数日後、美咲がまた訪ねてきた。前回のような恨みはもうなく、どこか落ち着かない様子で、その瞳は少し虚ろに見えた。彼女は帝都で知り合いが悠介と私しかいないと言った。今は悠介が相手にしてくれないから、図々しいと思いつつも私に話を聞いてほしかったのだという。どうせ愚痴だろうと思ったが、彼女は涙ながらに訴えた。「一年間、ずっと無視されてるの。夜も一人で、孤独で……」やがて声を震わせながら嗚咽を漏らす。「彼が憎い。私を帝都に連れてきて、あなたと別れて私と結婚するって言って、いい暮らしをさせるって約束したのに。今さら愛してないなんて言って、また私を一人に置き去りにした。二度も見捨てられた。でも私には彼以外に頼れる人がいないの」私は静かに答えた。「だったら割り切ったら?いい生活のための手段だと考えれば」美咲はぽかんとした顔を見せた。「実はね、来る前は怒られると思ってた」私は首を振った。「もう今は不自由なく暮らしてるから、あなたを責める気はないわ」「じゃあ……また来てもいい?」美咲は目を輝かせて尋ねてきた。「やめておきなさい」今日こうして話したのは、私の優しさゆえだから。彼女が帰った後、私はまた退屈な日々に戻った。帝都の御曹司たちが父を通じて再婚する気はないかと打診してきたが、私はすべて断った。五年間、悠介のために家事も会社も支えてきて、もううんざりだったのだ。一人で過ごした一年の自由のほうがずっと心地よかった。父もそれを理解してくれて、丁寧に断ってくれた。ただ一人、しつこいのは悠介だった。花束、限定バッグ、ネックレス――次々と贈られてきたが、私は一度も包装を開けずに返した。数日後、私は南に戻ることにした。出発の日の夜、雨の中、悠介が見送りに来た。髪は少し乱れ、頬はこけていた。ほんの数日見ないうちに、人が変わったようだ。私は軽くうなずき、礼だけ返した。「今はここを離れられない。順調すぎたせいで敵を作りすぎたのかもしれない。会社も狙われて、破産の危機だ。これって自業自得かな。昔、君の親父が破産した時、俺はひどいことを言った。その罰かもしれない」私は心を乱さず答えた。「それは経営に失敗しただけでしょ。私には関係ないわ。私の父がいなくても、同じ結果にな
最初の一度は、愛していたから見て見ぬふりができた。けれど二度目は本当に悲しくて、離婚を決意した。「今のままじゃだめなの?二度ともあなたは美咲と結婚したい、私とは離婚したいって言った。私はもう同意した。どうして今さら私を探しに来るの?」悠介の目が赤くなり、口を開いたものの、何を言えばいいのか分からない様子だった。「復縁したくて来たんだ。俺は美咲と結婚していない。式さえ挙げていない。あの家は君の帰りを待っている」私は首を振った。「ここが私の家よ。私に別の家なんてない。ほかに用がないなら、もう帰って」悠介は泣いた。それでも帰ろうとはしなかった。私はもう相手にする気になれず、背を向けて自分の部屋に戻る。母の話では、両親が戻ったとき、悠介はまだリビングに座っていたという。無理やり追い出されたあとも、玄関先に立ち尽くし、動かなかった。美咲が迎えに来るまで。その後の数日、父はあちこちに挨拶回りに出かけていた。私は暇を持て余し、昔の友達を誘って出かけた。提灯祭りを通りかかると、美咲の姿を見つける。彼女は一人で立ち、兎の提灯を見つめてぼんやりしていた。友人たちも気づき、ひそひそと囁く。「あの子が、あなたの元旦那を奪った人でしょ?よく顔を出せるわね。みんなに白い目で見られるのに」昔のこともあり、帝都に戻って数か月たつが、彼女は友達もできていなかった。私は彼女を無視し、友達の手を引いて先に進む。友達が思わず吹き出した。「彼女に何か不満でも?前の夫はDV男だったし、今度のは金持ちでイケメン。私なら嬉しくて死んじゃうわ!」でも彼女の浮かない顔の理由は、私には分かる気がする。彼女が望んでいたのは、きっとこんな生活じゃなかった。歩いているうちに、彼女が後をつけてきているのに気づく。私は立ち止まり、友達に目配せして先に行かせる。美咲が隣に並び、声を小さくして恨めしそうに言う。「綾音、あなたが憎い」私は思わず苦笑する。すべてを譲ったはずなのに、今度は私を恨むなんて。美咲は続ける。「あなたが悠介と結婚しなければ、私たちはこんなに苦しむこともなかった。今、彼があなたを愛することもなかった」私はため息をついた。「私に何の関係があるの?昔から彼が私を
美咲は慌てて戻ってきた。悠介に何かあったのではと胸騒ぎがしたから。彼の焦った顔を見て、思わず声をかける。「どうしたの?」悠介は深刻な表情のまま彼女を相手にせず、鍵をつかんで外へ駆け出した。美咲はふらつきながら後を追い、泣きそうな声で叫ぶ。「悠介、もう私を置いていかないで……」アクセルを踏み込むと、両側の景色が帯のように流れていく。空港に着いた彼は、秘書が調べたばかりの便を探す。だが飛行機はすでに離陸していた。やはり一歩遅かった。胸が激しく鳴り、全身の力が抜けてよろめく。しばらくして、彼は両手で顔を覆い、涙をこぼした。涙がぽたり、ぽたりと床に落ち、周囲の視線が集まる。彼もすべてを捨てて、あの飛行機を追いかけたいと思った。けれど背後には彼を縛るものが多すぎて、一歩も動けなかった。悠介は抜け殻のように家に戻る。彼の母が駆け寄って問いかける。「一体どうした?」彼は首を振り、ただ一言。「結婚式は中止だ」本来なら今日は、彼の人生でいちばん幸せな日になるはずだった。だが綾音が去った。ようやく彼は気づく。美咲への想いは、若い頃の手の届かない憧れにすぎなかったと。彼は何年も自分をごまかし、綾音を愛していないと言い張り、すべては権力と金のためだと思い込んできた。だが今や綾音の父の支配からも自由になっていた。そのうえで綾音まで失った――何よりも彼の心を痛めた。一年後、叔父から連絡が入った。父の事件は再審で無罪となったという。その話は業界でも話題になり、私たちに帝都へ戻るつもりはないかと尋ねてきた。けれど父はこちらでの事業が順調で、私と母もこの暮らしを気に入っていたため、再起の誘いは丁寧に断った。叔父は続けた。再審を助けたのは彼ひとりではなく、悠介も動いていたのだ、と。悠介が今の地位を築けたのは、父の功績が大きい。彼にとって父は、元義父であると同時に恩人でもあった。義理があるのなら、父を助けるのは当然だ。やがて父が言う。「帝都を見に帰らないか。結局のところ、あそこが故郷なのだから」私は答える。「ここで十分幸せよ。二人がいる場所が、私の家だから」けれど、帰るのも悪くない。しばらく戻っていなかったのだから。父と母も同意し、私は一緒に旅行気分で帝
一時間後、私は空港で両親と再会した。二人はもう私の離婚を知っていて、目を赤くしてため息をついた。「分かっていたなら、最初からあの人と結婚させるんじゃなかった」私は何も言えなかった。あのとき帝都には名門の御曹司が何人もいたのに、私は何もない悠介を選んだのだから。南行きのフライトは長かった。飛行機を降りてタクシーに乗り、仮で押さえていたホテルに着く。ここには根付けない気がしていた。だが意外にも翌日には、この場所を気に入っていた。両親と数日出歩きながら、かつて売った宝飾品の代金でマンションの一室を買った。市の中心部にある広めの部屋で、明るく、ベランダからの眺めもいい。私は母と一緒にベランダに好きな花を植える。普通に暮らしていけるだけのお金を残し、余った分は父に渡し、起業資金に回してもらった。私はそういうことに興味はなく、残高の利息だけでも当面は暮らしていける。ここでは帝都で食べたことのない料理を味わい、見たことのない景色にも出会えた。月日が流れ、ベランダの花は光に向かって咲き誇り、ときおり風に揺れる。私は少しずつ、悠介との日々を忘れていく。彼に置き去りにされ、冷たくされ、孤独に過ごした夜を。時間が経てば、すべてが癒えていく。私は再び父の会社の忘年会に出席する。規模は以前よりはるかに大きかった。母は食事中にぼんやりしている私を見て尋ねる。「あの人のことを思い出したの?」私は首を振る。「そんなことない。さっきまでやってたゲームの続きが気になってるだけ」母はくすっと笑う。「分かった。お父さんに一言言っておくから、早く帰りなさい」私の目が輝き、母の腕をぎゅっと抱きしめる。「お母さん、ありがとう!」結婚式当日、悠介は眠れなかった。目覚ましが鳴るとすぐに起き、小川綾音(こがわ あやね)とのLINEを開く。メッセージを打っては消し、また打っては消した。実は、離婚届を出したあの日の言葉は、怒りに任せただけだったと言いたかった。本気で離婚したいと思ったことはなかった。あの日の書類も、彼女を黙らせたかっただけだ。いつからか分からない。彼は綾音に対して言葉がきつくなり、彼女を苦しめるほどになっていた。綾音がつらそうにしているのを見るたび、宝飾品を買
市役所に向かう途中、悠介はずっと不機嫌だった。その日は人も少なく、三十分もかからずに手続きが終わる。悠介は書類を手にすると、足早に去っていき、私を家まで送ろうともしなかった。明日には愛する人と結婚するのだから。そう思えば納得できた。家の中では料理人からメイドまで、皆が慌ただしく動き回っている。普段なら声をかけてくれるのに、今は軽く会釈するだけで通り過ぎていく。私は部屋に戻り、最後の荷物をまとめる。現金に換えられるものは、もう全部手放していた。それでもスーツケース二つ分になった。誰も気にかけないうちに、私は二つのスーツケースを外へ運び出す。明日出発するときは、バッグ一つ背負えばいい。まだ時間があったので、両親にメッセージを送り、明日自分も一緒に行くことを伝えた。送信した直後、メイドが服を一着持ってきた。「悠介さんからお預かりしています。明日は結婚式を見に来るのを忘れないで、それから美咲さんの悪口は言わないように、とのことです」それは明るい黄色に細かいラメが散りばめられた、美しいロングドレスだった。一目で高価なものだと分かる。私はうなずいて受け取った。メイドはさらに続けた。「この数日、冷たくして怒らせるようなことを言ってしまったそうです。気にしないでほしい、と。数日後には外へ連れて行ってくださるそうです」私はまたうなずく。心の奥の刺すような痛みはわずかに残っていたが、それでも耐えられる。メイドが尋ねる。「奥さん、悠介さんに何かお伝えしたいことはありませんか?」胸に広がったのは、ただ虚しさだけ。美咲を正妻にするために、私にきれいなドレスを渡し、体裁を整えようとしている。いったい何を言えばいいというのか。彼女はしばらく待っていたが、結局私から何も聞けず、一言だけ残して去っていった。その夜、私は眠れなかった。寝返りを打ちながら、布団を頭までかぶり、ただ自分を落ち着かせようとした。明日出発すればいい。夜明け前、私は早く目が覚め、バッグを持って部屋を出た。起きたばかりのメイドが慌てたように声をかける。「綾音さん、まだ朝食の準備ができていません」私と悠介の離婚は、もう皆に知られていた。彼女たちの呼び方も変わっていた。私は首を振った。「いいの
時間ができたので、私はまた嫁入り道具の一部を売って現金に換えた。一日中私を無視していた悠介が、突然部屋に入ってくる。「お前の親父は刑務所に入らずに済んだが、大金を払って、会社からも追い出された。帝都にいられなくなって、南へ行くらしい。お前の母親も一緒だ。お前は俺と一緒にいれば、今でもいい暮らしができるんだぞ」暗い顔のまま立ち尽くした彼の表情は読み取れなかった。私は黙ってうなずく。父の状況さえ違っていれば、私は帝都で別の人を選び、十分に暮らしていただろう。彼と結婚しなくても。私が黙っていると、悠介は懐から指輪を取り出し、テーブルに叩きつけた。「嘘をついたな。これ、売っただろう」彼は歯を食いしばり、怒りを隠さずに言い放つ。私は淡々と答える。「私の物よ。売りたければ売る。それだけ」悠介の眉間に皺が寄る。「店主から聞いた。お前、最近あそこでずいぶん売ってるらしいな。普段は家にこもっているくせに、急に金が要るのはなんのためだ?」私は彼の目を見据え、平然と告げる。「今、父と母が南に行くから。慣れない土地で困らないように、お金を持たせてあげたいの。それじゃだめ?」その説明で、彼は渋々納得したように見えた。さらにいくつかの品を取り出す。すべて、数日前に私が売った宝飾品だった。彼の目に怒気が宿り、私を射抜くように見つめる。「これらもそうだ。全部俺がお前にやったものだぞ。売ったのは、俺に腹を立ててるからか?」私は小さくため息をつき、それらを箱にしまった。ここで売れないなら、南で売ればいい。「返事しろ!」悠介が勢いよくテーブルを叩く。私は箱の蓋を閉めてから口を開く。「違う。ただ必要ないのよ」彼からもらったものは、ただ目障りでしかなかった。悠介は鼻で笑い、目に嘲りを浮かべる。「お前の親父がいなければ、今俺と結婚してるのは美咲だった。お前に嫉妬する資格なんてない」私はうなずく。「分かってる」何度も聞かされ、もう耳にたこができそうな言葉だった。私が素直に応じると、彼の表情は幾分和らぎ、帰り際に言った。「最近寒くなってきたんだ。コートを一枚余分に着るのを忘れるな」私はまたうなずく。「分かった」彼らの結婚式まで、あと一日。家の中は祝いの