Masukすると、遠くの方からこちらに歩いてくる女将さんが見える。「あっ、女将さん!」あたしは女将さんに笑顔で手を振る。「依那ちゃん」あたしを見つけてフワッと笑う女将さん。そして、ここまで辿り着くと、少し女将さんも緊張した表情に変わる。そんな女将さんの視線はもちろん慧さん。「今日は、お招きいただいてありがとう」女将さんは少し様子を伺うように、慧さんに声をかける。「いえ……。こちらこそ。わざわざ来ていただいてありがとうございます……。どうぞ座ってください」「ちょっと慧さん! なんか堅苦しいです!」「えっ……?」「なんかお仕事みたいです」緊張しているのはわかってはいるけど、でもあまりにも二人がガチガチで、会話もなんか仕事っぽくて。こんなんじゃ親子の雰囲気になりそうになくて、あたしはつい慧さんに指摘する。「あ、あぁ。そっか……。いや、でもいきなりはなんか……」「親子なのに?」「いや、それはそうなんだけど……」「よし。今から慧さんは女将さんに敬語はなしにしましょう」「は? いや、でも……」珍しく慧さんがずっと動揺している。だけど……、あたしも引かない!「慧さんが敬語やめないなら、あたし帰ります」「えっ!? はっ!? ちょっ、何言ってんの!?」あたしのいきなりの発言に慧さんが今度は違う動揺をし始める。「あたしが帰るのは嫌ですか?」「そりゃもちろん!」「じゃあ、そうしてくれますよね?」だけど、まだ少し躊躇している慧さん。「――ね!?」あたしはそれでも引かずに隣に座りながら慧さんをじっと見つめて更に念押しする。「あぁ~もうわかった! わかったから!」「フフ。よかった。敬語になったらすぐ帰りますからね♪」よし勝った!あたし
「いらっしゃい。慧くん」中に入ると、本村さんのお母さんが笑顔で出迎えてくれる。「特等席。ちゃんと用意してあるわよ」「ありがとうございます」慧さんが言葉を返して、またあの素敵な特等席まで移動する。慧さんが女将さんが来るまで少し気持ちを落ち着かせたいのと、この特等席に案内してもらう目的で、女将さんには待ち合わせを少し後にしてもらった。女将さんには入口で名前を伝えてもらうことで特等席に案内してもらえるようになっていると慧さんが教えてくれた。そっか。ちゃんと女将さんも特等席に招待したんだな……。前に慧さんが教えてくれたのは、この特等席は他の一般のお客さんには一切案内してない席だということ。慧さんがこのお店を作る時に、特別に作ったこの場所。秘密の隠れ家のようなこの空間は、慧さんのたくさんの想いが詰まっている。自分が初めてここに来れた時もすごく嬉しかったけど、今女将さんを……お母さんもこの場所に通したということが、前と違う嬉しさが込み上げてくる。慧さんは少しずつ自分から歩み寄っている。自分の人生に大きな影響を与えた人ではあるけれど、だけど慧さんは離れてしまう前は、とてもお母さんが好きだったことはわかるから……。「この席で、二人は会えるんですね」「あぁ……。うん。今日は自分にとって大切だと思ってること、全部伝えておきたいと思って……」「はい。嬉しいです」「もし。依那ともっと前に出会っていたら。依那のお母さんも、この場所に招待したかった」「慧さん……」今の慧さんは余裕なんてないはずなのに、あたしのお母さんのことまで……。「ありがとうございます……。このお店。ホント大好きだったんで、きっとそうなってたら大喜びしてたと思います」「うん……」あぁ、そんな世界が存在がしていたかもしれないと思っただけで胸が温かくなる。決して叶わない現実だけど、でも自分の中でそんな想像が出来ただけで、とても満ちた気
「まさか、この店にあの人が来ることになるなんて思ってもみなかった よ」車から降りてお店に向かいながら、慧さんはフッと笑ってそんなことを呟く。「あっ、先に来ちゃってすいません」「いや。依那があの人を連れてきてくれたから、自分もこの店で会おうと決心出来たんだ」「そっか……。なら、よかったです」「自分の中でも確かにいつかそんな日が……なんて、心の中では思っていたような気もするよ」「はい……」女将さんと会う決心をしたからだろうか、いつもより慧さんは素直な言葉を口にする。「あっ、でも、慧さんが関わった初めてのお店とか、本村さんのご両親だとか詳しいことは一切伝えてません」「そっか。うん。わかった。じゃあ、それはちゃんとオレの口から伝えるよ」「はい」「でも。柾弥んとこの叔父さんと叔母さんには伝えてあるんだ。今日会うのが母親だってこと」「そうなんですね!」「やっぱりずっと世話になってた人たちだから。母親には絶対伝えなきゃいけないことだし、二人もずっと心配してくれてたから……」「そうですよね」「オレはまだどうしていいかわからないのに、あの二人はすでに喜んでくれてさ。あの人の詳しい話、まだ何もしてはいないんだけど、それを聞かずにあんなに喜んでくれたのがさ。あぁそれだけ心配してくれてたんだなって、ホントに胸が熱くなったよ」「素敵な方たちですね」「ホントに……。あの二人のおかげでどれだけ救われてきたか……。うん。ちゃんとそれをあの人にも伝えなきゃいけないから」慧さんのその表情と話し方で、どれだけ大きい存在だったのか、わかった気がした。そしてお店の前に着くと、慧さんは一度ドアを開ける前に立ち止まる。やっぱりまだ緊張しているのかも……。「慧さん。深呼吸しましょう」「えっ?」「はい。スー。ハー」あたしは手を広げたり閉じたりして、一人深呼吸を始める。「はい。慧さ
「依那。今日はありがとな」「こちらこそ。あたしも一緒に連れてきてくれてありがとうございます」今日は慧さんと女将さんが親子として改めて顔を合わせる日。大将のお店との仕事が始まる前に少しでも今の複雑な気持ちを解消しておきたいと、慧さんが早めに仕事を調整して時間を作ってくれた。そして待ち合わせをしているお店は、もちろんこの前と同じ店の慧さんが初めてプロデュースした本村さんのご両親のお店。女将さんに前に会った時に、あの店でとは事前に伝えはしていたけれど、実はあれはただのあたしの願望で。絶対あのお店で会ってほしかったから、慧さんにあのお店で会いたいということを伝えようと思っていた。だけど、この話になった時、あたしが伝える前に、慧さんがその店でと言ってくれた。それだけであたしはもうすでに胸がいっぱいになって。慧さんの初めてプロデュースしたお店でお母さんと会うということは、きっと慧さんの中で何かを決心したからなのだと思う。きっとホントに憎んでいたりしたら、そんな大切な場所で絶対会おうだなんて思わないはず。きっと慧さんはその場所で会いたかった。きっとそういうことだと思う。「依那がいなきゃ意味ないよ。まだオレ一人だけじゃどうしていいかわからなくなる」「はい。あたしがついてるので大丈夫です!」店に向かう車の中、あたしは助手席から慧さんに元気よく伝える。あたしはいつも通りあたしでいないと。慧さんはきっとまだ複雑な想いのままいるはず。きっとその気持ちは、慧さん次第で上がりも下がりもする。不安に感じるとそっちに持っていかれてしまう。だけど今日はそういう気持ちはすべて過去に置いてきてほしくて。とにかく明るく前向きになれるように。慧さんがこの状況を自然に受け入れやすくなるように。あたしは一切不安を持つことなく、何があったとしても今の慧さんのすべてを丸ごと包み込んであげられるくらいの自分として隣でいられ
「そう……。じゃあ、決して無理してってわけではないの?」女将さんが心配そうに確認してくる。うん。やっぱり女将さんも気になるとこは同じだ。「もちろんです! あたしも実はそれ気になって、そのまま聞きました。無理してないですか? って」「そしたら無理はしてないって。穏やかにいられてるし、あたしが一緒にいることで、安心してくれている……ようなこと言ってくれました」「そう……。それだけ慧にとって依那ちゃんは心から信頼できる大切な存在ということなのね……。依那ちゃんが慧をそこまで支えてくれているなんて、本当に嬉しいわ」「いえ、こちらこそです」「普通ならきっと受け入れられないような状況なのに、依那ちゃんがいてくれることで受け入れようと一歩踏み出してくれるだなんて……、なかなかないことよね……。それを決心してくれた慧も有難いし、そしてそこまでの気持ちにさせてくれた依那ちゃんに本当に感謝してもしきれないわ」「いえホントにあたしは何もしてないです。ただ慧さんが好きで、慧さんのそばにいるだけです」「そうね。そういう依那ちゃんだから、慧はきっとすべてを預けたいと思っているのでしょうね」「そうなんですかね……」「えぇ。慧にとって、依那ちゃんのすべてが支えになっているということね。存在も言葉も想いも接し方も、依那ちゃんだからこそ慧に届いていて、そして慧にとって依那ちゃんは誰でもないかけがえのない特別な存在なはずよ」「だったら嬉しいです」女将さんがたくさん嬉しい言葉を伝えてくれる。うん。女将さんが言ってくれてるような存在にホントになれているのだとしたら……。すごくすごく嬉しい。そして、それをお母さんである女将さんに言ってもらえていることが、また今までとは違う嬉しさが込み上げてくる。「きっと慧が私と会おうと思ってくれたのも、きっと依那ちゃんのおかげね。本当にありがとう」「いえいえ! とんでもないです! でも。慧さんが自分からそう言ってくれたのが、あたしもホントに嬉しくて。慧さんがち
「こんばんは」「あら。依那ちゃん、いらっしゃい」それから数日経ってから、あたしは慧さんのことを女将さんに報告するためにお店に顔を出した。「今日は……?」「えっと、お客として食べに来たのと、あと少し時間があったら女将さんお話出来たりしますか?」「えっ? えぇ、もちろん。じゃあ落ち着いたら時間作るわね」「はい。お願いします」少し遅めの時間にお店に行き、お客さんが少し少なくなってきた頃、女将さんの仕事も落ち着き、店で待っていたあたしの元へと女将さんが来てくれる。他の人には聞かれないように、少し離れた席で女将さんと二人で話すことになった。「すいません。わざわざ時間作ってもらっちゃって」「いいのよ。もうお店は常連さんばっかりで大将が付き合ってくれてるから。それより依那ちゃんが改まって話したいだなんて、慧……のことかしら?」女将さんはすでに気付いていて、穏やかにあたしに尋ねる。「はい。女将さんのこと、慧さんに全部話しました」「そう……。あの子、戸惑ってたでしょう……?」「まぁ……戸惑ってないと言ったら嘘になります。でも、伝えてよかったです」「え……?」「慧さん。ちゃんとわかってくれました」「わかってくれたって……?」「あっ、わかってくれたって言っても、あたしの伝えたいことというか。女将さんの想いとか、ちゃんと知ってほしいこと、伝えたら、慧さんはちゃんと受け取ってくれました」「そう……」「正直。お二人のことは、当人同士しかわからない状況だったり、想いだったりがあると思うんです。だから当然あたしでは女将さんの想いも全部ちゃんと伝えられるわけではないし、慧さんの想いもやっぱりあたしがちゃんと受け取れるわけではないと思います」「それはそうよね……」「だけど、今の二人ではお互いどうしても伝えられないこともあると思うんです。だから、あたしが伝えられることがあるなら、お二人の力になりたくて……」
「心して彼女役務めさせていただきます」そして、その気持ちを忘れないように、しっかり声に出して自分に言い聞かせる。「何、どした、いきなり」「いや。大事な仕事先の方なら失礼にならないようにしないとなと思って」「あぁ~。うん。そこがな、難しいとこなんだけど。この前お願いした相手は別にあれ以上仕事に影響なかったからあれでよかったんだけどさ。今回はこれからもまだ仕事で付き合っていく人だから、そこはまぁあんま揉めないように上手くやってほしいっていうのはある」「ですよね。なんか簡単そうに思えてちょっと責任重大ですよね」「まぁ普通の状況の彼女役とかじゃないからな。結局オレは仕事にも関わってること
「なんかお前いつでも全力だよな(笑)」「それがあたしの取り柄ですから!」「確かに。それなかったらお前じゃねえしな」「だから。あたし。仕事でも認めてもらえるような人間になろうと思って」「ん? それはオレにってこと?」「もちろんです。あたし。仕事でもちゃんと頑張ってる姿見てもらって、中途半端な気持ちじゃないってこと、慧さんとしても社長としても知ってもらいたいです」「んなの言わなくてもわかってるよ」「でも。あたしの仕事ぶりはまだ社長には見てもらったことないですし、会社の人間としては、まだ全然役に立ててなくて……」「そんなのお前の年齢と経験では普通だし」「だけど。あたし、ホントに社
「え、ヤバッ。依那、あんた社長の前ではそんな感じなんだ!?(笑)」「あっ……」「なんだ、心配することないじゃん(笑)」「え?」「ちゃんとあんたはあんたらしくいれてんじゃん。社長と初めて会った時も、そうやって同じように威勢よく立ち向かってたし(笑)」「いや、あれは……!」「あ~そっか。そういえば、あの時もそんな感じだったね。ほら、あたしが言った通りになってんじゃん」「え? なんて言ってたっけ?」「人生何が起きるかわかんないよって」「あ~、そういえばなんかそんなこと言ってたかも」「あの時、そうやって話してる二人の雰囲気いい感じだな~と思ってたんだよね」「あ~。確かに。あの時
「それならやっぱりこうやって伝えていくしかないよな」「こうやってって……?」「オレの気持ちが信じられないんだろ? なら、どんだけオレかお前を求めてるか、こうやって実践してお前の記憶や身体に刻みつけてくしかない」「えっ!?」本気か冗談かわからないような言い方に、あたしは一瞬戸惑う。「お前は今そこまで実感も自信もないかもしんねぇけど、オレはもうこうやって何かあったらお前にちゃんと気持ちを伝えたいって思うし、触れたいって思う」「慧さん……」だけど、そうやってちゃんと伝えてくれるその言葉で冗談じゃないことがわかる。「だから、これからお前が実感ないなら、オレが実感させてやる。そもそもお







