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99回目の拒絶のあとに訪れる涙
99回目の拒絶のあとに訪れる涙
作者: 詩理

第1話

作者: 詩理
私が鷹野家の顧問弁護士事務所を訪れるのは、これが最後だった。

冷たい大理石の床が足裏を擦るたび、全身に裂けるような痛みが走る。

白血病の末期症状で、もはや普通に歩くことさえできない。呼吸一つが、拷問だった。

「……すみません、鷹野家の跡取り、鷹野怜司(たかの れいじ)との離婚手続きをお願いしたいんです」

スーツ姿の弁護士が、哀れみを隠せない目で私を見つめてきた。

「奥様、ご家族の同伴は……?こういった手続きでご家族抜きというのは……珍しくて…」

私があまりにも青白く痩せているせいか、弁護士の声はやけに小さい。

何年も結婚しているのに、怜司は一度も私に公認の妻としての式を挙げてくれなかった。家の催しに連れて行かれることも、ほとんどない。

だから、誰も「跡取りの妻」が私だなんて、ろくに知らない。

「いいんです」私は淡々と言った。「死にかけの女に家族なんて必要ないですから」

その瞬間、事務所の扉が乱暴に開いた。

怜司の怒鳴り声が響く。「澪(みお)!お前、何やってるんだ!」

振り返ると、怜司の目に激しい怒りの炎が燃えていた。

その背後には桐島咲(きりしま さき)がぴたりとついてきて、いつもの嘘くさい笑顔を浮かべている。

「よりによって、今日まで騒ぐのか?」怜司は私の目の前まで詰め寄る。「咲が家の財務担当に昇進した日なんだぞ。家族みんなでお祝いしてるのに、こんな茶番をぶつけてきやがって!」

言うが早いか、平手打ちが飛んだ。衝撃でよろけて、頬がジリジリと痺れる。

しばらくしてから気づく。今日は確かに咲の昇進祝いだってことに。

怜司はわざわざ海外での仕事を延期してまで、咲のために予定を空けていた。

白血病の末期で、いつ死んでもおかしくない私は、たった一度、緊急連絡用のコードで助けを求めただけ。

その結果が、怜司からの「乱用」呼ばわりだった。

涙が滲む。でも絶対に泣かないと決めている。

何か言いかけた瞬間、激しい咳が襲った。

血がぽたりと床に落ちて、淡い大理石に濃い赤の花が咲いた。

やっと体を支えて、かすれ声で訴える。こんな時でさえ、私はまだ、どこかで期待していた。「怜司、私は本当に……」

怜司が私の口元の血に気づいたのか、眉をひそめる。

咲がすかさず声を上げる。「でも、怜司さんはお姉ちゃんのためにパーティーから駆けつけたんだよ……」

「だから言ったでしょ、咲。あの子が現れるとろくなことにならないって」母の桐島綾子(きりしま あやこ)が、扉の向こうから声を上げた。

「小さい頃から人の注目を集めたくて何でもやる子だったのに、いまさら信じろって?」

怜司の目が一気に冷たくなる。「澪。お前、俺を騙して咲の昇進祝いを台無しにしようとしてるのか?自分を傷つけてまで?」

じわじわ詰め寄ってきて、私の襟元をつかむ。咲が慌てて怜司を止める。

咲の目に涙が浮かび、か細い声で訴えかけてきた。

「ごめんね、お姉ちゃん。私、昇進なんて受けるべきじゃなかった。全部私のせいだから、もう自分を傷つけないで。怜司さんだって、お姉ちゃんのことですごく悩んでるの。もし本当に反省するなら、私……家からのどんな役職も受けないから!」

一つ一つの言葉が胸を抉り、私をどんどん悪者に仕立て上げていく。

その様子を見て、母の綾子が急に優しい声になる。「咲、あなたが立派だからこそ手に入れた役職なのよ。胸を張りなさい」

そんな「理想の母娘」の芝居も、見慣れているはずだった。それでも、何度見ても胸が痛くなる。

母親からもらえるはずだった愛情は、すべて咲に注がれた。

でももう、どうでもよくなっていた。死ぬ間際には、何もかもがどうでもよくなる。

心の中は砂漠のように乾いていた。なのに、また口の端に血の味が広がる。

怜司が私の診断書をもぎ取った。ざっと目を通し、鼻で笑う。

「白血病?演技が下手すぎるな」

びりっと音を立てて紙を破る。細かい紙片が足元に散った。

怜司の視線が、私の青白い顔で一瞬止まる。

目が合ったとき、不意に思い出す。二十歳の成人式、怜司の瞳は星みたいに輝いていた。でも今、その光はどこにもなかった。

もう愛なんて、残っていないんだろう。だから、もう光もない。

私は震える手で血を拭い、崩れそうな体をなんとか弁護士の方へ向ける。

「三日後にはこの家をきっぱり出ていきます。離婚の手続き、縁切りの書類もまとめてお願いします」

怜司の体が一瞬揺れた。私の手首を掴み、「咲の祝いを台無しにしたくて、弁護士まで巻き込んで芝居か!」

怒りを押し殺した声で、「くだらない真似はやめろ!いい加減にするんだ!澪。恥さらしだ」

そう言い残して、咲を抱き寄せ、出ていった。

赤くなった手首を見下ろして、私は笑ってしまった。

どうせ……わかってたことだ。怜司は、私のことなんて、信じたことなんてなかった。

体の痛みに耐えながら、私は一人で離婚協議書にサインをした。

私が死ぬその日、怜司のもとに、署名済みの離婚協議書と遺産分配の書類が届くだろう。

死までの三日間、自分の手で、この結婚に終止符を打つ。

その間も、夫は別の女を腕に抱き、栄誉とやらのために乾杯している。
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