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九十九の願い事⑬

Author: 佐藤紗良
last update Last Updated: 2025-05-11 20:00:21

廊下を歩く足音が聞こえる。

雨戸を閉め切ったまま何日も過ごした自室の布団の中で、佐加江は目を覚ました。

「佐加江!」

「……おじさん」

「とうとう来たのか」

家中に充満した精液とフェロモンの残り香。越乃がハンカチで鼻と口を覆い、眉間にしわを寄せながら雨戸を開けていた。佐加江は久しぶりに浴びた陽射しに目を細める。

「……うん」

「薬は飲まなかったのか」

「わけが分からなくなっちゃって」

「そうか。……心配した。何度も電話したんだ、携帯にも保育園にも。村長も尋ねて来ただろう。一人で心細かったな、大丈夫だったのか」

「青藍が、いてくれたから」

越乃は妙な胸騒ぎを覚えた。

この村に、そんな名前の男はいない。それに抑制剤を飲まなかったとなると、フェロモンの匂いで様子を見に来たアルファである村長が気付くはずだ。取り乱した越乃が、佐加江のうなじを見たが噛み跡はなかった。

「セイランというのは、……誰だ」

窓から見える鬼治稲荷神社の赤い鳥居を、佐加江が見つめている。

「佐加江、よく聞きなさい。仕事は辞めていい。連絡はしておくから、もう行くな」

「おじさん、何を言ってるの?」

「無断欠勤を一週間もして、ご迷惑をおかけしたんだ。家にしばらくいなさい」

「でも」

「家から一歩も出ては駄目だ」

それだけ言い残し、越乃は急いで診療所へ向かった。

「学長、とうとう来たようです」

診察室にある備え付けの電話で、越乃は佐加江に聞こえないよう小さな声で藤堂へ連絡を入れた。

「ええ。いろいろあったようですが、噛み跡はついてません。今日から一歩も外へは出さないつもりですが、……もしもし?」

電話が切れてしまった。途中、ノイズが入ってよく聞き取れなかったが、内容は伝わっただろう、と越乃は受話器を置いた。

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