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真実─見抜く眼─

Author: 柚綺詩音
last update Last Updated: 2025-10-05 17:46:16

雨上がりの街に、橘グループ本社が白く輝いていた。

だが、その内部では静かな嵐が吹き荒れていた。

「これが、新素材データの不正流出記録です」

芹沢美緒が冷ややかに言い放った。

「あなたの“恋人”――桐生沙耶さんが関わっていたそうですよ」

会議室の空気が一瞬で張りつめた。

橘の父・巌が眉をひそめる。

「……どういうことだ、蓮」

「そんなはずはありません」

美緒は、冷たく笑った。

「証拠はあるわ。メール送信記録、サーバーログ、すべて桐生さんの社内IDからの転送」

橘は拳を握りしめながら、静かに答えた。

「俺は彼女を信じます」

「優しいのね。でも現実を見たほうがいいわ。

“恋”で仕事が壊れるのは、あなたのお母様を見て学ばなかったの?」

その一言で、橘の瞳に炎が宿る。

「――その話を、軽々しく口にするな」

重い沈黙。

だが、橘はすぐに携帯を取り出し、短く打った。

――「話したい。今すぐ来られるか?

橘からの連絡のあと、研究ラボに向かった沙耶は、すぐにデータの異常に気づいた。

「……このタイムスタンプ……私が退勤した後、深夜にアクセスされてる。 しかも、内部LAN経由」

彼女の指が素早くキーボードを叩く。

ログ解析、端末署名の追跡、管理者権限の確認――。

「アクセス履歴が一度削除されて、再書き込みされてる……これ……内部犯だわ」

沙耶の瞳が細く光る。

「内部の誰かが、芹沢さんに協力してる」

キーボードを叩く指先が止まらない。

――見逃さない。

彼女は、心の中で強く誓った。

数時間後。

会議室。

芹沢美緒が、余裕の笑みで座っていた。

「橘副社長、そろそろ現実を受け入れたほうがいいんじゃなくて?」

その扉が開き、沙耶が姿を現した。

白のブラウスに黒のスーツ。表情は静かだが、瞳には確かな光。

「お話、拝見しました。ですが、少し気になる点があったので、調べさせていただきました」

美緒が冷笑する。

「まだ往生際が悪いわね」

沙耶は無言でパソコンを接続し、スクリーンにデータを映した。

「こちらが“私のID”から行われた不正転送ログです。

しかし、このアクセスには、通常社員には使えない“管理者権限”が必要です」

会議
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  • この夜が明ける頃、永遠になる   罠 過去との対峙(後半)

    雨は、止みそうで止まなかった。 ガラス越しに見える街灯が滲んで、世界が少し歪んで見える。 その夜、沙耶は出勤していた。 心はまだ落ち着かない。 スマホを見れば、直樹からのメッセージが何通も増えている。---《既読つかないってどういうこと?》《逃げんなって言ったよな?》《お前みたいな女、誰も本気で相手にしないんだよ。俺だけだったんだよ、わかってんの?》《調子に乗ってると痛い目見るぞ》--- ――息が苦しい。 店の明るい照明が、まるで牢獄のライトのように感じる。 笑おうとしても、口角が上がらない。 客の声が遠くでこだまして、何も聞こえなくなっていく。 「沙耶さん、顔色悪いけど大丈夫?」 亜美が心配そうに覗き込む。 「うん……大丈夫。ちょっと寝不足なだけ」 本当は震えていた。 誰にも悟られたくなかった。 そんなとき――。 ラウンジの扉が、静かに開いた。 店内がざわつく。 見覚えのあるシルエットが、そこに立っていた。 ――直樹。 「……久しぶりだな、沙耶」 笑っているのに、目だけが笑っていなかった。 冷たい視線が、まっすぐに沙耶を射抜く。 「まさか、まだここで働いてるとはな。  俺から離れたら、やっぱ堕ちるの早かったな」 周囲の空気が一瞬で凍る。 他の客たちも、何事かと視線を向けた。 「……お帰りください」 沙耶は声を絞り出す。 しかし直樹は笑った。 「そんな言い方するなよ。元夫に対してさ」 その一言で、心臓が跳ねた。 “元夫”――その響きだけで、身体が強張る。 「おい、どうした? 泣きそうな顔して。  あの頃と同じだな。何も変わってねぇ。  弱くて、何もできない。俺がいなきゃ、何もできない女だ」 その言葉が、刃のように胸を刺す。 足が震え、声が出ない。 「沙耶さん!」 亜美が立ち上がろうとした瞬間、 低く落ち着いた声が店内に響いた。 「――彼女に、何の用ですか」 橘だった。 黒のスーツを濡らしたまま、ドアの前に立っていた。 その姿は、まるで“冷たい嵐の中の盾”のようだった。 「誰だお前」 直樹が鼻で笑う。 「彼女の客です」 橘の声は冷静で、だが鋭い。 「……客? ははっ。金払って構われてるだけだろ。  あいつはそういう女なんだよ」 瞬間、橘の目の色が変わった。

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