえる。同僚たちの驚愕の表情が、スローモーションのように見えた。編集長がデスクを拳で叩き、編集部全体に檄を飛ばす。
「マードック! お前が現場へ行け。何が何でも一番乗りの情報を掴んでこい!」
それから編集長は、熱の籠った目で食い入るように自分を見つめるミリーに気づいた。その瞳に宿る炎に何かを感じたのか、彼は指を差した。
「おい、そこの見習い。ミリー、お前だ! マードックのサポートにつくんだ。雑用でも何でもいい、現場で見て学んでこい!」
心臓が大きく跳ねた。信じられない。この大事件に、自分も関われる。
「はい!」
ミリーは裏返りそうな声で、精一杯の返事をした。
ベテランのマードックは、さすがに落ち着いていた。コートの内ポケットから手帳を取り出し、編集長と二言三言、冷静に打ち合わせを始めている。(待っていられない……!)
先輩の落ち着きが、ミリーの焦りを煽った。一秒でも早く現場の空気を吸いたい。マードックを待っていたら、一番乗りのスクープを逃してしまうかもしれない。
ミリーは二人に深く一礼すると、デスクの上の愛用のカメラと取材手帳をひったくるように掴んだ。「お、おい、ミリー!」
背後でマードックの呆れたような声が聞こえた。しかし、もう彼女を止めることはできない。許可は出たのだ。ならば、誰よりも早く現場に着くのが自分の役目だ。
ミリーは決意を胸に、編集部の扉を蹴るようにして、雨の降りしきる魔術都市へと飛び出していった。
学院長の手がマスターレバーへと伸びる。 その様子が、ミリーにはスローモーションのように見えた。 あのレバーが完全に引かれてしまえば、救済という名の虐殺が始まる。100万人に及ぶ魔術都市の生命が、根こそぎ『収穫』されるだろう。「待って! そのレバーを引けば、この町の人々が死んでしまう!」 ミリーは半ば無意識に声を上げていた。論理など無関係な、心からの叫びだった。「その人たちは、収穫されるべき魔力なんかじゃない。誰かのお父さんで、お母さんで、友達で、恋人で……あなたの大切な娘さんのように、大事に育てられた子どもたちだってたくさんいるの!」 ミリーの肩からリンギが飛び立つ。小さなくちばしから飛び出たのは、細い少女の声だった。「……お父さん。信じてるね」 それはかつて、オルドリッジの娘が発した言葉。病の床にありながら、励ましてくれる父親に返した言葉だった。 リンギは以前、九つの尾に声帯模写の能力を利用されていた際に、娘の声を聞いて覚えていたのだ。 その声に、学院長の動きがぴたりと止まった。表情から怒りが消え、ただの父親としての苦悩と動揺が浮かぶ。彼は、最愛の娘の幻影を探すかのように、ほんの数瞬、虚空を見つめた。(ミリーの言葉、リンギの声。非合理的なノイズが、彼の論理を停止させた……今しかない!) アレックスはミリーとリンギが生み出した、奇跡のようなわずかな時間を逃さない。目の前の『魂の収穫機』の構造を、極限の集中力で分析する。(これは、ただの魔道具、ただの機械ではない。全ての機能が一つの中心点に依存して連動している、巨大なパズルボックスだ。そして、パズルボックスには必ず『解』がある……! 心臓部は……あそこだ!) アレックスは装置の中心にある、連鎖的に機能を停止させる唯一のポイント――プランクトン培養炉へと魔力を供給する、中央の制御歯車――を特定した。 錬金術爆弾は既に尽きて、回路に接続・解除する時間はな
「エヴァ!」 ミリーの絶叫が、螺旋階段にこだました。 致命的な損傷を受けた炉心は、制御不能なエネルギー暴走を開始。エヴァの全身から青白い光と火花が溢れ出し、警告音が鳴り響いた。 しかし彼女は倒れなかった。最後の力を振り絞って分隊長に突進し、両腕で彼を固く抱きしめるように拘束する。「なっ……! 離せ、この鉄クズが!」 分隊長は必死にもがくが、機械の腕力からは逃れられない。エヴァの瞳がアレックスとミリーに向けて、壁に最後のメッセージを投影した。『炉心暴走。脅威対象を無力化します。お二人とも、お逃げください』 次の瞬間、エヴァの体から前方に向かって強烈な光と衝撃波が放出された。分隊長ただ一人を目標とした、指向性のエネルギー放出だった。轟音と共に後方の壁に叩きつけられ、分隊長は完全に気絶した。戦闘不能に陥る。 衝撃波が去った後、エヴァが立っていた場所には、焼け焦げて砕け散った彼女の残骸だけが横たわっていた。「……行くぞ、ミリー」 アレックスは、歯を食いしばりながら言った。「彼女の意志を、無駄にするな」 ミリーは動かなくなったエヴァのそばに膝をついて、離れようとしない。リンギは心配そうに周囲を飛び回っている。 アレックスは彼女の腕を強く引き、最上階へと続く最後の扉へと走った。◇ 中央と系統の最上階は、都市の時を刻む巨大な歯車と機械がむき出しになった空間だった。 その中央では、魔道具『魂の収穫機』が時計機構と融合して不気味な魔力の光を放っている。 そして、その隣。 巨大なガラス容器の中で、黒緑色のプランクトン群体が蠢いている。それらが収められているのは、集められた魔力を吸収して不気味に脈動する『培養炉』だ。 それらの魔道具を背にして、一人の人影が立っていた。 全ての元凶――オルドリッジ学院長。彼は穏やかな笑みを浮かべて二人を迎えた。「よく来たね、アレックス。君がここまでたどり着くことは、分かっていたよ」
地下管理室の壁には、黒幕の名を示す『王立学院長 オルドリッジ・アークライト』の文字が、魔術石の光に照らされて静かに浮かび上がっている。三人の間には、重い沈黙が流れていた。(学院長。どんな理由であれ、あの穏やかな人がこんな恐ろしい計画を……。だとしたら、アレックスさんは、これから自分の恩師と戦わなければならないんだわ……) ミリーはアレックスの横顔を、心配そうに見つめた。彼の表情はいつものように冷静だったが、その瞳の奥には恩師との過去の記憶と、これから下すべき非情な決断の重みが、深く沈んでいるように見えた。 やがて彼は顔を上げる。その瞳にはもはや迷いはなかった。「感傷に浸っている時間はない。計画の起動まで、あと三時間。我々がやるべきことは一つだ。中央時計塔に潜入し、『魂の収穫機』を破壊する」「でも、どうやって? 町は衛兵隊に封鎖されて、中央時計塔の周りは厳重な警備が敷かれているはずです!」「だからこそ、三人で行く」 アレックスは言った。「ミリー。君の出番だ。記者として、最もらしい『嘘』を作り上げろ。広場の反対側で、テロの動きがあると、匿名でデイリー・ピープルと衛兵隊司令部に同時に通報するんだ」「陽動ですね!」「ああ。エヴァ、君はその間に警備システムの魔術回路に侵入し、裏口の監視網に三秒間の死角(ブラインドスポット)を作り出せ。可能か?」「……可能です。誤差、プラスマイナス0.1秒」「僕が、その死角を抜けて二人を内部へ誘導する」◇ 三人は中央時計塔が見える、別の地下水道の出口へと移動した。ミリーはアレックスに渡された小型の魔術通信機を手に、息を殺す。「アレックスさん、やります」 彼女はスイッチを入れると、まずデイリー・ピープルに通信を送った。アレックス特製のボイスチェンジャーで声は変えてある。『特ダネのリークだ。広場の西側で、過激派魔術師がテロを計画している』『なんだって!』 答え
爆発の轟音が地下水道に響き渡り、壁が砕け散る。地下の濁流が追手たちの悲鳴を飲み込んでいく中、アレックスはミリーとエヴァを瓦礫の向こう側へと引きずり込んだ。 三人は一時的に安全な古い管理室に避難する。外からは遠く追手の声が聞こえるが、ここまでは届かない。滴り落ちる水の音だけが、不気味な静寂を強調していた。 アレックスが灯した魔術石の光が、錆びついた計器類や、壁の配管をぼんやりと照らし出す。(私たちは、もう戻れない。この暗い地下で、三人で生き延びるしかないんだわ) アドレナリンが切れ、ミリーの体にどっと疲れが押し寄せる。彼女は自分の置かれた状況の過酷さに、改めて身を震わせた。 ふと、隣に立つエヴァが、先ほどの戦闘で損傷した腕を気にしているのに気づいた。「ごめんね、エヴァ。こんなことに巻き込んでしまって。痛かったでしょう……」「いいえ、平気です。私はお父様のために、自分の意志でここに来ました。ミリー様こそ、お怪我は?」 エヴァの人間らしい気遣いに、ミリーは涙ぐみそうになる。アレックスは、その光景を黙って見ていたが、やがて口を開いた。「感傷に浸っている時間は、もうない」◇ アレックスは、最後の推理を組み立てることを決意した。「ミリー、僕の思考を書き留めてくれ。エヴァ、関連する記憶データを全て、壁に投影しろ」 エヴァの青い瞳から放たれた光が、管理室の湿った石壁をスクリーン代わりにして、これまでの事件の情報を次々と映し出していく。 エレオノーラの死体、ダリウスの研究室、ゲルハルトの工房、そして『魂の収穫機』と『培養炉』の設計図。 アレックスは、壁の前をゆっくりと歩きながら、独白のように語り始めた。「第一の謎、魔力枯渇症を引き起こす『魔力吸収薬』。これを作れるのは、ダリウスのような超一流の錬金術師だけだ。だが、彼は実験台だった。つまり、黒幕はダリウス以上の知識を持つ錬金術師か、あるいは彼を支配できる何者かだ」 彼は、次に培養炉の設計図を指さす。「第二の謎、この『培養炉』。この理
時計塔の地下にある実験室は、日に日に混沌さを増していた。床には無数の設計図や、数式が書き殴られた羊皮紙が散乱し、机の上には飲み干された甘い珈琲のカップが林立している。 その中心で、アレックスは目の下に濃い隈を作り、苛立たしげに髪をかきむしっていた。彼の目の前では、修復を終えたはずのエヴァが、ただ静かに椅子に座っているだけだった。リンギが心配そうに天井近くの歯車にとまって、彼を見下ろしていた。 アレックスは、空中に投影された魔術的診断プログラムを睨みつけていた。回路の接続、魔力循環、エネルギー供給……全ての項目が緑色の「正常」を示す
衛兵隊が張った規制線の前で、アレックスとミリーは立ち尽くしていた。ミリーの耳の奥では、あの物悲しいオルゴールの旋律が、まるで鎮魂歌のように鳴り響いている。(私たちのせいだ。もっと早く、メッセージの意味に気づいていれば。罠かもしれないなんて慎重になりすぎずに、駆けつけていれば。助けを求める声を、無視してしまった……) ミリーは救えなかった命の重さに、唇を噛み締めた。 隣に立つアレックスは、いつものように冷静である。だがその灰色の瞳は硬く、冷たい光を宿していた。「行くぞ。どのような結果であれ、確かめねば
ここしばらくは大きな事件もなく、時計塔は平穏な時間を過ごしている。 ミリーは、アレックスの生活改善と称して、部屋の掃除に勤しんでいた。部屋の主であるアレックスは、そんな彼女を意にも介さずに新たな古代遺物のパズルボックスに没頭している。「アレックスさん、もうお昼です! たまには言葉で『食事がいる』とか『ありがとう』とか言ってくれないと、私の苦労が報われませんよ!」 アレックスは昼時になっても、作業の手を止めようとしない。ミリーは呆れて言ったが、彼はそっけなく答えた。「言葉は不正確なデータだ。君が僕の生命維持のために食事を用意する
ミリーは、ベッドの下からゆっくりと光るリンゴを取り出した。その優しい光が、病気で苦しむサラの寝顔をぼんやりと照らす。「ミリーおねえちゃん」 聞き慣れた声に振り返ると、広場で遊んでいた子どもたちが部屋の戸口に立っている。彼らは逃げようとしなかった。観念したように、一人の少年が泣きじゃくりながら全てを告白した。「盗んだんじゃない! 借りただけなんだ! 教会の神父様から、光るリンゴに願えば病気が治るって聞いて……。サラを助けたかっただけなんだ。ごめんなさい……!」 ごめんな