INICIAR SESIÓNUTAHARA MODEL OFFICE。夜。応接スペース。テーブルの上には、一通の封筒が置かれていた。白い封筒。上質な紙。金色の箔押し。中央に刻まれている名前。NORDI COLLECTION TOKYO。良太は何度目か分からないほど、その文字を見ていた。彩も隣に座っている。そして。誰にも見えない場所には、レイラが立っていた。静かな夜だった。だが。三人とも分かっている。今日という日が。この事務所にとっての転換点になることを。良太は封筒から書類を取り出した。もう内容は読んだ。それでも。もう一度確認する。RE:CODE MODE CONTEST。NORDI COLLECTION TOKYO特別選抜枠。参加資格。招待事務所よりモデル一名を選出。ヘアメイク。スタイリスト。衣装提供。スポンサー。演出。自由編成。モデル単体ではない。チーム戦。ノルディらしいルールだった。良太は小さく息を吐いた。「彩」「はい」彩が顔を上げる。良太は書類を指差した。「出るなら大変だぞ」彩は黙って聞いた。良太は続ける。「モデルだけじゃない」「ヘアメイク」「スタイリスト」「衣装」「スポンサー」「演出」「全部必要らしい」書類を閉じる。「つまり」一拍。「チームを作れってことだ」彩も頷いた。理解していた。良太は少し考える。そして。真面目な顔になる。「お金もかかると思う」彩は黙る。良太は続けた。「事務所はある」「運営資金もある」「でも」一拍。「元を辿れば彩のお金だ」彩は小さく頷いた。歌原レイラが遺した資産。事務所設立。各種契約。運営費。それらを支払った今でも。まだ四億円台後半が残っている。良太は彩を見る。「だから」「俺は勝手に決めない」彩が顔を上げる。「出るかどうか」「彩が決めろ」部屋が静かになる。良太はもう一度、参加要項へ目を落とした。開催日程。年齢欄。出場条件。そこを見て、少しだけ眉をひそめる。「開催の頃には、十六歳か」彩が見る。「はい」良太は書類を見たまま言った。「世界大会って」一拍。「そのくらいの年齢でも出るものなのか?」彩はすぐには答えられなかった。業界のことを、知っているわけではない。自分がまだ高校生であるこ
1207号室。昼過ぎ。窓の外は晴れていた。静かな午後だった。良太はノートパソコンを開いている。法人用メール。契約書。請求書。やることは増えていた。少し前まで無職だった男とは思えない量だった。それでも。不思議と嫌ではなかった。彩はソファに座っている。学校帰り。制服姿。テーブルには麦茶。スマートフォンを眺めていた。その時だった。「え?」彩が小さく声を上げる。良太が顔を上げる。「どうした?」「ニュースです」「ニュース?」彩はスマホを見せた。速報。大きな文字。【NORDI緊急会見】その瞬間。良太の表情が変わった。「ノルディ?」彩が驚く。「知ってるんですか?」「いや」良太は苦笑した。「服なんて全然分からない俺でも知ってる」一拍。「世界一有名なファッションの人だろ」レイラが少し笑う。「だいたい合ってるわ」良太はリモコンを取る。テレビをつける。ニュース番組。速報テロップ。スタジオのキャスターも興奮していた。「ただいま、アレッサンドロ・ノルディ氏による緊急会見が始まりました」映像が切り替わる。海外。巨大な会見ホール。無数のカメラ。世界中のメディア。フラッシュ。ざわめき。中央の壇上。一人の男が座っていた。白髪。端正なスーツ。静かな威圧感。誰も騒がない。誰も口を挟まない。ただ一人の言葉を待っている。アレッサンドロ・ノルディ。ファッション界の帝王。五大コレクションの一つ。NORDI COLLECTION創設者。彼が動けば市場が動く。ブランドが動く。世界が動く。その男が。静かにマイクを取った。会場が完全に静まる。そして。最初の言葉は。誰も予想していなかった。「まず最初に」通訳が続く。「歌原レイラについて、お話しさせてください」部屋の空気が止まる。彩も。良太も。テレビを見る。レイラだけが黙っていた。ノルディは少しだけ視線を落とす。そして続ける。「歌原レイラは特別でした」会場は静かだった。「彼女は美しかったから特別だったのではありません」「有名だったからでもありません」「技術があったからでもありません」一拍。「彼女は、チームだったのです」彩が小さく息を呑む。ノルディは続ける。「ヘアメイク」「スタイリスト」
展示会終了後。 会場の照明が一つずつ落ちていく。 人の流れも減っていた。 搬出準備。 撤収作業。 スタッフたちが慌ただしく動く。 その中で。 Atelier SAKUMAだけが静かだった。 佐久間圭介は椅子に座っている。 何もしていない。 いや。 出来なかった。 スマートフォンを見ていた。 画面にはメール。 一件。 また一件。 さらに一件。 商談依頼。 サンプル確認依頼。 発注相談。 展示会では何度も名刺交換した。 だが。 それだけだと思っていた。 いつもそうだったから。 名刺だけ交換して終わる。 その場だけ盛り上がって終わる。 期待して。 何も起きない。 そんな経験を何度もしてきた。 だから。 まだ信じられなかった。 スマホが震える。 またメール。 佐久間は画面を見る。 しばらく動けなかった。 十年前。 小さなアパート。 二人暮らし。 まだ子どもはいない。 テーブルにはノート。 デザイン画。 生地見本。 そして。 退職届。 華がそれを見ていた。 「本当に辞めるの?」 佐久間は頷く。 「やってみたいんだ」 華は聞く。 「儲かるの?」 佐久間は黙る。 そして。 正直に答えた。 「分からない」 華は少し笑った。 「分からないんだ」 「うん」 沈黙。 しばらく考える。 そして。 華は言った。 「じゃあやってみなよ」 佐久間が顔を上げる。 華は笑った。 「今しか出来ないでしょ」 現在。 スマホが震える。 商談希望。 佐久間は目を閉じた。 息を吐く。 まだ信じられない。 五年前。 工場。 電話。 「申し訳ありません」 担当者の声。 「この数量では難しいです」 佐久間は頭を下げる。 電話越しに。 何度も。 「お願いします」 「お願いします」 それでも駄目だった。 電話が切れる。 机の上。 請求書。 通帳。 残高。 ため息。 帰宅。 玄関。 華が迎える。 「どうだった?」 佐久間は靴を脱ぐ。 「駄目だった」
展示会会場。 昼過ぎ。 人の流れは途切れない。 ブランドの説明。 商談。 名刺交換。 笑顔。 評価。 数字。 その中を。 良太と彩は歩いていた。 「すごいな」 良太が周囲を見回す。 「全部服の展示会なんだよな」 彩も静かに頷く。 学校帰りでは見られない世界だった。 服を作る人。 売る人。 選ぶ人。 着る人。 その全部が集まっている。 彩は一つ一つのブースを見ていた。 有名ブランド。 大手メーカー。 海外インポート。 整然と並ぶ服。 完成されたブース。 どれも綺麗だった。 だから。 彩の足は止まらなかった。 ただ見ていく。 その時だった。 彩が立ち止まる。 良太も止まる。 「どうした?」 彩は答えない。 視線の先。 会場の隅。 小さなブース。 Atelier SAKUMA。 並んでいるのは。 ジャケット。 コート。 シャツ。 どれも派手ではない。 ブランド名も知らない。 けれど。 彩は動かなかった。 その瞬間。 レイラが小さく呟く。 「……あら」 《何だ?》 レイラは服を見る。 一拍。 「面白い服」 さらに数秒。 「ハンガーで損してる」 《分かるのか?》 「分かるわよ」 少し笑う。 「だって私」 「こういう服で仕事してきたもの」 彩は小さく呟く。 「この服」 一拍。 「着てみたいです」 良太が服を見る。 正直。 よく分からない。 綺麗な服だとは思う。 だが。 それ以上は分からない。 彩だけが。 何かを見ていた。 その時。 ブースの奥から男が出てきた。 佐久間圭介。 一瞬。 彩を見る。 そして。 奏の言葉が蘇る。 ――あの人が着たら。 ――服、起きると思います。 佐久間は思わず息を止めた。 同じ人だった。 奏が指差した少女。 「えっと……」 佐久間は迷う。 こういうことは慣れていない。 営業も苦手。 声を掛けるのも苦手。 それでも。 言わずにいられなかった。 「もしよかったら」 良太が振り向く。
展示会会場。 開場前日。 巨大なホールの中では各ブランドが準備を進めていた。 照明が組まれる。 ラックが運ばれる。 スタッフが走る。 有名ブランドのブースには人が集まっている。 スポンサー。 バイヤー。 スタイリスト。 メディア。 人の流れが絶えない。 一方で。 会場の隅。 Atelier SAKUMA。 佐久間圭介は一人で作業していた。 段ボールを運ぶ。 ハンガーラックを組み立てる。 服を並べる。 値札を確認する。 誰も手伝わない。 人を雇う余裕がない。 慣れていた。 こういう準備には。 その頃。 1207号室。 良太はノートパソコンを閉じた。 「来場申請終わった」 彩が顔を上げる。 「ありがとうございます」 送信完了。 展示会来場者一覧へ登録される。 歌原彩。 展示会の来場者一覧に。 その名前は静かに追加された。 明日。 初めて見る大規模展示会。 彩は少しだけ緊張していた。 良太は立ち上がる。 「まあ見学だしな」 「気楽に行こう」 彩は小さく笑った。 「はい」 二人とも知らない。 その展示会で。 一着の服との出会いが待っていることを。 ―――――――――― 翌日。 展示会、初日。 「先生、次どこ行きます?」 若いスタッフが声をかける。 桐島誠司は資料を閉じた。 「全部見る」 四十八歳。 業界トップクラスのスタイリスト。 その後ろを若手たちが追う。 最後尾。 高梨奏。 二十二歳。 スタイリストアシスタント。 黒を基調とした服装。 フリル。 レース。 控えめなゴスロリファッション。 仕事中でも好みは隠さない。 けれど仕事には持ち込まない。 資料を抱えて歩いていた。 有名ブランドを回る。 評価。 感想。 市場予測。 桐島は迷わない。 一目で判断する。 若手たちは必死にメモを取る。 その途中。 奏がおずおずと手を挙げた。 「すみません」 桐島が振り向く。 「何だ」 奏は少し言いづらそうに指を差す。 会場の反対側。 黒と白のフリルが並ぶブース。 ゴスロリブランド。 「ちょっと見てきてもいいですか」 桐島は数秒黙った。 そしてため息を吐く。 「好きだな」 奏は黙って頷く。 否定しない。 できない。
放課後。歌原彩はマンションのエレベーターを降りた。十二階の廊下。 見慣れた1207号室へ向かう。その途中で足が少しだけ止まる。 玄関の向こうから、いい匂いがしていた。醤油。出汁。煮物の甘い香り。学校帰りの空腹を思い出させる匂いだった。彩は小さく息を吸う。少しだけ表情が緩む。鍵を開ける。「ただいま」玄関の向こうから声が返ってきた。「おかえりなさい」キッチンにはエプロン姿の女性がいた。五十代前半。栄養士資格を持つ家政婦の三浦和代。平日の昼間に訪れ、掃除や洗濯、作り置きの食事管理を担当している。コンロの火は止まっている。夕食の仕込みは終わっていた。キッチンにはまだ温かい料理の香りが残っている。「今日は早かったですね」「部活がなかったので」「それは良かったです」和代は冷蔵庫を閉める。「夕食は一番上です」彩が覗き込む。付箋が貼られていた。『鶏肉と野菜の煮物』『今日は体育があったので少し多めです』その隣。『良太さんの分もあります』彩が少し笑う。「ありがとうございます」「最近あの人、ちゃんと昼食べてるか怪しいので」和代も笑った。「だから少し多めにしておきました」 和代は鞄を持つ。 「それじゃあ失礼します」 「ありがとうございました」 玄関まで見送る。 ドアが閉まる。 部屋が静かになる。 彩はしばらく玄関に立っていた。 その向こう。 リビングでは与那嶺良太がノートパソコンを開いている。 レイラはソファの背もたれに腰掛けていた。 もちろん彩には見えない。 彩は制服のままキッチンへ向かう。 冷蔵庫を開く。 綺麗に並んだ保存容器。 食材。 付箋。 少し考える。 「良太さん」 「ん?」 「家政婦さんって、本当に必要ですか?」 良太が顔を上げる。 「何が?」 「私ならできます」「掃除も洗濯も」「料理も覚えればできますし」「お金もかかります」 良太は数秒黙った。 それから苦笑する。「いや、それ俺に言われてもなあ」「え?」「決めたの俺じゃないし」 彩が首を傾げる。「レイラが――」 そこで止まる。「あ」 しまった。 という顔。 ソファの背もたれでレイラが額を押さえる。(頭おかしい人だと思われたいの?) 良太は咳