淤加美が懐から宝石を取り出した。蒼愛が作った不完全な色彩の宝石だ。
「月詠見に借りたのだけれど、蒼愛が作った宝石を、使ってもいいかな?」
「はい、勿論です。けど、まだきっと完璧ではなくて」蒼愛は紅優を見上げた。
「俺の左目が戻って番として完全な絆を結べないと、充分な強度の色彩の宝石は造れないようなんです」
「でも、紅優の左目を戻しちゃったら、臍を守る宝石がなくなっちゃうから」紅優と蒼愛の話を聞いて、淤加美が頷いた。
「なら、ちょうどいいね」
蒼愛は首を傾げた。
「犯人を釣る餌さ。現行犯で捕縛したら、言い逃れできないからね? そういう状況を作るのに、この宝石はちょうどいいよ」
月詠見の言葉に、蒼愛はまたも首を傾げる。
「次の寄合で、この玉を本物と偽り神々に加護を与えてもらう。紅優の左目に代えて社に祀る。不完全とはいえ、一時的な強度としては充分だ。本物を作るまでの間くらいなら持つだろう。色彩の宝石さえあれば、紅優の目は戻せるからね」
淤加美が爽やかに笑んだ。
月詠見が蒼愛に問う。「改めて聞くけど。完全な番になれば、蒼愛は完璧な色彩の宝石が作れそうかい?」
月詠見の確認は、淤加美に聞かせるための最終確認なんだと思った。
「多分、できると思います。左目が戻ってから、紅優にいっぱい妖力を送ってもらえば」
具体的に何が足りないのかは、実のところよくわからない。
だが、何かが欠けていると感じる。 それはきっと、紅優の中の何かだと感じていた。「いっぱい……」
日美子の呟きに、蒼愛の顔は火を噴きそうなほど熱くなった。
「ちがっ、その、貰い方はいろいろあるから」
慌てる蒼愛の頭を、日美子が嬉しそうに撫でる。
「いっぱい送ってもらってる間でも、本物を作っている間でもいいけど、その間に犯人に偽物を盗んでもらおう。現場を抑える警備を敷かないとね」
淤加美が、とても良い笑顔で蒼愛を眺めている。
「蒼玉の蒼愛は、元より火、水、風、土の属性を扱える術者だったそうだ。日と暗の加護を受ける紅優と番になったことで、六属性を得て、蒼愛自身が色彩の宝石になった。溢れるほどの霊力量が、一人でも宝石の霊現化を可能にしたんだ」 淤加美の説明に、神々が宝石と蒼愛を交互に見詰めた。「じゃぁ、紅優の左目で代用する必要は、もうねぇのか。この色彩の宝石に俺らが加護を与えて社に祀れば、瑞穂国は完全な状態になれる」 確かめるように話す火産霊は、未だに信じられない顔をしている。「強度の確認は必要では? 祀ってすぐに砕けたのでは意味がない。たったの一つしかないのなら、尚更です」 志那津の言葉に、淤加美がいくつかの玉を出して見せた。「これは練習で作った不完全な色彩の宝石だよ。蒼愛は何度でも宝石を作れる。一日に、二つくらいはできるかな?」 淤加美の問いかけに、蒼愛は考え込んだ。「只作るだけなら、三つくらいはできると思います。強度とか色々考えるなら、減っちゃうと思いますけど……」 紅優が蒼愛の肩に、そっと触れた。(余計なコト、話しちゃった。詳しい話は、ここではしちゃいけないんだった) 慌てて口を閉じる。 突然、須勢理に手を握られた。「すごい! 蒼愛ちゃん、凄いね! 可愛いだけじゃなくて、優秀! ますます仲良くなりたーい!」 頬にキスをされそうになって、紅優が慌てて蒼愛の体を後ろに引いた。「須勢理様、蒼愛は俺の番です。そういう行為は、おやめください」 「えー、紅優ちゃんて、人間みたーい。ちょっとキスするくらい、よくない?」 「お控えください」 同じ言葉を繰り返して、紅優が蒼愛を腕に抱いた。 その姿を見て、須勢理がクスリと笑んだ。「大好きなんだねぇ、蒼愛ちゃんのこと。前の番は忘れちゃった? 大昔の話だもんねぇ」 紅優が、あからさまに顔色を変えた。「普通は番って一人だけど、紅優ちゃんの場合は二人目だもんね。また間違って殺しちゃわないように気を付けてね」 紅優
「そろそろ、くだらない話は終わりにしませんか。大事な報告が、まだ済んでいないでしょう」 ずっと黙っていた若い男性が口を開いた。 人間で言うなら、二十歳前後、もう少し若いだろうか。 すっきりした涼しい顔の、いわゆるイケメンだと思った。 細身の体と色素が薄い感じが、冷たい印象を与える。 無表情だから、余計に氷のような印象になるなと思った。「慌てるモノではないよ、志那津。君も二人に名乗ってあげなさい」 淤加美に促されて、男性があからさまに顔をしかめた。「風ノ神、:志那津(しなつ)。君らとは特に関わりがない神だ。俺の宮には来なくていいよ」 蒼愛をちらりと眺めた志那津が、あからさまに嫌そうな顔で目を逸らした。(睨まれた、よね。初めて会うのに、嫌われてるみたい。そっか、嫌われるって、こんな感じなんだ) 何故、敵意を向けられているのかはわからないが、あまり気分の良いモノではないと思った。(けど、無関心に無視されたり、ゴミ扱いされるよりは、ずっとマシな気がする) それに何故か、志那津に対して悪い感情は生まれなかった。「確かに大事な報告がまだだねぇ。その前に聞きたい話があるんだけど。あ、俺は暗ノ神の月詠見。隣に座ってるのが日ノ神の日美子だよ。神々の中で唯一の番だ」 紅優と蒼愛は振り返り、月詠見と日美子に礼をした。 日と暗の加護を既に受けている事実は、秘密にする段取りだ。 何日も一緒に過ごしているのに初対面の振りをするのは違和感があって、顔がぎこちなくなりそうだった。「皆、蒼愛の質について知っているの? 誰に聞いたのかな? 俺と日美子はついさっき、淤加美に聞いて初めて知ったんだけど。その前には、どの神とも淤加美は会っていないだろ?」 月詠見が探るような目を全体に向けた。「そうだね。話したのは月詠見と日美子だけだ。志那津がいう大事な報告とは、その話だろう?」 淤加美の問いに、志那津が頷いた。「蒼愛の質って、色彩の宝石かもしれねぇってやつだろ。わざわざ蛇が報せに
しばらくして、淤加美と月詠見、日美子の三柱の神は、先に広間に向かった。 蒼愛と紅優は黒曜の先導で、声が掛かってから広間に入る段取りだ。「とんでもねぇ話になっちまったなぁ」 黒曜が気の毒そうな眼差しを蒼愛に向けた。「俺ぁ、紅優と蒼愛が幸せに暮らせりゃ、それで良いと思ってたんだが。色彩の宝石じゃ、そうはいかねぇのかねぇ」 黒曜のぼやきは、紅優と蒼愛の幸せを本気で願ってくれているのだと感じ取れた。「蒼愛の質を考えたら、いずれは今の状況になっていた。通らなきゃならない道だと思ってるよ」 紅優の静かな声には決意を感じた。(日ノ宮で月詠見様に話を振られた時や水ノ宮では迷ってる感じだったけど、紅優は気持ちを決めたんだ) 蒼愛が色彩の宝石である以上、窃盗犯が野放しになっている現状は、決して安全ではない。 紅優が言うように、いずれはこの状況になっていた。「僕は、紅優と幸せに暮らしたい。だから、僕も頑張る。二人で幸せを探せる毎日が送れるように、ちゃんと解決しよう」 握っていた紅優の手を更に強く握った。「二人で生きるこれからを考えたら、きっとあっという間の時間だよ」 紅優が微笑みかけてくれた。「俺にぁ、もうすっかり幸せそうな二人に見えるぜ。番になって、良かったな。何かありゃ、俺にもちゃんと頼れよ」 黒曜が頭を撫でてくれて、照れ臭いけど嬉しくなった。 小さな白い竜が扉をすり抜けて入ってきた。 黒曜の肩に触れると水の飛沫になって弾けた。「淤加美様からお呼び出しだ。じゃ、行くとしますかね。二人が幸せでいるための試練の始まりだ」 控えの間の扉が開く。 互いに手を握り直して、蒼愛と紅優は大広間に向かった。 大広間の扉が開くと、光が視界を遮った。 目を開けると、目の前に淤加美がいた。 ゆっくり辺りを見回す。 広い座敷に、六柱の神々が車座に坐している。 神々の中央に、蒼愛と紅優は立っていた。
「やぁ、早かったね。良かったよ」 案の定、月詠見と日美子が待ち構えていた。 月詠見に会う時は、こういうパターンなんだなと、蒼愛は理解した。「御披露目の前に打ち合わせをしようと提案したのは、月詠見だろう。他の神々は、まだ来ていないかな」 どうやら月詠見と淤加美の間では、決まっていた打ち合わせらしい。 淤加美に問い掛けられた黒曜が、気まずい顔をした。「土ノ神、:須勢理(すぜり)様は既にお見えですぜ。御披露目の前に庭園の花の鑑賞と手入れがしたいとかで、お庭にいらっしゃいますよ」 黒曜が淤加美に向かい頭を下げる。「熱心だよねぇ。よっぽど:花|が気になるみたいだよ。黒曜が、かなり質問攻めにされたんだよね」 月詠見の目が、ちらりと黒曜に向いた。「蒼愛の蒼玉について、色彩の宝石ではないかと疑っているようでしたね。直接的な質問はされませんでしたが、あの様子だと、どこからか情報を得ているんじゃぁねぇかと」 心臓が、ざわりと鳴った。 隣に立つ紅優が手を握ってくれた。「やはり、蛇々でしょうか」 紅優の短い問いに、淤加美が考える様子で黙った。「他に洩れる可能性がねぇよなぁ。それに、須勢理様だけじゃねぇんですよ。昨日、お会いした火産霊様からも似たような質問をされましてね。須勢理様ほどしつこくはありませんでしたが、もしかすると一部には噂が広まっているのやもしれませんぜ」 黒曜の話に、怖さを感じた。 蛇々が紅優の屋敷を襲撃してきたのは、約一月前だ。 あの襲撃で、蒼愛は初めて霊能を使った。あの時、蒼玉の質を見抜かれていた可能性はある。 だが、あの時点では紅優と番になっていないから、色彩の宝石の質は出ていなかったはずだ。「紅優の屋敷の結界は並の妖怪では破れないだろ。それでも蛇々は入り込めるんだね」「探りを入れられてた可能性はある、か」 日美子と月詠見の言葉に、背筋が寒くなった。 番になった後の、黒曜との会話などを聞かれていたら、バレていても不思議ではない。
淤加美の授業から二日の後、御披露目の日がやってきた。 日付の段取りや通達は総て淤加美が取り計らってくれたのだが、寄合の日と合わせたらしい。 水ノ宮に留まっている蒼愛と紅優は、淤加美の巫女たちに身支度から準備されていた。「なかなか似合っているよ、二人とも。やはり蒼玉の蒼愛には藍の着物が良く似合う」 整えた髪をなぞって、耳を撫でられた。 今日は蒼愛も紅優も藍色を主にした着物に藤色の羽織を着ていた。 足元にかけて藍から藤へのグラデーションが施された着物と藤の羽織の調和が美しい。 落ち着いた色味ながら流水の地紋が入っていて、御披露目には向いた着物なのだそうだ。「紅優も、思ったより私好みの着物が似合うね。いっそ紅優にも水の加護を与えようか?」「流石にそれは、:火産霊(ほむすび)様に申し訳が立ちませんので」 困った顔をする紅優に、淤加美が愉快そうに笑った。「冗談だよ。着物くらいじゃ火産霊は怒ったりしないだろうけど、加護を与えたりしたら怒り狂いそうだからね」「このように立派な着物を誂えていただきまして、ありがとうございます」 頭を下げようとする紅優の顔を、淤加美が両手で包み込んだ。「この際だから、はっきり言っておくけれどね。私は以前からお前を気に入っているんだよ。今は蒼愛の次だけれどね。蒼玉の番になったのだから、紅優も私のモノだ。忘れないようにね」「……え?」 紅優が本気で驚いている。疑いを隠しようもない声だ。 蒼愛としては、あまり意外でもなかった。 淤加美の加護を何度も受けている蒼愛は、その気持ちも感じ取っていたから。「紅優を手に入れる良い口実ができたよ。ねぇ、蒼愛」 同意を求められて、蒼愛は苦笑いするしかなかった。「有難いお言葉とは思いますが、このタイミングで念を押しますか」 何とも言えない顔をして、紅優が零した。「このタイミングだからだよ。いつでも私に頼りなさい、という話だ」 淤加美の笑みが色を変えた
「番になると、妖怪は食事が必要なくなる。それって、とっても大事な気がするんです。クイナがどんな気持ちでこの国を作ったのか、色彩の宝石を作ったのかわかれば、人間と妖怪はもっと、今より良い関係になれるんじゃないかって、思って」 自分の中に在る考えや思いを上手く言葉に出来なくて、もどかしい。 顔を上げたら、月詠見に頭を撫でられた。「そうか、そうか。蒼愛はやっぱり賢いな。賢いし、優しいね。どうして蒼愛が色彩の宝石なのか、わかった気がするよ」 賢いという言葉の後には、決まって不穏な言葉が続くのに、今日の月詠見の言葉は全部優しかった。「クイナがどんな気持ちだったのか、私にも仔細はわからない。けれど、良い国にするために力を貸してほしいと頼まれたのは事実だよ。人間と妖怪が、理を崩さずに、良い距離感で生きられるようにと、この幽世ができたんだ」「理を崩さずに……」 淤加美の言葉は難しくて蒼愛には充分には理解できなかった。 けれど、とても大事な話なんだと感じた。「もし興味があるのなら、書庫の本を読んでみるかい? この国の歴史や成り立ちが書かれた本や、この国に住む妖怪について書いてある本もある。蒼愛が知りたい真理が見つかるかもしれないよ」「良いんですか! 読みたいです!」 淤加美の提案に、蒼愛は一も二もなく食いついた。「あ……、でも僕、まだ読めない漢字も沢山あって。難しい本は、読めないと思います」「俺が一緒に読むから、大丈夫だよ。漢字の勉強にもなるよ」 紅優がくれた提案で、しゅんと丸まった背中が、ぴんと伸びた。「本当? 紅優、ありがとう。本が読めるのも漢字を覚えられるのも、すごく嬉しい」 まだ読んだことがない本を読めるのは、蒼愛にとって何よりの贅沢だ。 紅優の屋敷の書庫で、芯と本を読んでいた時も、とても楽しかった。 淤加美の書庫に行くのが楽しみで、とてもワクワクした。「蒼愛が本を読める時間を作ろうね。ただし、試練も受けてもらうよ。まずは神々への御披露目だ」