LOGIN「痛……てェ! 放せっ! ちくしょうっ!」
もがく冬馬に、男は無言でのしかかる。
そのまま抵抗もできずに殴られるのかと思っていた冬馬は、予想外の男の行動に咄嗟の対処ができなかった。「おとなしくしてれば、可愛がってやるって言ってんだろ」
股間に手をあてがわれて、全身に鳥肌が立つ。
「イヤ……だっ!」
思わず上げた悲鳴は、あまりの情けなさに涙も出ないような、か細く女々しい声だった。
「トーマに触るなって言ってんだろっ!」
起きあがった迅が猛烈なタックルを送って、男の体をはじき飛ばす。
体が解放された後も、冬馬は身が竦んでいてロクに動くこともできなかった。 犯されかかった恐怖故か、右足を打ちつけられた痛み故か、もう己にも判断できない。 ようやくの思いで体を起こした冬馬の目の前で、迅は殴り飛ばされた。 他人との殴り合いなどしたことがない迅は、ただ闇雲に相手に向かって行くだけで、自身が繰り出す攻撃は何一つ効を為さずに空振りに終わっている。 そして、男の容赦のない拳を顔面に叩きつけられて、酷い顔になっていた。 それでも、迅は決して諦めることも怯むこともせずに、男に挑み掛かる。 迅がのされてしまっては、冬馬の身に危険が及ぶことがわかっているから。「テメェは、うるせェんだよっ!」
襟を掴み、迅の顔面を何度も殴りつける男に、冬馬は迅の生命の危険を感じた。
「やめろってっ!」
立ち上がった瞬間、蹌踉めくほどの痛みが右足に走ったが、冬馬は構わずに男に掴み掛かる。
無理に腕を抑え込み、迅の襟を掴んでいた手をもぎ取ると、突き放された迅はそのまま扉の方へと体を傾き掛けて、側の柱にようやくの思いで縋り付き、何とか倒れ込まずに踏みとどまった。「……くっ……!」
足元のふらつく冬馬では、それ以上男を抑え込むこともできず、振り払われて壁に叩き付けられる。
男はチラリと冬迅が目を覚ましたのは、見慣れぬ白い部屋の中だった。 清潔な白衣を着た女性と、心配そうに自分を覗き込む見覚えのある人の顔。「あ……れ? 北沢クン?」「大丈夫か、迅君。ああ良かった、ボクがわかるみたいだ。久遠君、迅君が意識を取り戻したよ」 心底安堵したように破顔した北沢は、顔を上げるとなにやら後ろを向いて誰かに話しかけている。 迅がその視線を追うと、隣のベッドには冬馬が横たわっていた。「トーマ……ッ? ……あ……北沢クン、俺達……」「ああ、うん。大体の事情は久遠君から聞いたよ。迅君、大活躍だったねェ。少し容態が安定したら、警察から事情聴取に来るって言っていたけど、今はとりあえず何も考えないで養生してくれ。ちゃんと事務所で弁護士を立てるし、コレはどう考えたって正当防衛が成り立つ筈だからね」「大活躍……?」「北沢サン、迅はまだ目ェ覚めたばっかで混乱してるし、状況は俺がわかってるから今日はこの辺にしてやってよ」「あ、ああ、それもそうだね。みんなにも君達の無事を伝えなきゃならないし、それじゃあ、ボクはコレで一度引き揚げるよ。明日になったらまた来るから」 ひたすらわけがわからない迅が何かを訊ねる前に冬馬が応対してしまい、北沢はそのまま部屋から出ていってしまった。「……トーマ……どういうこと?」 扉が閉まると同時に、迅は冬馬に振り返る。「……階段からコケ落ちた時に打ち所が悪くて、死ンじまったんだよ」「ええっ! 俺ってば死んでるのっ?」 迅の返事に、冬馬は心底ガッカリした。「なんで死んでるオマエが俺と会話してるんだよっ! 死んだのはあのイッちゃってたカンチガイ野郎だっつーのっ!」「え……? えええっ?!」 迅は、しばらく驚きで声も出ない。
「痛……てェ! 放せっ! ちくしょうっ!」 もがく冬馬に、男は無言でのしかかる。 そのまま抵抗もできずに殴られるのかと思っていた冬馬は、予想外の男の行動に咄嗟の対処ができなかった。「おとなしくしてれば、可愛がってやるって言ってんだろ」 股間に手をあてがわれて、全身に鳥肌が立つ。「イヤ……だっ!」 思わず上げた悲鳴は、あまりの情けなさに涙も出ないような、か細く女々しい声だった。「トーマに触るなって言ってんだろっ!」 起きあがった迅が猛烈なタックルを送って、男の体をはじき飛ばす。 体が解放された後も、冬馬は身が竦んでいてロクに動くこともできなかった。 犯されかかった恐怖故か、右足を打ちつけられた痛み故か、もう己にも判断できない。 ようやくの思いで体を起こした冬馬の目の前で、迅は殴り飛ばされた。 他人との殴り合いなどしたことがない迅は、ただ闇雲に相手に向かって行くだけで、自身が繰り出す攻撃は何一つ効を為さずに空振りに終わっている。 そして、男の容赦のない拳を顔面に叩きつけられて、酷い顔になっていた。 それでも、迅は決して諦めることも怯むこともせずに、男に挑み掛かる。 迅がのされてしまっては、冬馬の身に危険が及ぶことがわかっているから。「テメェは、うるせェんだよっ!」 襟を掴み、迅の顔面を何度も殴りつける男に、冬馬は迅の生命の危険を感じた。「やめろってっ!」 立ち上がった瞬間、蹌踉めくほどの痛みが右足に走ったが、冬馬は構わずに男に掴み掛かる。 無理に腕を抑え込み、迅の襟を掴んでいた手をもぎ取ると、突き放された迅はそのまま扉の方へと体を傾き掛けて、側の柱にようやくの思いで縋り付き、何とか倒れ込まずに踏みとどまった。「……くっ……!」 足元のふらつく冬馬では、それ以上男を抑え込むこともできず、振り払われて壁に叩き付けられる。 男はチラリと冬
「トーマに触るなぁっ!」 不意に圧迫感から解放され、ビックリして目を開ける。「迅ッ?!」 そこにいる筈のない人物が突然現れたことで、冬馬はますます驚いてしまった。「トーマ、大丈夫ッ?」 杖で男をバシバシと叩いてから、迅は慌てた様子で冬馬の側に寄る。「怪我はない? 犯されなかった?」「なんでそーいう質問になるんだよっ!」 両手の拘束を解きながら、迅は不安気な顔を崩さなかった。「だって、……俺にとってはそれってスゴク大事なコトなんだけど?」「だからオマエは、バカだっつーんだよ……」 思わず呆れ果てたような声になってしまったが、この状況ではそういう心配をされても仕方がないかと、自分で自分がかなり情けなかった。「でも、なんだってオマエがここに?」「ここしばらくの雨の所為で、土砂崩れがあってさ。道が閉鎖されちゃって、戻らざるをえなかったんだよ。連絡しようにも、カミナリで電波切れてるし……」「カミナリ?」「うん、こっちはそうでも無さそうだけど、県境のあたりはひどい降りなんだよ」 迅は、冬馬の戒めを外そうとした。「なんだよコレ、スッゲェ固く結んである……」「痛ッてェよ、ナイフかなんかで切った方が早くないか?」 冬馬の提案に、迅は側にあった果物ナイフを取ると戒め部分にあてがった。「……モジュール線だよ、コレ……。切れるのかなぁ……」「迅、後ろッ!」「えっ?」 振り返った迅は、顔面を杖で殴り飛ばされる。「迅ッ!」 散々叩きのめされた男は怒りを露わにして、倒れ込んだ迅の体を復讐するように松葉杖で殴り続けた。「オマエなんかが触れていい人じゃねェんだぞ、コラァ!」 迅が声も上げずに身を守るように縮こ
奇妙な感覚で、冬馬は覚醒した。 誰かに体を撫で回されているような、不快感。 目を開けると、そこには見たこともない男がいた。「て……めェ、誰だ?」「……俺、こんな田舎に住んでるから、トーマに逢うの大変なんだぜ」 ニタリと笑った男の顔に、やはり見覚えはない。「やっぱり、側で見るとサイコーだな。俺ずっと、こんなふうにトーマに触ってみたかったんだよ」「なっ……やめろ、テメェッ!」 胸をスルリと撫で上げられて、冬馬は自分が衣服を纏っていないことに気付かされる。「ココにトーマが滞在するようになって、俺ずっと配達やってたんだぜ。トーマがココにいるのに、テレビじゃいなくなったって大騒ぎしてる。アイツも出入りしてるってのに、一部のマスコミなんかじゃトーマがまるで死んだみたいな話にまでなって」「放……せっ! この、カンチガイ野郎ッ!」 両腕と片足をベッドに拘束されていて、冬馬は殆ど動くことができなかった。 唯一束縛されていないのは、痛みで動かすコトがままならない右足のみ。 しかも、なんとかして一矢報いたいと蹴り込んだ足は、絶妙のタイミングで掴まれ強く握りしめられた。「うあああっ!」「暴れンなよ。俺、トーマのコト助けにきたんだぜ。アイツにペットにされてんだろ? アイツをおびき出すのに苦労したんだぜ。東京にブッ飛んでったから、当分帰ってきやしない。俺とたっぷり楽しんだ後でココから出してやるからさ」「ふ……ざけんなっ!」 どんなに抵抗したくても、今の冬馬にはその術が何もない。 全身を撫で回されて、冬馬はあまりの不快感に吐き気すら感じていた。 ここに監禁され、迅に同じようなことを強要された時以上に、気分が悪い。「テメェ、俺のファンなんだろがッ! なんかこれ、違うだろっ!」「だって、トーマちっとも逢いに来やしねェじゃん。ここいらに住んでんじゃ、ライブにだってなかなか行
食事を済ませて、迅は早々に出かけていった。 冬馬は二階の寝室に戻り、そこで静かにステレオをかけて本を読んでいたのだが──。 しかし、数分もしないうちに冬馬は本の表紙を閉じてしまった。 考えないようにしても、気持ちは先程の脅迫犯のことを考えてしまう。 そして、考えれば考えるほど、無性に腹が立った。 確かに迅と自分は共謀して、こんなろくでもないコトをやらかしているが。 それに便乗して、公的にも私的にも心痛の極みに立たされている北沢達に被害を及ぼすとは……。 迅の身勝手に端を発し、冬馬の都合でこんな事態を引き起こしてしまったものの、その事態に対する反省というか、回りに及ぼした迷惑の量はそれなりに自覚している。 それが気心の知れているバンドのメンバーや、マネージャーに対する甘えに寄るところが大きいのも事実だが、しかし少なくとも自分達には彼らに甘えるだけの理由も、甘えて良い資格もあるのだ。 ことが発覚すれば世間を騒がせた分の責任はとらなければならないし、それなりの罰も受けなければならないだろう。 それでも、北沢を含めた「自分達を親身になって心配してくれていた面々」は、最後には許してくれることを知っている。 しかし、脅迫犯にそんな権利は一欠片もないのだ。 なにより一番冬馬を腹立たしく感じさせているのは、こうした事態になってしまったにもかかわらず、自分が全く動けないと言う現実だった。 この状況を維持しようとするには、そうするしか選択の余地が無くて、頼りない迅を行かせたが。 やはり、これはもうそんな自分達の都合やエゴを考えている場合ではなくなっているのではないだろうか? いっそ自分も迅と一緒に東京に戻り、ことの真相を全て打ち明けるべきだったのでは──? 医者の診察を受けるのは死ぬほどイヤだが、あまりにも事態が深刻になりすぎている。 冬馬は少し逡巡してからおもむろにベッドを離れると、隣の部屋にある電話機へと向かった。 隣室の電話は、迅が冬馬を監禁するべく一度モジュール線を引き抜かれ、裏手の物置小屋に放
冬馬は黙って盛りつけの済んだ皿を手に取り、居間へと引き返す。 ソファに座って、冬馬が悠々と食事を始めてしばらくすると、迅が慌てた様子でこちらへやってきた。「トーマ、なんか変だよ?」「なにが?」「それが……、北沢クンが『脅迫状が来た』って言うんだ」「はぁ?」 思わず食事の手を止めて顔を上げた冬馬に、迅もなにやら困惑気味の顔を向ける。「トーマのコトを誘拐して監禁してあるから、身代金を払えって言ってきたヤツがいるって。言うんだよ」「マスコミにはまだ、俺が死んだつー話は流してないんだろ? 俺の失踪を利用した、ただの便乗愉快犯じゃねェの?」「俺もそう思うんだけど、でも北沢クンに『トーマはここにいるから、そんなのはウソです』とは言えないじゃん。一応、ただの愉快犯なんじゃないのって、俺も言ったんだけど……」「でも、オマエにまでわざわざその連絡をしてきたってことは、事務所の方ではその話に信憑性を感じてて、少なくとも俺がまだ生きている可能性があるってオマエに言いたかったからなんだろうな」 冬馬の言葉に、迅は強く頷いてみせる。「そーなんだよ。北沢クンも脅迫の内容とかそーいう話はほとんどしなくって、トーマが生きて帰ってくる可能性があるから、あまり気を落とさないでって、そればっかり言っててさぁ」「まぁ、北沢サンならそうくるだろうな。つーか、ヘタすっと事務所の方からは口止めされてるのに、オマエにだけ連絡してきたのかもしんねェし」 マネージャーの気遣いに、冬馬は思わず苦い笑みを浮かべる。 だが、例えそうだとしても、やはり北沢自身に確信がなければ迅に連絡をするわけがない。 もし本当にそれがただの便乗犯で、冬馬が死亡していた場合、迅の精神的ショックは最初の比ではなくなることなど、あの北沢がわからぬ筈がないのだから。「でも……一体誰がそんな脅迫してんだろ。まさか、トーマが北沢さんをからかうために……?」「オマエねェ…&helli