冷たい扉がガシャリと閉まる。
美果は一度深呼吸をし部屋を観察すると、梅乃と同じくカメラスタンドを手にした。構造の理解力が早いのか、手早く分解していく。
「この女性は確か……涼川 蛍と同期で参加した者でしたな」
「芸大生よね ? 」
これに観覧者達は期待にざわめいた。
美果はまずカメラの一番長い支柱を選び、早苗を床に転がしてスカートを捲りあげる。下着を脱がせ、自分の身に付けていたシャツを裂き脚を開いて固定する。
次に、分解したスタンドのバリを見つけると、それを使いマットレスの布を綺麗に剥いで行く。 一枚の白い布。 これを器用に折りたたみ穴を開け、外したカメラのコードで縫うように成型し、何とか白衣を作り出す。襟まである精密なものでは無いが、小学生の給食着のような簡素なスタイル程度にまで寄せていった。ブラジャーのストラップを外し左右繋げ、ウエストにベルトとして巻き付けることで縫い目になった布部分を重ねて隠す。スレンダーな体型が幸いしたようで、布は足りた。 更に余り素材の中から細い支柱二本を見つけると、それを交差させる。マットレスの針金で中心部を捻り、ハサミのような物を作り出す。スパイラルパーマのかかった髪を綺麗に纏め直し、残りの素材を折り畳んだマットレスの上に神経質なほど真っ直ぐ並べて行く。
やがて早苗が目を覚ました──美果の「研究員だ」と言う嘘を信じてしまった。常連の観覧者は皆分かっていた。
パニックになった者はすぐに目の前にあるものを信じてしまう。そして会話の出来る存在だと分かると、必ず生き残る手段を交渉してくるのだ。□
「う……ん……。あなた…… ?
!!? な、何これ ! ここは…… ? どこなの !? 」目を覚ました水沢 早苗は予想通り取り乱し、命乞い混じりに泣き喚いた。
蛍たちと別れた後、結々花はまっすぐ美果をアパートまで送り届けていた。 結々花の車の中、美果は目の前にある自室に着いてからも別れの挨拶を返さない運転席の結々花を覗き込む。「結々花さん ? 」「ねぇ、美果ちゃん。 中野みたいな男に靡かない、強いあなたが好きだわ」「えっ !? はぁ……。ど、どうしました ? 急に」「美果ちゃんはさ。ケイくんを助けたいけど、ルキをわたしがどうしようと関係無いよわよね ? 」「ええ。それは勿論」 結々花は小さく微笑むと、エンジンを止めて美果に向き直る。「美果ちゃん、わたしの組織に興味は無い ? 勿論、それなりに訓練はしてもらうけど……まだ二十歳でしょ ? 大学卒業からでも十分間に合うし……」「ゆ、結々花さん。待って ! わたしにそんな気はありません、わたし絵描きですよ ? 」「美果ちゃん、それもカモフラージュとしてとてもいいわ。留学してフランスで絵を学ぶとかどうかしら ? 」 突然の申し出に美果も困惑してしまう。「あの……結々花さんってICPOでしょ ? わたし、警察官になるほどの体力とか無いし、英語もままならないのに……。一般の警察官がなるものじゃないんでしょ ? 」「仏の本部に推薦するわ」「いえ……そういう問題じゃなくて……。そもそも警察にはなれませんよ。体力無いですし、警視庁にいても一握りのエリートじゃないですか」「そうよね。急に言われても困るわよね。 でも、わたしも諦め悪いから付き合ってね♡」「え……えぇ…… ? 」 ルキまで短期間で踏み込んだ美果の手腕を買っての事だったが、美果からすればクズのようなゲームの狂気だけが繋いだ間柄だ。
「だから ? 殺しと性欲は同じだ。色恋なんかいらない」「別に何も。俺は止めたりしないって言ったろ ? 望み通りにするさ。ほら、脱いでごらん」 ルキはケイの下部を剥き出しにすると、自分の露出したものを合わせて手に包む。「エアコン付けないと暑いんじゃ……んぁ、 そんなとこ……一緒に擦るなよ…… ! 」「せっかくの血が乾く前に、俺にも分けてよ。ね ? 全部混ざって気持ちいいだろ ? 」「お前……っ ! 動か……すな」 ルキの手の中。二匹の淫らな蛇がしごかれる。その上、ルキの腰は手の中でもゆっくり動き、二つの刺激に蛍は悶え息が上がる。「こんなケイを見せられちゃ……俺も我慢は出来ないよ」「う……むっ」 深く。 息を吹き込む様に口付けを交わす。 溢れた二人分の体液で蛍のものをするすると愛撫しながら、ルキの視線がふと犯行現場に向く。暗闇に目が慣れて、人体が重なるように路上に積もっているのが車内からでも分かる。「ふふ……通行人が来て、あの現場に反応するのも見てから帰りたいね……」「っ……この車こそ、見られて大丈夫なのか ? 」「俺が証拠の一つ消せないとでも ? 」「ああ。あんた、そう言う奴だったな……あっ……」 首筋に這うルキのピアス。「はぁ……っ、あっ……あぁ……っ」 蛍は躊躇いなく吐息を漏らし、煽る様にルキの背に手を回す。「……ん……んぅ。わっ、うくっ ! 舐め回すなよ、くすぐったい ! 早くしろよっ」 車内に響く蛍の震えた声と、ルキの立てるリップノイズ。「……ふふ」 血と臓物の匂いの中、二人は赤く染まりながら互いの肌を合わせていく。 蛍がルキの肩に力を入れると、ルキはそれに答えるように後部座席へと蛍を連れ込んだ。上下逆になった蛍が、ルキの反り立った部分を口に含む。 小さな舌が淫らに動くのを見ると、ルキは容赦なく蛍の髪を掴み、思い切り自分に押し付ける。「ング
まず蛍が笑顔で集団に近寄ると、グループのリーダー格に手を伸ばす。恐らくあれが中野なのだろう。 人懐こく笑顔で中野を見上げる蛍の手を、ヘラヘラとその手を握った。次の瞬間、思いがけない電撃に、中野が苦悶の表情で仰け反った。 蛍の身体が揺らぐ。 中野の腹を蛍のナイフが横に滑っていた。ボロボロとホースのような物体が地面に落ちる頃、隣にいた女の髪を掴み、素早く首を掻っ切った。「う、うわぁぁぁっ !! 」 ようやく悲鳴が車まで届いたが、蛍のナイフは既に逃げようとした別な男の背を捉え、立ちすくんでしまった最後の女にも容赦無く襲いかかった。 一瞬だ。 蛍は倒れ込んだ四人を見下ろすと、念入りに全員の首をしっかりと斬り付け、確実に致命傷を与えて戻って来た。「ちょっとケイ〜。その格好で俺のゴーストに乗るつもり ? 」「知らないよあんたの車なんて」 全身に血を浴びて戻ってきた蛍に、ルキは高揚感を抑えられなかった 。「まだまだ殺人鬼として蛍は未発達だ」と思ったからだ。「一撃で殺しきってしまうなんて……勿体無い事するなぁ〜」「今日は殺れればいい」 ぐしょぐしょのグローブをリュックに詰め込み、ナイフをシャツの裾で拭う。顔から靴まで生臭い血に塗れた蛍を見たルキは運転席から蛍に抱きつく。 ルキが見慣れた人殺し──蛍は殺し屋にとても近しい。手早く、痕跡を残さない殺人。蛍は自身の『趣味趣向での殺人』も犯すが、今のルキに見せたのは作業的なものだった。欲望のセーブが出来る上に、金や地位では買収出来ない自己世界が強い殺戮者。「ケイ〜♡」「……いや。どっか行くんだろ ? ……行けよ早く。運転しろ」 突然絡みついてきたルキに蛍が顔を背ける。「無理じゃん。こんな姿見せられたらさぁ。それに、初めから俺を誘ってたろ ? 」「誘ったのはゲームだけだよ」「ふーん ? そうなの ? 」 ルキは素っ気なく窓の外を見る蛍の上に、スルリと跨った。「はぁっ !? なんだよいきな
ずっとやり取りを聞いていたケイがタブレットから顔を上げた。「美果、そいつ。どういう奴なの ? 」 珍しく蛍が美果に交友関係を聞き出した。「え ? どういうって……中野 祐介っていう奴で……。あれね。『なんで芸大に来たのか ??? 』ってイメージの男だったわ。 どうして ? 気になるの ? 」「だって美果に交際申し込むとか、絶対マトモじゃないし」「ブフっ !! 」「ちょっと ! ケイ君、酷っ !! そんな事ないわよ ! ってかルキ ! あんた笑ったわね !? 」「ごめんごめん、ケイに同感過ぎてさぁ」「ったく !! ほんとにアンタにだけは言われたくない ! 中野は一応、皆に一目置かれてるのよ。南湊市のデザイン会社は両親が経営してるらしいの。既に『絵』のレールが確定してる男よ。芸大にいる全員が芸術を仕事にできる訳じゃない。だからそういう交友関係には敏感に反応しちゃうのかもね。取り巻きが多いわ」「南湊のデザイン会社って、美術館の建築にも関わった会社よね ? 確か建築の方が妻の実家だ〜とかで」「ええ。社長夫人はパッケージデザイン会社で、夫婦揃って創作的。経営は波に乗ってるし、中野は実家から通学で、大金持ってうろついてるらしいです」「ふーん」「金持ちのデザイン会社ねぇ。いいじゃない、玉の輿よ ! 美果ちゃん、なんで断ったの ? 」 結々花の問いに、美果は唇をウィッと曲げる。「中野が下戸だからよ」「「「あぁ〜…………」」」 居合わせた三人全員が呆れた溜息を吐いた。熊のように改造しようがあっても、下戸は体質的なものだ。最初から縁のない仲なのだ。「さてと ! 」 ルキは頃合を見計らい、手をポンと膝に付ける。「報告も済んだし。これでお開きかな」「そうね。美果ちゃん、アパートまで送るわ。 ルキくん、明日から通常業務に戻るわね」「ああ。ご苦労様。 美果ちゃんも気をつけて」「……
全国ニュースを読み上げる番組が終わり、16時ジャスト。爽やかなメロディと共にローカルニュースへ切り替わる。キャスターの挨拶が終わると早速始まった。『続報です。六月十五日 正午過ぎに、西湊市の芸術大学の駐車場で女性が拉致された事件です。防犯カメラに映っていた被害者女性が昨夜、警察に保護されました』 ここでカメラが切り替わる。 美果が誘拐される瞬間の映像が映し出された。『被害女性は緑星市に住む、29歳の臨時講師で、たまたま当日は大学へ出勤しており、退勤時に車へ乗せられたという事で……『交際していた男性に借金があった』『知人の代理と名乗る男に車に乗るよう脅迫された』という旨を話しており、自力で逃げてきた所を交番で保護されました。尚、怪我は無く、命にも別状はないとの事です。引き続き、警察が詳しく調べています。 続いて、地元小学校の学習発表会に知事が訪れ、賑わいを──』 全員、タブレットから顔を上げる。「随分アナログなアフターフォローだけど。29歳……なら、流石に美果だとは思わないかな」「大丈夫。こっちもあるわよ」 結々花がタブレットを動画サイトに切り替える。「今回作ったアカウントよ。投稿時間を過去に細工するのが一番大変な作業だったわ。 これ、被害者女性が交番に駆け込んだ瞬間の動画よ」 映し出された動画は、知らない男がラーメンをハフハフと啜っているだけだった。動画名には『ラーメン超査 ガン』と書いてある。そして男は店を出ると、看板の前で食べた感想や味の種類を、知った風な口調でベラベラ語り始めた。 その背後。件の交番が写っていた。「あ、来た」 交番の入口に、美果が着ていたチュニックと同じ服装の女性がフラフラと入って行った。「これだけ ? このチャンネル、観てる人どのくらいなの ? こんなんで気付かれるものなの ? 」「勿論、畳み掛けたわよ」「ラーメン配信者はルキくんの黒服さんにお願いしたの。こっちは別なチャンネル」 次に映った動画は
蛍は自分の鞄を抱えたルキの背を見る。 何度見ても細い。肩幅は標準だが、その腰にコルセットがあると思うと信じられない気持ちになった。「武装……してるんだよな ? 」「はは。急に何 ? ケイ。もう俺を脱がせたくなっちゃったの ? 」「……そういう話じゃない……」 押し黙る蛍を見て、ルキもパカっと開いた口を閉じ微笑んだ。ルキから見下ろした蛍は、やけに従順で、ちょこちょこと傍に付いて来る子鳥のようだった。ルキは静かに目を細めて、会話を続けた。「俺の装備が気になるかい ? 」「まぁね。普段は護衛もいるだろ ? そんな量を持ってなくても……一本で十分なんじゃないの ? 」 以前、コルセットに蛍が触れた際、すぐに分かるほど分厚く、鋭利なものが凸凹と並んでいた。決して身軽な物では無い。 二人は獣医を出ると歩道を歩く。絡みつくような温いビル風。ルキのシャツの香りを、蛍の鼻腔へ芳しく運ぶ。 しかし町の空気を感じる間もなく、すぐ横のコインパーキングへ入ることとなる。「その話も、後からゆっくりね ? 」 一台のワゴンと高級外車が停まっていた。ワゴンの前にはスミスが立っていて、二人を待っていた様だ。こんな時でもスミスは大柄な体型に似合わない程に、礼儀正しく直立していた。そして側にいた蛍を見ると、ぎこちない笑顔で挨拶を口にする。「涼川 蛍さん。今回も生き残りおめでとうございます」「あ……いえ……はい」 突然のスミスの言葉に、蛍は意外だと思いながらアーモンド色の瞳を見上げた。流暢な日本語。椎名がルキを盲信しているのとは違い、スミスはビジネスとして完璧な側近だと言い切れるだろう。「ルキ様のお連れである貴方に物申す立場ではありませんが……。側近としましては、ルキ様をゲームに巻き込むのは、やめていただきたい。……あのノコを