海岸沿いの田舎町。
その小さな商店街の端にひっそり佇む個人葬儀屋。 まだ早朝だが、一人の少年が始発電車を目指して家を出た。 黒髪に白シャツ、濃紺のスラックス。どこにでもあるデザインの学生服。切れ長の眼差しが、既にギラついた太陽を眩しそうに見上げる。痩せ型で色白な印象の男子高校生だ。「おっはよう ! 」
待ち伏せしていたかの様に道の反対側から声を掛けられる。
「……なんだよ……眠いからほっといてくれ……」
「知ってるよ。昨日の夕方来た方でしょ ? 私も今日は帰ったら花の方やんないといけないんだ」
そう言い、少女は振り返る。
葬儀屋の少年 涼川 蛍は、浮かない面持ちで歩き出す少女を見下ろす。
彼女は幼馴染の古川 香澄。生花店の一人娘で、蛍の斎場の契約生花店である。 同じ高校の制服で、ショートカットのくせ毛がふわふわと揺れる。昨日の夕刻、御遺体を受け入れることになり、今は葬儀場の準備中だ。涼川葬儀屋はホールと事務所、そして自宅や通夜会場も全て別棟で建ててある。蛍の自宅は父親と二人暮らし。少し寂しいくらい広い家だ。
「おばさん困ってない ? かなり安くしてくれてるみたいだけど」
「う、ううん ? そんなことないと思う !
確かに流行りの花は高く売れるけど、こんな田舎じゃ何時でも売れるわけじゃないしね。安定してるのは蛍ちゃんの家のおかげだよ」短髪の女子高生と長めの黒い前髪の蛍。
二人とも兄妹のように姿形が似ているが、性格は真逆だった。香澄は底抜けに明るく外交的な上に擦れていない。蛍は香澄の言葉に察するものがあったが、あえて口には出さない。「絶対違うと思う」
個人の葬儀屋はピンキリだが、やはり経営者の人柄次第で客数は変わる。値段と規模だけなら大手の方が強いだろうが、個人店はどれだけ希望を叶えられるかや、故人の家の事情にどれだけ足を使えるかがかかってくる。
故にクチコミや町の人間の利用者が多い。 特に涼川葬儀屋では近年、特殊な葬儀や奇抜な葬儀を請け負う事も増えてきた。「流行りの花でお葬式をお願いしてくる人もいるし。葬式に菊を使ってる方が俺の家じゃ最早珍しいよ」
「えー ? まだまだ菊は現役だよ。でもほら、大きい葬儀屋さんは造花も増えてるしね。
ま……いいじゃん ? 持ちつ持たれつ〜みたいな ? そりゃあ、私だってお隣のチーズケーキ専門店のお姉さんとか、斜め向かいのマッチョ坦々麺のお店の子に生まれたかったですぅ〜。 ま、ま、ま ! お互い頑張ろうぜ〜 ! 」「……あ〜……うるせぇって……」
二人、最寄りの西湊駅へ向かう。
三駅先は海が見える観光地だ。朝市場や甘味処、海鮮食堂、旅館が建ち並び、裏手は住宅地とショッピングモール。田舎特有の『土地だけはいくらでもあるので』という広い敷地区画。その中に、蛍と香澄が通う日々野高校もある。「見て、蛍ちゃん。あの山も崩すんだってさ。裏の旅館がリニューアルするから土地を買ったって……海が見えないじゃない ? 新しくしたらオーシャンビューになるね」
「わざわざあった自然を崩すなら、移転すりゃいいのにな」
「うーん……。そうだけどさぁ。駅前のビルも古くなって来てるし……あれ ? 」
香澄が突然足を止める。
駅前の古ホテルの前。地元の人間や観光客、同じ高校の制服の人間が入り交じり、全員が上を見て騒いでいる。「……え ? ……うぁ……あれ ! 」
視線の先にはホテルの屋上のフェンスを背に、下を見つめる女性が風に飛ばされそうになりながら立っていた。
「け、蛍ちゃん……やだ…… ! ど、どうしよう ! 」
「見ない方がいい。ここにいろよ」
蛍は香澄にそう言い残すと、すぐさま現場へかけつける。
通行人がバタバタと慌てふためく。「警察に連絡は ? 」
「したけど、ありゃ間に合わんぞ ! 」
「駄目だ。あの姉ちゃん、本当に飛ぶぞ ! なんか、無いのか !? シーツとかマットとか !! 」
蟻の行列がパニックを起こすような騒ぎの中、蛍だけがジッと上を見つめる。
二十代前半ほどの女だ。気に入った服を最後に選んだのか、初夏にしては分厚い白のワンピース姿だった。左手の袖の一部が鮮血で染まっている。リストカットで死にきれず、貧血の中フラフラとやっとの思いで柵を乗り越えたという所だろう。「おーい !! 早まるなぁ〜 ! 」
駅から駅員や警察官もようやく駆けつけたが、遅かった。
────ハラリと軽く、風に飛ばされるように────女はその身を投げた。
蛍はその瞬間手を広げて、触れるような仕草をする。
「蝶だ。白い蝶が飛んだ……綺麗だ……」
ゴッ !!
鈍い音がして、同時にズチャーッ !! っと脳漿がアスファルト一面に弾け飛ぶ。
「ひっ ! 」
「うぎゃぁぁぁっ !! 」
「うぉえぇえ !! 」
完全即死の割れ脳の女体。四肢は有り得ぬ方向へ関節が曲がっている。
蛍は飛び散った脳を見下ろしながら、静かに過去を思い出していた 。□□□□□□□
今から十二年前。
「蛍。怖がらずに来てご覧」
父親の重明が幼い蛍を呼ぶ。
「……」
「大丈夫。血なんか出てないよ。
お母さんは明日、納棺だ」父親の泣き腫らした分厚い瞼が、妻をジッと見つめる。
蛍はゆっくりと近付く。
「手を握ってあげて」
蛍が母親の額に手を当てると、驚く程冷たかった。
その日は三十度を越える猛暑だったし、エアコンも効いていたが、想像とは全く別の感触だった事に驚いた。肌の質感にベタつきがなくサラリとしていて、まるで冷蔵庫から取り出したばかりの豚肉のようにひんやりとしていた。「ママ……」
しかし、あまりの心地良さに蛍は母親の頬に自らの頬を擦り寄せる。
それを見て、父親は泣いていた。 だが、すぐに異変を感じた。「これ、気持ちいい ! 」
息子の蛍はなんの悲しみも感じていないように見えて……。蛍が布団を捲り、ほかの部位も同じかと確認しようとする。
その蛍の手を重明はグッと握る。「支度は済んでるんだ。荒らしては駄目だよ。それに事故の傷跡をお前に見せたくない」
「なんで ? なんでママの傷を見ちゃいけないの ? 」
蛍は手を引いたが、この時わずか四歳。
重明はこの瞬間から、普段大人しく何にも興味を持たない大人しい性格の蛍の、なにか良くない片鱗を垣間見た気がした。「もう綺麗にしてあるからだ。お化粧もしてあるし、母さんだってお前に傷なんか見て欲しくないさ」
自分の子供に限ってそんなことは無い。
だが家業とはいえ幼い頃から人の生死を見せるのは……教育として不味かったのだろうか、と悩んでしまった。それからも他の御遺体が来る度、蛍の奇行は続いた。極めつけは飼い犬が居なくなった事だ。
父 重明は未だ蛍をどうすればいいのか悩んでいた。蛍に隠れて育児の専門書を初めて読んだが、妻の本棚には趣味嗜好の変わった子供を躾ける方法と言うのは……役に立つようなものはなかった。
父親の観察。それを蛍も気付いていた。
自分の内にある、なにか得体の知れないモノはどんどん大きくなっていく。だが父親の目が鬱陶しい。高校に入学してからは、葬儀があっても、直接遺体と関わらない仕事の手伝いをしていた。自分でも何故自分が人と違うのか分からなかった。
□□□
数分すると、到着した反対線の電車から沢山の人間が降りて駅から出て、騒ぎを聞き付け向かってきた。
そして蛍の周囲に来ると、スマホを取り出し、全員が遺体にカメラを向ける。「やべー !! 本物 ! 」
「うわぁ〜 ! クラスのやつに送ろ〜」
蛍は不愉快に感じ、その場を後にした。
「え……け、蛍ちゃん ! 大丈夫だったの !? 」
「くだらないよな」
「な、何が ? 」
動揺する香澄に対して、蛍はぶっきらぼうに答えて高校へ続く坂へ向かう。
「あぁやってスマホで御遺体を撮ってさ。
何が楽しいんだろうな」「あ、ああ。そうだね。それは本当にそう思うよ」
だが、蛍は自ら現場を見に行った。
つまり野次馬だ。 問題はその動機。 今来た野次馬達と蛍が野次馬しに行ったのは、確実に理由が違う。それを蛍は自分で感じたくない。
父の仕事を継ぐ上で、これは絶対に許されないと理解している。 しかしそれは誘惑するように蛍の脳裏にフォトショットのように焼き付く。 綺麗な肉片。 薔薇のような赤い鮮血と、キャンディのように転がる眼球。蛍の中の魔物がズクズクと蠢くのだった。その日はホームルームが全体集会に変わり、事件現場方面の通学路の子供達は早退となった。
□□□□□
同刻。
女が飛び降りた旅館の監視カメラ。 ハッキングされたそのカメラと、群衆に紛れてスマホ撮影をしていた人間の中に、女の死に関わった者が紛れていた。「では、我々は撤退します」
『はぁい……ご苦労さま』
小さな通信機の相手は、港のクルーザーマリーナの中でシャンパンを口に悪態をつく。
『あのさぁ。同じ人間がいつまでもウロウロしちゃ目立つよ。怪しまれないでくれよ。変に目を付けられちゃ……困るのは君だよ ? 』
「は、はい」
数分後、変装した服装の男達がクルーザーに戻って来た。五人ほどの男達で、すぐに黒服に着替える。
「今回の映像をご覧になりますか ? 」
黒服の一人がジャグジーに移動したボス格の男に声をかけた。
「ん〜そうだね。タブレットちょうだい」
黒服からタブレットを受け取り事の顛末を確認する。
飛び降りた女。彼女はこの者たちに誘拐されただけで、本来は自害の意図など無かった。確実に殺人だったのだ。 旅館の中居に扮した男二人に殴られ、強い鎮静剤を打たれ、やっとこそっとこ屋上のフェンスへ女を連れて行き脅す。 その後は、皆が見た通りだ。 脅迫されて飛び降りたにしても、それ以上に辛い思いをしたことで女性は元々ショック状態だった。 飛び降りるその瞬間を、ボス格の男はズームで女の顔を涼し気に眺める。「薬漬けじゃあ怖い思いはしないで済んだでしょ。いいんじゃない ? 人目に付きすぎたところが問題だなぁ」
この男の名はルキ。少なくともそう呼ばれている。 金髪に緩いパーマヘア。ふわりとした長い髪とは対照的に、顔は恐ろしい程に冷酷な雰囲気の男だ。ふと、群衆の中にいる違和感に気付く。
「へぇ……この子。不思議だな」
戸惑い、逃げ惑う群衆。または急いで救援を求める心優しき通行人。
それに混ざる、蛍の姿に目を止めた。「くく……酷いなぁ〜。君、何しに見に来たの ? それに……野次馬がする顔じゃないよなぁ〜……」
事実、野次馬の中で蛍は一番異質に見えたのだ。
ジッと遺体を見下ろし、その体を観賞するように──微笑み、静かに楽しんでいる。「あ〜。ちょっとさ」
「お呼びでしょうか ? 」
「この画面の子、調べてくれる ? 」
「かしこまりました」
ルキは一口、残りのシャンパンを流し込むと、蛍の動きを追う
「コイツは……臭いねぇ〜。な〜んの臭いだろ ? ん、わかった ! 俺と同じ匂いかぁ〜 ! なんちゃってねぇ〜。はは ! 」
結局、何度果てようがルキが美果を犯している間、自分が性的快楽を暴発することは無かった。「もう ! 死ぬ……死ぬっ !! 」 半分飽きが来ていたルキは全てを自動化に任せ、美果を放置していたが、これ程の生き地獄は無いだろう。身体をくねらせながら、快楽を何とか抑えるように藻掻く。拘束されていない尻だけが自由だが、動けば動くほど刺激が強くなるだけ。 ルキは本を片手にぼんやりと椅子に座り、鏡に写った自分の眉を撫でていた。「……〜〜〜 !! いやぁぁぁ !! 〜〜〜……………………」 悲鳴を上げ続けていた美果が遂に気を失ったところで我に返った。「あらら、またか。 美果ちゃ〜ん、起きて」「……うぅ……ん、うぅぅ、ふあぁぁあ !! 止めて !! 止めてってば !! 」「そうだ。いい事思いついた」「止めてーーー !! もういやぁぁぁ !! 」「ねぇ、美果ちゃん」「これ抜いてっ !! 早く早く早く〜〜〜っ !! 」「いい事思いついたんだ ! 聞いてくれる ? 」「聞く !! 聞くから早く !! やだ !! またイっちゃう ! 」「ん ? ああ。じゃあ最後に一度イったら話聞いてよ」 考えられない程大きな、美果に突き立った物体をルキは最後にグリグリと押し当てる。「聞く ! 聞くってば……あぁっ !! あぁぁぁぁっ !! ………………」「……しまった。美果ちゃん ? 起きてー。ほら、まだ話してないんだけど。 駄目だな。準備を先にするか。ん〜、結構広がってるから入るかな」 詰まっていた物を引き抜くと、今度は小さな振動物を丁寧に目一杯詰め込んでいく。「この俺が刃物一本使ってないんだから感謝して欲しいくらいだよ……」 切創性愛のルキにとって、流血のない相手になんの感情もなかった。サディズムの本能でやってみたはいいものの、女性のカン高い悲鳴はどうにも心地良いものでは無かった。□□□□□□□□ ゲーム開催日から三日目の早朝。 蛍はようやく目を覚ました。 場所は恐らくコンテナ船の中だ。部屋の作りが病室では無い。広さを考えると、ここもコンテナの中だろう。 壁は凸凹した金属板。 いつもテレビやトラックの荷台等で見知った、一般的なコンテナの作りだ。 白いベッドにサイドテーブル。
「美果ちゃん ! 美果ちゃん美果ちゃん !! あっははは ! 同じだよ !! 美果ちゃんもケイに拘ってるじゃない ! 」「こ、拘りじゃない ! わたしはケイくんを心配して……」「違うね」 ルキは美果を見据えると、キッパリと言い放つ。そして悪意のある笑みで語り始めた。「俺は思う。君、ケイの事なんか気にしてないだろ ? 君が住むのは自己肯定感の世界だ。 ここに来た本当の目的は復讐さ。前回、君を評価しなかった俺への恨みが動力源。ケイを助けるなんて口実だろ。 美果ちゃんも、俺たちの仲間に変態したんだよ。だから、自分を俺に認めさせないと気が済まない。 自分の興味のない相手なら二度と会わなくていいのに、どうしても俺が許せなかったんだね ? 」「……っ」 何も言い返せなかった。 美果は蛍と関わり、蛍を知れば知るほど深みにハマってしまったのだ。 歪んだ世界は一度触れると、時に、飲み込まれてしまうほど魅力的に溺れることがある。「あぁ、そだそだ。絵をおしえて一ヶ月くらい経つんだっけ ? 知ってるよ ? 美果ちゃん、ケイの絵ってどうなの ? よくシリアルキラーの描いた絵の展覧会やってるじゃん ? あんな感じ ? それとも……その様子だと、もっとイイの ? 」「…………」 蛍が描く絵はどれも個性的だが、芸術的センスが飛び抜けて目立つ訳では無かった。 だが、独特な狂気が存在した。 アートセラピーと言うカウンセリングがある。上手く自分を表現出来ない、または説明が上手く出来ない感情をケアする目的で絵を描くのだ。 美果の専攻では無いが、その絵を見た時。自分に関しての話をあまりしない、蛍の中にいる獣が、ようやく美果に可視化出来た瞬間でもあった。 そしてその
結果を見れば同じ事なのかもしれない。 それでも明確な違い。 蛍は暴力を受けた。 梅乃は暴力を振るった。 それはどちらも通常の生活ではしてはならないことだ。 しかし蛍も梅乃もここがソレをしてもいい場所だと知っている。そのルールを知った上で行われたゲーム。 殺るか殺られるかなら、勝つには殺るしか無いのかもしれない。 観覧者達は、床に沈んだ蛍をスクリーンで観ると、曲がりくねった価値観でそれを再確認していた。「脆ぇなぁっ ! 使えねぇ…… ! 」 一番太い支柱を福田の背に叩きつけた時、遂にスタンドはグニャりと曲がった。 中は空洞のパイプだ。軽量で使い易いが、そもそも人を殴る物では無い。 曲がったパイプを無理矢理折り、捻じ切る。その断面は丁度スコップのように鋭く変形した。 それを腹の贅肉にズブズブと沈めて行く。「んぎゃぁぁぁぁっっぁ !! 」 形こそ鋭利でも、刃がついている訳では無い。ノコのようにギザついた部分が、皮膚を摩擦しているだけに過ぎない。 これには堪らず、福田は梅乃の三つ編みを掴みかかった。しかし梅乃も躊躇わない。鋭いパイプを腹から離すと、思い切り眼球目掛けて横一線に凪いだ。「ひぎゃぁぁっぁあぁぁっ !!!!!! 」 再び腹へ向かうパイプ。 脂肪を思い切り摘み上げ、盛り上がった贅肉の根元をギコギコと千切り切る。「イギギーーーッ !! 」 剥ぎ取った皮膚の一部を、梅乃はくだらなそうに広げる。「ちっ。これしか斬れねぇのかよ……。ああ、そうだった、すぐ死んじゃ困るもんな。 ならこっちか…… 」 福田の足をズルりと伸ばす。何とか縮こまり防御しようとする福田だが、カメラのコードで両足をぎっちり締め上げられている。「ッイギャーーーーー !! 」 躊躇いなく足の指を潰していく。斬れようが、骨が砕けようが、梅乃にとってはただ痛みを与えるだけの作業。梅乃は既に全身血塗れで、
事が起きたのは次の瞬間だ。 椎名が福田側のコンテナを解放した時、何かとてつもない気配が横をすり抜けた。 大きな猫か蛇か……足音も立てない猛獣が、春樹側のコンテナに滑り込んで来た。「てめぇ〜っ !! このやろぉ !!!! 」 梅乃は福田に使っていた支柱をそのまま手に、ルキの止める隙もなく手を振り上げる。「っらぁぁぁぁっ !! 」 犯行時間、僅か4秒。 蛍に突き刺さる鋭利なパイプの残骸。 床に伸びていた蛍が抵抗できるはずもなく、そのまま腹を三箇所刺される。「ぐぷっ ! ガッハッ !! 」 一度は目を見開き反射的に呻くが、蛍は起き上がれないまま。「アチャ〜……まだ話の途中だったんだけど……」 致命傷だ。 ここから病院へ運んでも、助かる見込みは無いだろう。「まぁ仕方ない。 梅乃ちゃん、これでルール通りだね ? 」「ああ。いいぜ。確認した。 せぇせぇしたぜ。もうテメェのビジネスには付き合わねぇ。部下も巻き込ませねぇ」「分かったよ。 さぁ、梅乃ちゃんは目的達成。春樹さんも受け取り部屋に言って話を聞いて下さい。 椎名、観覧者の所まで戻るよ」「……ええ……」 ルキは梅乃がコンテナから出たのを確認し、蛍を抱き抱える。「医務室から先生呼んで」「治療ですか ? 」「ああ。ケイを観覧者へ競売にかけるから」「え !? 助ける……のではなく ? 」 これは椎名には意外だったようだ。「だってその方がケイの酷い顔が拝めそうじゃん ? 写真とか年に一回送ってくれないかなぁ〜」「……そういう事ですか。福田はどうされますか ? 」「誰か別の部下に任せて。病院の前にでも捨てて来なよ」「はい」 途切れ途切れの意識の中の会話。 蛍はもう終わりの時を迎えようとしていた。
「春樹さんは ? 死にたいって、思った事ない ? 」「そりゃあ、もちろんあるよ。 でももう言わない」 蛍は焦っていた。 春樹は頑なに自殺願望を否定するばかり。なにかの強迫観念か、それともカウンセリングによる思考制御によるものか。とにかく春樹は『死の願望』を口にするとは思えない様子である。「俺ね。ずっと引きこもりでさ。その時は自分はこのまま生きていくんだ……って、親に甘えてた。ほんとにね、甘えだったんだよ」 驚く事に春樹は、本来隠したいはずの過去の自分の話を、高校生の蛍に告白するほどの余裕があった。「確かに鬱気味で病院にも通ってた。でも、本当の自分を分かってるのは自分だけだし」 だがこれは高校生に対しての、見栄であった。自分は大人であり、悟った人間なのだというマウント。 しかし蛍には春樹が余裕にしているように見えるのだ。「精神病院に行ったからって、仕事貰えるわけじゃないし。いつまでもグズグズしてられないなってさ。 そもそも本当は、誰だって仕事なんかしたくないものさ」「えぇ〜 !? 大人なのに ? 」 変える。 作戦を『煽り』へ。「大人なのに働かないって……僕ですらアルバイトはしてるのに。 じゃあ春樹さん、クズ人間じゃん ? 」 春樹を指差し、ケラケラと笑って見せる。「そうだよね。君の言う通り。って言うか、もうバイトしてるんだ、偉いよ。 俺、馬鹿でさぁ。その馬鹿に気付いたのは、いよいよ親が亡くなった時だったよ。急だったから、俺……どうしていいか分からないし、金も無いし……。 情けないことにそれまで気付けなかったんだ」「親が亡くなったら、余計頑張らないといけないんじゃないの ? お金無いのに今までなんで無職だったの ? 」「頑張り方なんて分から
梅乃が手にしたスタンドカメラは、梅乃の部下が置いたものだ。準備段階の際に、どうしてもドア付近のコンクリート壁に機械類を取り付けられず、一台だけ妥協でスタンドに切り替えた物だった。 勿論、主催からも確認済みである。 途中で取り上げられることは無いだろう。「てめぇ。福田 一夫…… ? 五百万の福田 一夫か ? 」「ふぇ !? 」「五百万借りて、てめぇ幾らまで膨らんでると思ってんだ !! 」「え !? あなたは !? えぇ !? 」「ありゃわたしの金って事だよ。 さぁ、覚悟すんだな」 スタンドの三脚部分を掴むと、思い切り振り落とす。 ガッ !! ゴッ !! ガッ !! 「アヒャァーーーーッ !! 」 容赦。手加減。 これが梅乃にあるはずが無い。「ゆっくり味わえよ !! うぉらァ !! 」 スタンドで殴りつけ、蹴り飛ばし、逃げようと四つん這いになった福田の脹ら脛めがけ、一本目を突き刺した。「ぎゃぁぁあああああああっ !! 」 一番細い棒だ。 飛び散る程の出血では無いが、刺さりやすく床にまで達した。「あ、あぐぅ !! 」「そのくらいじゃ死なねぇよ。 こりゃあいい。ゆ〜くり拷問してやるよ。もう返済なんていらねぇからよ」 拷問。 しかし、これには無理があると福田は気付かなかった。 もし梅乃がカタギじゃないにしても、拷問目的で福田を連れて来たのならば、道具が無さすぎる。刃物や水の類だ。 更に先に起きたのは福田で、梅乃も最初混乱していた様子を見ていたはずだ。 しかし、その違和感に福田は気付けなかった。その上、ここまでの痛みを受けると最早手遅れだ。福田はそんなことまで気が回らないだろう。 梅乃は二本目を取り出すと福田に命じる。「服脱げ。全部 ! 」「ひ、ひぃ……痛い ! 痛い〜 ! 」「遅せぇよ !! 全部脱げ !! 抜いてやるよ、この刺さってる邪魔なやつ ! 」 梅乃は脹ら脛に刺さっている棒を、ローファーの靴底で前後にグニグニと踏みにじり傷口を広げる。「ふぎゃー !! やめてやめてやめてやめてやめてやめて !! んぎゃーーーーーーっ !! 」「オラァ ! 」 その床にまで達していた棒を、わざと乱暴に、斜めに蹴り落とす。 勢いよく抜けた棒は高く飛ぶと、弧を描いて床に落ちた。 カンッ……
蛍は春樹が起きると、自身をパニックに陥った様に見せた。「落ち着いたかい ? 」「うん」 春樹に背を摩られ、ようやく獲物との会話が始まる。「蛍君は今、夏休み ? 」「う、うん。そうなんだ。春樹さんは ? 」「はは、社会人はお盆だけで夏休みなんかないよ。俺はまだいいけど、この辺りは飲食店なんかが多い観光地だし。かき入れ時だよね……えーと……あれ ? 俺。今『この辺りは』って言ったけれど、どこなんだここ」「窓がないし、分からないね……僕は西湊市からきたんだ」「西湊 !? 俺のアパートは北湊の海岸沿いだよ ? もしかしたら全然違う場所に連れて来られたのかも。何が目的なんだ……。俺たちは面識もないし」 ここから仕掛ける。 蛍の策。「……。 でも、僕……家に帰れなくてもいいんだ」「…… ? 何を言ってるの ? 普通じゃないよ、この状況は。親御さんも心配するでしょ ? 」 蛍は顔を上げると、今にも泣き出しそうな瞳で春樹を見上げた。「心配なんか、されてないよ。僕っ、お父さんにいつも怒られるんだ。……学校でも上手くいってないし……。家には帰りたくない……。 お父さんはいつも僕を殴るから……怖いんだ。 今日も、何も言わずに出てきた事になるから、絶対殴られるもん ! 」「それって……」 春樹が蛍の側頭部のたん瘤を眺める。痛々しい打撲痕。そう古い傷でも無いし、父親の常習性が伺えると思った。そう思い込まされてしまった。 春樹の両親は既に他界している。 蛍は、春樹を『引きこもりの
数分後、スミスのイヤホンに指示が入る。 数台あるうちの一台のモニターを付ける。 画面の向こうは、恐らく観覧者の部屋だ。舞台があり、袖から颯爽とルキが姿を現す。『会員の皆様。この度、我々主催の観覧会にお集まりいただき感謝いたします。 実は真実を申しますと、僕が一番望んでいたかもしれません、今回のゲームを ! 』 くすくす………ざわざわ…… しばらくルキの挨拶が続く。 酒が入って、いい気分になった頃合いの観覧者達。大いに盛り上がっているようだ。 皆がルキを見上げ、上品にグラスを傾ける。百人は居ようかという観覧者の中、ルキが進行を続ける。『今回のゲームは、前回の生存者 涼川 蛍と、クラスメイトながら涼川家から金目的に詐欺を仕掛けようとした悪徳業者の山王寺ホールディングス、その組織のマフィアのボス 山王寺 梅乃の勝負となります ! 』 これをモニターで見た蛍は驚いてスミスを見上げる。「はぁ !? 他の参加者とか無し ? 今回は俺と梅乃 !? 」「蛍さん、静かに。ルールの説明があります」 スミスになだめられ、一度踏みとどまる。『それでは二人の様子をご覧下さい ! 』「え……っ ! ちょっ」 ルキのそばにあったモニターに蛍の姿が写ったが、一瞬しか確認できなかった。 スミスが蛍側のモニターを切ったのだ。「それでは、ゲームの説明をいたします」「……そういう事かよ……」 ここからは観覧者に観られている、ということだ。 しかし蛍はどんどん自分の中にある何かが、冷えていくのを感じていた。 もう後には引けない。 ルキに負けを予想されているのも面白くないことだった。「山王寺 梅乃さんは興奮しやすいため、このまま後ろにあるコンテナに入っていただきます。
船の中は狭い廊下にゴツいパーツ。 豪華さなど何も無い質素な空間だった。「観覧者って、金持ちなんだろ ? こんな雑な場所に来んの ? 」「お客様はこっちだよ」 ルキが甲板へ向かう。 積み重なったコンテナの中の一つを開ける。 暗幕があり、手の甲でソッと隙間を作る。 無数の人影が見えた。「うわ……なんか、いかにもって感じの部屋……」「外からじゃ全然分からなかったでしょ。ホールがあって、その外周をコンテナで囲んである」 中はまだ薄暗く、窓のない密室とは思えないほど広い。上流階級の夜会のような高貴な空間と、ドレスを着込んだ大人達。趣味のいいフレグランスの香りに混じり、アルコールと煙草の臭いが混じり合っている。床は絨毯張りで、天井も高く、小さなシャンデリアが幾つも連なってギラギラ輝いていた。 そして、正面に大きなスクリーンが二張あった。 まだ何も写ってはいないが、恐らく自分はこのスクリーンで観覧されるのだろうと理解した。「あんたもここにいるの ? 」 暗幕を元に戻すと、ルキは首を横に振る。「最初と最後に顔は出すけど、殆どこのフロアにはいないよ」 一度外に出ると、船の上の船員の居住空間を指す。「あそこが俺がいるところ。一番高い部分。裏の部屋から繋がってるんだ。 船の中にもコンテナはビッチリ。その中でケイがゲームするんだよ」 零れた一つの情報。 ビッチリ積んだコンテナ船の中。 ゲームをする為に自分は何処かに詰められる。だとしたら、それは恐らくそのコンテナの中なんだろうという事。 蛍はホール外周にあるコンテナをそっと触る。 金属質で外からも内側からも破壊は出来ないだろう。勿論、外側からしか開かない。 密室ゲームだ。 何かをなさなければクリア出来ないゲーム。「俺は負けないよ」「勿論。期待してる」 蛍のぎらつく様な欲望と勝利への確信