LOGINゴトゴトと何か重いものを動かす音で、ふと意識を取り戻す。 全身が気怠くて、瞼を押し上げることすら億劫に感じたが、冬馬は目を開いた。 まず目に入ったのは、長身の男の背中。「……なにを。……やってんだ……?」 声を掛けると、迅は驚いたように振り返った。「目ェ、……覚めてたの?」 その問いかけに、冬馬は黙って首を横に振る。「しっかり……起きてんじゃん」 迅はクスクス笑い、それから作業を中断して冬馬の側にやってきた。「だるい?」「……ああ……」 目を閉じて、冬馬はようやくそう答える。 すぐにも意識は、ドロリとした眠りの世界に落ちてしまいそうだった。「ゴメンね……。こんなに頻繁に使っていいシロモノじゃないって、わかってるんだけど……」 迅の指先が、額に触れる。 それから、ゆっくりと髪を撫で、再び額へと戻された。 その少し冷たい感触が、奇妙に心地良いと感じる。「ゴメンね……、俺、そろそろ東京戻らないとマズイから。トーマを残して行くの、スゴク心配なんだけど……」 その後、迅が何を言っているのか冬馬は聞くことができなかった。 真っ暗な空間に意識が飲み込まれていくような錯覚に陥りながら、眠りに落ちる。 微かに、暖かな何かが頬に触れたような気がして、無意識のうちにそれが迅の接吻だと理解していた。
「ホントに? トーマ」 問いかけに、冬馬はハッと我に返って迅を見る。「ホントに止めて欲しいの?」「あ……当たり前だろうっ!」 即答した冬馬に、迅は奇妙な表情を浮かべて顔を近づけてきた。「本当に? ……だってトーマ、こうしてクスリで煽られちゃえば自分に言いわけできるんだよ? オトコに抱かれてイッちゃうのは、クスリの所為だって。シラフで俺に抱かれて、感じちゃったらどうするの……?」 目を見開いた冬馬に、迅は悪魔的な笑みを向ける。「昨夜のトーマ、とっても可愛かったよ。女のコみたいに喘いで、腰振って、俺を欲しがって。シラフの久遠冬馬にそうしてもらえるなら、俺はそっちの方がずっと嬉しいけどさ」「俺が止めろと言ってるのは、この行為そのものだっ!」 迅は、さもおかしいと言った顔でくすくす笑った。「それはできない相談だって、知ってるクセに。だって俺、こんなにトーマが欲しい……」 ピタリと体を重ね合わせ、迅はスラックスの下の己の熱をアピールしてみせる。「て……めェ……」 怒りを滲ませて睨み付ける冬馬に、迅は目を眇めた。「だから、クスリ使わせてよ。……俺、トーマと楽しみたいだけで、困らせたいワケでも苛めたいワケでもないんだよ」「俺に触るなっ!」 拒絶する冬馬に、迅は微かに困ったような表情を浮かべて、肩を竦める。 そして、体を起こすと黙って冬馬の膝に手を掛けた。「イヤだっ! イヤだ、イヤだ、イヤだぁっ!」 痛む足を強引にバタつかせ、冬馬は駄々をこねる子供のように喚き散らす。 しかし、そんな抵抗も虚しく、迅の指先は冬馬の体内に穿たれてしまった。「あっ……ああぁっ!」 自分の上げる声が、悲鳴から次第に嬌声へと変わることに、嫌でも気付かされる
食事を終わらせた後、迅は小ぶりではあるが高性能なステレオで好みの音楽をかけ、何かを思いつくと、音楽を中断してギターを抱え込み楽譜にペンを走らせたりする。 それは奇妙に穏やかな時間だった。 まるで、自分は病床にあって、迅が見舞いの客として訪れたようにすら感じてしまう。「ねェ、トーマ。このフレーズどうかなぁ?」 平素と変わらぬ無邪気な声で、ギターを奏でながら迅が訊ねる。「そうだな……もっと……」 何気なく答えそうになって、冬馬はハッと口を噤んだ。「もっと……何?」「テメェで考えろっ!」 吐き捨てるように言って、冬馬は顔を逸らした。「トーマ……」 ギターを降ろし、立ち上がった迅が側に歩み寄ってくる気配がする。「……トーマ……俺……」 迅の指が頬に触れ、冬馬は無理やりに顔をこちらに向けさせられた。「俺……トーマが俺を嫌ってること、知ってるけど……、でも今は、そうやって態度に現すのマズイんじゃないの?」「この状況で、テメェに好意を持てだぁ? ふざけんな!」「嘘吐き……。トーマ、俺のことがずっと嫌いだったんだろう?」「はぁ?」 迅の言っていることをロクに理解できないウチに、冬馬の思考は中断させられる。 口唇をふさがれ、掛け布団の下にのばされた手は素肌をまさぐって冬馬の体に再び火を付けようと蠢いた。「てめ……っ、やめろっ!」「やめない。……だってトーマ、昨日の晩あんなに楽しんでくれたじゃない? 俺、トーマの気持ちを手に入れられないことぐらい、良くわかってる。……でも、人間って感情と感覚が伴わない場合ってあるんだよね。
迅が怯んだ様子に軽い満足を覚えた冬馬は、唐突に自分が空腹であることに気づく。「……ジン、腹減った」「あ、うん」 迅は、完全に気勢を制されていた。 その様子は、自分が〝監禁をしている立場の有利な人間〟であることも忘れているほどだ。 先ほど室内に入ってきた時に手から離したトレーを持ってきた。「トーマって、結構偏食が激しいからね。気ィ使って用意したんだよ」 まるで自慢の手料理を披露するかのような態度で、迅はベッドの側に小さなテーブルをセッティングすると、トレーをそこに置く。 今の口論で少し冷めかけてしまっているが、冬馬の嗜好に合わせられた料理はそれなりに魅力的だった。 食事のためにと体を起こしかけ、冬馬は身の不自由を感じる。「……おい、メシ食わすつもりなら、手ェ解けよ」 半端に体を起こした格好で、冬馬はそれを要求した。「ダメだよ」 しかし、申し出は案の定、即座に却下される。「テメェなぁっ!」 思わず激昂しそうになった冬馬の顔の前に、迅は人差し指を立てて左右に振ってみせた。「俺、トーマと自分の実力差ぐらい、ちゃんとわかってるモン。真っ向から殴り合いになったら、勝てないってことぐらいね。だから、保険は残しておかないと危ないって知ってるよ。先刻も言ったけど、今のトーマは捕らえたばかりの野生の獣と同じだモン。懐いてくれるまでは、鎖に繋いでおかないとね」「……テメェ……後で、覚えてろよ……」「医者を呼んじゃヤダって言うくらいなんだから、実はトーマこの状況を自分でも楽しんでるんじゃないの?」「それとこれとは、別だ」 低く唸るように呟いた冬馬に、迅はちょっとだけ笑った。 食事は、迅の手ずから食べさせられたことさえのぞけば、ごく真っ当だった。 医者を呼ぶ呼ばないで、冬馬に〝懇願〟させようとしたほどだ。 もっと異常な、とんでもない要求を突きつけてくるかと思ったが。 それに関してだけは肩すかしを食らったような気分だった。 もっとも、それを望んでいたわけではないから、冬馬はあえてそのことには触れなかった。 どうやら迅は、自分が差し出すスプーンを、冬馬がおとなしく受け入れていることですっかり悦に入ってしまったらしい。 高揚した気分をそのままに、食事の間中たわいのないお喋りを一方的に繰り広げていた。
「いったぁーー!」「ぐあっ!」 悲鳴は、二人の口から同時に上がる。 腹を蹴られた迅は体を「く」の字に折り曲げて激しく咳き込み、蹴り上げた衝撃で足に激痛が走り、冬馬はのたうち回った。「ひっでェよ、トーマ! 蹴っ飛ばすコトないだろうっ!」「蹴飛ばされるようなコトしといて、なに言ってやがるっ!」 両腕が拘束されていることなどものともせずに、冬馬は迅に食ってかかる。 自身の意にそぐわぬことを強要されることを、なによりも由としない。 そんな冬馬にしてみれば、たとえ首から下すべてをガッチリと拘束されていようとも、最期の一瞬まで抵抗を止めないことが己のポリシーなのだ。「そんな無茶な動きをすると、足が二度と動かなくなるぞっ!」 迅の言葉に、思わず冬馬はギョッとしたような顔をした。「なん……だって?」「最初にスッゲェ暴れたろ、トーマ。あの時に、怪我したんだぜ? そんなふうにしたら怪我が治らなくて歩けなくなるに決まってんじゃん」 こわばった表情のまま、冬馬は掛け布団に隠れた己の足を見た。「もしここから解放されて自由になったとしても、足が動かなかったらもうあんな風にステージを駆け回ることができなくなるぜ? それでもイイんだ?」「解放?」 怪訝な顔をする冬馬に、迅はまるで勝ち誇ったような笑みを向ける。「確かに俺は、そう簡単にトーマを手放すつもりないけど。でも、俺はその可能性を否定する気はないんだぜ? 帰って、またステージ立つつもりがあるんだろう? トーマは希望を持って良いんだ。……でも、その気があるなら体はいとわなくっちゃね」 冬馬が黙り込むと、迅はますます嬉しそうに目を眇めてみせた。「俺としては、片足が折れてる方が都合がいいけど。でもあまり無様なトーマなんて見たくないから。本当に俺の手に負えない状態になる前に、医者を呼ぶつもりくらいは……」「医者なんか呼ぶなっ!」 ほとんど、わめき散らすように冬馬が言った。「えっ?」 己の体調や、ここから逃げ出す算段として医者を呼んで欲しいと冬馬が懇願することを期待していた迅は、その一言に吃驚する。「トーマッたら、ジョーダンばっかり。ホントは呼んで欲しいクセに、そんなコト言って俺を混乱させようっていう作戦なら……」「医者なんか呼びやがったら、テメェただじゃおかねェぞっ!」 ギッと睨み付けてくる冬馬の表
ふと気がつくと、冬馬は一人でベッドの上にいた。 両手は相変わらず、背中で固定されている。「あ……のヤロウ……っ! 好き勝手しやがってっ!」 苛立ったように呟きながら、冬馬は動かない腕に不自由しつつも体を起こそうとしたが。「つぅっ!」 足に走った痛みに、思わず悲鳴を上げて動きを止めた。 体は相変わらず全裸のままだったが、上に薄掛けを一枚広げられていて、腰から下を見ることができない。 動かせば激痛が走るし、両手は拘束されていて動かすことは不可能だから、冬馬は、己の足の痛みの原因を見ることができなかった。「チクショウ! なんだつーんだよっ!」 ますます苛立ちを募らせたような様子で、冬馬はまるで癇癪を起こした子供のように無茶苦茶な動きをしてみせる。 しかし、そんなことで状況が変わるわけもなく、冬馬はただ足の痛みに呻くだけだった。「ダメだよ、トーマ。せっかく掛けといた布団はいじゃ」 扉が開いたと思ったら、手に持っていたトレーを側のテーブルに置いて、迅が側に来る。「テメェは一体、俺に何をしやがったっ!」 何もかもを抑制されて、完全に癇癪を起こしてしまっている冬馬が、噛みつくように怒鳴り散らす。 だが、鎖につながれた犬に子供が驚かないように、冬馬が決して自分に危害を加えられないことがわかっている迅は、落ち着き払ったものだった。「トーマって、怒ってる時もスゴク綺麗だね。……俺、最初の頃は本気で怖いって思ってたけど、でもトーマがホントはスゴク綺麗なんだって気がついてからは、時々ワザと怒らせたいって思ったこともあるよ」 肩に手をかけ、迅は強引に冬馬の体を仰向けに押し倒す。「やめろっ! 変態っ!」 どんなに悪態をついてわめき散らしても、迅は己の勝手な行動を止めようとはしない。「……怒ってない時も、スゴク特別なオーラを纏ってるみたいな感じがして……なんか、大型の肉食獣みたいでさ……。……俺ね、トーマを飼い慣らせるなんて思ってないけど、でも、ただ見ているだけってのに我慢ができなくなっちゃったんだよ……」 耳元に口唇を押しつけながら、ふざけた繰り言を囁き続ける迅に、冬馬の怒りは頂点に達した。