로그인お母様の病室の前には、苓さんが手配してくれた護衛の人達が変わらず立ってくれていた。 その人達に「ご苦労さまです」と声をかけてから入室する。 病室に入ると、お母様は変わらずベッドに横になったままの姿が視界に入る。 本当に、ただただ静かに眠っているだけのような姿に、お母様は今にも目を覚ましそうな気がいつもしていた。 今日こそは、といつも思って。 そして、いつも目覚めないお母様を置いて私は家に帰る。 その時の切なさや寂しさはかなりのものだ。 「きっと、今日もお母様の病室を出る時は寂しくなってしまいますね」 私は小さく笑みを零すと、真っ白で細いお母様の手を取り、マッサージをする。 眠るお母様に話しかけつつ、マッサージをし続けていると、あっという間に時間が経った。 もうそろそろ谷島さんと約束している時間になる。 私は、病室にかけられている壁掛け時計に顔を向けた時間を確認したあと、お母様に顔を戻した。 「お母様、そろそろ私はお暇しますね。また近い内に来ます」 そう声をかけると、私は丸椅子から立ち上がった。 名残惜しい気持ちを何とか耐えて、鞄を持ち上げて病室の扉へ向かう。 部屋を出る前に、私はお母様をもう1度振り返ってから扉を開けて病室を後にした。 ◇ 茉莉花が出て行った部屋の中。 沢山の管に繋がれた茉莉花の母・羽累(はる)の指先が、ぴくりと微かに震えた。 ◇ 私は谷島さんと待ち合わせをしている病院の正面入口に向かって歩いていた。 すると、私の背後から声がかけられた。 「──藤堂、さん……?」 「え……」 どうして、ここに──。 何で、今日、この場所で苓さんの声が聞こえるの──。 私は、驚きつつ声が聞こえた背後を振り返った。 「小鳥遊、さん?」 振り向いた先に居たのは、やっぱり苓さんで。 苓さんが恋しいあまり、聞こえてしまった幻聴ではなかった。 だけど、どうして今日ここに苓さんが居るのか──。 私が不思議に思っていると、私のその様子が伝わったのだろう。 苓さんは声をかけてしまった以上、立ち止まった私を無視する事はできなくて、そのまま近付いてきてくれた。 「……藤堂さん、お体の調子が悪いんですか?」 「いえ、違いますよ。それより、小鳥遊さんこそどうされたんですか?小鳥遊さんこそ、体調不良で病院の受診を……?」
私が顔を向けた先の谷島さんは、何とも形容しがたい表情を浮かべていた。 どうしてそんな顔をしているのか分からず、私が困ったように眉を下げていると、谷島さんは言葉を選ぶように慎重に口を開いた。 「──汚れ仕事を……、専門的に扱っている……組織があるには、あります」 「え……っ!?」 「ちょっと、ここで話す事は……」 ちら、と周囲を確認した谷島さんは申し訳なさそうに言葉を濁す。 確かに、こんな所で話をする内容ではない。 私はハッとすると、慌てて謝罪した。 「そう、ですよね……!こんな事を聞いて申し訳ないです谷島さん」 「いえ、もし藤堂さんが良ければ……この後お時間はありますか?どこか、場所を変えてお話をしましょうか?」 「──いいんですか?」 「ええ。藤堂さんも病院に用があってこちらに来られたんですよね?私もここで聞き込みがありますから……そうですね……」 そこでいったん言葉を切った谷島さんは、自分の腕時計で時間を確認してから私に顔を戻す。 「──2時間後。2時間後に、この病院の正面入口で待ち合わせをしませんか?」 「2時間……。分かりました、大丈夫です。詳しいお話を聞かせてください」 私が頷いたのを見た谷島さんは「分かりました」と返事をしてくれる。 そして、自分の仕事に戻る様子を見せたので、私もお母様の病室に向かう事にした。 谷島さんと軽く言葉を交わしてから私達は別れ、私は別館に向かうために一人で廊下を歩いていた。 「……谷島刑事が言っていた事。……本当にそんな組織が……?」 もし、そんな組織があるのだとしたら、それは恐ろしい事だ。 涼子のように、自分の手を汚さずとも代わりに遂行してくれる人を派遣してくれるのであれば。 「何だか……私が知ったらあまり良くない事のように思えるわね……」 もしかしたら、お父様やお祖父様はそんな組織がある事を知っているかもしれない。 藤堂家は、古くから続く家柄だ。 自分達がそう言った怖い事に手を出さずとも、過去、今回のように恨みを買って、怖い思いをした先祖は沢山いるかもしれない。 そこで、私はふと苓さんが手配してくれた護衛の人達の事を思い出す。 「そう言えば……、苓さんも護衛の人達の手配が凄く早かったわね……」 手配をしてくれる、
翌日。 私は、会社を早退してお母様のお見舞いにやって来た。 いつものように病院の駐車場に車を停め、院内に入る。 だけど、今回からはいつものように私の隣に苓さんはいない。 いつも、視線を向ければそこには苓さんが居た。 私の視線を感じると、苓さんは優しい笑みを浮かべて「どうしたの?」と言うように首を傾げてくれていたのに、今はそこに誰もいない。 私は無意識に隣を見上げてしまっていたけど、そこに何もない事を、誰もいない事を実感してしまって。 乾いた笑いを零した。 私が廊下を進んでいると、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。 「藤堂さん?」 「──谷島さん?」 どうしてここに刑事の谷島さんが。 私が振り向いた先には、スーツ姿の谷島さんが居て。 私の目は驚きに見開かれる。 私の方へ近づいて来た谷島さんは、手に持っていた手帳を懐にしまうと私と顔を合わせる。 「お久しぶりですね、藤堂さん」 「──ええ」 谷島さんとは、あの日。 苓さんが事故に遭って、病院で会った時以来だ。 私と谷島さんは足を止めたが、ここが廊下の真ん中だと気付き隅に寄って話を再開する。 「小鳥遊の記憶喪失、聞きました……。藤堂さん、大丈夫ですか?」 気遣わしげな視線と、声。 谷島さんの優しさに私は笑みを浮かべると「大丈夫」と言うように頷いた。 「ええ、大丈夫です。苓さんが無事だった事が奇跡のようなものですもの。記憶は……きっとそのうち思い出してくれますから……。それより、谷島さんはどうしてここに?──何か、涼子の事について進展がありましたか?」 最後の一文は、声を潜めて谷島さんに問いかける。 すると谷島さんは、周囲を確認した後、身を屈めて私にだけ聞こえるように教えてくれた。 「藤堂 帝熾さんを車で送った人間について、この病院と提携している送迎サービスに登録していた男の話を以前お話したでしょう?……奴は複数の名前を使い分けて仕事をしていたらしく……。院内の防犯カメラ映像を確認して、当日男と接触した可能性がある人達に今、聞き込みを……」 「複数の偽名を使っていたって事ですか?」 「ええ、そうです。以前は名前まで調べがついたのですが、潜伏先が未だ分からず……。今は微かな手がかりでも欲しくて、あの男と接触があった人達に話を聞いていたんです」 「──涼子は、どうやっ
◇ それから、2週間──。 私と苓さんはあまり関わる事なく、日々を過ごした。 苓さんとの関わりは最低限。 仕事上、確認が必要な時に苓さんにも連絡を入れて言葉を交わす。 それ以外での私と苓さんの接触は、極力少なかった。 その関わりの少なさに、まるで私の事を避けているような、そんな印象さえ抱いてしまうほどに少なかったのだ。 「──オープン記念のパーティーでも、苓さんは私との関わりを最小限にするのかな……」 虎おじ様が企画している1号店のオープン記念パーティーには、沢山の人が招待される。 その中にはもちろん、私達の会社、藤堂グループに勤める人達も多くが参加するだろう。 そうなったら。 「……うちの会社の人達にも、苓さんの記憶喪失が知られてしまうわね」 私はふっ、と小さく自嘲するように笑みを零す。 チャリティー登山の時。 うちの戦略チームの皆と苓さんは面識があるし、私と苓さんの関係も察していた。 それに、パーティーは恐らく報道陣も招待されるだろう。 報道陣にも、私と苓さんの仲が終わったと思われてしまう。 「……また、記事にされそうね」 以前のように、面白おかしく書かれてしまう可能性が高い。 そんな事が再び起きれば。 信用を失い、今度こそ藤堂グループの株価にも影響が生ずるかもしれない。 「──本当に、どうしてこんな事に……」 私は、自分の顔を両手で覆って頭上を仰ぐ。 悪い事ばかりが立て続けに起こっていて。少しでも気を抜けば、そのまま真っ逆さまに落ちていくような気がする。 こんな時に思い出したくないのに、私の頭の中にはふとある文字が思い出された。 先日、苓さんが事故に遭った時にスマホに送られてきた文章。 私に関わる人は、本当に皆不幸になっていく。 私と関わったから。 「──いえっ、駄目よ。こんな風に考え込む事こそ、良くない兆候だわ。悪い事ばかり考えていたら……駄目なのに……」 悪い事が続くと、思考もマイナス方向に傾いてしまって、良くない。 明日は、久しぶりのお母様のお見舞いの日だ。 私はぱちぱち、と自分の頬を両手で叩いた。 「せっかくお母様にお会いするのに、暗い顔をし続けてたら、駄目よね。心配をかけてしまうわ」 以前までは、お母様のお見舞いには必ず苓さんも一緒に来てくれていた。 だけど、明日は久しぶりに自分
くしゃり、と苓さんの顔が辛そうに歪む。 どうして苓さんがそんな顔を──。 昔の、私の事を覚えてくれていた苓さんだったら、苓さんが辛そうな顔をするのも、分かる。 だけど、今の苓さんは私の記憶が無い。 見知らぬ、面識のない人間だ。 それも、苦手な女性──。その、はず。 それなのに、こんな風に気にしてくれていると言うのは、頭の隅に、ほんの少しだけでも私の記憶が残っているから、だろうか。 そんな、自分に都合の良い事を考えてしまう。 (駄目ね、期待しては……辛いだけ……) 私は、苓さんの視界から痣が出来てしまっている方の腕を隠すようにデスクの下に移動させた。 「──少し、強く掴まれてしまっただけですから。大丈夫ですよ」 「少しって……それだけ痕が残るって、相当強い力で掴まれていると思うのですが……一体、誰が?」 苓さんの心配そうな視線が私に刺さる。 御影さんの事を言っても、今の苓さんは彼に対して嫌悪感は無いだろう。 それならば、理由を説明してしまった方が苓さんも納得して部屋を出て行ってくれるかもしれない。 私はそう考えると、さらっと理由を話す事に決めた。 「昨夜、家に御影さんが訪ねて来たんです。その時に少しお話した時に」 「御影さん……?御影って、御影ホールディングスのあの御影専務ですよね?」 「え、ええ……そうですが」 「どうして、彼が……藤堂さんの家に来るって……お二人の関係性って……」 苓さんはぶつぶつと小さく呟くと、痛みを耐えるように顔を顰める。 「……御影、御影専務……確か、俺は以前にも……」 「小鳥遊さん……?」 「俺は、彼と何か言い争いをした事がありますよね……?彼に対して抱いているこの嫌悪感って……」 「……小鳥遊さん、別に無理に思い出さなくて大丈夫ですよ。頭が痛そうです」 「いえ、だけど──」 私は辛そうに顔を歪める苓さんをこれ以上見ていられなくって。 茶色い封筒をデスクに置いた私は、苓さんがもう片方の手に持っていた湿布の袋をそっと抜き取る。 「余った分は、後で私が矢田主任に戻しに行きますね。頂いた書類には、目を通しておきます。……わざわざ届けに来てくださって、ありがとうございました」 もう大丈夫ですよ、そういった意味を込めて私は苓さんに笑いかける。 すると、今にも泣きそうにぐしゃり、と顔を歪め
苓さん──? どうして、ここに。 今日は特に仕事の打ち合わせも何も入っていない。 私がびっくりしていると、矢田主任がはっとしたような顔をして、納得したように頷いた。 「──なるほど!藤堂本部長は既に小鳥遊部長にお伝えしていたんですね……!だからこちらに……!」 そっか、そっかあ!とふふふ、と楽しそうに笑う矢田主任。 矢田主任は、苓さんが記憶を失っている事を知らないから。 だから、そんな勘違いをしているのだろう。 苓さんが記憶を失っている事を、周囲に知られる事は裂けたい。 そんな事を考えた私が口を開くより先に、苓さんが落ち着いた様子で矢田主任に答えた。 「──湿布を持っているんですか?」 「ええ!私のデスクにあるので、持って行きますよ!」 「いえ、一緒に取りに行きます」 「分かりました!藤堂本部長、少し待っててくださいね!」 じゃあ、私はここで。 そう言いながら矢田主任は苓さんを連れてあっという間に部屋を出て行ってしまった。 私が止める暇もなく、苓さんも矢田主任に着いて行ってしまって……。 「……どうしよう、気まずいわ……」 本当に苓さんはこの部屋に戻って来るのだろうか。 私と一緒にいるのが気まずそうだったのに? 私がそんな事を考えていると、少しして再び扉がノックされる。 私が返事をすると、苓さんが姿を現した。 手には、矢田主任から預かったのだろう。 湿布が入っている袋を手に持っている。 「失礼します」 カツカツと踵を鳴らして私のデスクまで歩いてやって来た苓さんは、目の前でぴたりと足を止めると、口を開く。 「藤堂さん、湿布を貼りましょう。ソファに座ってください」 「──小鳥遊さん、1人で貼れますから大丈夫ですよ。それより、小鳥遊さんはどうしてここに?」 私は、苓さんから視線を逸らしつつそう告げる。 すると、苓さんは目を伏せたまま答えた。 「……兄から、これを届けるようにと伝えられて……」 「圭吾さんから……?」 私が圭吾さんの名前を口にすると、苓さんの表情が強ばる。 どうしてそんな反応をするのかは分からないけど、苓さんが反対の手に持っていた茶色い封筒を見た私は自分の手を差し出した。 「わざわざありがとうございます。受け取りますね。後で確認します」 そして、湿布も一緒に渡してもらえれば。 私が湿
「と、藤堂社長!?」 「どうしてここに……!」 御影さんと涼子と一緒にいた他の男性3人が、お父様の姿を見て驚いたように声を上げる。 そして、その3人は真っ先にお父様に近付き挨拶をした。 「お久しぶりです、藤堂社長」 「こちらでお会いしたのも何かのご縁!もしよろしければ少しお話でも……」 「我々は、食事がキャンセルになってしまったのですが、もしよろしければご一緒に──……」 お父様と知り合い
病院の院長が同席した診察室は、とても重苦しい空気と、緊張感に包まれていた。 整形外科の医師に怪我の処置をしてもらい、医師が口を開いた。 「全治2週間ですね。3日ほどは絶対安静にしてください。お風呂も湯船に浸からず、シャワーで済ませてください」 「だそうだが、茉莉花。その足だと不便だろう?入院しておくか?」 「と、とんでもないです!家に戻りますお父様」 入院なんて、大袈裟だと思う。 多分松葉杖を使えば動き回る事
お店に着いた私たちは、店員に案内されて席に着く。 お昼時を外した中途半端な時間と、車がないと繁華街から離れた場所にあるからか、店内はそこまで混みあっておらず、すんなりと中に入れた。 席に着いて、メニューをいくつか注文したあと、私は苓さんに話しかける。 「やっぱり、庭園があるとアクセスの良い都内だと難しいんですね。広い土地が無いと日本庭園を付加したカフェが作れません」 「……そう、ですね。そうするとやっぱり郊外か、都外になってしまいますね……都内に住んでいる人の多くは車が無くても不便じゃないですし、庭園カフェには中々来る事が出来ないかも……」 口元に手を当て、考える苓さんに私も頷く
苓さんは、少し恥ずかしそうに自分の口元を手で覆いながらまるで懺悔をするように告げる。 「それに……深いキスをしたら、我慢できなくなって茉莉花さんを襲ってしまうかもしれません……。俺の忍耐力なんて、茉莉花さんの可愛らしさの前では簡単に吹き飛んでしまうんです」 「──っ」 お、襲う……!? まさか苓さんの口からそんな衝撃的な言葉が出てくるとは思わず、私まで顔を真っ赤にして押し黙ってしまう。 ちらり、と苓さんは私を見あげ、そして周囲を







