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第2話

作者: モリサマー
親友との電話を切ったばかりのところに、レストランの入口から支配人の声が聞こえてきた。

「大森先生、ご予約のお席をご用意しております。どうぞこちらへ」

「大森先生」という呼び方に、私はすっかり敏感になっていて、思わず顔を上げた。

やはり、一弥だった。

そして彼の隣には、優花もいた。

ふたりは肩を並べて店内に入ってくる。

一弥はすでに白衣を脱ぎ、黒いシャツの袖を肘まで捲り上げていて、眉間には疲れの色が滲んでいた。

優花は彼のそばに立ち、首を傾げながら何かを話している。

何を話したのか、一弥がふと笑みを見せた。

その光景を茫然と見つめる私の胸に、針で刺されたような痛みが走った。

以前、彼が仕事から帰ってくると、私はいつも他愛のない話をしたがり、その日あったことを何もかも話して聞かせたくてたまらなかった。

けれど彼はいつも興味なさそうで、笑顔どころか返事すらろくになかった。

私はただ、仕事で疲れているから私に付き合う余裕がないのだと、自分を慰めるしかなかった。

今になってようやく分かった。彼は疲れていても、笑うことはできたのだ。

ただ、私には笑わなかっただけだ。

「奥さん?」

先に私に気づいたのは、優花だった。

彼女は足早に近づいてきて、いかにも感じのいい笑みを浮かべた。

「どうして一人でここに?」

私は答えなかった。

彼女も気にする様子はなく、むしろ自分から説明を始めた。

「今日、大きな交通事故があって、負傷者がすごく多かったんです。一弥先輩と私、午後からずっと働き詰めで。

さっき最後の手術が終わったところで、二人ともお腹ぺこぺこで。先輩がふと、ここに奥様の大好物の鱈のポワレがあるのを思い出して、どうしてもって連れてきてくれたんです。食べ終わったら、奥さんの分を包んで持ち帰るからって」

そう言い終えると、彼女は一弥の方へ振り返り、愛らしく微笑んだ。

「先輩、本当に奥さんのことが大好きなんですね。何をするにもいつも奥さんのことを考えてて。ふふ、羨ましいです。私にもそんなに愛してくれる人がいたらいいのに」

本当に、私を愛している?

本当に私を愛している人が、私たちの結婚記念日を忘れるだろうか?

本当に私を愛している人が、深夜に別の女性を連れて雰囲気のいいレストランへ食事に行くだろうか?

本当に私を愛している人が、他人の叔母のために500キロも駆けつけて手術をする一方で、私の父の最後の望みには手を貸そうとしなかっただろうか?

そこまで考えて、私は優花を見上げ、低い声で言った。

「彼が私を愛しているかどうか、あなたには関係ないと思うけれど」

優花の顔から笑みが少しずつ消えていき、目の縁がみるみる赤くなった。

「ごめんなさい……私、何か間違ったこと言いましたか?本当に、ただの親切心だったんです……」

彼女の声はどんどん小さくなっていく。

涙も、それに合わせてこぼれ落ちた。

まるで、ひどい仕打ちを受けたかのように。

けれど私は、きつい言葉など一言も言っていない。

一弥は反射的に優花の前に立ち、私の視線を遮った。

その庇うような仕草が、目に突き刺さるように痛かった。

「鈴実、彼女に悪気がないのは分かってるだろう。なんでそんな言い方をするんだ」

彼の声が低く沈んだ。

「今日はあれだけ大勢の負傷者が運び込まれて、みんな必死で患者を助けてたんだ。彼女は師長として、一日中忙しくて飯すら食べる暇もなかった。いい加減にしろ」

周囲の人々も、次々と同調し始めた。

「医者も看護師も、本当に大変よね」

「手術を終えたばかりで、それでも奥さんに食べ物を持って帰ろうとしてるんだから、十分すぎるくらいでしょ」

「最近、束縛の強い人が多いのよね。妻だからって、あそこまで束縛するのは怖いわ」

言葉が次から次へと重なっていく。

誰もが、彼らの側に立っていた。

まるで私が、救いようのない悪女であるかのように。

私はひどく疲れを感じた。

彼らがあまりにもっともらしく正論を振りかざすせいで、私には弁解の余地さえ残されていなかった。

これ以上関わりたくなくて、バッグを手に取り、背を向けて歩き出した。

一弥の横を通り過ぎようとしたとき、手首を強く掴まれた。

かなりの力で、私は思わず眉をひそめた。

「離して」

一弥の顔つきが険しくなった。

「まず、優花に謝れ」

自分の耳を疑った。

「……何ですって?」

「さっきの言葉、彼女をひどく傷つけたんだ。謝れ」

私は優花を見た。目を赤くしたまま一弥の後ろに立つ姿は、まるで怯えた小兎のようだった。

そして一弥は彼女を庇うように前に立ち、私がまるで恐ろしい猛獣であるかのように振る舞っていた。

私は笑った。

「……なら教えて。さっきの私の言葉、どこが間違ってたの?私たち夫婦のことが、彼女――ただの同僚に、何の関係があるの?」

「同僚」という言葉を、私はことさら強く発音した。

一弥は一瞬言葉に詰まり、何も答えられなかった。

その隙に手を引き抜き、私は振り返ることなく出口へと歩いていった。

背後から、怒りを押し殺したような一弥の声が聞こえてくる。

「鈴実!今日謝らずに帰るなら、どうなるか分かってるのか!」

私は足を止めることなく、振り返りもせず、そのままレストランを後にした。

夜の冷たい風が頬を撫で、胸の中のわだかまりをすべて吹き飛ばしていく。

ふと気づいた。この一歩を踏み出しさえすれば、もう何にも縛られることはないのだと。

家に帰ると、離婚協議書を印刷した。

来週の土曜日までに、すべてが終わる。

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