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やっと見つけた

Author: 影畑凛星
last update publish date: 2026-08-12 16:07:03

身体が宙に投げ出された。

「――っ!」

声を上げる間もなかった。

一瞬の浮遊感。

そして次の瞬間、香子の身体は激しい衝撃とともに何かの上へ落ちた。

「う……っ」

全身に痛みが走る。

息ができない。

何が起きたのかも分からないまま、香子はしばらく動けずにいた。

かすかに葉の擦れる音がする。

頬に触れているのは、冷たい土と柔らかな葉だった。

「……ここ……」

震える声が漏れた。

ゆっくりと目を開ける。

目の前には、折れた枝と葉があった。

どうやらバルコニーの真下に植えられていた植え込みの上へ落ちたらしい。

香子は呆然とした。

生きている。

あの高さから落ちたのに。

腕も動く。

足も動く。

身体のあちこちが痛むけれど、耐えられないほどではない。

植え込みの枝葉がクッションになったのだろう。

「……私……」

落とされた。

美紗に。

その事実を理解した途端、身体が震え始めた。

――あんたさえいなくなれば、全部、私のものになるのよ。

美紗の言葉が耳の奥に蘇る。

「全部って……何……?」

香子には分からない。

自分がいなくなれば、美紗のものになる何か。

そんなものに心当たりはなかった。

香子は何も持っていない。

久恵から何かを与えられたことなど、ほとんどなかった。

父からも、美紗のように可愛がられた記憶はない。

今日だってそうだ。

美紗には新しいドレスが用意されていた。

香子には何もなかった。

だから母の形見を引っ張り出してきたのだ。

それなのに。

――あんたさえいなければ。

香子は両腕で自分の身体を抱いた。

怖い。

今さらになって、恐怖が押し寄せてきた。

少し落ちる場所が違っていたら。

植え込みがなかったら。

硬い地面に直接叩きつけられていたら。

自分は今頃――。

そこまで考えて、香子はぎゅっと目を閉じた。

考えたくなかった。

しばらくして、香子は震える手を地面についた。

「……帰らなきゃ」

もう、あの会場には戻れない。

美紗のいるところになど戻りたくない。

ゆっくりと身体を起こす。

そのとき初めて、自分の姿が目に入った。

「……あ……」

母のドレス。

ただでさえジュースとケーキで汚れていたドレスは、見るも無残な姿になっていた。

植え込みへ落ちたときに枝へ引っかかったのだろう。

スカートの裾が大きく裂けている。

ところどころに葉や小枝まで絡みついていた。

香子は震える指で、裂けた部分に触れた。

もう、元には戻らないかもしれない。

そう思った途端、また涙がにじんだ。

けれど、今度は泣くことさえできなかった。

ただ、胸の奥が空っぽになったようだった。

香子は何とか植え込みから抜け出した。

一歩踏み出した瞬間、足元がぐらりと傾く。

「きゃっ……」

慌てて近くの木へ手をついた。

足を見る。

片方のヒールが折れていた。

これではまともに歩くこともできない。

香子は少し迷ったあと、折れたほうの靴を脱いだ。

片方だけでは歩けない。

もう片方も脱ぐ。

両手にヒールを持ち、香子は裸足で歩き始めた。

足の裏に小石が当たる。

痛かった。

けれど、今はどうでもよかった。

一刻も早く、ここから離れたかった。

パーティー会場の建物には戻らず、庭を抜けて門へ向かう。

幸い、誰にも呼び止められなかった。

それとも。

誰も、こんな香子には興味がないだけなのだろうか。

髪は乱れている。

ドレスはジュースとクリームと泥で汚れ、裾まで破れている。

裸足のまま、折れたヒールを手に歩いている。

惨めだった。

華やかなパーティーに招待された令嬢とは、とても思えない。

香子は俯いた。

涙がまた頬を伝った。

「どうして……」

今日、何度口にしたか分からない。

どうして。

どうして、こんなことになったのだろう。

どうして美紗は、自分をあれほど憎んでいるのだろう。

そして――。

どうして、殺されそうにならなければならないのだろう。

何も分からない。

香子はただ、足を前へ運んだ。

やがて、大きな門が見えてきた。

ようやく外へ出られる。

そう思ったときだった。

門の向こうから、強い光が差し込んだ。

「……?」

車のヘッドライトだった。

一台の黒い車が、ゆっくりと門の前へ滑り込んでくる。

香子は足を止めた。

車は香子のすぐ近くで停車した。

高級車なのだろう。

けれど今の香子には、そんなことを気にする余裕もなかった。

邪魔になってはいけない。

香子は道の端へ避けようとした。

そのとき。

後部座席のドアが開いた。

長い脚が地面へ降りる。

現れたのは、一人の男性だった。

仕立てのいいスーツ。

すらりとした長身。

整った顔立ちは、夜の闇の中でもはっきりと分かる。

どこかで見たことがある。

そう思った。

テレビか。

雑誌か。

街中の大きな広告だったかもしれない。

けれど、香子はすぐには名前を思い出せなかった。

今はそんなことより、この場から立ち去りたかった。

香子は視線を伏せ、その男性の横を通り過ぎようとする。

だが。

「……香子?」

呼ばれた。

香子の足が止まる。

「え……?」

どうして。

知らない人が、どうして自分の名前を知っているのだろう。

恐る恐る顔を上げる。

男性は香子を見つめていた。

驚いたように目を見開いている。

その視線が、汚れた髪へ向かう。

破れたドレス。

裸足の足。

手に持った、壊れたヒール。

男性の表情が変わった。

けれど香子には、何が起きているのか分からない。

「あの……」

男性が一歩、香子へ近づいた。

香子は反射的に身体を強張らせる。

その様子を見て、男性は足を止めた。

そして。

信じられないものを見つけたように。

それでいて、どこか安堵したように。

静かに言った。

「やっと見つけた」

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