「洗脳……。連れていかれるって、どこに? そもそも、かくれんぼサークルは、かくれんぼをするサークルじゃないのか?」
晴翔の驚きが混じった問いかけに真野が俯いた。
「かくれんぼサークルは、かくれんぼもするけど、実際は、合コンメイン、みたいな集まりで。WOのための出会いの場みたいな、サークルなんです」
真野がぽつりぽつりと話し始めた。
「公にしないのは、第二の性を隠したがってる人が多いのも、あるけど。ヤリ目OKでセフレを探している奴とかもいるから、らしくて」
真野が言いづらそうに話す。
その辺りまでなら、理玖的には許容範囲だと思う。
WOのフェロモンが薬より性交で安定するのは、講義でも話した。生態を理解してセフレになってくれる相手がいるなら、助かるのも事実だ。
(onlyとotherだけじゃなく、normalも受け入れているのは、そういう訳か)
フェロモンを安定させるためだけの性交なら、相手はnormalでも問題ない。
あれだけonlyとotherが多く在籍しているサークルだ。真野の話は意外でもない。
「けど、かくれんぼサークルは表向きにはWOについて、何も触れていないだろ。入ってから知ったの? そもそも、かくれんぼサークルには、何をきっかけに入ったんだ?」
晴翔の顔を見上げた真野が、ぐっと口を噤んだ。
何かに怯えているような顔だ。
「この場で君に聞いた話を、僕たちは誰にも話さない。真野君の名前も漏らさない。だから、安心して話していいよ」
理玖の言葉に晴翔が頷いて、真野を見詰める。
サークルの内部事情や紹介元は、恐らく口止めされているんだろう。これだけ秘密を堅持しているサークルなら、頷ける。
真野が戸惑い
「onlyとotherが互いにaffectionフェロモンを感知しあい影響しあわなければ、onlyのSMホルモンは分泌されない。時間をかけてじっくりと妊娠できる身体が出来上がるんだ。だから愛情が育まれるんだ。好き合った同士が子供を作るのは、WOだけじゃない」 理玖は積木を睨み上げた。「君の思想には微塵も賛同できない。君の理論は根本から、間違っている!」 理玖は力いっぱい積木の体を押し返した。 初めて積木の体が動いた。その腹を、力の限りグーで殴った。「ぅぐっ……」 思わぬ声が聞こえて、理玖は顔を上げた。 人を殴ったことなんかないから、俯いてしまったが。 理玖から少し離れた場所で、積木が倒れていた。「え? ……え?」 教壇に頭を強打したらしい積木は気を失ったようだ。 目の前に佐藤満流が立っている。 理玖が積木を殴った瞬間、確かに佐藤が積木を蹴り飛ばした、ように見えた。「向井先生は貞操を狙われるのが好きだねぇ。十歳近く下の子に良いようにされちゃ、ダメでしょ」 佐藤が理玖を横目に笑った。 状況がわからな過ぎて、脳が追い付かない。 何故、佐藤がここにいるのか。積木を蹴り飛ばしたのか。理玖を守ってくれたのか。 理解できな過ぎて、体が震え出した。 足がガクガクと震えて、理玖はその場にしゃがみこんだ。「座り込んでる場合じゃないよ、向井センセ。大事な助手君を助けたいなら、早く研究室に戻りなよ」「助手君、て……。晴翔君に、何か、あった?」 積木の意識を確認しながら、佐藤がその体を乱暴に床に寝かせる。 理玖
「どうしてそこまでして、僕らをspouseにする必要があったんだ? onlyとotherがspouseになっても、本人たち以外に得する人間はいないはずだ。それともWOの人口を増やすために、僕に空咲君の子を孕ませたかった?」 基本はonlyからしか、WOの性を持つ人間は産まれない。例外的にnormal同士のカップルや、normalとotherのカップルから時々、産まれる程度だ。 WOの大多数を、妊娠が難しいonlyが産むのだから、数が少なくて当然だ。 積木の笑んだ表情が変わらないまま、理玖の腕を掴む手に力が籠った。「先生は、何もわかっていない。この程度の話じゃ、向井先生と空咲さんの価値はわかってもらえない。だから、俺と一緒に来てもらえませんか?」 疑問形で問いながら、掴んだ腕が理玖を離さないと断言している。 掴まれた腕を引きながら、理玖はまた後ろに下がった。「ここまでの話で十分理解できた。僕は君の理想を理解し得ない。どんな思想に囚われようと勝手だけど、他人を巻き込むのは良くない。現に僕は、とても迷惑している」「でも、嬉しかったでしょ。空咲さんとspouseになれて」 何も言い返せなくて、理玖は唇を噛んだ。 積木が理玖の肩を押す。思い切り、壁に押し付けられた。「俺のサポートがなかったら、二人はすれ違ったまま、spouseどころか互いの気持ちにすら、気が付かなかったかもしれませんよ。俺たちは、そういうonlyやotherを一組でも減らしたいんです」 両腕を押さえつけられて、体を体で押さえつけられる。 理玖より背が高くガタイが良い積木に体重を掛けられると、身動きが取れない。「俺、たち……?」「onlyとotherを増やすためにspouseを一組でも多く生み出す、spouse以外のonl
パワポの画面を閉じて、理玖は学生に向き直った。「今日も質問が多かったですね。皆が熱心で嬉しいけど、小テストの時間がとれなかったから、各自回答して次回の講義で提出してください」 学生が手を上げた。「この小テストは、成績に関係ありますか?」 なるほど、気になる部分だろうと思った。「成績には関係ありません。でも、皆の出来が良いと僕は嬉しいから、次の講義をもっと面白くできるかも。だから、頑張って」 クスクスと小さな笑いが起きて、何となくほっこりした。 ちょうど終礼のチャイムが鳴った。「では、今日の講義はここまで。次回は今日の続きと、onlyとotherの生態について、最新の研究を含めて深堀していきます」 学生が席を立って講堂を出ていく。 理玖の視線は積木に向いた。友人と談笑しながら勉強道具を片付ける積木は、いつも講義に出席している時と様子が変わらなく感じた。 何となくPCや資料を片付けながら、理玖は講堂の出入り口を眺めた。(片付けも来るって言っていたのに、晴翔君、遅いな) 今までは一人で全部片付けて研究室まで持って帰っていたわけだから、出来ないわけではないのだが。 今日は積木に声を掛けるという一大イベントがある。(他の仕事が入ったのかな。だったら、僕だけで積木君に声を掛けてみようかな) 積木が座っていた席に目をやる。 すでに姿がない。 理玖は講堂を見渡した。(ほんの少し、目を離しただけなのに。何処へ……)「向井先生、手伝いましょうか?」
「もっと、正直になっていいって、教えてもらったから。好きに振舞っていいんだって。だから、空咲さんに、思い切って伝えてみようと思って」 照れたようにはにかんで、白石が顔を上げた。 その目に、ゾクリと背筋が寒くなった。 一見、普通の表情に見えるが、その目は明らかに真面ではない。 何かに毒されている人間の目だ。正気の目ではない。「正直って、どういう……」 ジワリ、と腹の辺りが熱くなる。 シャツに小さな赤い染みが見えた。「なんだ……、何か、した……?」 白石を振り返る。その手には注射器が握られていた。(まさか、WO用の興奮剤?) 気が付いた途端に、ドクリと心臓が大きく揺れた。 脈がどんどん速くなって、汗が噴き出す。 視界がグラついて立っていられない。膝から力が抜けて、その場に崩れ落ちた。「空咲さん、興奮してきた? otherの空咲さんなら、onlyの俺を襲ってくれるよね? spouseになっても薬で興奮を煽れば、襲いたくなるでしょ?」 白石の言葉が遠くに聴こえる。 頭の中でグルグルと回る。「はっ……、はぁ、はぁ、……ぁっ」 意志とは関係なく発情して、勝手に股間が熱を持ち硬くなる。 そんな晴翔を白石が嬉しそうに眺めていた。「その薬、どこから……、誰に、渡された……?」 晴翔の問いかけには答えずに、白石が座り込む晴翔に顔を寄せた。 薄い唇が重なって、舌が晴翔の下唇を舐め上げる。 粘膜が敏感に震えて、余計に股間が熱くなった。「空咲さん、興奮してくれてる。俺のキスで感じてくれてる。ねぇ、俺を抱いて」 体を寄せて、白石の手が晴翔の股間に伸びた。 指が触れるだけで快楽の刺激が背中を抜ける。体がビクリと大きく震えた。「入学してからずっと、好きだったんだ。遠くから見ているしかできなかったけど。我慢しなくていいって、onlyとotherは繋がるべきだって。俺たちは至高の存在だから、相
講堂に理玖を残して、晴翔は研究室に戻った。 スマホを確認しても、真野から連絡は来ていない。(今、メッセ入れても、真野君も講義を受けてるかな。でも念のため、聞いておこう) 積木大和から真野に連絡がなかったか、確認のメッセをしながら、第一研究棟二階の廊下を走る。「國好さん、栗花落さん!」 二階の理玖の研究室前に立っている警備員二人に声を掛けた。「第三学生棟五階の大講堂で理玖さ……、向井先生が講義中なんですが、警備に付いてもらえませんか」 息を切らして走ってきた晴翔を眺めて、國好と栗花落が顔を見合わせた。「わかりました。俺が……」 「俺が行ってきますよ。空咲さんは、この後も部屋でお仕事でしょ? 二人とも空ける訳にはいかないんで」 笑顔で手を上げると、栗花落が小走りに学生棟に向かった。「何か、ありましたか?」 國好が冷静に晴翔に問う。 その疑問は、御尤もだと思う。しかし、説明に困る。「何かあった訳では、ないんですが。何かあったら嫌だから」 國好が晴翔をじっと見詰める。「わかりました。俺はこのフロアを警備していますので、何かありそうなら、声を掛けてください」 國好が目を逸らした。「ありそうな予感、でもいいので、声を掛けてください」 晴翔は國好をぼんやり見詰めた。 夜間警備で一緒の時も、滅多に冗談を言わない、口数の少ない人だ。 國好から出た言葉が、意外だった。「ありがとう、ございます……」 小さく頭を下げて、晴翔は部屋に入った。 自分のデスクのPCを開く。 職員用のページから、学生の受講履歴を調べ始めた。今日の理玖の講義なら、始業時の学生証のタッチは既に反映されているはずだ。「内分泌内科WO 向井理玖……、深津君はタッチしてないな。……積木君も、出席してない……?」 始業時の学生証のタッチを忘れたのだろうか。 深津は姿がなかったから当然にしても、確
何となく甘々な心持で講堂に入った理玖と晴翔の気持ちが切り替わったのは、同時だったと思う。理玖も晴翔も同じ場所に目が釘付けになっていたから。 講堂の最前列、講師に一番近い席に、積木大和が座っていた。 呆然と固まっている理玖の肩を押して、晴翔が耳元で囁いた。「いつも通り、講義をしましょう。講義中、俺は中にいられないけど、講義終わりに、また来ます。その時、積木君を掴まえて、話を聞きましょう」 晴翔の言葉に何とか頷く。 PCの設置を始めた晴翔に次いで、理玖は小テストと資料を紙袋から取り出した。(どうして、積木君が……。いや、無事だったんだ。良かったじゃないか) 真野からは何も連絡がなかった。 事務側でもまだ折笠に心当たりを当たってもらっている段階の筈だ。(だったら、深津君は。深津君も出席しているだろうか) 真野と話した後に、深津祐里の顔写真と履修科目を確認した。内分泌内科WOの講義を、深津祐里も選択していた。 今日の講義にも、多くの学生が参加している。 広い講堂は学生が集まりつつあり、既に五十人以上はいそうな雰囲気だ。 一度、顔写真を確認した程度の学生を、理玖が見付けられるはずがない。「今のところ、深津君はいなそうです。出欠の確認は講義中に俺がしておきますから。向井先生は講義に集中してください」 学生には見えないように教壇に隠れて晴翔が理玖の手を握る。 速かった鼓動が幾分か、戻った気がした。「ありがとう。集中、するね」 動揺すると思考が停止して、普段出来ることまで出来なくなってしまうのが、理玖の昔からの悪癖だ。 晴翔が握ってくれた手を握り