Masuk確かに行くべきではない。 門脇会長からは、とことん嫌われている。 けれど、麗子さんには恩がある。 彼女の家庭を壊してしまったという、罪悪感もあるーー だが、小森はどうやら、それすら読んでいたらしい。 続けて小森からメッセージが届く。 『真子ちゃんの気持ちはわかるよ。会長に恩義を感じているんだよね?』 『けど、今は時期が悪いかな。会長、高梨さんのお見舞いに病院来てたみたいなんだけど、そこで倒れたらしいんだ』 『だから処置が早かったんだけどね。その点は良かった。ただ、高梨さんの入院の理由を会長は知っていることになる』 真子はそこでうつむいた。 『それに何より、会長が倒れたことで司くんがまいってる』 真子の胸が、鷲掴みされたように痛んだ。 前にも一度、司のその姿を見たことがあったからだ。 あんなに大きな逞しい背中が、あの日だけは、あまりに脆く、弱々しく見えた。 「お前になんて、出逢わなければよかった…」 絞り出すような声で、司からそう言われたことを思い出す。 ピコン メッセージの受信音に、真子は再びスマホに目をやった。 『司くんにも会長にも、高梨さんが付いてるよ』 真子は、フッと笑った。 部外者の出る幕はなし。了解です。 真子がメッセージを打つ。 『止めてくれてありがとう、悠介くん。危うく場違いなことをするところだった』 すぐさま小森から、 『そんなつもりで言ったんじゃないよ。だから、自分を責めないで』 小森の思いやりに、真子は、ふっと笑った。 『それに、僕にお礼もいらないよ。僕はただ、真子ちゃんの傷ついた姿を自分が見たくないってだけだから』 『そろそろ着くから、またね』 真子が『うん、ありがとう。商談、がんばってね』と送ると、小森からガッツポーズをした白猫のスタンプが送られてきたのだった。 ーーーーーーーーーーーーーーー 次の日。 真子は予定通り仕事に復帰した。 いつも通りに仕事道具を車に詰め込んでいた時、真子の会社の社長である千田(せんだ)が話しかけてきた。 「清川さん、身体はもう大丈夫?」 真子は千田に頭を下げて、 「はい、もう大丈夫です。一週間も休みをいただいてしまって申し訳ありませんでした」 千田は、いやいや、というよ
小森のその質問に、真子はキョトンとしている。 小森は困ったように笑うと、 「あれ?僕何か変なこと聞いちゃった?」 真子も困ったように笑って、 「ん?あれ?今、悠介くん、お隣さんは一人暮らしの高校生って言った?」 「うん、言ったよ。言ったけど…それがどうかした?」 だが、真子はヘラヘラと笑うと、 「えー、うっそだ〜。お隣さんが高校生とか、冗談だよね?」 だが、悠介が眉を下げて自分を見つめている姿に、真子は口を閉じると、次に難しい顔をして額を抑えた。 「真子ちゃん?」 心配する小森に、真子はふーっと長く息を吐き出して、 「その高校生って、黒い学ランを着た、背の高い子?」 「ああ、うん。そうだね、その子で合ってると思う。けど、ねえ真子ちゃん?そろそろ、僕にもちゃんと分かるように教えてくれる?」 だが、自分の考えで頭がいっぱいだった真子には、小森の言葉が届かなかった。 代わりに、なんてこった、というように唇を噛む。 その学ランを着た高校生とは、前世でもアパートの中で、何度かすれ違ったことがあった。 なんなら、おとといにも階段ですれ違っている。 朝、可燃ゴミを出しに行った帰りに、階段で学ラン姿のその子とすれ違った。 「いってらっしゃい」と声を掛ける真子に、その子は決まって「っす」と、だけ返事をする。 その子の目には、いつもさらさらの前髪がかかっていて、真子とすれ違う時も、決まって目を伏せたまま、こちらを見ようとはしなかった。 思春期の男の子らしいな と、そんな風に微笑ましく捉えていたのだがーー キャラ、違いすぎませんか? 「真子ちゃんっ‼︎」 小森の強い呼びかけに、真子はビクッと反応した。 「ごめん、ごめん」と顔を上げると、小森がかなり焦ったような顔をしていたものだから、 「ごめんね」 と、真子は笑って、再度小森に謝った。 「僕の話、聞こえてた?」 どこか沈んだ声の小森に、真子は弁明するように、 「ごめん、ちょっと考え事してて…ごめんなさい、聞いてませんでした!ごめんなさい!」 真子は頭を下げた。 その後頭部を黙って見下ろしている小森だったが、ちらりと目線を上げて、自分を伺っているような真子のその仕草に、思わず笑ってしまう。 真子は顔を上げると、
真子は「そう?」と言うと、いくらと錦糸卵のおいなりを一気に頬張る。 「んっ!悠介くん、これすっごく美味しいよ!悠介くんも食べてみて!」 真子は感動したように小森を見つめた。 小森は微笑むと、 「うん、じゃあ僕もいただこうかな。と、その前に、お味噌汁をもう一杯いただいてもいい?」 「もちろん!悠介くんの口に合ったのなら、私もすごく嬉しい!けど…悠介くん、さっきからお味噌汁しか食べてないよ?」 困ったような顔の真子に、小森は、 「だってすっごく美味しいんだもん」 (もん、だって!こんなイケメンが、もん、だって‼︎) 小森の可愛さにノックアウトされた真子は、負けました、といったように苦笑した。 そして、小森のお椀を手に立ち上がる。 「真子ちゃん、おかわりなら僕が自分でやるよ」 慌てて立ちあがろうとする小森に、真子は首を振った。 「(萌えさせてもらったお礼に)ぜひとも私にやらせてください」 キッチンへと向かう真子の後ろ姿に、小森の顔が思わず緩む。 なんだか、今の自分たちはまるでーー だが、そこで彼は自分の考えを否定するように首を振った。 すると、隣の家から、ドアの鍵を開けるカチャカチャという音が聞こえてきたため、小森は無意識にそちらへ顔を向ける。 「お待たせ〜」 おかわりのお味噌汁を手に戻ってきた真子は、小森が壁を見つめていることに首を傾げた。 「どうかした?」 真子の問いに、小森は「たいしたことじゃないよ」と笑う。 「お隣さんが帰ってきた物音がしたから、何となくそっちを見ちゃってただけ」 小森の前に、そっとお椀を置いた真子は、彼のその何気ない一言に「え⁉︎」と驚くと、 「また逃しちゃったかぁ…」 そう言ってうなだれた。 テーブルに消沈したように突っ伏している真子に、小森が、 「真子ちゃん、逃しちゃったって、何を?」 真子はテーブルに突っ伏したまま、顔だけ少しずらして、 「私、お隣さんにどうしても謝らなきゃいけないことがあって…だからこの一週間、お隣さんに会える機会をずっと窺ってたんだけど、ことごとく失敗してまして…」 そう言うと、真子はため息を吐いた。 小森は首を傾げて、 「お隣さんに謝らなきゃいけないこと?」 「うん、そうなの。以前、
「プクプクちゃん、って」 真子は吹き出した。 リビングに着くと、真子は小森に座っているよう促す。 だが、勝手を知る小森は、冷蔵庫から麦茶のポットを取り出すと、食器棚から真子と自分の分のコップを取り出した。 「悠介くんは座っててよ」と真子が言っても、小森は「いいから、いいから」と、その後もあれこれと手を貸した。 「お味噌汁だけでも作っておいて良かった〜」 真子はお椀を片手に、お味噌汁をよそった。 するとーー 「え…作ってくれたの?僕と食べるために、わざわざ?」 感動した様子の小森に、真子は苦笑してしまう。 「悠介くんったら、いくらなんでも大げさすぎるよ…」 真子が作ったのは、冷蔵庫の有り合わせ。 なんてことない、なめこと豆腐のお味噌汁だった。 それなのに、小森の反応はまるで、彼の大好物を作ってもらったかのようだった。 「だって……なんだか、すごく嬉しくて」 声を詰まらせて、そう話す小森に、真子はなんだか申し訳なくなった。 こんなにも喜んでもらえるのなら、せめて出汁から取るだとか、もっとこだわって作れば良かった。 顆粒だしを使い、料理時間も、後片付けまで含めてわずか五分。 それなのに、そのお味噌汁を前にキラキラとした目を向けている小森が、真子には不憫に思えてならなかった。 「いただきます」 二人は向かい合って手を合わせる。 真子は小森がデパ地下で買ってきてくれたおいなりに箸を伸ばし、小森は真子が作ったお味噌汁を両手で大事に持ち上げた。 あむっ、とおいなりを頬張りながら、真子は小森を注視する。 小森はお椀をゆっくり傾け、お味噌汁を一口啜るとーー 「ああ、美味しい…」 ほう、っと息を吐く小森に、真子の心は、うっ、とダメージを負った。 どこか様子のおかしい真子に、小森は心配そうに、 「真子ちゃん、どうしたの?どこか痛むの?」 真子に駆け寄ろうと立ち上がった小森を、真子は手で制して、 「私の良心が痛んでるだけだから気にしないで」 小森はキョトンとしたが、真子はごまかすように笑ってみせる。 「そういえば…明日からだったよね、真子ちゃんが仕事に復帰するのって?」 真子は「…うん」と答えながら、穴子入りのおいなりを頬張った。 黙って、もぐもぐと口を動かす
真子はスマホから耳を離すと、戸惑ったように綾を見つめた。 「どうしたの?」と、不安そうに自分を見つめ返している綾に、真子は、 「わからない。急に切れちゃった」 綾は、ホッとしたように息を吐いた。 それから、わざと眉間にしわを寄せると、 「出るなって忠告したのに、何で電話に出ちゃうかなあ」 不機嫌な綾に、真子は苦笑した。 「出ないわけにはいかないよ」 綾は眉を下げると、 「昔はあんなに優しい人だったのにね…」 瞬間、真子の脳裏に、かつての優しかった頃の麗子が浮かんだ。 美しく、凛とした麗子のその姿は、幼かった真子にとって憧れの存在だった。 麗子は息子には少々厳しかったが、それは彼に常識ある人間に育ってほしいという願いがあったからだった。 彼女が誰よりも息子を愛し、大切にしていたことを、周囲の人間は皆知っていた。 そう、門脇麗子という人物は、愛に溢れた人だったーー 愛に溢れた人、だったのだ。 それなのに。 「私たち親子のせいで、麗子さんは変わってしまった…」 真子の呟きに、綾は首を横に振ると、 「真子と真子のお母さんは別々の人間でしょう!お母さんの罪はお母さんのものであって、真子には関係ない!それなのに、お母さんの罪を真子に償わせようとするなんておかしいよ!そんなの絶対間違ってる!」 綾は変わらない。 真子の母親が犯した罪を知ったあの時も、綾だけは真子に罪はないと言ってくれた。 いや、もう一人。 小森も、当初から真子は何も悪くないと言ってくれていた。 けどーー 「それでも、たった一人の家族だから…」 真子は眉を下げて笑う。 数年前に父が亡くなってからというもの、真子にとって血の繋がった家族は母親だけだった。 そんな母親とは、とあることから、何年も連絡が取れていない。 割り切って考えられたのならどれほどラクだろうと思う。 けれど、唯一の肉親なのだと思うと、どうやったって切り捨てられなかったーー 「血は水よりも濃いって、本当だね…」 苦笑する真子を綾は抱きしめた。 「真子、そろそろ自分を許してあげよう?真子はもう十分苦しんだじゃない。お母さんの身代わりになるのは、もうやめようよ…」 綾が切実にそう訴えるも、真子はただ黙っているのだった
「あんたって人間はどうしてそうも性根が腐ってるのよっ!あんなアバズレを母親に持ったのだから仕方ないとはいえ、恩を仇で返すような真似ばかりして…ほんと、忌々しいったらないわっ!」 麗子のその言葉に、司の顔が曇る。 あんなアバズレを母親に? まさか、母さんの電話の相手ってーー 「人の話を聞いてるのっ!清川真子っ!」 真子の名前を耳にした司は、素早く母親に近づくと、その手からスマホを奪い取った。 そして、そのまま通話を切る。 麗子は、信じられない、といったように目を見開いた。 「何するのよ、司っ!」 ヒステリックに声を上げる麗子に、司は感情的になるのを必死に抑えて、 「母さん、ここは病院なんだ。声を抑えて」 だが、麗子は「黙りなさいっ!」と言うと、司の頬を思いっきり引っ叩いた。 「あなたがちゃんとしてないせいよっ!あなたがそんなんだからいつまでもあの女がつけ上がるのよっ!」 ジンジンとした頬の痛みに加え、口の中には血の味が広がった。 そんな司に、彩花は慌ててベッドから降りると、彼のもとへ駆け寄った。 「大丈夫、司?」 彩花が心配そうに司の顔を覗き込むと、彼は力なく「ああ」と答えた。 彩花は麗子に向き直って、 「お義母さま、司はお義母さまのためを思って電話を切ったんです。ほら、最近血圧が高いと仰っていたじゃないですか。だから、どうか彼を許してあげてください」 涙を滲ませて訴える彩花に、麗子は困ったように眉を下げた。 その一方で、司は無表情に彩花の足を見つめている。 「こんな時でもあなたって子は、自分よりも人を優先するんだから…」 麗子は優しい手つきで、そっと彩花の頬に手を添えた。 だが次の瞬間、キッと厳しい目つきになると、その目で司を睨みつけ、 「こんなにも心優しい子を泣かせて、胸が痛まないのかい!まったく…あんたって子は、ろくでなしの父親にそっくりだよ!あのろくでなしの薄情男にねっ!」 瞬間、司の身体がピクリと反応した。 ろくでなしの父親に似て――。 麗子はいつもそうだった。 司が少しでも彼女の意にそぐわないことをすれば、決まって父親の存在を持ち出してくる。 ――あの薄情男の息子だから。 何かある度にそう罵られ、時には手を上げられてきた。 まるで司







