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救いの手

Author: 影畑凛星
last update publish date: 2026-08-12 16:11:38

「やっと見つけた」

男性の言葉に、香子は戸惑った。

「……私を、ですか?」

なぜ、この人は自分の名前を知っているのだろう。

なぜ、自分を探していたというのだろう。

けれど、男性は香子の問いには答えなかった。

香子の姿を上から下まで見て、その表情を険しくする。

「その格好……どうした?」

「……」

「靴は?」

香子は手に持っていたヒールを見た。

「折れてしまって……」

「足を怪我してる」

言われて初めて気づいた。

裸足でここまで歩いてきたせいだろう。

足の裏や甲には小さな傷がいくつもできていた。

植え込みへ落ちたときについたのか、膝にも擦り傷がある。

「大丈夫です。このくらいでしたら――」

言い終えるより先に、男性が香子の前へ屈んだ。

「え……?」

次の瞬間。

ふわりと身体が浮いた。

「きゃっ……!」

男性の腕が背中と膝の裏に回り、香子の身体を軽々と抱き上げていた。

「ま、待ってください……!」

香子は慌てた。

「降ろしてください。私、自分で歩けますから」

「その足で?」

「でも……」

香子は男性のスーツへ目を向けた。

「お洋服が汚れてしまいます」

自分のドレスはひどく汚れている。

まだ残っていたクリームも、ジュースも、土も。

でも、男性は即答した。

「構わない」

「とても高価なものでは……」

「服なんてどうでもいい」

香子は目を見開いた。

男性は本当に気にしていないらしい。

香子の汚れたドレスが自分のスーツに触れているというのに、眉一つ動かさなかった。

そのまま香子を抱きかかえて、車へ向かっていく。

「あの、やっぱり私を下ろして……」

香子は彼の腕から逃れようとした。

けれど、彼はさらに強く抱きしめた。

「今は何も考えなくていい」

低く、落ち着いた声だった。

香子はそれ以上、何も言えなくなった。

大丈夫。

その言葉を誰かから言われたのが、ひどく久しぶりな気がした。

男性は後部座席のドアを開けてもらうと、香子をそっとシートへ座らせた。

自分も隣へ乗り込む。

車が静かに走り出した。

香子は落ち着かない気持ちで、広い車内を見回した。

どう見ても普通の車ではない。

シートも内装も、香子でも分かるほど上質だった。

隣に座る男性もそうだ。

仕立てのいいスーツ。

整った顔立ち。

そして、どこかで何度も見たことがあるような気がする。

けれど、どうしても思い出せない。

今夜あまりにもいろいろなことが起きたせいで、頭がうまく働いていなかった。

「あの……」

「どうした?」

「どちらへ向かっているのでしょうか」

「まず、その格好をどうにかしよう」

男性はそう言った。

「怪我も診てもらう」

「でも、私……」

「心配しなくていい」

また、そう言われた。

香子は膝の上で手を握った。

どうして。

今日初めて会ったはずの人が、どうしてここまでしてくれるのだろう。

その疑問を口にする前に、車は目的地へ到着した。

そこは都心にある高級ホテルだった。

香子でも名前くらいは知っている。

一泊するだけでも驚くような金額になるホテルだ。

車寄せへ入ると、すぐにスタッフが近づいてきた。

男性は先ほどと同じように香子を抱き上げようとする。

「だ、大丈夫です。今度は歩けます」

「無理するな」

「でも……」

結局、香子の訴えは聞き入れられなかった。

再び抱き上げられ、そのままホテルの中へ運ばれていく。

恥ずかしさに、香子は小さく身を縮めた。

けれど男性は周囲の視線などまるで気にしていなかった。

やがて案内されたのは、ホテル内にある会員制のスパだった。

すでに連絡が入っていたらしく、数人の女性スタッフが待っていた。

「こちらの方を頼む」

「かしこまりました」

男性は香子を女性スタッフへ預けた。

「怪我もしている。必要なら医師を呼んでくれ」

「承知いたしました」

香子は驚いて男性を見る。

「あの……どちらへ向かっているのでしょうか」

走り出した車の中で香子が尋ねると、男性は安心させるように微笑んだ。

「ホテルだよ。まずはその怪我を手当てして、着替えよう」

それ以上は聞けないまま、車は都心の高級ホテルへ到着した。

車寄せにはホテルのスタッフが待っていた。男性が先に車を降りると、すぐに何人もの視線が集まる。

その様子に気づかないまま、香子も降りようとした。

「待って」

「え?」

男性が車内へ身を屈めたかと思うと、背中と膝の裏に腕を回した。

「きゃっ……!」

次の瞬間、香子の身体は軽々と抱き上げられていた。

突然のことに驚き、香子は咄嗟に男性の胸元へしがみつく。

「な、何をなさるんですか……!?」

「裸足で歩かせるわけにはいかないだろ」

「でも、皆さんが見ています……!」

ホテルのスタッフだけではない。車寄せに居合わせた客まで、こちらを振り返っていた。

香子は恥ずかしさに頬を熱くし、男性の胸元へ顔を伏せる。

ただでさえ自分は、泥とジュースで汚れた破れたドレス姿なのだ。

「お願いです、降ろしてください。こんな格好で……」

「嫌だ」

あっさり断られ、香子は顔を上げた。

「え……?」

「怪我人を歩かせるほうが嫌だ」

男性は周囲から注がれる視線など少しも気にせず、香子を抱いたままホテルの正面玄関へ向かって歩いていく。

香子はもう何も言えなかった。

こんなふうに誰かから大切に扱われたことなど、いつ以来だろう。

男性の腕の中は、不思議なほど安心できた。

やがてホテル内の会員制スパへ到着すると、男性は香子を待っていた女性スタッフへ預けた。

「彼女を頼む。怪我もしているから、手当ても」

「かしこまりました」

香子が何か言うより早く、男性は「ここで待ってるから」と告げた。

それからは、あっという間だった。

女性スタッフに傷の手当てをしてもらい、髪や身体についたクリームや泥を落としてもらう。汚れた母のドレスは丁寧に預けられ、代わりに用意されていたのは、美しい新品のドレスと靴だった。

髪を整え、薄く化粧を施してもらってドレスへ着替える。

鏡の中には、先ほどまでの惨めな自分とはまるで違う女性が立っていた。

「……これが、私……?」

「とてもお綺麗ですよ」

スタッフの言葉に、香子は戸惑いながらも頭を下げた。

けれど、胸に浮かんだ疑問は消えない。

――どうして、あの人はここまでしてくださるの?

支度を終えて部屋を出ると、男性はラウンジで待っていた。

香子を見るなり、その瞳が大きく見開かれる。

「……」

「あの……何か、おかしいでしょうか?」

「いや。綺麗だと思って」

真っ直ぐに言われ、香子の頬が熱くなった。

「ありがとうございます……。でも、どうして私にここまでしてくださるのですか?」

男性は答えず、ただ香子を見つめている。

その顔を見ているうちに、香子はふと気づいた。

どこかで見たことがあると思っていた。

先ほどホテルへ入ったときにも、大きなポスターにこの顔があったような――。

「まさか……」

改めて目の前の男性を見る。

整った顔立ち。印象的な瞳。

そして記憶の中にある、映画やテレビで何度も見た顔が重なった。

「来栖勇樹さん……?」

国内だけではない。

海外の映画にも出演し、世界中に名を知られているトップスター。

その本人が、今、自分の目の前にいる。

「どうして……そんな方が、私を……」

呆然とする香子を見て、勇樹は少しだけ寂しそうに笑った。

「そっちの俺は覚えてるんだな」

「え……?」

勇樹は香子の目をまっすぐに見つめた。

「でも――『勇樹お兄ちゃん』のことは忘れたのか?」

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