『広告を見るだけで終末を無双した私、最強プレイヤーに「その元夫は捨てて。俺と組め」と迫られました』

『広告を見るだけで終末を無双した私、最強プレイヤーに「その元夫は捨てて。俺と組め」と迫られました』

last updateLast Updated : 2026-09-03
By:  なつめOngoing
Language: Japanese
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世界がゾンビと異常災害に呑まれ、人類が三十日後に滅亡する未来を知る蓼丸灰乃は、一度目の死から〈サバイバル・レジデンス〉出現初日へ巻き戻る。前世で自分を餌にして生き延びた元夫とその家族を今度こそ切り捨て、部屋の強化と物資確保へ走る灰乃が引き当てたのは、終末前の安っぽい広告を見るだけでコインや希少アイテムを得られる異常権能〈広告恩寵〉だった。だが、強くなるほど住民は奪い合い、ステージは残酷さを増し、救助も安全地帯も存在しない。最上位プレイヤー・縵谷玄理との謎のバインドだけが、死へ傾く灰乃の運命を変え始める。これは世界を救う物語ではない。滅亡する世界で、自分の命を他人に渡さない女の二度目の終末記録。

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Chapter 1

世界観や登場人物

世界観

世界が崩壊を始めるのは午後1時13分。

空が1度だけ白く明滅し、世界中のスマートフォン、街頭モニター、電車内ディスプレイ、テレビ、カーナビへ同一の文字列が表示される。

〈SURVIVAL RESIDENCEへようこそ〉

その瞬間、一部の集合住宅、ホテル、病院、学校、商業施設が異常空間へ取り込まれ、選ばれた人間の目前へ個人用の〈居室〉が生成される。

選ばれなかった者に部屋は与えられない。

政府高官でも、乳児でも、医師でも、資産家でも例外はない。

部屋を持たない人間は、感染者、異常気象、都市崩落、食料不足、プレイヤーによる略奪に直接晒される。

システムは1度も「30日間耐えれば救われる」と告知しない。それでも人間たちは勝手に、30日間を生き延びれば救助される、ゲームをクリアすれば元の世界へ帰れる、どこかに安全地帯があると信じ始める。

だが、ステージを突破した先にあるのは、さらに死亡率の高い新しいステージだけである。

世界地図から都市が1つずつ消える。

国別チャットから言語が1つずつ消える。

人工衛星からの映像も途切れていく。

それでもシステムは毎朝6時、何事もないように通知する。

〈本日も快適なサバイバル生活をお楽しみください〉

画面右上には常に〈人類残存数〉が表示される。

数字は増えない。

ただ減り続ける。


世帯リンク

終末開始時点で法的な婚姻関係または同一世帯として登録されているプレイヤーには、個人居室とは別に〈世帯リンク〉が発生する。

世帯リンクへ所属した家族は、初期段階に限り、食料、水、回復物資、緊急避難権など一部の生存リソースを共同化できる。

一見すれば家族を守るための救済制度に見える。

しかし世帯主には〈構成員切離し権〉が与えられている。

家族1人を世帯リンクから切り離した場合、その人物は家族共有倉庫、共同回復、緊急避難、代理入室などの権限を失う。

その一方で、切離し以前に家族倉庫へ提供した物資は返還されない。

さらに切離し処理は大きな警告ではなく世帯管理履歴へ記録されるだけのため、仕組みを理解していなければ、自分だけが家族から除外されたことに気づかない場合がある。

1周目の航志は、システム開始直後に灰乃を世帯リンクから切り離していた。

だが灰乃には知らせなかった。

灰乃は自分も家族共有の恩恵を受けられると思い込み、感染者のいる区域へ入り、水、食料、薬、コインを持ち帰り続けた。

航志、篤一、登志江はその物資を使った。

さらに航志は〈一時保護対象〉制度を利用して、法的家族ではない泉帆まで自分の居室へ入れていた。

灰乃だけが家族ではない扱いを受けていることを知らないまま、「家族のため」に働き続けたことになる。

2周目の灰乃は終末開始直後、航志が操作するより先に〈個人居住宣言〉を選択する。

法的にはまだ航志の妻である。

だが、システム上では自ら家族共有リソースを拒絶する。

それが航志にとって、灰乃が初めて自分の支配から外れた瞬間になる。


サバイバル・レジデンス

各プレイヤーへ1室だけ与えられる異空間型居室。ステージを移動しても部屋だけは所有者についてくる。

レベル1では古いワンルーム程度で、薄い扉と簡素な寝具しか存在しない。レベル2で扉が補強され、レベル3からアイテムスロットが使用可能になる。

レベル4では監視設備、レベル5では浄水設備、レベル6では2名までの正式入室権、レベル7では工作設備、レベル8では簡易医療設備、レベル9では短距離転送、レベル10では第2出入口、レベル11では1日1度だけ5分間の時間差障壁が解放される。

そして最高位のレベル12は〈終端居室〉。

システム上では「最も安全な部屋」と説明される。

しかし、そこが何から身を守るために造られた部屋なのかは知らされない。

部屋を強化するにはコインだけでなく、上位ステージでしか取得できない〈居住核〉が必要になるため、部屋に閉じこもり続けるだけでは成長できない。

安全を求めれば外へ出なければならず、外へ出れば死ぬ。

その矛盾自体がこの世界の基本構造となっている。


昼と夜

初期ステージでは午前6時から午後6時までが昼、午後6時から翌午前6時までが夜となる。

しかしステージが進むにつれて時刻の意味そのものが変質する。

昼だけ人間同士への攻撃が許可される場所、夜になると部屋の保護が解除される場所、午前0時を過ぎるたび1階ずつ水没する場所、眠った人間だけが感染する場所、逆に眠らなければ処刑される場所も存在する。

規則は開始5分前に提示されることが多い。

1行だけ読み落としても死亡する。

昨日まで安全だった行為が、今日も安全だとは限らない。


ランダムボックス

白、青、紫、赤、黒の5段階。

食料、水、武器、医療品、家具、罠、スキル、特殊契約など、内容は完全には予測できない。

上位になるほど強力だが、必ずしも有益とは限らない。

赤箱から高性能火器が出ることもあれば、「3時間以内に他人へ譲渡しなければ所有者が死亡する指輪」が出ることもある。

黒箱には世界そのものの規則を書き換える品が封入されている一方、開封者へ取り返しのつかない代償を要求することがある。


特殊権能〈広告恩寵〉

灰乃だけが使用できる異常システム。

最初は終末以前の無料動画アプリに流れていたような軽薄な広告が表示される。

「たった15秒見るだけで水1リットル無料!」

「もう1度広告を見ると報酬2倍!」

「今なら初心者限定、強化素材プレゼント!」

内容は馬鹿馬鹿しいほど明るい。

しかし広告を最後まで視聴すると、本当に報酬が支払われる。

広告中に視線を逸らせば再生が停止し、音量を消すこともできない。廊下で誰かが助けを求めて叫んでいても、報酬が必要なら灰乃は笑顔の広告を見続けなければならない。

序盤ではコイン、水、食料、倍率券、便利アイテムが中心となるが、成長とともに〈広告恩寵〉は変質する。

まだ発売されていない商品の広告。

存在しない会社の広告。

翌日に必要となる道具の広告。

死亡する人間が出演している広告。

死んだはずの人物が「今なら家族再会キャンペーン中です」と笑う広告。

やがて灰乃は、広告が未来を予測しているのではなく、別の何かを見ている可能性へ辿り着く。

便利な能力であるほど、使用すること自体が精神を削る。


バインドシステム

灰乃が縵谷玄理と遭遇したことをきっかけに解放される特殊項目。

最初に表示される名称は〈攻略対象〉。

親密度が一定値へ達するたび、2人へ生存上有利な効果が付与される。

手を一定時間つなぐ。

同じ部屋で夜を越す。

互いに食事を渡す。

抱擁する。

相手を名前で呼ぶ。

一定以上では口づけなど、関係性が深くなければ不自然な行為まで条件として要求される。

灰乃はすべてを生存報酬のための作業として処理する。

玄理にとってはそうではない。

親密度30で軽微な負傷共有、50で生命反応同期、80で所持品共有、100で〈終末同伴〉が解放される。

強く結びつくほど2人は生きやすくなる。

同時に、片方だけが死ぬことも難しくなっていく。


主人公

蓼丸灰乃 たでまる・はいの

28歳。身長162cm。

婚姻届上の氏名は度会灰乃だが、結婚後も仕事では旧姓の蓼丸を使用していた。2周目では〈個人居住宣言〉を行う際、システム上の表示名として自ら蓼丸灰乃を選択する。

黒に近い濃紺の髪を胸下まで伸ばしているが、終末開始後は邪魔にならないよう低い位置で1つに束ねる。輪郭は細く、顎も小さいが、可憐というより冷えた印象が強い。瞳は光の加減で緑を帯びる灰色。感情を押し殺すとほとんど瞬きをしなくなるため、知らない人間からは睨まれていると誤解されやすい。

終末開始時点では航志と離婚していない。

夫婦関係は既に冷え切っていたものの、灰乃は航志と泉帆の関係を決定的な証拠までは掴んでいなかった。

1周目で終末が始まったその日、仕事から予定より早く帰宅した灰乃は、自宅で航志と泉帆の浮気現場を目撃した。

しかも登志江は以前から関係を知っていた。

灰乃が問い詰めても、「航志だって息が詰まることくらいある」「泉帆さんはあなたより男の人を立てるのが上手なのよ」と、息子ではなく灰乃を責めた。

家庭そのものが壊れた直後に世界まで壊れたため、灰乃は離婚手続きをする暇もなくサバイバルへ巻き込まれた。

1周目の灰乃は、それでも「今は喧嘩をしている場合ではない」「家族なら助け合わなければ」と考えた。

その判断が彼女を徹底的に搾取される側へ追いやった。

灰乃が感染者の徘徊するスーパーから命懸けで持ち帰った水は、航志、篤一、登志江、泉帆へ分けられた。

自分の分を求めると篤一から「外へ行ったなら途中で飲めただろ」と言われ、1口も与えられなかった。

喉の渇きに耐えられなくなった灰乃は、翌朝、非常階段の排水設備に溜まった濁った水を布で濾して飲んだ。

その姿を見ても家族は何も言わなかった。

別の日には灰乃が腕へ深い裂傷を負いながら医療ボックスを持ち帰った。

ところが泉帆は、その中にあった消毒液、滅菌ガーゼ、抗菌薬を、自分が連れてきていた犬の軽い足の傷へ使用した。

灰乃が「少しだけ残して」と頼むと、泉帆は「この子は自分で痛いって言えないんだから」と拒否した。

航志も止めなかった。

登志江は「灰乃さんは我慢強いから大丈夫よ」と笑った。

灰乃は裂けた腕を古いタオルで縛って耐えた。

それでも家族のために働いた。

自分が既に世帯リンクから切り離されていることも知らずに。

性格は観察型で、1度見た人間の行動パターンをよく覚えている。

善人を嫌っているわけではない。

善意を他人から要求されることを激しく嫌う。

「家族なんだから」「妻なんだから」「助けられるなら助けるべき」という言葉によって、1周目では何度も自分の食料、薬、コイン、武器、安全を差し出させられた。

そのため2周目では、助けるかどうかを自分で決めることを何より重視する。

泣いて頼まれても、助ければ自分が死ぬと判断すれば扉を閉める。

しかし他人の死を楽しむことはなく、見捨てた人物の顔や声を異様なほど鮮明に覚えている。

灰乃には先天性QT延長症候群がある。

終末以前は定期通院と処方薬によって大きな問題なく生活していたが、極端な疲労、睡眠不足、脱水、突然の大音量などが重なる環境では発作の危険が増す。

システムはこれを〈状態異常〉ではなく〈先天的身体特性〉として認識するため、一般的な回復ポーションでは治療できない。

終末開始時に持っていた薬は20日分に満たない。

30日を生き残ろうとするだけでも、薬の不足が避けられない。

灰乃は薬を銀色の薄いピルケースへ入れている。祖母から成人祝いとして贈られたもので、蓋の裏側には小さく「帰る場所は自分で決める」と刻まれている。

好きなものは無糖の紅茶、柚子やレモンのような苦味を含む酸味、焼きたての硬いパン、静かな雨音。甘すぎる菓子は苦手だが、疲労が限界になると蜂蜜入りの飴だけは口にする。

人から物をもらうことが苦手で、贈り物を受け取ると「何を返せば釣り合うか」を考えてしまう。

反対に、自分が誰かへ何かを渡すときには驚くほど実用性を優先する。

玄理へ最初に渡すものも装飾品ではなく、喉を傷めた彼のために広告報酬から出た1粒の蜂蜜レモン飴となる。

本人は消耗品を渡しただけのつもりだが、玄理はその包み紙を長く捨てない。

1周目の最後、灰乃が感染者から逃げて安全区域へ辿り着いたとき、扉の向こうには航志がいた。

助けてほしいと叫んだ。

航志は扉を開けなかった。

自分が家族から切り離されていた事実を、灰乃が知ったのは死ぬ直前だった。


男性主人公

縵谷玄理 かずらや・げんり

31歳。身長187cm。

長身だが過剰に筋肉を誇示する体格ではなく、肩、背中、前腕へ実用的な筋肉がついている。黒髪は短く、左の眉尻に古い裂傷跡がある。瞳は暗い琥珀色で、初対面では怒っているように見えるほど視線が強い。

終末以前は都市部の特別高度救助隊に所属していた消防吏員。

ロープ救助、倒壊建物への侵入、扉の破壊、止血、搬送、危険予測に長けている。

世界が壊れたから突然強くなった男ではない。

壊れた建物へ人がまだいると分かっていながら入っていく仕事を10年続けていた人間である。

寡黙だが無愛想ではない。

必要のないことを口にしないだけで、質問されれば答える。

威圧して従わせることを嫌い、助けた相手から過剰に感謝されることも好まない。

人を救うことに理想を抱いているわけでもない。

災害現場では全員を助けられない。

誰を先に運び、誰をその場へ残すか決めなければならなかった経験を持つ。

そのため、灰乃が誰かを見捨てても「冷酷な女」と簡単には判断しない。

ただし、自分が手を伸ばせる距離にいる人間を見捨てることだけは極端に苦手であり、その性質が何度も彼自身を死へ近づける。

好きなものは熱いブラックコーヒー、塩の強い握り飯、缶詰の黄桃。甘い飲料は苦手。

物をほとんど持たず、壊れれば交換するという考え方だが、右手首だけには色褪せた赤と黄色の編み紐を巻いている。

子どもが作ったように編み目が不揃いで、名前を尋ねられても最初は答えない。

他人から贈られたものを捨てられない性格でもある。

灰乃から渡された飴の包み紙も、本人に知られないよう救急ポーチの内側へしまう。

灰乃の不整脈に気づいた後、玄理が初めて自分から渡す品は、終末以前の工事現場用ノイズ低減耳栓。

ロマンチックな贈り物とは程遠いが、突然の警報音を少しでも軽減できる物を何日も探した末に渡す。

恋愛へ関しては極端に鈍いわけではない。

むしろ灰乃が報酬目的で自分の手を握り、抱きつき、その直後に平然と「これで防御補正が7%上がりました」と報告するため、何を考えているのか分からなくなる。

灰乃が他人に同じことをすれば不快になる。

しかし、その感情を嫉妬だと認めるまでが長い。


度会航志 わたらい・こうし

30歳。身長180cm。

灰乃の夫。

終末開始時点でも法的な婚姻関係は継続している。

清潔感のある短髪、整った顔、穏やかな声を持ち、初対面では人当たりのいい男に見える。終末以前は住宅関連企業の営業職で、相手が求めている言葉を察して提示することが得意だった。

網代泉帆と不倫関係にあり、終末開始当日、自宅へ泉帆を連れ込み灰乃に現場を目撃される。

それでも謝罪より先に「最近のお前が俺を放っていたからだ」「離婚するほどの話じゃない」と言い訳する。

航志自身は、灰乃が自分から完全に離れていく可能性を本気では考えていない。

灰乃の病気を心配する言葉を使いながら、外出、仕事、金銭、人間関係へ口を出していた。

彼にとって「守る」と「管理する」の境界は極端に薄い。

1周目では終末開始直後、世帯主権限を利用して灰乃だけを家族共有リソースから切り離す。

理由は、病気を持つ灰乃へ医療資源を消費するより、自分と両親を優先した方が生存率が高いと判断したため。

それでも灰乃には事実を知らせない。

灰乃が物資を集めて戻れば受け取る。

食料を持ち帰れば食べる。

薬を手に入れれば泉帆へ回す。

「家族なんだから共有するのが当然だ」と言いながら、家族としての権利だけは灰乃へ与えない。

泉帆を愛しているから灰乃を捨てたわけでもない。

泉帆には甘さと癒やしを求め、灰乃には労働力、知識、物資調達能力を求めている。

航志にとっては両方を所有している状態が都合よかった。

2周目の灰乃が世帯リンクを自ら拒絶し、資源も命も渡さなくなったことで、航志の感情は物欲から執着へ変化していく。

彼が取り戻したいのは妻そのものではない。

「自分が命令すれば灰乃が動く」という関係である。


網代泉帆 あじろ・みずほ

27歳。

柔らかな栗色の髪と、人当たりのよい笑顔が特徴。声を荒らげることがほとんどなく、直接誰かを攻撃するより「みんなそう思っているよ」と周囲の空気を利用する。

終末以前から航志と不倫関係にある。

SNS運用会社勤務で、誰にどの情報を見せれば人間が動くかを理解している。

灰乃の存在そのものを激しく憎んでいるわけではない。

むしろ灰乃が働き、自分が恩恵だけを受ける状態を当然のものとして受け入れられる人物である。

1周目では航志の〈一時保護対象〉として家族居室へ入り、灰乃が命懸けで集めた食料、水、衣服、衛生用品を使用する。

しかも航志や登志江は、灰乃より泉帆を優先する。

灰乃が持ち帰った最後の甘味を泉帆へ渡し、灰乃には「あなたは甘いものが好きじゃないでしょう」と済ませる。

泉帆が終末開始時に連れていた小型犬が足を浅く切った際には、灰乃が負傷しながら持ち帰った医療ボックスから滅菌ガーゼ、消毒薬、抗菌薬を使用する。

その時点で灰乃自身の腕には深い裂傷がある。

灰乃が残りを求めると、

「この子は喋れないんだよ? 灰乃さんなら痛かったら自分で何とかできるでしょ」

と拒む。

航志も登志江も泉帆を咎めない。

戦闘能力は高くないが、チャット、噂、同調圧力を武器として使用する。

2周目では灰乃が資源提供を拒絶したことに最も早く苛立ち始める。


度会篤一 わたらい・とくいち

62歳。

航志の父。退職した元営業所長。

声が大きく、年齢や立場による上下関係を当然と考えている。

危険な仕事は若い人間が行い、得た物資は家族の年長者が配分するべきだという価値観を持つ。

1周目では灰乃が命懸けで持ち帰った水を家族で分配しながら、灰乃の分を残さなかった。

抗議されても、

「若いんだから少しくらい我慢しろ。俺たちが倒れたら誰が家族をまとめるんだ」

と逆に責める。

灰乃の病気についても「身体が弱いなら家族に逆らわない方がいい」と繰り返していた。


度会登志江 わたらい・としえ

58歳。

航志の母。

普段は柔らかい口調を使い、直接命令するより泣いたり弱った姿を見せたりすることで相手を動かす。

航志と泉帆の不倫を終末以前から知っていた。

それでも息子を責めなかった。

むしろ泉帆の愛嬌を気に入り、

「泉帆さんみたいに男の人を立てられる子なら航志も疲れないのに」

と灰乃へ遠回しに比較までしていた。

灰乃へ「娘だと思っている」と口では言う一方、家事、金銭的援助、物資調達を断られると「家族なのに冷たい」と責める。

1周目では泉帆へ綺麗な水や食料を優先的に回し、自分で物資を取ってきた灰乃へ「あなたは丈夫なんだから後でいいでしょう」と言っていた。

2周目でも、自分が助けを求めれば灰乃は最終的に折れると信じている。


前世を知る女

四十万祈璃 しじま・いのり

29歳。身長168cm。

灰色がかった茶髪を肩で切り揃え、肌は青白い。目鼻立ちは華やかだが表情変化が少ないため、美人というより精巧な人形を思わせる。

終末以前は集中治療室勤務の看護師。

極限状態での判断に慣れており、血や死体にも動揺しない。

灰乃と同じように、1度この終末を経験した記憶を持っている。

しかし彼女が記憶している出来事の一部は、灰乃の前世と一致しない。

祈璃の記憶では、縵谷玄理は終末後半に全プレイヤー中でも最上位へ到達している。

そのため祈璃は早期から玄理へ接近する。

恋愛感情だけではない。

「最も生存確率の高い人間と組む」という明確な計算がある。

だからこそ玄理が灰乃を優先することを理解できない。


土師茉緒 はじ・まお

34歳。

終末以前は動物病院勤務の獣医師。

人間専門の医師ではないが、縫合、止血、薬剤知識を持ち、サバイバル環境では貴重な医療担当となる。

口調はぶっきらぼうで、患者へ優しく声を掛けるタイプでもない。

しかし治療中だけは絶対に相手を見捨てない。

灰乃の体調異常へ早い段階で気づく数少ない人物。

「死ぬ気がないなら、薬を気合いで節約するな」が口癖になる。


椹木啓吾 さわらぎ・けいご

48歳。

鍵、錠前、防犯設備を扱う業者。

細身で目立たない中年男性だが、電子錠、非常扉、建物構造へ詳しい。

争いを極端に嫌う一方で、誰かを信用して丸腰になるほど楽天的でもない。

家族とは終末開始時に別の場所へ離れており、世界チャットで同じ名字を検索することが毎朝の習慣となっている。


粟生小春 あお・こはる

11歳。

肩までの黒髪を2つに結び、黄色いウサギの小さなリュックを背負っている。

大人の話を理解していないふりをする癖があり、実際には周囲の会話をかなり聞いている。

泣けば迷惑をかけると考え、怖いときほど口数が減る。

好きな食べ物は桃の缶詰。

玄理が自分用に取っていた缶詰を何も言わず渡したことから、彼には比較的早く懐く。


 

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世界観世界が崩壊を始めるのは午後1時13分。空が1度だけ白く明滅し、世界中のスマートフォン、街頭モニター、電車内ディスプレイ、テレビ、カーナビへ同一の文字列が表示される。〈SURVIVAL RESIDENCEへようこそ〉その瞬間、一部の集合住宅、ホテル、病院、学校、商業施設が異常空間へ取り込まれ、選ばれた人間の目前へ個人用の〈居室〉が生成される。選ばれなかった者に部屋は与えられない。政府高官でも、乳児でも、医師でも、資産家でも例外はない。部屋を持たない人間は、感染者、異常気象、都市崩落、食料不足、プレイヤーによる略奪に直接晒される。システムは1度も「30日間耐えれば救われる」と告知しない。それでも人間たちは勝手に、30日間を生き延びれば救助される、ゲームをクリアすれば元の世界へ帰れる、どこかに安全地帯があると信じ始める。だが、ステージを突破した先にあるのは、さらに死亡率の高い新しいステージだけである。世界地図から都市が1つずつ消える。国別チャットから言語が1つずつ消える。人工衛星からの映像も途切れていく。それでもシステムは毎朝6時、何事もないように通知する。〈本日も快適なサバイバル生活をお楽しみください〉画面右上には常に〈人類残存数〉が表示される。数字は増えない。ただ減り続ける。世帯リンク終末開始時点で法的な婚姻関係または同一世帯として登録されているプレイヤーには、個人居室とは別に〈世帯リンク〉が発生する。世帯リンクへ所属した家族は、初期段階に限り、食料、水、回復物資、緊急避難権など一部の生存リソースを共同化できる。一見すれば家族を守るための救済制度に見える。しかし世帯主には〈構成員切離し権〉が与えられている。家族1人を世帯リンクから切り離した場合、その人物は家族共有倉庫、共同回復、緊急避難、代理入室などの権限を失う。その一方で、切離し以前に家族倉庫へ提供した物資は返還されない。さらに切離し処理は大きな警告ではなく世帯管理履歴へ記録されるだけのため、仕組みを理解していなければ、自分だけが家族から除外されたことに気づかない場合がある。1周目の航志は、システム開始直後に灰乃を世帯リンクから切り離していた。だが灰乃には知らせなかった。灰乃は自分も家族共有の恩恵を受けられると思い込み、感染者のいる区域へ入り、水、食料
last updateLast Updated : 2026-09-03
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第1話 世界が終わった日に、夫は愛人を抱いていた
右腕へ食い込んだ歯の感触は、痛みより先に重さとして残っていた。感染者は灰乃の腕へぶら下がるように顎を食い込ませ、裂けた皮膚の内側へ生温かいものを流し込んでいた。灰乃は非常用の鉄扉へ身体をぶつけ、残った左手で何度も鋼板を叩いたが、扉は外側から施錠されたまま微動だにしない。息を吸うたび肺の奥が焼け、噛まれた場所から心臓へ向かって冷たい痺れが這い上がってくる。それでも扉上部の小窓に夫の顔が見えている間は、死ぬという事実より、彼が開けてくれる可能性の方を信じていた。「航志、開けて。お願い。まだ間に合うから」小窓の向こうで、度会航志は操作盤へ右手を置いていた。灰乃の声が聞こえていないはずはなく、視線も彼女の顔から逸れていなかったが、指先だけは解錠ボタンへ近づこうとしない。背後には白い照明に守られた安全区域があり、その奥で登志江と篤一が何かを叫び、網代泉帆が両腕を胸元へ抱いていた。灰乃が命を削って運び込んだ水も、薬も、食料も、すべて扉の向こう側にあった。「悪い、灰乃。ここに感染者を入れるわけにはいかない」航志は感染者ではなく、灰乃を見ながらそう言った。苦しそうに寄せた眉も、穏やかに抑えた声も、妻を失う人間のものではなく、自分の判断を正しいと納得させる時の顔だった。灰乃はその声を何年も夫の優しさだと思い込み、従えない自分の方が冷たいのではないかと疑い続けていた。「家族を守らないと」家族という言葉が、耳の奥で意味を失った。灰乃も戸籍上は彼の妻であり、つい数時間前まで、命懸けで物資を集める理由を同じ言葉に求めていた。ところが航志の口から出た家族の中に、自分だけが含まれていなかったのだと、その瞬間になって理解した。血で濡れた床へ膝をつくと、小窓の中の航志が安堵したように操作盤から手を離す。背後から感染者の息が首筋へかかり、灰乃は夫の顔を最後まで見たまま、黒い濁流へ沈むように意識を失った。機械の低い唸りと、微かな浮遊感が身体を包んでいた。灰乃は息を呑んで目を開き、天井の白い照明と鏡面仕上げの壁に映る自分の姿を見た。血はなく、右腕の皮膚も裂けておらず、濃紺の髪は仕事へ出た朝と同じように背中へ流れている。胸の奥だけが死の直前の速さで脈打ち、1拍抜けたあとに強く打ち返したため、灰乃は反射的に手すりを掴んだ。掌へ伝わった冷たい金属が、ここが幻ではないと告げていた。スマートフォン
last updateLast Updated : 2026-09-03
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第2話 15秒の広告で100コイン
午前6時を告げる電子音が鳴った瞬間、扉の外を満たしていた濡れた呼吸音が途切れた。赤かった非常灯は白へ戻り、室内端末には〈夜間保護を終了します〉という表示が淡々と浮かんでいる。灰乃はベッドの端から立ち上がると、銀色のピルケースを鞄の内ポケットへ収め、時刻が6時1分であることを確かめた。心臓は寝不足を責めるように重く打っていたが、薬を追加するほどの乱れではない。あと6分で、5階非常口の横へ紫色のランダムボックスが現れる。解錠した扉をわずかに開くと、冷えた廊下から血と鉄錆の匂いが入り込んだ。昨夜まで登志江だったものは、扉から数歩離れた壁際に倒れているらしく、白い靴下を履いた片足だけが視界の端にあった。灰乃は顔を向けず、その足を避けて廊下へ出た。見れば何かが変わるわけではなく、見なければ死が消えるわけでもない。それでも今は、義母の最期を確かめるために使える時間がなかった。階段室には、夜のあいだに何度も何かが這い回った跡が残っていた。手すりには黒ずんだ指の筋が続き、踊り場の壁には爪で削られたような傷が幾重にも走っている。灰乃は足音を抑えながら5階まで下り、非常口脇の消火栓へ身を寄せた。端末の数字が6時6分から7分へ変わるのと同時に、何もなかった床の上で紫の光が四角く凝固する。鈴を転がしたような短い音のあと、膝ほどの高さの箱が現れた。1周目でも、灰乃は同じ場所で同じ色の箱を手に入れていた。中身は一定時間ごとに少量のコインを生み出す希少設備で、仕組みを理解した航志は、灰乃が自室へ設置するより先にそれを取り上げた。「夫婦なんだから、どっちが持ってても同じだろ」と笑い、設備を運び込んだ先は泉帆の居室だった。彼女の扉を早く強化しなければ危ないという理由で、灰乃が見つけた設備から生まれたコインは、最後まで灰乃のために使われなかった。紫の箱へ触れると、所有権を示す輪が灰乃の手首を1度だけ巡った。彼女はその場で開けず、廊下の突き当たりにある清掃用具室へ運び込む。折れたモップや洗剤の容器が押し込まれた狭い室内で鍵を掛け、換気口にも人影がないことを確かめてから蓋へ手を掛けた。紫の光が指の間から漏れ、箱そのものが砂のような粒子へ崩れていく。しかし、床へ残ったのは記憶にある銀色の設備ではなく、光を吸い込むような黒いスマートフォン型の端末だった。〈特殊権能・広告恩寵を獲得しました〉文字を
last updateLast Updated : 2026-09-03
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第3話 夫婦だから、お前のものは俺のもの
居室の床が最初に震えたとき、灰乃は水の入った容器へ蓋を戻しているところだった。小さな揺れはすぐに壁の内側を走る低い轟音へ変わり、天井から細かな埃が落ちてくる。LEVEL3へ上げたばかりの扉ではなく、部屋そのものが巨大な機械に掴まれ、どこかへ運ばれているような振動だった。壁面端末が強制的に点灯し、赤い枠に囲まれた通知が、閉じる操作を拒むように中央へ固定される。〈居室LEVEL3到達者の選別を完了しました〉 〈高危険区域への強制転送を開始します〉 〈転送先・DEAD SURVIVAL〉灰乃は鞄を肩へ掛け、低い位置で束ねた濃紺の髪を手早く結び直した。薬を収めた銀色のピルケースが内ポケットにあることを指先で確かめ、壁へ手をつきながら揺れが収まるのを待つ。昨夜公開された周辺居室ランキングで自分の名が1位へ上がった直後から、航志の通話とメッセージは途切れていなかったが、すべて無視していた。彼が知りたいのは両親の最期でも妻の無事でもなく、灰乃だけが短期間でLEVEL3へ到達した方法だった。轟音が不意に途切れると、耳の奥に残った振動だけが低く鳴り続けた。扉脇の監視表示は、昨日までのマンション廊下ではなく、白い照明が等間隔に連なる長大な通路を映している。天井は大型車両が通れるほど高く、左右には番号の異なる居室扉が果ての見えない距離まで並んでいた。ところどころで扉が開き、武器や荷物を抱えた人間が警戒しながら顔を出している。その人数の多さだけで、これまでの区域とは規模が違うことが分かった。〈参加者2048名〉 〈昼間のプレイヤー間攻撃制限はありません〉 〈夜間、変異感染者が出現します〉 〈区域内には多数のランダムボックスが配置されます〉昼間であれば感染者に襲われにくい代わりに、目の前の人間を恐れなければならない。部屋へ戻れば扉に守られるが、ランダムボックスを得られず、上位強化に必要な資源も集まらない。外へ出る者ほど強くなり、強くなった者ほど奪う価値が上がる仕組みだった。灰乃は喉の奥へ上がった乾きを、朝に口へ含んだ水の感触を思い出しながら飲み下した。最後の1行が表示された途端、遠くで誰かが叫び、硬いもの同士がぶつかる音がした。昼間の殺傷を禁じないという宣告を、システムはあまりにも平坦に告げている。灰乃は扉をすぐには開けず、監視範囲を左右へ動かした。死角に潜む人影がな
last updateLast Updated : 2026-09-03
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第4話 攻略対象は最強の男
赤い光柱の根元で、縵谷玄理は誰にも急かされることなく箱へ手を置いた。所有権を示す赤い輪が彼の手首を巡ると、周囲で様子を窺っていた数人が露骨に足を止める。大型斧の刃先から黒い血が滴り、その足元には変異感染者3体がまだ形を残して転がっていた。箱そのものの価値より、そこへ近づくために越えなければならない男の方が危険だと、誰の目にも分かった。灰乃は一瞬だけ赤箱を見たあと、迷わず背を向けた。玄理の背後では、箱を狙っていた若い男が仲間に腕を掴まれ、首を横へ振られている。力の差を理解できる者から先に諦めていく光景だった。灰乃も同じ判断をしただけで、そこに敗北感はなかった。必要なのは一番価値の高い物を奪うことではなく、次の夜まで自分が生き残れるだけの資源を、損耗を抑えて確保することだった。1周目で赤箱の中身に救われたことは何度もあるが、赤い色が必ず生存へつながるわけではないことも知っている。まして、すでに所有権が移った箱を奪うために、開始2日目からLEVEL5へ達している人間と争う理由などなかった。灰乃が欲しいのは他人の獲物ではなく、自分が取れる位置にある資源だ。頭の中で区域図を組み直し、中央通路を離れて北東側の連絡区画へ向かう。1周目の記憶が正しければ、最初の赤箱から数分遅れて、管理配管脇の死角へ紫箱が追加出現する。前の人生では、その存在を知ったのは別のプレイヤーが中身を自慢していた夜だった。取り返せなかった箱の位置や時刻まで覚えている自分を、執念深いと思ったことはない。死んだ人間に残った記憶を、今度の生存へ使わない方が不自然だった。歩き出した灰乃の背中へ、ほんの一瞬だけ視線が触れた。振り返ると、玄理は赤箱をアイテム欄へ収めたところで、こちらを見ていた。暗い琥珀色の目に感情らしいものは浮かばず、追ってくる様子もない。ただ、皆が赤箱へ殺到する中で逆方向へ向かった灰乃の判断を、確認するように一度だけ見た。それだけで玄理は視線を外し、倒れた感染者のそばへ落ちていた斧のカバーを拾い上げた。灰乃も足を止めなかった。背後では人々が玄理から距離を取りつつ、次に出る箱を探して散り始めている。その中に航志と泉帆の姿もあったが、航志だけは紫箱を抱えて離れる灰乃を見失わないよう、一定の距離を保って追ってきた。先ほどまで夫婦の協力を口にしていた男の歩調は、もう話し合いを求める人間のものではない
last updateLast Updated : 2026-09-03
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第5話 死者は私の家賃を払う
扉を開けた灰乃は、玄理の手にある銀色の薬ケースを最初に見た。薄い金属の表面には床へ落ちた際についたらしい細い擦り傷が一本増えていたが、留め具は閉じたままで、無理にこじ開けられた跡もない。玄理はケースを指先で摘まむように差し出し、灰乃が受け取るまで余計な説明をしなかった。灰乃は礼を言うより先に留め具を確かめ、蓋を開いて中へ並んだ錠剤の位置を見る。自分で朝に詰め直した順番から一つも動いていなかった。「中、見ませんでしたか」「見てない」「薬だとは分かったでしょう」「ケースを振って確認する趣味はない」玄理の返答には不快そうな色も、傷ついた様子もなかった。疑われることを当然の危険確認として受け止めているように見え、その態度がかえって灰乃を戸惑わせる。航志なら、妻に疑われたという事実を先に怒り、「夫を信用できないのか」と話をすり替えていただろう。玄理はただ、自分がしていないことをしていないと答え、それ以上を求めなかった。「ありがとうございます」灰乃がケースを鞄の最も深いポケットへ戻すと、玄理は短く頷いた。彼の視線が一瞬だけ灰乃の切れた唇へ向いたが、誰にやられたのかとは聞かない。代わりに扉の向こう、航志が去った方向を一度見てから、「鍵は閉めろ」とだけ言い残した。命令というより確認に近い声だったため、灰乃も反発せず扉を閉める。内部ロックが作動する音を聞いてから、ようやく肩へ残っていた緊張が少しだけ抜けた。床へ置いた2つの紫箱は、争奪戦の最中に確保したものとは思えないほど静かに光っていた。灰乃は先に取った箱から開封し、紫の粒子が薄暗い室内へ舞い上がるのを見守る。光が消えたあとに残ったのは、掌よりひと回り大きい黒い円盤と小型の操作盤だった。説明を開くと、〈衝撃地雷〉という名称の下へ、設置範囲へ侵入した対象へ強い衝撃波を与えること、所有居室の防衛設備として使用可能であることが表示される。「当たりね」威力は感染者を確実に殺せるほどではないが、扉への接近を一度崩せるだけでも価値はある。灰乃はすぐに使わずアイテムスロットへ収め、もう1つの紫箱へ手をかけた。こちらは開封した瞬間に光が弱く、出てきたものも終末の特殊装備とは思えないほど古びていた。木目調の外装へ黒いダイヤルが2つついた、小型の卓上ラジオだった。スピーカーの布は色褪せ、アンテナの先には細かな錆まで浮いている。灰
last updateLast Updated : 2026-09-03
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第6話 家族を捨てた妻
午後6時を過ぎてから最初の5分間、廊下は不自然なほど静かだった。LEVEL4へ上がった居室の監視画面には4方向の通路が映り、昼間の争奪戦で床へ広がった血だけが非常灯の赤い光を鈍く反射している。誰もが〈夜狩りを開始します〉という通知を見て部屋へ逃げ込み、厚い扉の向こうで息を潜めているのだろう。灰乃も椅子へ腰を下ろしたまま、紫箱から得た〈衝撃地雷〉と先ほど取得した〈局所防御膜〉の配置を確認し、広告恩寵で得た保存水を少量だけ口へ含んだ。心臓は昼間に航志と争った直後ほど速くはないものの、肩を壁へ打ちつけた痛みが残り、唇の傷も舌が触れるたび鉄の味を返していた。6時6分、最初の異変が監視画面の端へ現れた。通路の角から姿を見せた感染者は昼間までの個体より身体が大きく、片脚を引きずりながらも移動速度は遅くない。灰白色に濁った眼球が左右へ動き、血の残る床へ顔を近づけた直後、背後からさらに2体、4体、7体と増えていく。夜間に出現した感染者が昼間の死体を食らい始めると、肉を裂く湿った音が監視マイクを通して室内まで届いた。灰乃は音量を少し下げたが、完全には消せない仕様らしく、スピーカーの奥で歯と骨が擦れる音だけがいつまでも残った。最初に破られたのは、灰乃の居室から2区画離れたLEVEL1だった。薄い扉へ感染者が何度も体当たりし、所有者らしい男が内側から家具を押し当てている姿が扉脇の小窓へ一瞬だけ映った。防御値を示す数字が急速に減り、残り10%を切ったところで金属が内側へ歪む。男の悲鳴が上がり、隙間へ複数の腕が差し込まれ、扉そのものが引き剥がされるまで1分もかからなかった。監視画面には室内へ雪崩れ込む感染者の背中しか映らなくなり、その向こうから助けを求める声が数度続いたあと、急に途切れた。〈プレイヤーE-1082・死亡〉という通知が浮かび、数分後、破壊された部屋から1体の感染者が這い出してきた。服だけは先ほどの男と同じで、右腕には生存者用端末が残っている。首筋を大きく噛み裂かれているにもかかわらず身体は動き、床へ落ちていた鉄パイプを踏み越えて群れへ加わった。殺された住人がそのまま敵になる以上、夜が進むほど感染者の数は減るどころか増えていく。1体を倒している間に別の部屋が破られれば、そこから2体、3体と新しい個体が生まれる仕組みだった。次に狙われたLEVEL2の居室は、扉自体は少し長
last updateLast Updated : 2026-09-03
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第7話 夜狩り
午前1時13分、監視画面の右上で時刻が切り替わった瞬間、廊下を徘徊していた感染者たちが一斉に顔を上げた。灰乃は椅子から身体を起こし、4分割された映像へ視線を走らせた。午後6時の〈夜狩り〉開始から7時間あまり、低レベルの居室はすでにいくつも破られている。廊下には昼間の争奪戦より多くの血が広がり、感染した元プレイヤーが新たな群れへ加わっていた。それでも少し前までは、それぞれが音や血の匂いへ反応し、近くの居室を無秩序に襲っていたはずだった。ところが今、灰乃の画面に映る個体は、互いに合図を交わしたわけでもないのに同じ方向へ身体を向けている。その先にあるのは、D-0317。灰乃の居室だった。南側通路を歩いていた4体が、すぐそばにあるLEVEL2の扉を通り過ぎる。部屋の中には生存者がいるらしく、扉の小窓の奥で人影が動いていた。感染者はそこへ一度も顔を向けない。その先のLEVEL3からは内部の物音を察知したように警告灯が点滅していたが、6体の群れは足を止めるどころか速度を上げた。「……おかしい」灰乃は監視範囲を最大まで広げた。西側から9体。北側から11体。さらに中央区画を徘徊していた群れまで、進路を変えてこちらへ向かっている。倒れた人間の身体を食べていた個体さえ途中で顔を上げ、食事を捨てて歩き始めていた。感染者に集団行動を取る知性があるという情報は、1周目にもなかった。まして、より弱い居室を無視して防御値の高いLEVEL4だけを狙う理由などない。灰乃は扉前へ設置していた〈衝撃地雷〉を起動状態へ切り替え、〈局所防御膜〉の残存時間を確認した。昼間に玄理との接触条件で得た防御膜は、扉の中央から蝶番周辺までを淡い膜で覆っている。通常の感染者相手なら一晩を越せるだけの防御があるはずだった。それでも、監視画面へ映る数はすでに40を超えている。先頭の感染者が灰乃の扉へ到達した。身体をぶつけるより先に、床へ埋め込まれた黒い円盤が白く明滅する。次の瞬間、空気そのものが膨張したような衝撃が廊下を走り、先頭の数体が壁際まで吹き飛ばされた。頭部を金属壁へ叩きつけられた1体は動かなくなり、別の2体も腕や脚を不自然な方向へ折って床を転がる。しかし、その後ろから来た群れは止まらなかった。倒れた個体の身体を踏み越え、扉へ次々と衝突する。爪が防御膜を擦り、半透明の光が波紋のように揺れた。
last updateLast Updated : 2026-09-03
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第8話 生き残るためなら抱きつける
砲口から迸った白光を、灰乃は監視画面越しに見た。視界が一瞬だけ焼け、遅れて腹の底まで揺さぶる轟音が居室へ突き抜ける。解錠を始めた扉の向こうで、玄理は振り返るより早く足元の感染者の死体へ踵を差し込み、全身を使って斜め上へ蹴り上げた。宙へ浮いた死体が砲撃の進路へ入り、直撃した胸部が白い閃光の中で弾ける。爆ぜた肉片と血が壁へ叩きつけられ、わずかに軌道を逸らされた光線は玄理の右肩を掠め、そのまま灰乃の扉の縁へ激突した。金属が悲鳴を上げるように歪み、室内の照明がすべて明滅した。灰乃は反射的に壁へ片手をつき、床を伝ってきた衝撃に身体を持っていかれないよう踏ん張る。防御値の表示が27%から18%、14%と落ち、最後に11%で止まった。局所防御膜はそこで砕け、薄い光の欠片となって消える。扉そのものは辛うじて形を保っていたが、外側の装甲には焼けたような亀裂が走り、もう一度同じ砲撃を受ければ耐えられる保証はなかった。玄理は片膝をついたものの、倒れなかった。黒い武器の柄を床へ突いて身体を支え、損傷した右肩を一度だけ見下ろす。救助用ジャケットの布が裂け、その下から血が滲み始めていた。砲撃を受けたというより熱と衝撃で抉られた傷らしく、腕そのものは動いている。それでも、周囲では誘導を失った感染者たちが再び生きた人間へ反応し始め、数体が玄理へ向かって身体を起こしていた。灰乃は完全に解錠された扉を内側から押し開いた。LEVEL4の居室は本来、所有者1人を守るための空間であり、正式な入室権を他人へ与えられる段階ではない。だが、今ここで玄理を廊下へ置き去りにすれば、感染者と航志の砲台を同時に相手へ回すことになる。彼を助けたいという感情を自分の中から探すより先に、灰乃は生存率だけを計算した。玄理が外で倒れれば感染者が増え、扉前の防衛も崩れる。室内へ入れる方が合理的だった。「縵谷さん、入ってください」玄理は灰乃の顔を見た。開いた扉と彼女の背後を一瞬だけ確認し、問い返す時間を惜しむように立ち上がる。右肩を庇いながらも足取りは崩さず、最後に近づいた感染者の膝を黒い武器で払ってから室内へ滑り込んだ。灰乃は彼の背中が境界を越えたことを確認して扉を閉める。焼けたロック機構が鈍い音を立てたあと、補助錠がどうにか噛み合った。2人が入っただけで、狭い居室の空気は明らかに変わった。LEVEL4になって監視設
last updateLast Updated : 2026-09-03
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第9話 あなたが傷つくと私も死ぬ
膝から力が抜けた灰乃の身体が床へ崩れ落ちるより早く、玄理の左腕が脇へ回った。右肩を負傷しているせいで動きは一瞬ぎこちなかったが、それでも彼は灰乃の体重を受け止め、背中が壁へ強くぶつからないよう支えながらその場へ座らせる。視界の周辺はまだ暗く狭まり、胸の奥では拍動が一度抜けたあとに強く打ち返す嫌な感覚が続いていた。灰乃は反射的に壁へ片手をつき、呼吸を整えようとするが、空気を吸い込むたび喉の奥だけが冷たくなる。「大丈夫です」声にした途端、自分でも説得力がないと分かった。玄理はしゃがみ込んだまま灰乃の顔色を見ていたが、慰めるような表情は作らなかった。代わりに落ちた鉄棒を足で遠ざけ、周囲へ残っている感染者の動きを一度確認してから、低い声で言う。「大丈夫な人間は壁を掴んで立たない」「少し脈が乱れただけです」「その少しで膝が抜けたんだろ」反論しようとした灰乃は、次の拍動が落ち着いていることを確かめるため口を閉じた。玄理は急かさず、その沈黙を待っている。右肩と左前腕から血を流しているのは彼の方なのに、自分の傷を気にする様子は薄かった。灰乃はその視線が哀れみではなく確認のためのものだと分かると、鞄へ手を伸ばし、銀色の薬ケースを取り出した。「前にこれを拾いましたね」「ああ」「慢性疾患があることくらいは気づいていたんでしょう」「薬の種類までは見てない」玄理は前と同じ答えをした。灰乃はケースを開き、服用時間と残量を確認してから、必要最低限の説明だけを選ぶ。誰かに病気のことを話すたび、航志が代わりに「無理をさせられないんです」と口を挟んでいた頃の感覚が一瞬蘇ったが、今は自分の口で必要なことだけを伝えればいい。「先天性QT延長症候群です。心臓の電気的な回復に時間がかかる体質で、疲労や睡眠不足、脱水、急な大音量、強い緊張が重なると不整脈が起こりやすくなります。普段は薬で抑えていますが、完全に安全になるわけではありません」玄理の目がわずかに細くなった。灰乃は続けて、一般的な回復アイテムでは治らないこと、終末開始時に持っていた薬が20日分にも満たないことだけを告げた。症状の怖さを誇張する必要も、弱く見せないため小さく言う必要もない。事実だけを並べれば十分だった。「失神することは」「あります。ただ、今はそこまでではありません」「さっきは?」「かなり近かったです」
last updateLast Updated : 2026-09-03
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