エレベーターのドアが開いた瞬間、大きなどよめきと喝采が沸いた。
蛍と美果は自分たちに向けられた視線と歓声に度肝を抜かれていた。 今までのイベントと確実に違う場の空気。 観覧者の姿が見える。相変わらずマスク着用だが、明るい会場の照明では肌の質まで分かるほど近い距離感。「おい ! 俺はお前に賭けたぞ蛍 ! 」
「ミカ !! ミカもいるわよ !? 」
会場にひしめき合う円卓の合間を縫って、ウェイター役の黒服が料理を運ぶ。コック帽を被っている男は隅に鉄板を置き、上質そうな肉を客前で斬ってみせる。煙に反応しない会場。エレベーターの重量もそうだが、建築のあれこれは違法状態なのだろう。
観覧者達の顔触れをしっかり見るのは蛍も美果も初めてだった。
マスクの隙間から見える目元や唇。どの人間も普通に見えた。 ドレスも上質な生地だが派手でもなく品があり、マスクを外しても厳つい反社会的な顔付きはしていないだろう。蛍と美果の入った檻は、ステージ中央に並べられた。
その隣にもう一つ。同じ檻があった。 蛍は前を向いたまま、その中で拘束着を着せられた椎名に呟いた。「……何それ。ハンニバルのコスプレ ? 」
「…………黙れ」
奥にいた坂下刑事は檻の隅で立ち尽くし、理解不能な表情で観覧者を見つめていた。
「く……こんなっ ! こんな馬鹿な事あるわけが無い ! 」
自己暗示をかけ続ける坂下刑事を、椎名と蛍は冷たく無視を決め込む。
「ふーん。椎名、あいつと組むの ? 不安だね」
「俺にそんな揺さぶりは効かないぞ」
「そうかな ? ルキのやつ、坂下を生かして帰らせる気は無いんじゃない ? だとしたら、一緒に組むあんたは負け確じゃん。
一体、何やったんだ ? 」「……ルキ様の……ただの思
「蛍よぉ〜、俺はおめぇに賭けてたのにぃ〜」 蛍のスピードは衰えない。「おじさん。そのサラダいらないならドレッシング頂戴」「うぐぅ〜 ! 持ってけ〜 ! どうにでもなれだ ! 」 ドレッシングの油分が喉越しを助け、柑橘風味のバルサミコ酢の酸味が馨しい。ドレッシングを大量にかけ、胃の毛髪ごと酢で溶かし細くする策だ。やらないよりいいだろう。「酸っぱくないの ? 」 美果が不思議そうに尋ねる。「酸っぱいけど……整髪料の味よりマシ」「まぁ……。大丈夫ならいいけど……」「もう終わる」「うそ !? 」 蛍がフォークに巻き付けた毛の束を、ナイフでギコギコと切っていく。「ケイの勝利か ! それとも ! ……って、もう〜。坂下さん ? 早く食べてね ! 」 ルキの無茶難題にも、坂下のナイフはピクりとも動かなかった。「うぅ……こんな ! こんな事をするために !! 警官になった訳じゃない !! あぁぁぁっ !! 」 どれだけ泣いても、誰の心にも響かない。 闇組織と繋がっている警官は、どこの国にも存在し、紙より薄い信用。 前列で見ていた椿希は、腹立たしい様子で伯父のそれを見守っていた。「終わりました」 蛍が挙手。 負け確定。「あらら、早っ……。 勝者、坂下椎名ペアに決定です !! 」 会場から伝わる『いまいち』と言う不満気な空気に、ルキは危機感を覚える。しかし今回は椎名の忠誠心の確認でもある。同時に蛍と美果の人気もなかなか評価出来るものに仕上がってきている。 椎名は拘束椅子から開放されると、すぐさま新しく拾われた闇医者の元へ運び込まれた。「負けじゃねぇか !! おい蛍 ! 俺は二度とおめぇに賭けねぇよ ! 」
美果の言葉にルキはクスりと笑う。「これは俺のゲームで、俺がルール。ケイは自分を犠牲にして、負けてもいいから二人仲良く生きて帰る事を選んだ。俺のルールを逆手にとった作戦勝ちってところだよ」「はぁ !? ちょ……そうなの !? ケイくん ! 負けてどうすんのよ !! 内臓とか、ヤバくないの !!? 」 蛍は切り分けた髪で、皿に残ったトマトソースを丁寧に絡めている。「平気。あとから少し吐けばいいし」「いやいや ! わたしの毛量 ! どんだけあると思ってんのよぉ〜っ ! 」 蛍にとって毛髪を食するのは初めてじゃない。流石にこの量は尋常ではないが、多少は一般人より胃が経験している。 だが美果のヘアスタイルは、肩下まである長いスパイラルパーマ。胃腸の若さも鑑みれば、早期に取り除かないとならないだろう。 蛍自身の髪でないことは明白で、医者に行ったら探られる。 それはルキも望まないことではある。「それはそうなんだよね。新しい医者も手配しなきゃだし、俺も手間かかるよ。俺だって好きで了承した訳じゃないんだよ ? 自分のルールの不備かもね。 何もさぁ、すぐに負ける気なら、髪にしなけりゃいいのにね。美果ちゃんも指の一本くらい文句言わないでしょ ? 」「美果にそれはさせない」「ケイくん……」 蛍は美果の芸術に対しての情熱を知っている。絵描きに必要なものは手指だけでは無い。見聞を広げるため何かを観る目や耳も。または風景を描きに遠くへ行ける満足な足腰も。まだまだ必要なのだ。それを諦めさせたくない。 そして何より第一は、自分のスケッチブックの秘密。 それを守り通している美果に対して出来る、蛍なりの精一杯の恩返しだった。「……っ。食べた……。早く次のカード取れよ」 蛍はナイフとフォークを台に揃えると、ルキの進行を待つ。その顔色に変化は無い。多少、食べにくそうにはしているも
「それではわたしの手札をオープンします」 蛍手札メモ『5↓』、坂下手札メモ『10↑』。 ルキ 手札オープン。『Q』。12 ! 蛍 減点8。坂下 減点4。 ゲームは3ゲーム目。既に会場のボルテージは最高潮に達していた。 拘束椅子と更に右腕を固定された椎名が苦悶の表情で歯を食いしばっている。腕の肉は3分の1を失っている状態だった。 それを四方から取り囲むカメラ。会場の巨大なスクリーンに、それぞれの顔や切断面が写し出されている。 その中でも観覧者の目を引いたのは、咽び泣きながら椎名の右腕に歯を立てる坂下の姿である。「ひうっ…… !! うぅ〜うぅ〜 ! 」「食えー !! 」「bumbling cop〜 ! 」 野次の飛び交う中、坂下は感触の変化に更に青覚める。「ふぐっ……あ、あがぁっ ! がっ…… ! 」 骨だ。 このゲームにおいて、部位を選ぶプレイヤーの坂下が、真っ先に考えなければならなかった事。 骨を如何にして食いちぎるかだ。 少しずつ齧ってどうにかなる訳も無く、ひたすらに歯を立て続ける。先に置かれていたテーブルナイフを使うことも試して見たが、まさか人骨が切れる程では無い。齧ってはナイフで摩擦し、また齧っては諦める事を繰り返す。「一口分だよ ! さぁさぁ、しっかり齧って下さいね ! 」「うぅ…… !! ギギギ…… ! 」 食いちぎった肉の断面から吹き出す鮮血。顔にビチャビチャと浴び続けた坂下のスーツは、ジャケットからワイシャツまで真っ赤に染まっていた。 椎名はナプキンを咥え、ひたすらに激痛に耐える。朦朧とする意識を何とか保とうとするが、人はそう頑丈では無い。「がぁっ……んぁぁぁっ !! うぐぐぅ〜〜〜っ !! 」 下がってい
観覧者達は立ち上がると、興味津々で檻に群がってきた。「椎名よぉ〜。あんた運営側だろ ? なんで檻に入ったんだぁ ? 」「美果さぁん。あなたのような若い子が痛がる姿が、わたくし一番好きなの ! いい声で鳴いてね ! 」「蛍 ! 涼川 蛍 ! 俺はおめぇに賭けてんだぞ !! 」 蛍の熱烈な中年ファンは別として、全て外国語の会話だ。 騒がしい言葉の渦。蛍と美果には雰囲気しか伝わっていないが、少しの英語を聞き取った坂下は小さく震えていた。「し、椎名ってのお前だろ ? 俺を羽目てんじゃねぇだろな ? なんで側近が俺と組んでんだよ ? 」 坂下からすれば当然の質問である。 椎名はそのままの表情で呟いた。「俺は主人の躾を受けに来ただけだ。あんたと『組んだ』等と思っていない。勝手にやって、勝手に食ってくれ」 蛍はこの言葉に確信する。 椎名は初めから欠損上等でゲームに挑む気だと。 坂下は椎名の言葉に顔を顰めると、今度は全く動じていない蛍と美果を眺めた。「お前らもだ ! どうなってんだ葬儀屋 !! イカれてやがる !! 」 恐怖。震えが止まらない程の不安。 坂下は黒服が檻の机にのったナイフとフォークを見てまた嘔吐く。 何とか別のことを考えようと視線を観覧者へ向ける。 一度明るくなった会場。 食事はイカれた場所で口にするとは思えないほど上品そうで、こんな状況でも無ければ食べたいと思っただろう。女性陣はチークルームに向かう者も多く、空席が目立つ 人のまばらになったその会場で、坂下の見知った顔が一人紛れていた。「な、なんで…… !!? お前…… !! おい !! 」 坂下に声をかけられ、渋々檻に近付いてきたのは坂下 椿希だった。 この姿には蛍も驚く。「椿希 !!? 」「よ ! けい君。 なんかぁ、あのルキ ? って奴 ? あいつから招待受け
一方、隣りチームは初体面同士の刑事と反社だ。当然、馴染む訳もなく。「お、俺が…… !? き、斬られるのか !? 」 坂下が鉄格子を背に張り付き、ソワソワと椎名から距離を取る。椎名は顔色一つ変えずにルキを見つめていた。 蛍は焦る。 椎名にとって、坂下がどうなろうと知ったことでは無いはずだと。寧ろルキを知る刑事など、いない方が都合が良いはずなのだ。 だが、椎名は側近だったはずなのに、何故かここに叩き出されて来ている。椎名の口振りからして、おめおめ負けて帰るつもりは無いだろう。 どちらにしても、一般人の自分たちには厳しいゲームだ。「美果……やっぱり俺が……」「ダメよ」『自分がペナルティー側になる』と言いそうになった蛍を美果は遮った。「わたしがペナルティー受ける。ケイくん。こてんぱんにやっちゃって ! 」「……でも、美果は絵描きだろ ? 」「そんときゃ足でも口でも使って描き続けるわよ。 わたしは、ケイくんの……分かるでしょ ? それはわたしが困るの」 美果はなんとしてでも蛍の絵の存続を望んでいる。その為に承諾してここへ来たのだ。 そんな事情を知らない観覧者達は奇声を上げ、二人を冷やかし手を叩いて笑い転げていた。「…………分かった。やるよ。赤の紙、書くよ ?」「ええ。いいわ ! 」 蛍がペンを走らせ、封筒に赤い紙を戻す。決まった。ペナルティを受けるのは美果。今日彼女は身体の一部を失う。「さあ、椎名さん。あんたも選びなよ。坂下刑事が斬られんの ? あんたが斬られんの ? 」 檻の背後からようやく拘束着を解かれた椎名は、腕や肩を擦りながら軽くストレッチをして答える。「この俺が恐怖を覚えるとでも ? 既にこの身体を
黒服が用意された台の上のセットをスクリーンに映す。 ゲームで使う物。 メモ紙、封筒、ペン、ナイフとフォーク。そして離れたところにトランプ。 黒服が一人現れ、蛍達参加者にはルール説明が記載された用紙が配布された。「それでは皆様にルール説明をいたします。 まず各檻の二人を『プレイヤーになる者』と『ペナルティーを受ける者』に分かれて貰います。これは二人で相談して決めて貰いましょう。 わたくしがハイローの『親』をします。 プレイヤーの『子』は檻の中で、手元のメモに1〜13までの数字を書き、更に親のカードより上か下かを↑↓で当てて頂きます。 highかlawかだけでなく、数字も当てる仕様です。 次に得点の計算方法です。 親が『6』の時、プレイヤーが『3↑』と予想した場合を例にします。 まずプレイヤーはこの場合↑Highを選択しましたので、ハイローは負けになり1点の減点になります。 更に親のカードの数字『6』から、子が予想した数字の『3』を引き、差分の3と言う数字も減点とします。この例題では合計4点の減点となります。 親が『2』、プレイヤーが『2↓』の場合、同じ数字は減点無しです。↑HIGH 、 LOW↓のペナルティーだけ減点です。この場合も減点です。 もしプレイヤーがピッタリを当てに来たい場合、↑↓ではなく、『=』と記入して頂きます。ただし=を使用し、負けた場合、減点は2点、当たればペナルティー無し」 蛍と美果、坂下と椎名はそれぞれ説明用紙を見つめ、頭に叩き込んでいく。 紙にはより詳しく書いてはあるが、明確にルールは違わないようだ。 親が『5』、子が『12↑』の場合、差分だけがペナルティーとなる。 親は観覧者にトランプが新品であることを確認してもらい、数人にシャッフルして貰い山場から引く。「プレイヤーは1〜13までの数字を選んで、ルキの引いたトランプの数より上↑か下↓か、もしくは同じ=かをメモに書くだけか」「ハイアンドローでしょ ? 別に数字の差分なんて出す必要無くない ? 」 外れた数字の差分が減点