LOGIN世界がゾンビと異常災害に呑まれ、人類が三十日後に滅亡する未来を知る蓼丸灰乃は、一度目の死から〈サバイバル・レジデンス〉出現初日へ巻き戻る。前世で自分を餌にして生き延びた元夫とその家族を今度こそ切り捨て、部屋の強化と物資確保へ走る灰乃が引き当てたのは、終末前の安っぽい広告を見るだけでコインや希少アイテムを得られる異常権能〈広告恩寵〉だった。だが、強くなるほど住民は奪い合い、ステージは残酷さを増し、救助も安全地帯も存在しない。最上位プレイヤー・縵谷玄理との謎のバインドだけが、死へ傾く灰乃の運命を変え始める。これは世界を救う物語ではない。滅亡する世界で、自分の命を他人に渡さない女の二度目の終末記録。
View More世界が崩壊を始めるのは午後1時13分。
空が1度だけ白く明滅し、世界中のスマートフォン、街頭モニター、電車内ディスプレイ、テレビ、カーナビへ同一の文字列が表示される。
〈SURVIVAL RESIDENCEへようこそ〉
その瞬間、一部の集合住宅、ホテル、病院、学校、商業施設が異常空間へ取り込まれ、選ばれた人間の目前へ個人用の〈居室〉が生成される。
選ばれなかった者に部屋は与えられない。
政府高官でも、乳児でも、医師でも、資産家でも例外はない。
部屋を持たない人間は、感染者、異常気象、都市崩落、食料不足、プレイヤーによる略奪に直接晒される。
システムは1度も「30日間耐えれば救われる」と告知しない。それでも人間たちは勝手に、30日間を生き延びれば救助される、ゲームをクリアすれば元の世界へ帰れる、どこかに安全地帯があると信じ始める。
だが、ステージを突破した先にあるのは、さらに死亡率の高い新しいステージだけである。
世界地図から都市が1つずつ消える。
国別チャットから言語が1つずつ消える。
人工衛星からの映像も途切れていく。
それでもシステムは毎朝6時、何事もないように通知する。
〈本日も快適なサバイバル生活をお楽しみください〉
画面右上には常に〈人類残存数〉が表示される。
数字は増えない。
ただ減り続ける。
終末開始時点で法的な婚姻関係または同一世帯として登録されているプレイヤーには、個人居室とは別に〈世帯リンク〉が発生する。
世帯リンクへ所属した家族は、初期段階に限り、食料、水、回復物資、緊急避難権など一部の生存リソースを共同化できる。
一見すれば家族を守るための救済制度に見える。
しかし世帯主には〈構成員切離し権〉が与えられている。
家族1人を世帯リンクから切り離した場合、その人物は家族共有倉庫、共同回復、緊急避難、代理入室などの権限を失う。
その一方で、切離し以前に家族倉庫へ提供した物資は返還されない。
さらに切離し処理は大きな警告ではなく世帯管理履歴へ記録されるだけのため、仕組みを理解していなければ、自分だけが家族から除外されたことに気づかない場合がある。
1周目の航志は、システム開始直後に灰乃を世帯リンクから切り離していた。
だが灰乃には知らせなかった。
灰乃は自分も家族共有の恩恵を受けられると思い込み、感染者のいる区域へ入り、水、食料、薬、コインを持ち帰り続けた。
航志、篤一、登志江はその物資を使った。
さらに航志は〈一時保護対象〉制度を利用して、法的家族ではない泉帆まで自分の居室へ入れていた。
灰乃だけが家族ではない扱いを受けていることを知らないまま、「家族のため」に働き続けたことになる。
2周目の灰乃は終末開始直後、航志が操作するより先に〈個人居住宣言〉を選択する。
法的にはまだ航志の妻である。
だが、システム上では自ら家族共有リソースを拒絶する。
それが航志にとって、灰乃が初めて自分の支配から外れた瞬間になる。
各プレイヤーへ1室だけ与えられる異空間型居室。ステージを移動しても部屋だけは所有者についてくる。
レベル1では古いワンルーム程度で、薄い扉と簡素な寝具しか存在しない。レベル2で扉が補強され、レベル3からアイテムスロットが使用可能になる。
レベル4では監視設備、レベル5では浄水設備、レベル6では2名までの正式入室権、レベル7では工作設備、レベル8では簡易医療設備、レベル9では短距離転送、レベル10では第2出入口、レベル11では1日1度だけ5分間の時間差障壁が解放される。
そして最高位のレベル12は〈終端居室〉。
システム上では「最も安全な部屋」と説明される。
しかし、そこが何から身を守るために造られた部屋なのかは知らされない。
部屋を強化するにはコインだけでなく、上位ステージでしか取得できない〈居住核〉が必要になるため、部屋に閉じこもり続けるだけでは成長できない。
安全を求めれば外へ出なければならず、外へ出れば死ぬ。
その矛盾自体がこの世界の基本構造となっている。
初期ステージでは午前6時から午後6時までが昼、午後6時から翌午前6時までが夜となる。
しかしステージが進むにつれて時刻の意味そのものが変質する。
昼だけ人間同士への攻撃が許可される場所、夜になると部屋の保護が解除される場所、午前0時を過ぎるたび1階ずつ水没する場所、眠った人間だけが感染する場所、逆に眠らなければ処刑される場所も存在する。
規則は開始5分前に提示されることが多い。
1行だけ読み落としても死亡する。
昨日まで安全だった行為が、今日も安全だとは限らない。
白、青、紫、赤、黒の5段階。
食料、水、武器、医療品、家具、罠、スキル、特殊契約など、内容は完全には予測できない。
上位になるほど強力だが、必ずしも有益とは限らない。
赤箱から高性能火器が出ることもあれば、「3時間以内に他人へ譲渡しなければ所有者が死亡する指輪」が出ることもある。
黒箱には世界そのものの規則を書き換える品が封入されている一方、開封者へ取り返しのつかない代償を要求することがある。
灰乃だけが使用できる異常システム。
最初は終末以前の無料動画アプリに流れていたような軽薄な広告が表示される。
「たった15秒見るだけで水1リットル無料!」
「もう1度広告を見ると報酬2倍!」
「今なら初心者限定、強化素材プレゼント!」
内容は馬鹿馬鹿しいほど明るい。
しかし広告を最後まで視聴すると、本当に報酬が支払われる。
広告中に視線を逸らせば再生が停止し、音量を消すこともできない。廊下で誰かが助けを求めて叫んでいても、報酬が必要なら灰乃は笑顔の広告を見続けなければならない。
序盤ではコイン、水、食料、倍率券、便利アイテムが中心となるが、成長とともに〈広告恩寵〉は変質する。
まだ発売されていない商品の広告。
存在しない会社の広告。
翌日に必要となる道具の広告。
死亡する人間が出演している広告。
死んだはずの人物が「今なら家族再会キャンペーン中です」と笑う広告。
やがて灰乃は、広告が未来を予測しているのではなく、別の何かを見ている可能性へ辿り着く。
便利な能力であるほど、使用すること自体が精神を削る。
灰乃が縵谷玄理と遭遇したことをきっかけに解放される特殊項目。
最初に表示される名称は〈攻略対象〉。
親密度が一定値へ達するたび、2人へ生存上有利な効果が付与される。
手を一定時間つなぐ。
同じ部屋で夜を越す。
互いに食事を渡す。
抱擁する。
相手を名前で呼ぶ。
一定以上では口づけなど、関係性が深くなければ不自然な行為まで条件として要求される。
灰乃はすべてを生存報酬のための作業として処理する。
玄理にとってはそうではない。
親密度30で軽微な負傷共有、50で生命反応同期、80で所持品共有、100で〈終末同伴〉が解放される。
強く結びつくほど2人は生きやすくなる。
同時に、片方だけが死ぬことも難しくなっていく。
28歳。身長162cm。
婚姻届上の氏名は度会灰乃だが、結婚後も仕事では旧姓の蓼丸を使用していた。2周目では〈個人居住宣言〉を行う際、システム上の表示名として自ら蓼丸灰乃を選択する。
黒に近い濃紺の髪を胸下まで伸ばしているが、終末開始後は邪魔にならないよう低い位置で1つに束ねる。輪郭は細く、顎も小さいが、可憐というより冷えた印象が強い。瞳は光の加減で緑を帯びる灰色。感情を押し殺すとほとんど瞬きをしなくなるため、知らない人間からは睨まれていると誤解されやすい。
終末開始時点では航志と離婚していない。
夫婦関係は既に冷え切っていたものの、灰乃は航志と泉帆の関係を決定的な証拠までは掴んでいなかった。
1周目で終末が始まったその日、仕事から予定より早く帰宅した灰乃は、自宅で航志と泉帆の浮気現場を目撃した。
しかも登志江は以前から関係を知っていた。
灰乃が問い詰めても、「航志だって息が詰まることくらいある」「泉帆さんはあなたより男の人を立てるのが上手なのよ」と、息子ではなく灰乃を責めた。
家庭そのものが壊れた直後に世界まで壊れたため、灰乃は離婚手続きをする暇もなくサバイバルへ巻き込まれた。
1周目の灰乃は、それでも「今は喧嘩をしている場合ではない」「家族なら助け合わなければ」と考えた。
その判断が彼女を徹底的に搾取される側へ追いやった。
灰乃が感染者の徘徊するスーパーから命懸けで持ち帰った水は、航志、篤一、登志江、泉帆へ分けられた。
自分の分を求めると篤一から「外へ行ったなら途中で飲めただろ」と言われ、1口も与えられなかった。
喉の渇きに耐えられなくなった灰乃は、翌朝、非常階段の排水設備に溜まった濁った水を布で濾して飲んだ。
その姿を見ても家族は何も言わなかった。
別の日には灰乃が腕へ深い裂傷を負いながら医療ボックスを持ち帰った。
ところが泉帆は、その中にあった消毒液、滅菌ガーゼ、抗菌薬を、自分が連れてきていた犬の軽い足の傷へ使用した。
灰乃が「少しだけ残して」と頼むと、泉帆は「この子は自分で痛いって言えないんだから」と拒否した。
航志も止めなかった。
登志江は「灰乃さんは我慢強いから大丈夫よ」と笑った。
灰乃は裂けた腕を古いタオルで縛って耐えた。
それでも家族のために働いた。
自分が既に世帯リンクから切り離されていることも知らずに。
性格は観察型で、1度見た人間の行動パターンをよく覚えている。
善人を嫌っているわけではない。
善意を他人から要求されることを激しく嫌う。
「家族なんだから」「妻なんだから」「助けられるなら助けるべき」という言葉によって、1周目では何度も自分の食料、薬、コイン、武器、安全を差し出させられた。
そのため2周目では、助けるかどうかを自分で決めることを何より重視する。
泣いて頼まれても、助ければ自分が死ぬと判断すれば扉を閉める。
しかし他人の死を楽しむことはなく、見捨てた人物の顔や声を異様なほど鮮明に覚えている。
灰乃には先天性QT延長症候群がある。
終末以前は定期通院と処方薬によって大きな問題なく生活していたが、極端な疲労、睡眠不足、脱水、突然の大音量などが重なる環境では発作の危険が増す。
システムはこれを〈状態異常〉ではなく〈先天的身体特性〉として認識するため、一般的な回復ポーションでは治療できない。
終末開始時に持っていた薬は20日分に満たない。
30日を生き残ろうとするだけでも、薬の不足が避けられない。
灰乃は薬を銀色の薄いピルケースへ入れている。祖母から成人祝いとして贈られたもので、蓋の裏側には小さく「帰る場所は自分で決める」と刻まれている。
好きなものは無糖の紅茶、柚子やレモンのような苦味を含む酸味、焼きたての硬いパン、静かな雨音。甘すぎる菓子は苦手だが、疲労が限界になると蜂蜜入りの飴だけは口にする。
人から物をもらうことが苦手で、贈り物を受け取ると「何を返せば釣り合うか」を考えてしまう。
反対に、自分が誰かへ何かを渡すときには驚くほど実用性を優先する。
玄理へ最初に渡すものも装飾品ではなく、喉を傷めた彼のために広告報酬から出た1粒の蜂蜜レモン飴となる。
本人は消耗品を渡しただけのつもりだが、玄理はその包み紙を長く捨てない。
1周目の最後、灰乃が感染者から逃げて安全区域へ辿り着いたとき、扉の向こうには航志がいた。
助けてほしいと叫んだ。
航志は扉を開けなかった。
自分が家族から切り離されていた事実を、灰乃が知ったのは死ぬ直前だった。
31歳。身長187cm。
長身だが過剰に筋肉を誇示する体格ではなく、肩、背中、前腕へ実用的な筋肉がついている。黒髪は短く、左の眉尻に古い裂傷跡がある。瞳は暗い琥珀色で、初対面では怒っているように見えるほど視線が強い。
終末以前は都市部の特別高度救助隊に所属していた消防吏員。
ロープ救助、倒壊建物への侵入、扉の破壊、止血、搬送、危険予測に長けている。
世界が壊れたから突然強くなった男ではない。
壊れた建物へ人がまだいると分かっていながら入っていく仕事を10年続けていた人間である。
寡黙だが無愛想ではない。
必要のないことを口にしないだけで、質問されれば答える。
威圧して従わせることを嫌い、助けた相手から過剰に感謝されることも好まない。
人を救うことに理想を抱いているわけでもない。
災害現場では全員を助けられない。
誰を先に運び、誰をその場へ残すか決めなければならなかった経験を持つ。
そのため、灰乃が誰かを見捨てても「冷酷な女」と簡単には判断しない。
ただし、自分が手を伸ばせる距離にいる人間を見捨てることだけは極端に苦手であり、その性質が何度も彼自身を死へ近づける。
好きなものは熱いブラックコーヒー、塩の強い握り飯、缶詰の黄桃。甘い飲料は苦手。
物をほとんど持たず、壊れれば交換するという考え方だが、右手首だけには色褪せた赤と黄色の編み紐を巻いている。
子どもが作ったように編み目が不揃いで、名前を尋ねられても最初は答えない。
他人から贈られたものを捨てられない性格でもある。
灰乃から渡された飴の包み紙も、本人に知られないよう救急ポーチの内側へしまう。
灰乃の不整脈に気づいた後、玄理が初めて自分から渡す品は、終末以前の工事現場用ノイズ低減耳栓。
ロマンチックな贈り物とは程遠いが、突然の警報音を少しでも軽減できる物を何日も探した末に渡す。
恋愛へ関しては極端に鈍いわけではない。
むしろ灰乃が報酬目的で自分の手を握り、抱きつき、その直後に平然と「これで防御補正が7%上がりました」と報告するため、何を考えているのか分からなくなる。
灰乃が他人に同じことをすれば不快になる。
しかし、その感情を嫉妬だと認めるまでが長い。
30歳。身長180cm。
灰乃の夫。
終末開始時点でも法的な婚姻関係は継続している。
清潔感のある短髪、整った顔、穏やかな声を持ち、初対面では人当たりのいい男に見える。終末以前は住宅関連企業の営業職で、相手が求めている言葉を察して提示することが得意だった。
網代泉帆と不倫関係にあり、終末開始当日、自宅へ泉帆を連れ込み灰乃に現場を目撃される。
それでも謝罪より先に「最近のお前が俺を放っていたからだ」「離婚するほどの話じゃない」と言い訳する。
航志自身は、灰乃が自分から完全に離れていく可能性を本気では考えていない。
灰乃の病気を心配する言葉を使いながら、外出、仕事、金銭、人間関係へ口を出していた。
彼にとって「守る」と「管理する」の境界は極端に薄い。
1周目では終末開始直後、世帯主権限を利用して灰乃だけを家族共有リソースから切り離す。
理由は、病気を持つ灰乃へ医療資源を消費するより、自分と両親を優先した方が生存率が高いと判断したため。
それでも灰乃には事実を知らせない。
灰乃が物資を集めて戻れば受け取る。
食料を持ち帰れば食べる。
薬を手に入れれば泉帆へ回す。
「家族なんだから共有するのが当然だ」と言いながら、家族としての権利だけは灰乃へ与えない。
泉帆を愛しているから灰乃を捨てたわけでもない。
泉帆には甘さと癒やしを求め、灰乃には労働力、知識、物資調達能力を求めている。
航志にとっては両方を所有している状態が都合よかった。
2周目の灰乃が世帯リンクを自ら拒絶し、資源も命も渡さなくなったことで、航志の感情は物欲から執着へ変化していく。
彼が取り戻したいのは妻そのものではない。
「自分が命令すれば灰乃が動く」という関係である。
27歳。
柔らかな栗色の髪と、人当たりのよい笑顔が特徴。声を荒らげることがほとんどなく、直接誰かを攻撃するより「みんなそう思っているよ」と周囲の空気を利用する。
終末以前から航志と不倫関係にある。
SNS運用会社勤務で、誰にどの情報を見せれば人間が動くかを理解している。
灰乃の存在そのものを激しく憎んでいるわけではない。
むしろ灰乃が働き、自分が恩恵だけを受ける状態を当然のものとして受け入れられる人物である。
1周目では航志の〈一時保護対象〉として家族居室へ入り、灰乃が命懸けで集めた食料、水、衣服、衛生用品を使用する。
しかも航志や登志江は、灰乃より泉帆を優先する。
灰乃が持ち帰った最後の甘味を泉帆へ渡し、灰乃には「あなたは甘いものが好きじゃないでしょう」と済ませる。
泉帆が終末開始時に連れていた小型犬が足を浅く切った際には、灰乃が負傷しながら持ち帰った医療ボックスから滅菌ガーゼ、消毒薬、抗菌薬を使用する。
その時点で灰乃自身の腕には深い裂傷がある。
灰乃が残りを求めると、
「この子は喋れないんだよ? 灰乃さんなら痛かったら自分で何とかできるでしょ」
と拒む。
航志も登志江も泉帆を咎めない。
戦闘能力は高くないが、チャット、噂、同調圧力を武器として使用する。
2周目では灰乃が資源提供を拒絶したことに最も早く苛立ち始める。
62歳。
航志の父。退職した元営業所長。
声が大きく、年齢や立場による上下関係を当然と考えている。
危険な仕事は若い人間が行い、得た物資は家族の年長者が配分するべきだという価値観を持つ。
1周目では灰乃が命懸けで持ち帰った水を家族で分配しながら、灰乃の分を残さなかった。
抗議されても、
「若いんだから少しくらい我慢しろ。俺たちが倒れたら誰が家族をまとめるんだ」
と逆に責める。
灰乃の病気についても「身体が弱いなら家族に逆らわない方がいい」と繰り返していた。
58歳。
航志の母。
普段は柔らかい口調を使い、直接命令するより泣いたり弱った姿を見せたりすることで相手を動かす。
航志と泉帆の不倫を終末以前から知っていた。
それでも息子を責めなかった。
むしろ泉帆の愛嬌を気に入り、
「泉帆さんみたいに男の人を立てられる子なら航志も疲れないのに」
と灰乃へ遠回しに比較までしていた。
灰乃へ「娘だと思っている」と口では言う一方、家事、金銭的援助、物資調達を断られると「家族なのに冷たい」と責める。
1周目では泉帆へ綺麗な水や食料を優先的に回し、自分で物資を取ってきた灰乃へ「あなたは丈夫なんだから後でいいでしょう」と言っていた。
2周目でも、自分が助けを求めれば灰乃は最終的に折れると信じている。
29歳。身長168cm。
灰色がかった茶髪を肩で切り揃え、肌は青白い。目鼻立ちは華やかだが表情変化が少ないため、美人というより精巧な人形を思わせる。
終末以前は集中治療室勤務の看護師。
極限状態での判断に慣れており、血や死体にも動揺しない。
灰乃と同じように、1度この終末を経験した記憶を持っている。
しかし彼女が記憶している出来事の一部は、灰乃の前世と一致しない。
祈璃の記憶では、縵谷玄理は終末後半に全プレイヤー中でも最上位へ到達している。
そのため祈璃は早期から玄理へ接近する。
恋愛感情だけではない。
「最も生存確率の高い人間と組む」という明確な計算がある。
だからこそ玄理が灰乃を優先することを理解できない。
34歳。
終末以前は動物病院勤務の獣医師。
人間専門の医師ではないが、縫合、止血、薬剤知識を持ち、サバイバル環境では貴重な医療担当となる。
口調はぶっきらぼうで、患者へ優しく声を掛けるタイプでもない。
しかし治療中だけは絶対に相手を見捨てない。
灰乃の体調異常へ早い段階で気づく数少ない人物。
「死ぬ気がないなら、薬を気合いで節約するな」が口癖になる。
48歳。
鍵、錠前、防犯設備を扱う業者。
細身で目立たない中年男性だが、電子錠、非常扉、建物構造へ詳しい。
争いを極端に嫌う一方で、誰かを信用して丸腰になるほど楽天的でもない。
家族とは終末開始時に別の場所へ離れており、世界チャットで同じ名字を検索することが毎朝の習慣となっている。
11歳。
肩までの黒髪を2つに結び、黄色いウサギの小さなリュックを背負っている。
大人の話を理解していないふりをする癖があり、実際には周囲の会話をかなり聞いている。
泣けば迷惑をかけると考え、怖いときほど口数が減る。
好きな食べ物は桃の缶詰。
玄理が自分用に取っていた缶詰を何も言わず渡したことから、彼には比較的早く懐く。
航志に薬ケースを奪われてから、灰乃が最初にしたのは残っている予備薬をすべて机の上へ並べることだった。普段は銀色のケースへ数日分だけ移し、残りを別に保管していたため、完全に手元から失ったわけではない。それでも、袋から出した錠剤を一つずつ数えていくと、安心できる量ではなかった。終末以前のように病院へ行けば処方してもらえる世界ではなく、次に同じ薬が手に入る保証もない。広告恩寵で医療品が出る可能性はあるが、必要な薬剤を指定して引き当てられる仕組みではなかった。茉緒は灰乃の向かいへ座り、薬の包装と灰乃が覚えている処方内容を照らし合わせた。安全区域で検出された潜伏感染者が誰なのかは依然として分かっておらず、4人は一定距離を保ち、直接触れる物も共有しないようにしている。それでも灰乃の薬が奪われたことを知ると、茉緒は自分の居室から持ってきた医療記録用の端末を広げ、心疾患の薬剤候補を一つずつ確認した。表情はいつも以上に険しく、少しでも曖昧な情報が出るたびに灰乃へ問い直す。「代替薬を適当に使うな。心臓の薬は名前が似てるからで選ぶものじゃない」「分かっています」「分かってる奴が、残りを日数で薄く割って飲もうとするなよ」灰乃は返事をしなかった。考えていたことを見抜かれたらしい。薬を長く持たせるため服用間隔を勝手に延ばせば、必要な血中濃度を維持できず、かえって危険が増す可能性がある。茉緒は人間専門の医師ではないと言いながら、その程度のことを知らないほど薬剤知識が浅いわけではなかった。「なら取り返す」茉緒は断定するように言った。灰乃は机の端へ指を置き、航志から届いた再統合審査の残り時間を見る。22時間余り。審査が終わるまで1時間ごとに何かが奪われる可能性があり、次が薬とは限らない。武器、防御設備、保存水、それどころか広告恩寵に関係する端末まで〈共有必需品〉と判定されれば、航志の手へ移る可能性がある。残り時間を待ってから動くという選択は、最初から存在しなかった。玄理は壁際に立ったまま、灰乃の薬と残高表示を交互に見ていた。やがて自分の端末を開き、医療系ランダムボックスの出現情報を検索する。ランキング上位の彼が持つコインは少なくなく、さらに赤箱から得た物資もいくつか残っているらしい。「俺のコインを使う。医療ボックスを買える奴を探す」「必要ありません」「必要だろ」「あなたの資
安全区画を出た4人は、互いに2歩以上の距離を取ったまま中央通路へ散った。〈潜伏感染反応を1名検出しました〉という表示は消えず、誰が該当者なのかだけが頑なに伏せられている。茉緒は最初に自分の手首と首筋を確かめ、啓吾にも袖をまくるよう指示したが、目視で分かる噛み傷や引っかき傷は見つからなかった。玄理の右肩と左腕には夜狩りで負った傷があるものの、いずれも感染者の体液が直接入った形跡はなく、灰乃も自分に共有された浅い裂傷以外に異常を感じていない。それでもシステムが反応した以上、誰か1人の身体の中で何かが始まっていることだけは確かだった。「全員、自分の部屋に戻るまで誰にも触るな。体温、意識状態、瞳孔、痙攣の有無を30分おきに確認する」茉緒の声には苛立ちが混じっていたが、恐怖で判断を失ってはいなかった。人間専門の医師ではないと言いながら、少なくとも何もせず待つよりはましな監視手順を組み立てている。啓吾は青ざめた顔で何度も頷き、玄理は灰乃の腕へ視線を向けたあと、自分の傷口を見下ろした。灰乃も同じことを考えていた。バインドで負傷を共有している以上、感染まで共有されるのかは表示されていない。もし玄理が感染していれば自分へ影響する可能性があり、逆も同じだった。安全区画の白い外壁が背後で沈み始める。7人を消した霧も、そこへ縋りついていた手の跡も、数分前の出来事とは思えないほど綺麗に消えていく。その空白を見つめていた灰乃は、天井近くのメンテナンスパネルが開く音に気づいた。砲撃で破壊された箇所から1人の男が降りてくる。配線を掴んで床へ着地した航志は、服の肩や膝へ埃をつけながらも怪我らしい怪我をしておらず、自分だけが別の逃げ道を見つけたことへ安堵したような息を吐いた。灰乃と目が合うと、航志の表情が変わった。安全区画の外で7人が消えたことより、灰乃が4人の枠へ入って生き残ったことを確認した時の方が目の奥へ強い光が宿る。その視線は、昼間に紫箱を抱えていた灰乃を見た時と同じだった。妻が無事だったことへの安堵ではなく、まだ自分の手へ戻せる資源が残っていると確かめた人間の目だった。「灰乃」呼ばれても灰乃は動かなかった。玄理が半歩だけ身体の向きを変え、航志と灰乃の間へ割って入れる位置を取る。茉緒は感染反応の件がある以上、今ここで余計な接触を増やすなと言いたげに眉を寄せたが、航志はそんな空気を
〈閉鎖まで残り10分〉という数字が点灯した直後、安全区画の周囲へ新しい表示が重なった。乳白色の壁に守られた内部には、大人が十数人立っても余裕がありそうな広さがある。それなのに入口の上には〈入室可能枠:4〉と明記され、その下へ〈入室には避難鍵が必要です〉という条件が追加された。さらに4つの光点が区域図上へ散らばり、〈避難鍵を配置しました〉と通知された瞬間、それまで互いの様子を窺っていた12人が一斉に走り出した。誰かが先に動けば、残りも止まってはいられない。灰乃は中央から最も近い北側の光点を選び、玄理とは別方向へ走った。肩の痛みも睡眠不足も残っていたが、今は自分の身体を完全に休ませる余裕がない。廊下の角を曲がると、壁面の非常設備箱が白く発光しており、その中に親指ほどの銀色の鍵が浮いていた。灰乃が掴むと〈避難鍵・所有者登録完了〉という表示が出て、残る光点が3つへ減る。玄理もほぼ同時に西側の鍵を確保したらしく、区域図上で彼の名前へ鍵の印がついた。その動きに迷いはなく、自分の分を取った直後から周辺の生存者の位置まで確認している。3本目の鍵を得たのは椹木啓吾だった。電子錠や建物構造へ詳しい彼は、他の者が点滅する案内表示だけを追う中、サービスパネルの裏側へ回り込み、非常用配線に沿って出現位置を特定したらしい。細い身体を壁際から滑り出させた時には、すでに銀色の鍵を握っていた。残り1本。その表示が出た途端、中央南側へ5人が殺到した。その中に航志もいる。鍵は天井から吊られた非常梯子の下へ出現し、最初に飛び込んだ男が指先で触れかけたところを、別の男が肩から突き飛ばした。床へ倒れた身体を航志が踏み越え、横から伸びた腕を肘で払い除ける。昼間の箱争奪戦と変わらない殴り合いが始まり、誰も鍵以外を見なくなった。土師茉緒だけが、その輪へ入っていなかった。少し離れた壁際で、争奪戦の最初に転倒した男の傷を押さえている。男は脇腹を何かの刃で深く切っており、指の間から大量の血を流していた。茉緒は自分の安全区画入りが遅れることを理解しているはずなのに、シャツを裂いて圧迫し、出血点を確かめながら「押さえろ、死にたくなきゃ手を離すな」と怒鳴っていた。玄理がその姿を見た。自分の鍵を握ったまま数秒立ち止まり、そのまま茉緒の方へ歩こうとする。「これを使え」茉緒が顔を上げる前に、灰乃は玄理の腕を掴んだ。
『大好きな家族に、もう1度会いたいですか?』明るすぎる少女の声が、血と消毒薬の匂いが残る居室へ響いた。灰乃は反射的に黒い端末へ手を伸ばし、画面端の閉じる表示を押したが、指先の下で白い印が一度沈むだけで映像は消えなかった。音量ボタンも反応せず、机へ伏せても再生は止まらない。終末前の住宅広告を思わせる明るい居間では、数十分前に玄理自身の手で処置された小春が、黄色いウサギのリュックを背負って笑っていた。画面の中の小春には首の後ろの噛み傷も、発症前に浮かんだ汗もない。頬には健康な赤みがあり、黒髪は左右へ綺麗に結ばれ、その背景には白いカーテンと湯気の上がる食卓まで映っている。窓の外では鳥が飛び、誰かが焼いたらしいパンが籠へ盛られ、終末など最初から存在しなかったような光景だった。灰乃がほんの少し視線を外すと映像は停止し、〈視聴を継続するには広告をご覧ください〉という文字が中央へ浮かぶ。まるで死んだ子どもの姿を最後まで見つめることまで、報酬の代価として要求しているようだった。『今だけ家族再会キャンペーン!』軽快な電子音が弾け、小春の横へ色とりどりの風船が浮かんだ。少女は両手を広げ、その後ろでは顔の見えない男女が食卓へ料理を並べている。母親と父親を模しているのかもしれないが、小春の本当の家族なのかどうか、灰乃には確かめようがない。その画面下へ、報酬欄がゆっくりと開いた。〈最後まで視聴すると安全区域情報を獲得できます〉玄理の顔から残っていた血の気がわずかに引いた。彼は壁際に置いた黄色いリュックと端末の中の少女を交互に見てから、低く言った。「見るな」灰乃は端末を持ち直した。「見ます」「蓼丸」「情報が必要です」「他の方法を探せ」灰乃は答えず、表示された選択肢へ目を落とした。〈スキップする・報酬なし〉と〈最後まで見る〉。安全区域という言葉がどこまで信用できるかは分からないが、少なくともシステムがわざわざ報酬として提示する以上、この高危険区域を生き残るために関係する情報である可能性は高い。目の前にある情報を、苦痛だからという理由だけで捨てる余裕はなかった。灰乃が〈最後まで見る〉を押すと、30秒のカウントが始まった。小春は画面の中央へ座り、白い皿へ桃の缶詰らしい果肉を並べている。黄色いリュックの少女が桃を好きだったことを、灰乃はまだ知らない。それでもあまりにも生活