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第十話

last update Last Updated: 2025-09-22 17:30:21

「うん、うまい」

「えっ、それまだソースが……」

思わず声を上げたが、さっきの話題が強引に打ち切られたことにほっとし、私は努めて冷静を装った。

「なくても十分だ。それに、俺は食事は何でもいい。だから古都も無理するな」

気合を入れて準備をしていた私の気持ちを察したのか、秋久はそう言いながら、自然な仕草で私の肩に顎を預けてきた。

「でも、今までずっと料理人がいたでしょう? やっぱり頼んだほうが……」

「古都が大変か?」

意外な問いに、返事の仕方がわからず、私は思わず横目で彼の顔をうかがった。

「確かに、これだけ広いと掃除も大変だろうな……。けど、食事だけは古都が作ったものが食べたい」

独り言のように、けれどどこか本音めいた声音で告げられ、私は混乱したまま口を開いた。

「秋久がそれでいいなら、私は構わないよ? こんな私の料理でよければ……掃除も、日中やることなんてないし、家事ぐらいしないと落ち着かないから」

そう言った瞬間、秋久は少し考えるように目を伏せ、それから静かに手を伸ばし、私の額にかかる髪をそっとかき上げて唇を触れさせた。

どうしてこうもスキンシップが多く、距離を詰めてくるのだろう。長く海外で生活していたせいなのか、それとも夫婦を装うための演技なのか――あるいは計画の一環として意識的に私との距離を縮めているのかもしれない。いくら考えたところで答えなど出るはずもなく、私は心の中でひとり問いを繰り返すしかなかった。

「家政婦の件は、追々考える。海外に行くこともあるかもしれないしな」

確かに、秋久はこれまで日本にいないことが多いと言っていた。

「わかった」

短く返事をすると、秋久はすでに興味を切り替えたようにリビングへと戻っていき、私はその背中を見送ったあと、小さくため息を吐いた。

用意した料理はどうやら秋久の口に合ったらしく、彼の手によって次々に皿が空になっていく。

「古都、本当に美味しいよ」

「よかった」

素直な称賛に安堵し、ようやく自分も料理を口に運んだ。

それにしても、これから先、私はしばらくこの家で掃除や家事をして過ごしていればいいのだろうか。秋久の本当の考えが見えないまま、ただ時間だけが流れていくようで、不安と疑問が胸に積もっていった。

秋久がふと、少しだけ申し訳なさそうな顔をして口を開いた。

「古都、悪いけど近いうちに俺と一緒にパーティーに出席してもらう
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