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1年後。私は南浜で、27歳の誕生日を迎えた。本屋の仲間たちがケーキを用意してくれた。店を訪れた客からは花をもらった。メッセージボードには、こんな言葉が書かれていた。【店主さんが、これから先、どの月も幸せに過ごせますように】私はその一文を見つめ、しばらく笑っていた。その夜、晃人がやって来た。彼は店の外に立ったまま、中へは入ってこなかった。手には、オレンジ色のチューリップを抱えていた。この1年、何度もそうしてきたように。私は扉を開けなかった。晃人も、ガラス越しに私がろうそくの火を吹き消す姿を、ただ見つめていた。あとになって、友人が尋ねた。「あの人、誰?」私は少し考えてから答えた。「間に合わなかった人」友人は笑った。「それでも、まだ待つの?」私は首を横に振った。「もう待たない」窓の外にいた晃人にも、その言葉が聞こえたのかもしれない。彼はうつむき、肩をかすかに震わせた。私はそれ以上、彼を見なかった。その夜、店を閉める頃には、入口に一束の花が置かれていた。花束には、小さなカードが挟まっていた。相変わらず整った文字だった。【栞、誕生日おめでとう】【今度は、忘れなかった】私は数秒、その言葉を見つめた。それから、近くを通りかかった女の子に花束を差し出した。女の子は驚いたように目を輝かせた。「お姉さん、本当にいいの?」「うん」「でも、こんなにきれいなのに」私は笑った。「もう好きじゃないから」通りの向かい側に立っていた晃人の顔から、少しずつ血の気が引いていった。彼はようやく理解したのだろう。後から埋め合わせれば、すべて元どおりになるわけではない。一度離れてしまった人が、振り返ればいつでも同じ場所にいるわけでもない。その後、晃人はどんな記念日も祝わなくなったと聞いた。誕生日会も開かず、記念日の話もしない。バレンタインになると、一人でオレンジ色のチューリップを買い、誰もいない部屋に飾った。花が枯れれば、新しいものに替える。1年、また1年と。まるで、永遠に届くことのない人生を埋め合わせようとするように。一方、私は南浜で穏やかに暮らしていた。春には花を眺め、夏には雨音を聞き、秋には日に当たりながら本を読み
晃人は南浜を離れたあと、琴音との連絡をすべて絶った。琴音は取り乱し、泣き続け、とうとう入院までしたらしい。それでも晃人が姿を見せることは、二度となかった。そうした話は、すべて人づてに聞いた。私はただ一言、「私には関係ない」と答えただけだった。本屋の開店日には、朝から激しい雨が降っていた。客はあまり来ないだろうと思っていた。けれど夕方になる頃には、店内の席はほとんど埋まっていた。レジカウンターの後ろに立ちながら、私はふと、人生がひどく軽くなったように感じた。返ってこない連絡を待つこともない。誕生日を忘れられることもない。自分には愛される価値があるのだと、何度も証明しなければならない相手もいない。夜9時。店を閉めようと外へ出ると、晃人が街灯の下に立っていた。ずいぶん痩せていた。その手に花はなかった。ただ、使い込まれた一冊のカレンダーを持っていた。「栞」私は足を止めた。晃人は近づいてくると、そのカレンダーを差し出した。「作り直したんだ。12か月分全部、お前のことを書いた」私は受け取らなかった。晃人の目は、ひどく赤くなっていた。「もう遅いのは分かってる。それでも、埋め合わせたかった」彼は最初のページを開いた。1月。私の誕生日。そこには、こう書かれていた。【ケーキを忘れずに買う。栞を待たせないこと】2月。バレンタイン。【オレンジ色のチューリップを贈る。くだらないなんて言わない】3月。【胃が弱いから、冷たいものは飲ませない】4月。【雨の日は迎えに行く】5月。【一人で食事をするのが嫌い】どのページも、文字でびっしり埋まっていた。昔の私なら、きっと泣いていただろう。そのカレンダーを抱きしめて、ようやく待ち望んでいたものを手に入れたと思ったはずだ。けれど今は、ただ疲れるだけだった。「晃人、何がいちばん可笑しいか、分かる?」彼は黙って私を見つめた。私は静かに言った。「私は、こんなふうに埋め合わせてほしかったわけじゃない。ただ、私がまだあなたを愛していたときに、少しだけ覚えていてほしかったの」晃人の目から、とうとう涙がこぼれた。「栞、俺が間違ってた。本当に分かったんだ。もう1度だけ、機会をくれないか?」
それから晃人は、毎日のように店へ来るようになった。花を持ってきたり、朝食を届けたり。通りの向かい側に立ち、私が店を開けるところも、明かりを消すところも、客を迎える姿も、黙って見ていた。けれど私は、一度も受け取らなかった。花は店先に置き、欲しい人に持っていってもらった。朝食は店員に頼んで、そのまま返した。晃人本人については、そこにいないものとして扱った。1か月後、琴音が南浜へやって来た。白いワンピースを着て本屋の前に立つ姿は、相変わらずか弱げだった。「栞さん」私は本棚を整理していた。声に気づいて顔を上げる。「何か用?」琴音の目に、たちまち涙が浮かんだ。「もう晃人のもとを離れたのに、どうしてまだ彼を縛りつけるようなことをするんですか?」思わず笑いそうになった。「私が晃人を縛りつけてるっていうの?」琴音は手にしたバッグを強く握り締めた。「晃人は今、毎日自分を苦しめています。私の電話にも出ないし、会おうともしてくれない。家にだって帰らない。栞さんはもう晃人をいらないんでしょう?それなら、どうして放してあげないんですか?」私は手にしていた本を閉じた。「琴音さん、何か勘違いしてない?晃人がここへ来るのは、本人が勝手にしてること。私が許さないのも、私の自由でしょう。二人の問題を、私のせいにしないで」琴音の顔から血の気が引いた。そのとき、背後から晃人の声がした。「琴音」琴音が振り返ると、すぐに涙がこぼれ落ちた。「晃人、私はただ、栞さんに謝りたくて……」けれど晃人は、以前のように真っ先に彼女をかばおうとはしなかった。ただ黙って、琴音を見つめていた。「13月のカレンダーを俺の書斎に置いたのは、わざとだったんだろ?」琴音の体が固まった。私はそこで初めて、あのカレンダーにまだ続きがあったことを知った。琴音は唇をかんだ。「私はただ……晃人に、私のことを忘れてほしくなかっただけ。栞さんが見るなんて思わなかったの」晃人は目を閉じた。「思わなかった?だったら、どうして婚姻届を出す1週間前に限って、書斎を片づけるよう栞に言ったんだ?」琴音はさらに激しく泣き始めた。「怖かったから。本当にあなたが栞さんと結婚してしまうのが怖かった。晃人、私はずっとあなたを愛
晃人が私を見つけたのは、3日後だった。南浜の古い商店街に、小さな本屋が新しくオープンすることになっていた。入口には、まだ包装も解かれていない木製の看板が掛かっている。私は脚立に上り、窓辺に暖かな黄色の小さなライトを飾っていた。背後から、誰かが私の名前を呼んだ。「栞」手が止まった。けれど、振り返らなかった。4年間、聞き続けてきた声だった。以前なら、その声を聞いただけで心が揺らいでいた。今はもう、ひどく遠いものにしか感じなかった。晃人は雨の中に立っていた。黒いコートは濡れ、目は赤く充血している。手には、オレンジ色のチューリップの花束を抱えていた。市役所へ持ってきたものではない。新しい花だった。きっと、買い直したのだろう。「ずっと捜してた」私は脚立から下りた。「何か用?」晃人は私を見つめた。その一言に傷ついたような顔をした。以前の私は、晃人を見るたび、目に何かしらの感情を浮かべていた。つらくても。嬉しくても。怒っていても。そこには必ず、晃人がいた。けれど今は違う。もう何もなかった。晃人は花束を私に差し出した。「前に言ってただろ。婚姻届を出す日には、オレンジ色のチューリップが欲しいって」私は花を一度だけ見た。「遅すぎるよ」晃人の手が宙で止まった。雨粒が花びらを伝って落ちていく。彼は低い声で言った。「栞、ごめん。あの日は、本当に琴音のことで遅くなっただけなんだ。わざと待たせたわけじゃない」私は小さく笑った。「晃人、まだ分からないの?あの日のことだけが理由で、結婚したくなくなったんじゃない。この4年間、毎日の積み重ねの末に、もうあなたとは結婚したくないと思ったの」晃人の顔から、一瞬で血の気が引いた。「でも、お前は俺を愛してた。4年間も愛してたんだろ。それなのに、急にいらないなんて言えるわけないだろ」私は彼を見つめた。その瞬間、初めて少しだけ哀れに思った。許してあげたいと思うような哀れさではない。自分が何を間違えたのか、今になっても理解できていないことへの哀れさだった。「晃人。私があなたを好きだった頃、あなたは私の気持ちを、あって当然のものみたいに扱ってたよね。今さら私が離れたからって、どうして戻ってく
飛行機が南浜に到着した頃には、空はもう薄暗くなり始めていた。私は新しいスマホの電源を入れた。弁護士からメッセージが届いていた。【藤沢様、高瀬様がずっと行方を捜していらっしゃいます】私は一度だけ目を通し、返信した。【相手にしなくて大丈夫です】南浜では、小雨が降っていた。スーツケースを引きながら空港を出る。冷たい風が頬に当たった瞬間、ずっと昔のことを思い出した。晃人と初めて出会ったのも、こんな雨の夜だった。あの頃の彼は、今ほど冷たい人ではなかった。自分のコートを私の肩にかけ、眉をひそめながら言った。「こんなに降ってるのに、雨宿りする場所くらい探せないのか?」私はあの頃、晃人は口が悪いだけで、本当は優しい人なのだと思っていた。けれど後になって分かった。口では冷たくても、本当は優しい――そんな顔を見せる相手は、最初から決まっていたのだ。琴音には優しく、私には言葉どおり冷たかった。迎えの車が道路脇に止まっていた。運転手がドアを開けてくれる。車に乗り込んでから、私はようやく、何もなくなった左手の薬指を開いて眺めた。指輪を外したあとには、うっすらと跡が残っていた。私はその跡を長い間見つめた。やがて手を袖の中へ引っ込める。きっと消える。どれほど深く残った跡でも、いつかは消えていく。……一方、晃人が栞の乗った便を突き止めた頃には、すでに夜8時を回っていた。彼は空港のロビーに立ち、まだあのオレンジ色のチューリップを抱えていた。花びらは風にさらされ、すっかり元気をなくしている。秘書が声を落として告げた。「社長、藤沢様の便は、すでに南浜へ到着しています」南浜……晃人は一瞬、動きを止めた。そこは、栞の亡くなった祖母が暮らしていた街だった。そして栞が何度も、いつか戻って小さな本屋を開きたいと話していた場所でもある。そのたびに、晃人は何と言っただろう。「栞、夢みたいなことを言うなよ。俺と別れて、一人で生活していけると思ってるのか?」今、栞は本当に彼のもとを去った。彼がずっと馬鹿にしていた人生へ向かって。秘書が慎重に尋ねた。「社長、南浜行きの便を手配いたしましょうか?」晃人はすぐには答えなかった。手にした花束へ視線を落とす。そして、
職員がそう告げた瞬間、晃人は花束を握る手に力を込めた。オレンジ色のチューリップが、指の間で無残に形を崩す。「3時間前?」職員はうなずいた。「はい。お一人で……あまり顔色もよくありませんでした」晃人は、言葉の意味が理解できないような顔をしていた。腕の中の花束へ視線を落とす。花びらには、まだ新しい水滴が残っていた。4年も経ってから、ようやく栞に花を贈ろうと思った。けれど、それすらもう遅かった。職員がさらに続けた。「藤沢様から、こちらをお預かりしています。高瀬様がいらしたら渡してほしいと」晃人は手を伸ばし、封筒を受け取った。それほど重くはないはずなのに、手の中に落ちた瞬間、指の骨が白く浮き上がるほど強く握り締めた。封を開くと、最初に転がり落ちたのは、婚約指輪だった。銀色の指輪が床に落ち、軽く跳ねてから、晃人の靴先で止まった。その顔色が、ようやく変わった。晃人はかがみ込み、指輪を拾おうとした。指先が触れたとき、内側に細かな傷がついていることに初めて気づいた。栞が3年間、身につけ続けた痕跡だった。これまで一度も、彼は気づかなかった。封筒の中にはほかにも、部屋のカードキー、ネックレス、婚前契約の撤回告知書が入っていた。そして、13月のカレンダーを複写したものも。最後のページには、赤い線で囲まれた一文があった。【もし13月があるなら、その1か月だけは彼女と過ごしたい】その隣には、栞の字でこう書かれていた。【晃人、私はもう婚姻届を出さない】【あなたの13月は、琴音にあげる】【私の12か月にも、もうあなたはいらない】晃人は、その数行をじっと見つめていた。喉に何かが詰まったように、声が出ない。しばらくして、ようやくスマホを取り出すと、何度も私へ電話をかけ始めた。一回目。二回目。三回目。無機質な音声が、同じ言葉を繰り返す。「おかけになった電話は、現在つながりません」晃人は突然顔を上げ、職員を見た。「栞はどこへ行ったんですか?」その目つきに気圧され、職員はわずかに身を引いた。「高瀬様、私どもには分かりません」「分からない?」晃人の声はひどくかすれていた。「さっきまでここにいたんでしょう。それなのに、どうして分からないんで







