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第4話

Author: チビッコ
目を開けると、眩しい光が目に飛び込んできて、彼女は思わず手で顔を覆った。

「莉緒!」視界に飛び込んできたのは祐介の顔だった。彼の目に喜びの色を浮かばせて言った。「君、妊娠したんだぞ!」

莉緒は呆然としながら、無意識に自分の平らなお腹をそっと撫でた。

そういえば生理が遅れていたけど、まさかこんなことになっていたなんて、考えてもみなかった。

「莉緒、全部俺が悪かったんだ」祐介はベッドのそばに座り、おそるおそる莉緒の手を握りながら優しく言った。「勘違いなんだ。沙耶香のお腹の子は、彼女のひどい元カレの子供だよ。彼女が一人で可哀想だから、面倒を見てやっているだけなんだ」

莉緒は祐介の手を振り払うと、鼻で笑ったが、何も言わなかった。

そんな彼女を見て、祐介はため息をついて立ち上がった。「ゆっくり休んでろ。何か食べるものを買ってくるから」

彼は背を向けて部屋を出ていき、足音はだんだん遠くなっていった。

莉緒は閉ざされたドアを見つめながら、また無意識にお腹に手を当てていた。

すると突然、隣の病室から笑い声が聞こえてきた。その甘ったるい声は、沙耶香のものだった。

続いて、慣れ親しんだ祐介の低く優しい声が聞こえてきた。

莉緒はスマホを手に取り、ボディーガードに電話をかけた。「書斎の引き出しに入っている離婚協議書、持ってきて」

30分後、ボディーガードが静かに病室に現れ、莉緒にファイルを手渡した。

莉緒は離婚協議書を開き、署名欄の上で指先を止めた。

今の祐介が、簡単にサインするはずがないことは分かっていた。

そう思っていると突然ドアが開かれたので、彼女は慌てて手に持った書類を隠した。

祐介が上機嫌な顔で入ってきた。「莉緒、君の代わりに沙耶香に謝っておいたぞ。彼女許してくれたよ」

それを聞いて莉緒は顔を上げ、冷たい目つきで言った。「私が彼女に許してもらう必要なんてあるの?」

祐介の笑顔が一瞬固まったが、すぐにまた優しい表情に戻った。「お詫びに、お芝居のチケットを買ったんだ。今夜、沙耶香と一緒に観に行かないか?」

すると莉緒は彼を数秒見つめ、ふと口の端を上げた。「いいわよ」

劇場に着くと、沙耶香が白いワンピース姿で、祐介の隣におとなしく寄り添いながら、時々、莉緒のほうを盗み見ては、得意げな視線を向けてきた。

莉緒は劇場の入り口に立ち、誰もいない客席を見つめて、心臓がどきんと高鳴った。

「葛城社長が人混みだとご迷惑になるからって言って、貸し切りにされました」支配人は丁寧に案内した。「こちら、以前からお気に入りの席をご用意させていただきました」

そのれ最前列の真ん中の席。7年前とまったく同じ場所だった。

あの頃、祐介はまだ目立たない一般社員で、3ヶ月分の給料を貯めて、やっと2枚のチケットを買ってくれてたのだ。

あの日、彼は公演中、ずっと莉緒の顔ばかり見つめていた。

そう思っていると、「沙耶香も一緒に座ろう」祐介はうなずきながら言った。

だが、沙耶香は隅のほうに立ち、スカートの裾をいじりながら言った。「ちょっとトイレに行く」

彼女は目を赤くしていて、まるですごく傷ついたみたいだった。

しかし、祐介はそれに気が付かないように、平然とした顔で莉緒を席に座らせようとした。「俺たちが初めてお芝居を観た時のこと、覚えてるか?君はあの時……」

「覚えてるよ」莉緒は彼の言葉を遮った。「あなたはあの時、一生こうして一緒に観に来たい言ったわね」

それを聞いて祐介の笑顔が一瞬だけ固まり、それからまた笑い出した。

「もちろんさ。子供が生まれたら、今度は子供と一緒に来よう。一生一緒に居ような!」

そう言っていると、舞台の照明が灯り、役者たちの演技が始まった。

祐介は最初こそ莉緒の手を握っていたが、10分も経たないうちに、そわそわと肘掛けを指で叩き始めた。

「沙耶香、まだ戻ってこないな」彼は三度目に時計を見て言った。「ちょっと様子を見てくる」

莉緒は、がらんとした劇場に一人取り残された。

役者たちのセリフは耳を通り過ぎていくだけで、一言も頭に入ってこないのだ。

ついに彼女は席を立ち、祐介の後を追った。

トイレに続く廊下は薄暗かった。莉緒が角に立つと、個室のほうから微かなか細い声が聞こえてきた。

「舞台の上でやってるのは、あいつに見せるための芝居さ」祐介の声は楽しそうだった。「今ここでは俺は君一人だけの役者さ」

それを聞いて沙耶香は涙を拭いながら、笑顔を見せた。「じゃあ、うさぎの真似して!」

「はいはい」祐介は甘い声で言った。「ほら、こうやって――ぴょん、ぴょん」

一方で、それを目の当たりした莉緒は、ぎゅっと拳を握りしめた。

それは3年前、莉緒が仕事のミスで落ち込んで会社の隅で泣いていた時も、祐介はこうやってうさぎの真似をして彼女を笑わせてくれたからだ。

あの時、彼はこのうさぎさんは、彼女だけのものだと言っていた。

そう思いつつ、莉緒は声を出さず、一歩ずつ客席へと戻っていった。

その後、祐介と沙耶香は時間差で戻ってきた。二人からは、同じ香りがした。

「ずいぶん長かったじゃない」莉緒は振り向きもせずに尋ねた。

「沙耶香が具合悪そうでさ。少し付き添ってたんだ」祐介は自然に席に座った。でも、彼の右手はこっそりと沙耶香のほうへ伸びていた。

莉緒の視界の端で、二人の指が椅子の影で絡み合うのが見えた。彼女が振り向くと、彼らは慌ててその手を離した。

「莉緒」祐介はそれからさらに、何もなかったかのようにキスをしようと顔を近づけてきた。

莉緒は顔をそむけてそれを避けると、バッグから離婚協議書を取り出した。「約束したでしょ。サインして」

薄暗い照明の下で、祐介の表情が一瞬、凍りついた。

彼の視線が書類の上をさっと滑り、喉をごくりと鳴らした。「これは?」

「誓約書よ」莉緒は静かに言った。「昔みたいに」

それを聞いて祐介の肩の力が明らかに抜け、どこか甘やかすような笑みが浮かんだ。「まったく、君は」彼はペンを取り出すと、流れるような筆跡で名前を書いた。

「母親になるっていうのに、まだそんな子供みたいなことをして」

莉緒はその見慣れたサインを見ながら、ここ数年、祐介がいつもこうだったことを思い出した。彼女が気まぐれで書いた誓約書一枚一枚に、こうしてサインをしてくれた。

【莉緒だけを永遠に愛することを誓う】

【毎日おはようとおやすみを言うことを誓う】

【他の女性と二人きりで食事をしないことを誓う】

あの頃、祐介はいつも「子供だな」と笑いながらサインをし、そして莉緒を抱きしめてこう言った。「俺の一生は君のものだ。誓約書なんて、いくらでも書いてやるさ」

だから今も、彼はこれがどんな書類かも確かめずに、サインをした。

「よし」祐介は書類を莉緒に返し、ついでに彼女の頬を軽くつねった。「君との約束を、俺が破ったことなんてないだろ?」

ちょうどその時舞台の上では、ヒロインが胸を張り裂かれんばかりに叫んでいた。「あなたは、自分が何を失ったのか、分かってさえいないのよ!」

それを聞いて莉緒はフッと笑い、その書類をバッグにしまった。
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