LOGIN卯月は書斎の大きなモニターの前に座り、朝から晩まで結城興業と黒崎開発の株価変動を睨み続けている。指先はキーボードを素早く叩き、複数の画面にチャートと出来高、大量保有報告の動きをリアルタイムで表示させる。「お出かけですか」私は数名の舎弟を伴い、ある高級クラブの視察に行くことになった。その店だけが、管理費の値上げを渋っている。太客を掴んでいるその店のみかじめ料は『綺麗な金』として必要不可欠だ。何より気になる情報がある。その客の中に、黒崎開発の幹部がいたという目撃情報が上がってきた。私は黒いワンピースに着替え、髪を軽くまとめながら卯月に言った。「ええ、少し用事があって。高級クラブ『ルージュ』の視察よ」卯月はモニターから目を離さず、低く応じた。「ルージュ……黒崎開発の常務が頻繁に出入りしている店ですね。管理費の値上げを渋っているのも、その常務の影響かと思われます」私は小さく頷き、鏡の前で口紅を直した。「その常務が、最近どんな話をしているかも知りたいわ。黒崎の資金の流れや、株買い占めの裏側……何か掴めるかもしれない」卯月はようやく私の方を向き、静かに立ち上がった。「お一人で行かれるのは危険です。私も同行します」私は彼の左腕の包帯に視線を落とし、首を振った。「傷がまだ治っていないでしょう? 今日は舎弟たちと行くわ。あなたはここで株の監視を続けて」卯月は一瞬、目を細めたが、すぐに深く頭を下げた。「……お気をつけて。お嬢様」私は舎弟たちと共に屋敷を出た。夜の街にネオンが煌めく中、黒いセダンが静かに滑り出す。ルージュの扉を開ける時、私は胸の奥で冷たい決意を固めた。この店から、黒崎の息の根を少しずつ締め上げていく。綺麗な金も、情報も、すべて私の手で掴む。私の突然の視察に、店の黒服たちは襟元を正し背筋を伸ばした。いつの間にか私は、このような場所でも怖気付かない絶対的風格を備えていた。数年前、銀行でいじめられていた時が自分でも信じられない。黒いヒールがカツカツとクラブのママの席に歩み寄ると、彼女は顔色を変えた。そこにいたのは黒崎組の舎弟たちだった。「ママ、これはどういうこと?」私の声は低く、静かだったが、クラブの空気を一瞬で凍りつかせた。ママはソファに座ったまま、血の気を失った顔で立ち上がろうとし、膝が震えて失敗した。「お
私は卯月の報告書をめくりながら、黒崎組の闇金ルートの詳細を静かに読み進めた。黒崎組は「黒崎開発」の名を借りて表の事業を装いながら、裏では複数の闇金ネットワークを運営していた。主なルートは「トイチ(10日で1割)」や「トサン(10日で3割)」と呼ばれる法外な高金利貸付。ターゲットは多重債務者や中小零細業者の経営者で、SNSやダイレクトメール、090金融と呼ばれる携帯電話番号だけで連絡を取る手口が多用されていた。資金の流れは巧妙だった。闇金で集めた高利の返済金は、まず系列のスナックや高級中華レストランの売上として偽装され、次に黒崎開発の「コンサルタント料」や「下請け工事費」として結城興業の競合プロジェクトに流し込まれる。最終的には、湾岸再開発の入札資金や株買い占めの原資となっていた。報告書には、具体的な数字も記されていた。ある月だけで、闇金ルートから約2億8千万円が「きれいな金」として黒崎開発の口座に流入。利息の複利計算で雪だるま式に膨らんだ被害者の借金が、黒崎組の抗争資金や株取得資金に化けていた。私はUSBを指で軽く弾き、卯月に目を向けた。「このルートを断てば、黒崎の息の根は止まるわね」卯月は静かに頷き、低い声で答えた。「はい。お嬢様のご指示通り、内部告発の形ですでに一部を警察とマスコミに流しています。残りの決定的証拠も、明日までに揃えます」私は窓の外の夜景を見つめ、静かに微笑んだ。黒崎組は表の顔で株を買い占め、裏の牙で私を狙ってきた。ならば、私はその両方を同時に潰す。この闇金ルートを暴き、黒崎開発の信用を地に落とす。卯月の傷の代償は、決して安くはない。私の逆襲は、静かに、しかし確実に、黒崎組の心臓部へと迫っていた。私は座敷に年寄りや若頭を招集し、黒崎開発の息の根を止めるべく指示した。白檀の煙が立ち込める中、畳に正座した幹部たちの視線が一斉に私に集まる。私は静かに言葉を続けた。「結城興業の株を買い戻すには『綺麗な金』が必要だ。『シマ』でのみかじめ料の徴収を徹底し、バー、クラブ、倉庫の管理費を今月中に倍に引き上げる。遅延は一切許しません」年寄りの一人が眉を寄せたが、私は視線を逸らさず、冷たく言い切った。「黒崎が表で株を買い占めている今、私たちは裏で資金を固める。湾岸プロジェクトの入札を、こちらのものにする」卯月が私の後ろ
黒崎組は「黒崎開発」の名で結城興業の株の買い占めを始めた。私は書斎のモニターに映る株価チャートを睨みながら、静かに息を吐いた。朝から急激に上昇している出来高。黒崎開発が市場で結城興業の株式を大量に買い集めているのは明らかだった。お祖父様が葉巻の煙をゆっくり吐き出し、低い声で言った。「表の会社を使って、堂々と攻めてきたな。黒崎の親父も、随分と焦っているようだ」私はモニターから目を離さず、冷たく答えた。「湾岸プロジェクトの入札妨害が明るみに出て、信用を失った分を、株で取り返そうとしているのでしょう。結城興業の株を握れば、株主総会で取締役を送り込み、内部から崩すつもりです」卯月が私の後ろに控え、静かに報告を加えた。「お嬢様、現在黒崎開発はすでに7%を超える株式を取得しています。このまま行けば、来月の株主総会までに10%を超える可能性があります」私は指先でモニターの画面を軽く叩いた。「面白いわ。黒崎組が表の顔を使って攻めてくるなら、私も同じ土俵で戦いましょう」お祖父様が目を細め、私を見た。「美穂子、どうするつもりだ?」私はゆっくりと微笑んだ。笑みは冷たく、しかし確かに燃えていた。「結城興業の株を、こちらも買い戻します。そして、黒崎開発の弱みを握って、逆に買い占めにかける。表の戦いなら、表で返してあげましょう」白檀の香りが漂う書斎で、私は静かに立ち上がった。黒崎組が私に牙を剥いた以上、もう甘くはしない。株の買い占め合戦は、ただの金銭の争いではない。これは、私の血と誇りをかけた、静かな戦争の始まりだった。卯月は私の右腕として、市場監視の役目を担うことになった。書斎の大きなモニターの前に座り、彼は朝から晩まで結城興業と黒崎開発の株価変動を睨み続けている。指先はキーボードを素早く叩き、複数の画面にチャートと出来高、大量保有報告の動きをリアルタイムで表示させる。「お嬢様、黒崎開発は今日だけでさらに1.8%を買い増しました。現在保有比率は9.4%に達しています。このまま行けば、来週中には10%を超えるでしょう」卯月の声は低く冷静だが、目には鋭い光が宿っている。左腕の傷はまだ完全に癒えていないのに、彼は痛みを微塵も見せない。私は彼の横に立ち、モニターを覗き込んだ。「黒崎の資金源はどこ?」「主に黒崎組の裏資金と、系列のスナック・ク
私の素性が知れた以上、六本木のマンションに住み続けることは出来なかった。 今となっては霧島の面影が残るこの部屋にも未練はなく、オフィスも引き払い、結城の屋敷に戻ることにした。 最後に一度だけ部屋を見回した。 薔薇の花束を飾っていた花瓶は空のまま、キッチンには二人が使ったコーヒーカップがまだ並んでいる。私はそれを冷たい指で触れ、静かに息を吐いた。「もう、いいわ」 荷物はほとんどなく、必要なものはすでに卯月が運び出していた。 私は鍵をテーブルに置き、ドアを閉めた。カチャリという小さな音が、まるで過去を断ち切る合図のように響いた。 黒いセダンがマンションの車寄せで待っていた。後部座席に乗り込むと、卯月がルームミラー越しに静かに尋ねた。「お嬢様、よろしいですか?」 私は窓の外に広がる夜の街並みを眺め、短く答えた。「ええ。もうここには用はないわ」 車が動き出す。六本木のネオンが後ろに流れていく。霧島との甘い記憶も、裏切りの痛みも、すべてこの街に置いていく。 結城の屋敷に着くと、白檀の香りが私を迎えた。お祖父様は書斎で葉巻をくゆらせながら、静かに頷いた。「よく帰ってきたな、美穂子」 私は深く頭を下げ、はっきりと言った。「はい。これからはよろしくお願いいたします」「屋敷も賑やかになる......のぉ、卯月」 卯月が私の後ろに控え、静かに頭を下げる。◇◇◇ 私は”例の件”でお祖父様に呼ばれた。「美穂子、黒崎組の裏金ルートをマスコミに流したのはお前じゃな?」 その表情は険しく、私は叱責される幼子のように正座で縮こまった。畳の冷たさが膝に染みる。「……申し訳ありません」 お祖父様は大きなため息をひとつ吐くと、葉巻を灰皿に押しつけた。「報復はまだじゃと言う取ったのに……とんだじゃじゃ馬じゃな」 苦笑いがその口元に浮かぶ。厳しい目はそのままに、どこか楽しげな響きが混じっていた。私は畳に視線を落としたまま、静かに答えた。「お祖父様のお言葉は重々承知しております。でも……卯月が撃たれた傷を見た瞬間、私の中で何かが切れてしまいました。あの連中に、何もさせたくなかった」 お祖父様はゆっくりと頷き、ウイスキーのグラスを手に取った。氷がカチリと乾いた音を立てる。「気持ちはわかる。だが、結城の跡目として動くなら、もっと冷たく、もっと深く考えろ。
私は壊れた窓ガラスを背に立ち、散らばった資料を静かに見下ろした。黒崎組の荒らし方は乱暴で、焦りが見えていた。「慌てた顔が目に浮かぶわ」 黒いUSBが朝日に反射する。 中身は湾岸プロジェクトの裏帳簿だけではない。黒崎組が結城組のシマに流し込んだ裏金、霧島を通じて私に近づいた経緯、そして黒崎開発の入札妨害工作の全記録が詰まっている。 私はゆっくりと微笑んだ。笑顔は冷たく、しかし確かに燃えていた。「卯月」「はい、お嬢様」「このUSBのコピーを、今日中に黒崎組の幹部全員と、湾岸プロジェクトの関係企業に匿名で送って。送信元は『黒崎内部の良心派』に見せかけて」 卯月は一瞬、目を細めたが、すぐに深く頭を下げた。「かしこまりました。……お嬢様は、報復をされないと決めたお祖父様の言葉を、こうして破るのですね」 私は窓の外に広がる街並みを見つめ、静かに答えた。「お祖父様は『報復はしない』と言った。でも、私は結城美穂子よ。誰かに傷つけられたら、ただ耐えるだけでは終わらない」 私は床に落ちていた自分の名刺を拾い上げ、指で軽く弾いた。「黒崎組は、私の血を狙い、卯月を傷つけ、霧島を使って私を騙した。なら、私は彼らの『表の顔』を、静かに、しかし完全に潰す」 卯月が低く言った。「湾岸プロジェクトの入札……黒崎開発はもう、信用を失いますね」私はUSBを握りしめ、冷たい笑みを浮かべた。「信用だけじゃないわ。資金の流れも、裏取引も、すべて明るみに出す。黒崎組は表の事業を失い、警察の目が一気に厳しくなる。そして——」 私は振り返り、卯月の目を見た。「霧島が生きているなら、彼にも同じものを届けて。『お前が私を裏切った代償よ』と」 霧島の失敗が露見すれば、彼は黒崎組からも制裁を受けるだろう。 卯月は静かに頷き、初めてわずかに微笑んだ。「お嬢様の逆襲は、静かで、冷たく、残酷ですね」 黒崎組の内部告発として、湾岸プロジェクト入札妨害や裏金の流れが一気に露呈した。警察の家宅捜索が入り、その様子を私は黒いセダンの窓から冷ややかに見つめた。 黒崎開発の本社ビル前に何台ものパトカーが並び、制服警官と鑑識が忙しく出入りしている。テレビ局のカメラが回り、記者たちがマイクを向けている。玄関では黒崎の幹部たちが青ざめた顔で連行されていく姿がはっきり見えた。 私は後部座席に深く体を
黒崎組の襲撃に対して、湾岸プロジェクトの妨げになると判断したお祖父様は「報復はしない」と決断した。幹部の中にはその決定に不満を持つ者もいたが、結城勝次郎の言葉は絶対だ。 私は書斎の隅でその話を聞き、胸の奥がざわついた。 卯月の傷がまだ癒えていない今、報復を控えるという判断は理に適っているのかもしれない。 だが、私の血は静かに煮えたぎっていた。 お祖父様は葉巻の煙をゆっくりと吐き出し、私を見て言った。「美穂子、今は耐えろ。湾岸の権利を黒崎に渡すわけにはいかんが、表立って抗争を起こせば警察の目が厳しくなる。時期を待て」 私は畳に視線を落とし、静かに答えた。「……わかりました。お祖父様の判断に従います」 しかし、心の中では別の炎が灯っていた。報復をしないということは、黒崎組に「結城は弱くなった」と見せつけることでもある。 霧島の裏切り、卯月の血、すべてを無駄にはしたくない。 その夜、卯月が私の部屋を訪れた。左腕はまだ包帯のままだったが、顔色は少し良くなっていた。「お嬢様、ご決断を」 私は彼の目を見て、静かに言った。「報復はしない。でも……黒崎の牙を折る方法は、他にもあるわ」 卯月はわずかに目を細め、深く頭を下げた。「私はお嬢様の影です。お望みのままに」 白檀の香りが漂う部屋で、私は静かに微笑んだ。結城美穂子として、私はもう誰かの決断にただ従うだけの女ではない。湾岸プロジェクトの裏側で、黒崎組の息の根を止める方法を、私は自分の手で探し始める。「......ひどい」 オフィスに入ると悲惨な惨状が目の前に広がった。窓ガラスは大きく破られ、冷たい風が吹き込んでくる。戸棚や机は倒され、観葉植物の土がカーペットに飛び散り、足の踏み場もないほど荒らされていた。 何かを必死に探したように、資料が床一面にばら撒かれ、数台のパソコンはハードディスクごと持ち去られていた。私はゆっくりと部屋の中央に立ち、荒らされた光景を静かに見渡した。「これを探していたのね」 私はスーツのポケットからUSBを取り出し、ほくそ笑んだ。 小さな黒いUSBは、湾岸プロジェクトの決定的な裏帳簿と、黒崎組との資金の流れを記録したものだ。本物のデータはすでに卯月が安全な場所に移してあり、ここに残していたのは囮だった。 私は壊れた窓枠に寄りかかり、冷たい風に髪をなびかせながら