ログイン颯太は目を覚ましたが、退院はしなかった。医師は、彼が精神に異常をきたしていると診断した。颯太は会う人ごとに、莉子を見なかったかと尋ねて回った。美優を含め、誰もが彼にこう告げた。「もう一ヶ月も前に、山道での交通事故で、莉子さんは亡くなった」颯太は信じなかった。周りの人々や、結婚式当日に来ていた人たち全員に聞いて回った。彼らは皆、受け取った招待状は颯太と美優のものだったと答えた。この一ヶ月、莉子を見かけた者は誰もいなかった、と。颯太は完全に打ちのめされた。ある深夜、彼はこっそり病院を抜け出して家に帰った。家の中は何も変わっていない。でも、いつも颯太の帰りを待っていてくれた、私の姿だけがなかった。颯太はソファに座り込んだまま動かなかった。美優と夜を過ごしている間、莉子はずっとここで自分の帰りを待っていたのだろう、と颯太は思った。颯太は自分の頬を強く張り、それからわっと泣き崩れた。莉子が一ヶ月前に死んだはずがない、と彼は確信していた。私の笑顔も、ちょっとした仕草も、まるで昨日のことのように、颯太ははっきりと覚えている。なのに、なぜみんな嘘をつくんだ?颯太は理解できなかった。私の骨壷が手渡された時、颯太はついに現実を認めざるを得なかった。私は、本当に死んでしまったのだ。あの細くて、病弱で、5年間ずっと守ってきた私が、死んでしまうとこんなに小さな骨壷に収まってしまうなんて。医師たちは病室の外に立ち、颯太をじっと見つめていた。彼が自殺しようとするなら、すぐ止められるように。しかし、颯太はそうしなかった。彼は冷静に、秘書に私の死の真相を調べるよう指示した。そして、皆が病室を出て行った後、颯太は美優だけを引き留めた。美優は涙を流し、何度も首を横に振った。「本当に、私がやったんじゃない。私がやったんじゃないの」颯太はベッドに座り、ひざまずいて許しを請う彼女を冷たく見下ろした。心に憐れみの情はかけらもなかった。「後は、法による制裁を受けるがいい」美優は泣きながら颯太の足元に這い寄り、その足に必死にしがみついて叫んだ。「最低よ!あの女はもう死んだのよ!どうして現実を受け入れられないの!一番愛してるって言ってくれたじゃない!私こそがあなたにとって一番大切な人だって!どうして
結婚式当日、死神の冷たい声が、再び私の耳元で響いた。たった一ヶ月しか経っていないのに、まるで遠い昔のことのように感じた。「さあ、時間だ。行こう」目の前の黒いローブを纏った影を見つめ、私は半透明になった自分の体を見下ろして頷いた。「その前に、結婚式の様子を見に連れて行ってほしいの」死神は人間の情なんて理解できない。でも、せっかく来たんだから、最後まで付き合ってやろうと思ったのかもしれない。彼が手を振ると、私の体はふわりと宙に浮いた。透き通った自分の体と手を見て、私はもう魂だけの存在になったんだと気づいた。突然ドアが開くと、ウェディングドレスを着た美優が、笑顔のまま固まった。彼女はあたりを見回して私の姿がないのを確かめると、鼻で笑った。「逃げ足だけは早いのね」結婚式は、滞りなく進んでいった。このすり替えを成功させるために、私はわざと顔が隠れるベールを選んでおいたのだ。「新婦の、ご入場です!」会場の扉が開かれると、招待客たちの期待に満ちた視線が、一斉に扉の方へ注がれた。ウェディングドレスを着た美優が、真剣な面持ちで、一歩ずつステージへと向かっていく。宙に浮かんだまま、私の心の中では意地の悪い好奇心がどんどん膨らんでいった。式は手順通りに進み、指輪交換の時、颯太が眉間にしわを寄せるのが見えた。彼が違和感に気づいたのだろう。なぜなら、結婚指輪は私の指のサイズに合わせて買ったものだから、美優には少しきつそうで、指が赤く締め付けられていたからだ。そして次が、招待客たちが注目する、新郎から新婦への誓いのキスの時間だ。ベールが上げられた瞬間、会場は騒然となった。私は颯太の正面に浮かんで、興味津々で彼の表情を観察した。でも、私の想像とは違って、颯太の顔に喜びの色は少しもなかった。彼の顔は、さっと血の気を失い真っ青になった。そして驚きのあまり瞳孔が見開かれ、全身が小刻みに震えている。「なんで、君が……莉子はどうした!?」望んでいた反応が得られず、美優の笑顔がこわばった。でも、彼女は無理に笑顔を作って、颯太の手にそっと触れながら優しく言った。「莉子さんが言ってたの。あなたが本当に結婚したいのは、私だって分かってるから、代わりにあなたと結婚しなさいって。あなたの幸せを祈ってるって、
美優は出て行った。颯太が呼んだ警備員に、無理やり連れていかれたのだ。彼女の泣きわめく声がドアの外に消えると、部屋の中は一気に静まり返った。しばらくして、颯太が私の前に歩み寄り、どさっとひざまずいた。私は身じろぎもせず、表情も変えずに、ただ静かに彼を見つめていた。涙を流すその整った顔には、深い後悔の色が浮かんでいた。「ごめん、莉子。俺は、君が美優のことで怒って家出しただけだと思ってた。だから、探しに行かなかったんだ。君が死にかけていたなんて知らなかったんだ。それに、この件に美優が関わっていたなんて……あいつが、あんなひどいことをするなんて思ってもみなかった!ごめん、全部俺のせいだ。これからは美優とは距離を置くから。だから、今回だけは許してくれないか?」今の彼の顔を見つめながら、私の脳裏には、かつての意気揚々とした少年の姿が浮かんでいた。あの頃の彼は、今の自分がこんなことをするなんて、想像できただろうか。私が黙っていると、颯太は一語一句、真剣な声で言った。「誓うよ。これからは、必ず君を大切にする。結婚する前も、結婚した後も、俺は君一筋だ」「結婚する前は、どうだったの?」私は不意にそう尋ねた。颯太はきょとんとした。でも、すぐに私を見つめて言った。「神に誓って、俺は美優と、一線を超えたことは一度もない。もし嘘なら、ろくな死に方をしなくてもいい」私は、ふっと嘲るように笑った。でも、何も言わなかった。ほらね。こんなときまで、まだ私に嘘をつくんだから。こんな誓いを立てるなんて。パソコンの中の、二人がいちゃついてる動画は、ちゃんと消したのかしらね。でも、残念ながら神様は見ていない。だから、颯太がどんな誓いを立てたって、バチが当たることはないんだろう。私はうなずいて、それ以上は何も言わなかった。そして、くるりと背を向けて寝室に戻った。その夜、颯太は背後から私をきつく抱きしめた。まるで手を離せば私が消えてしまいそうに。一ヶ月前だったら、きっと温かいなって、感動してたと思う。でも今は、骨まで凍みるような寒さしか感じなかった。夏なのに、恐ろしいほど寒かった。時間はあっという間に過ぎて、とうとうこの世で過ごす最後の日がやってきた。そしてそれは、結婚式当日でもあった。しきたりに従って
結婚式を前にして、颯太は相変わらず忙しそうだった。でも、その時間のほとんどを美優と過ごしていることは、知っていた。私は何も言わず、いつも以上に物分かりのいいふりをした。颯太も私の変化に気づいたのか、後ろめたさを埋め合わせるように、私に尽くし始めた。この一ヶ月で、私はブランド物のバッグを何十個もプレゼントされた。ウォークインクローゼットはもういっぱいだ。でも、同じデザインの特注品を、いつも美優のツイッタで見かけた。彼女の投稿には、こう書かれていた。【無駄遣いはダメって言ったのに、またプレゼントしてくれちゃった!】甘えたその口ぶりは、まるで恋する乙女のようだった。最初はそれを見るたびに胸が苦しくなったけど、だんだん慣れて、何も感じなくなった。約束の一ヶ月が迫るにつれて、私は眠っている時間がどんどん長くなっていった。それに気づいた颯太に、病院へ連れて行かれて検査を受けた。妊娠はしていないと医師から告げられたとき、彼はまずホッと息をついた。でもすぐにがっかりしたふりをして私を見た。「大丈夫だよ。また次に期待しよう」私は黙って、ただ微笑んだ。「次」なんて、もうないのに。これで終わりだ。結婚式の一週間前、美優が家にやって来た。彼女は慣れた手つきで暗証番号を押し、ドアを開けた。私が驚いていないのを見て、美優は鼻で笑う。「なんだ、やっぱり知ってたのね」私は頷いて、平然とソファに座って彼女を見つめた。美優はドアを閉め、部屋の中を見回して笑った。「この町を出て行った時と何も変わってないね。パスワードもそのままなんて」私が言葉を失うと、彼女は勝ち誇ったように小さく笑った。「あら、知らなかったの?この家のインテリアはね、全部、昔、颯太さんと一緒に揃えたものなのよ。オートロックの暗証番号は、私が海外に発った日。あなたたちが付き合い始めたのも同じ日なんでしょ?勘違いしちゃった?」体がこわばり、さっきまでの平静は消え去った。パンドラの箱が開いたように、過去の記憶が津波のごとく押し寄せた。どうりで、5年前に颯太とこの家に来たとき、彼が家具を全部買い換えたいと言ったのを、私がもったいないからと断ったんだ。どうりで。パソコンには美優の痕跡ばかりで、私に関係があるのはパスワードだけだっ
胸の奥が、ちくりと痛んだ。ふと、美優のツイッタで見かけたフォルダ名を思い出し、パソコンで検索をかけた。すると、【初恋の人】というフォルダが見つかった。クリックすると、中には美優の写真や、颯太とのツーショットがぎっしりと詰まっていた。幼いころから大人になるまで。あどけない表情から、今の姿まで。その時間は、今年まで続いていた。パソコン中をくまなく探したけど、パスワード以外に、私に関するものは何一つ見つからなかった。気づけば、私はツイッタを開いた。すると、あるアカウントに自動でログインされた。フォロー欄を開くと、フォローしているアカウントはたった一つ。それは、美優のサブ垢だった。トーク画面には、目を覆いたくなるような甘い言葉が並んでいた。美優は尋ねた。【本当に私のことが好きなら、どうして莉子さんと結婚するの?】【彼女は5年も俺と一緒にいてくれたんだ。美優、女の子にとって一番大切な5年間だ。その気持ちを裏切ることはできない】【じゃあ、私は?私はなんなの?あなたの愛人ってこと?】そこで会話は途切れていて、颯太からの返信はなかった。そして私の心も、この瞬間に粉々に砕け散った。颯太が私を愛してくれていると信じていたのに。結局、それは私の5年間という月日に対する、彼の埋め合わせでしかなかったんだ。颯太が家に帰ってきたとき、彼は全身ずぶ濡れだった。リビングのソファに私が無事で座っているのを見て、颯太はきょとんとした。でも、すぐに大声で私を責め始めた。「莉子!退院するなら、どうして一言も連絡をくれなかったんだ!俺が君をどれだけ探したと思ってるんだ?なんでそんなに自分勝手なんだ!心配するだろ!」私はテレビ画面から視線を外し、ちらっと彼に目を向けた。「どこに行ってたの?」「君にドリアンを買いに行ってたんだ」私がそう尋ねると分かっていたみたい。颯太は得意げな顔をして、後ろに隠していたドリアンを見せた。そして、褒めてほしそうに私の隣に腰を下ろした。体中びしょ濡れで、その瞳までもが潤んでいるように見えた。颯太の方を向いて視線を合わせると、その瞳に私の顔が映っていた。やつれて、顔色も悪く、生気がない。自分でも、これが自分の顔だとは思えなかった。私が呆然としているのを見て、颯太は私の頬
私は颯太に言われたとおり、睡眠薬を飲んだふりをした。私が眠ったのを確かめると、颯太はため息をついて額にキスを落とし、そっと囁いた。「ごめん、莉子。すぐ戻ってくるから」そう言うと、彼はためらうことなく病室を出ていった。ドアが閉まる音がした瞬間、私は目を開けた。涙が目じりを伝って、すっと流れ落ちた。私はベッドから降りると、タクシーを拾って颯太の後を追った。墓地の入り口に着くと、タクシーの中から見覚えのあるロールスロイスが停まるのが見えた。そして、二人の男女が降りてきた。白いスーツ姿の颯太と、白いワンピースに身を包んだ美優が、手をつなぎ、花束を抱えて墓地へ向かった。寄り添って歩く二人の姿が、目に焼き付く。でも、もう驚きはなかった。颯太は昔、何かあったらしくて、白い服を嫌っていた。だから、私のウェディングドレスでさえ、特注で黒いデザインにしたくらいだった。なのに今の彼は、まるで結婚式に向かう新郎のように全身白で着飾って、少しも嫌そうじゃない。そういえば、颯太のこだわりには、いつも「例外」が存在していた。私は、その例外が自分なんだと思っていた。でも本当は、美優だったんだ。私は乾いた笑いを漏らし、運賃を払ってタクシーを降りた。二人に気づかれないように、私は随分と距離をとった。二人がとある墓石の前に佇んでいるのを見た。しばらくして美優が泣きながら颯太の胸に倒れかかった。いつの間にか、冷たい小雨が降り始めていた。雨音に混じって、颯太の優しい慰めの声が聞こえてきた。「ご両親も、天国で君が元気にしているのを見て、安心しているはずだよ」美優は涙に濡れた瞳で、彼を見上げた。「これからも、ずっとそばにいてくれる?」「ああ、もちろんだ。永遠に、君のそばにいるよ」颯太の言葉に、美優は涙を拭き、やっと笑った。それを見て、私の口元には皮肉な笑みが浮かんだ。頬を伝った涙が口元まで落ちてきて、舌先に広がる。とても、しょっぱかった。しょっぱすぎて、全身が震えて立っていられなくなるほどだった。颯太、あなたがそんなに美優を愛しているなら、どうして私のことは愛しているふりをするの?私を手のひらの上で転がすのは、そんなに面白いこと?私は身をひるがえし、さっき乗ってきたタクシーで家に戻った。家