เข้าสู่ระบบ身体が宙に投げ出された。
「――っ!」
声を上げる間もなかった。
一瞬の浮遊感。
そして次の瞬間、香子の身体は激しい衝撃とともに何かの上へ落ちた。
「う……っ」
全身に痛みが走る。
息ができない。
何が起きたのかも分からないまま、香子はしばらく動けずにいた。
かすかに葉の擦れる音がする。
頬に触れているのは、冷たい土と柔らかな葉だった。
「……ここ……」
震える声が漏れた。
ゆっくりと目を開ける。
目の前には、折れた枝と葉があった。
どうやらバルコニーの真下に植えられていた植え込みの上へ落ちたらしい。
香子は呆然とした。
生きている。
あの高さから落ちたのに。
腕も動く。
足も動く。
身体のあちこちが痛むけれど、耐えられないほどではない。
植え込みの枝葉がクッションになったのだろう。
「……私……」
落とされた。
美紗に。
その事実を理解した途端、身体が震え始めた。
――あんたさえいなくなれば、全部、私のものになるのよ。
美紗の言葉が耳の奥に蘇る。
「全部って……何……?」
香子には分からない。
自分がいなくなれば、美紗のものになる何か。
そんなものに心当たりはなかった。
香子は何も持っていない。
久恵から何かを与えられたことなど、ほとんどなかった。
父からも、美紗のように可愛がられた記憶はない。
今日だってそうだ。
美紗には新しいドレスが用意されていた。
香子には何もなかった。
だから母の形見を引っ張り出してきたのだ。
それなのに。
――あんたさえいなければ。
香子は両腕で自分の身体を抱いた。
怖い。
今さらになって、恐怖が押し寄せてきた。
少し落ちる場所が違っていたら。
植え込みがなかったら。
硬い地面に直接叩きつけられていたら。
自分は今頃――。
そこまで考えて、香子はぎゅっと目を閉じた。
考えたくなかった。
しばらくして、香子は震える手を地面についた。
「……帰らなきゃ」
もう、あの会場には戻れない。
美紗のいるところになど戻りたくない。
ゆっくりと身体を起こす。
そのとき初めて、自分の姿が目に入った。
「……あ……」
母のドレス。
ただでさえジュースとケーキで汚れていたドレスは、見るも無残な姿になっていた。
植え込みへ落ちたときに枝へ引っかかったのだろう。
スカートの裾が大きく裂けている。
ところどころに葉や小枝まで絡みついていた。
香子は震える指で、裂けた部分に触れた。
もう、元には戻らないかもしれない。
そう思った途端、また涙がにじんだ。
けれど、今度は泣くことさえできなかった。
ただ、胸の奥が空っぽになったようだった。
香子は何とか植え込みから抜け出した。
一歩踏み出した瞬間、足元がぐらりと傾く。
「きゃっ……」
慌てて近くの木へ手をついた。
足を見る。
片方のヒールが折れていた。
これではまともに歩くこともできない。
香子は少し迷ったあと、折れたほうの靴を脱いだ。
片方だけでは歩けない。
もう片方も脱ぐ。
両手にヒールを持ち、香子は裸足で歩き始めた。
足の裏に小石が当たる。
痛かった。
けれど、今はどうでもよかった。
一刻も早く、ここから離れたかった。
パーティー会場の建物には戻らず、庭を抜けて門へ向かう。
幸い、誰にも呼び止められなかった。
それとも。
誰も、こんな香子には興味がないだけなのだろうか。
髪は乱れている。
ドレスはジュースとクリームと泥で汚れ、裾まで破れている。
裸足のまま、折れたヒールを手に歩いている。
惨めだった。
華やかなパーティーに招待された令嬢とは、とても思えない。
香子は俯いた。
涙がまた頬を伝った。
「どうして……」
今日、何度口にしたか分からない。
どうして。
どうして、こんなことになったのだろう。
どうして美紗は、自分をあれほど憎んでいるのだろう。
そして――。
どうして、殺されそうにならなければならないのだろう。
何も分からない。
香子はただ、足を前へ運んだ。
やがて、大きな門が見えてきた。
ようやく外へ出られる。
そう思ったときだった。
門の向こうから、強い光が差し込んだ。
「……?」
車のヘッドライトだった。
一台の黒い車が、ゆっくりと門の前へ滑り込んでくる。
香子は足を止めた。
車は香子のすぐ近くで停車した。
高級車なのだろう。
けれど今の香子には、そんなことを気にする余裕もなかった。
邪魔になってはいけない。
香子は道の端へ避けようとした。
そのとき。
後部座席のドアが開いた。
長い脚が地面へ降りる。
現れたのは、一人の男性だった。
仕立てのいいスーツ。
すらりとした長身。
整った顔立ちは、夜の闇の中でもはっきりと分かる。
どこかで見たことがある。
そう思った。
テレビか。
雑誌か。
街中の大きな広告だったかもしれない。
けれど、香子はすぐには名前を思い出せなかった。
今はそんなことより、この場から立ち去りたかった。
香子は視線を伏せ、その男性の横を通り過ぎようとする。
だが。
「……香子?」
呼ばれた。
香子の足が止まる。
「え……?」
どうして。
知らない人が、どうして自分の名前を知っているのだろう。
恐る恐る顔を上げる。
男性は香子を見つめていた。
驚いたように目を見開いている。
その視線が、汚れた髪へ向かう。
破れたドレス。
裸足の足。
手に持った、壊れたヒール。
男性の表情が変わった。
けれど香子には、何が起きているのか分からない。
「あの……」
男性が一歩、香子へ近づいた。
香子は反射的に身体を強張らせる。
その様子を見て、男性は足を止めた。
そして。
信じられないものを見つけたように。
それでいて、どこか安堵したように。
静かに言った。
「やっと見つけた」
「私だって、絵くらい描けるんだから!」美紗はスマートフォンをテーブルに置いた。久恵は呆れたように顔を上げた。「急に何を言い出すの?」「だって、香子の絵が一万円で売れたんでしょ? 私だって描けば売れるわよ!」「絵なんて、学校を卒業してから描いていないでしょう?」「そんなの関係ないじゃない!」美紗は不機嫌そうに唇を尖らせた。「どうせ勇樹さんのファンが買ったんでしょ。香子の絵だから欲しいわけじゃないんだから」久恵はスマートフォンの画面を覗き込んだ。そこには、勇樹の投稿を引用した記事が表示されていた。『来栖勇樹、恋人の絵画を絶賛。初出品作が即日完売』「……まったく、大げさね」久恵は鼻を鳴らした。「たった一万円の絵が売れただけでしょう?」「そうよ! なのに、みんな香子のことばっかり褒めてるの!」美紗は画面を指さした。『優しい色使いが素敵』『ほかの作品も見たい』『次の作品展が楽しみ』「……何よ、これ!」美紗はスマートフォンを握りしめた。「香子ばっかり、ずるい!」久恵はため息をついた。「そんなに羨ましいなら、あなたも絵を習えばいいじゃない」「……え?」「香子にできることなら、あなたにだってできるでしょう?」美紗は目を輝かせた。「そうよね!」そして、すぐにスマートフォンで絵画教室を検索し始めた。「……あ、ここ! 香子が通ってる学校じゃない?」画面には、青葉美術アカデミーの公式サイトが表示されていた。「私もここに通おうかな」久恵は眉をひそめた。「わざわざ同じ学校に?」「だって、香子より上手な絵を描いてやりたいんだもん!
「……三人も、ですか?」香子は驚いて聞き返した。「はい。皆さん、来栖さんのSNSをご覧になったそうです」受付の女性は嬉しそうに答えた。「作品を購入したいというお問い合わせが、立て続けに入っているんですよ」「……そんな」香子は戸惑いながら勇樹を見た。「勇樹さん、どうしましょう……」「すごいね。香子の絵を欲しいって人がいるんだ」「でも、三人もいらっしゃるなんて……」香子は自分の絵を振り返った。祖父母の庭を思い出しながら描いた『春の庭』。まさか、知らない人が買いたいと言ってくれるとは思わなかった。「……あの、お値段は一万円にしてあるんですけれど」「はい。皆さん、その価格もご存じです」受付の女性が頷いた。「ただ、一点しかありませんので、販売方法について先生に確認してまいりますね」「……よろしくお願いいたします」香子は深く頭を下げた。しばらくして、講師がやってきた。「鷹宮さん、すごい反響ですね」「……私も、驚いてしまって」「今回は先着順で販売することになっていますので、最初にお申し込みくださった方にお譲りする形になります」「……そうなんですね」香子は少しほっとした。「それでしたら、ぜひ、その方に……」「わかりました。お手続きを進めますね」講師は微笑んだ。「初めての出品で、もう購入希望があるなんて素敵ですね」「……ありがとうございます」香子は頬を赤らめた。それからも、勇樹の投稿には次々とコメントが寄せられた。
「……取材?」勇樹はスマートフォンを耳に当てたまま、眉を上げた。『はい。以前から来栖さんを取材している芸能誌の記者さんです。明日のご予定を聞きつけたようで』「どうして知ってるんだろう?」『作品展の案内は一般公開されていますからね。来栖さんが訪問されるという情報も、どこかから伝わったのでしょう』勇樹は少し考えた。「香子の作品展なんだ。俺が目立って、迷惑をかけるのは嫌だな」『では、お断りしましょうか』「うん。そうしてくれる?」『承知しました』電話を切ると、香子が心配そうに尋ねた。「……勇樹さん、取材というのは?」「明日の作品展に、記者さんが来たいんだって」「……えっ!」香子は驚いた。「私の学校に、ですか?」「うん。でも、断っておいたよ」「……そうなんですね」「せっかくの作品展だからね。香子も、ほかの生徒さんたちも、落ち着いて楽しめたほうがいいでしょう?」「……はい」香子はほっとしたように微笑んだ。「ありがとうございます」翌日。青葉美術アカデミーのギャラリーには、たくさんの作品が並んでいた。風景画や人物画、色鮮やかな抽象画。香子は入口に立ち、緊張した面持ちで会場を見渡した。「……こんなに立派な展示会になるんですね」「うん。すごいね」隣に立つ勇樹が微笑んだ。今日は帽子を深くかぶり、目立たない服装をしている。それでも、すれ違う人が何度か振り返っていた。「香子の絵はどこ?」「……こちらです」香子は勇樹を奥の展示スペースへ案内した。壁には、『春の庭
「……私の絵に、お値段をつけるなんて」香子は作品展の案内を見つめた。「なんだか、申し訳ない気がします」勇樹は笑った。「どうして?」「だって、まだ習い始めたばかりですし……。お金をいただけるような絵ではありませんから」「でも、香子が一生懸命描いた絵でしょう?」「……はい」「だったら、欲しいと思う人がいても不思議じゃないよ」香子は少し考えた。確かに、自分も誰かの絵を見て、素敵だと思ったことはある。けれど、自分の絵を買いたいと思う人がいるなんて、想像もできなかった。「……明日、先生に相談してみます」「うん。それがいいね」勇樹は頷いた。翌日の授業。「作品の販売価格ですか?」講師は香子の質問に頷いた。「はい。希望される方には、ご自身で価格を決めていただいています」「……どのくらいが普通なのでしょうか?」「大きさや画材にもよりますが、今回の作品展なら数千円から数万円くらいでしょうか。もちろん、非売品にしても構いませんよ」「そうなんですね……」香子は制作途中のキャンバスを見つめた。黄色い花が、少しずつ形になってきている。「……私、売るつもりで描いていたわけではなくて」「ええ。それでいいんですよ」講師は微笑んだ。「作品展は、まず皆さんに絵を見ていただく機会ですから」「……はい」「価格は完成してから決めても大丈夫ですよ」香子はほっとして頭を下げた。「ありがとうございます」それから一週間。香子は授業のたびに、少しずつ絵を仕上げていった。
「鷹宮さん、作品展に出してみませんか?」翌週の授業で、講師からそう声をかけられた香子は、驚いて顔を上げた。「……私が、ですか?」「ええ。小野寺さんから、出品を考えていらっしゃると聞きました」「はい。でも、まだ通い始めたばかりですし……」講師は香子のスケッチブックを覗き込んだ。「この黄色いお花、素敵ですね」「……ありがとうございます」「思い入れのあるお花なんですか?」「はい。亡くなった祖父母の庭に咲いていたんです」香子は懐かしそうに微笑んだ。「子供の頃、よくこのお花を描いていました」「そうなんですね。でしたら、ぜひ作品にしてみましょう」講師は展示の案内を差し出した。「今回は生徒作品展ですから、経験の長さは関係ありませんよ」香子は案内を受け取った。そこには、作品展の日程と出品方法が書かれていた。「……あの、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」「何でしょう?」「私の絵を、見てくださる方はいるんでしょうか……」講師は微笑んだ。「もちろん。毎年、ご家族やお友達だけでなく、一般のお客様もいらっしゃいますよ」「……そうなんですね」香子は胸を弾ませた。自分の描いた絵を、知らない誰かが見てくれる。考えただけで、少し緊張してしまう。「……私、出してみたいです」「ええ。楽しみにしていますね」香子は嬉しそうに頭を下げた。その日から、香子は作品展に向けて絵を描き始めた。題材は、祖父母の庭に咲いていた黄色い花。古い写真を参考にしながら、キャンバスに少しずつ色を重ねていく。「…&he
「……入学のお申し込みですね。ありがとうございます」青葉美術アカデミーの受付で、女性が微笑んだ。「はい。よろしくお願いいたします」香子は少し緊張しながら頭を下げた。あれから数日。勇樹と一緒に見学した絵画コースに、正式に通うことを決めたのだ。週に二回、午後の授業を受けることになった。「それでは、来週からお待ちしておりますね」「はい!」手続きを終えて校舎を出ると、香子は思わず空を見上げた。まさか、自分が絵の学校に通える日が来るなんて。祖父母が生きていた頃には、いつか美術を学びたいと夢見ていた。けれど、久恵に反対されてからは、そんな夢を口にすることさえなくなっていた。「……お祖父様、お祖母様」香子は小さく呟いた。「私、もう一度、絵を描いてみますね」翌週。香子は少し早めに学校へ到着した。教室には、すでに何人かの生徒が集まっていた。「こんにちは」香子が挨拶すると、窓際に座っていた女性が顔を上げた。「こんにちは。もしかして、今日から?」「はい。鷹宮香子と申します」「私は小野寺です。よろしくね」小野寺と名乗った女性は、三十代半ばくらいに見えた。「ここ、初めてだとちょっと緊張するよね。でも先生も優しいし、すぐ慣れると思うよ」「ありがとうございます」香子はほっとして微笑んだ。「小野寺さんは、長く通われているんですか?」「もう二年くらいかな。仕事の合間に来てるの」「そうなんですね」「鷹宮さんは?」「私は……子供の頃から絵が好きだったんですけれど、ずっと描いていなくて」「じゃあ、久しぶりなんだ」「はい」香子は少し照れくさそうに笑った。