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パパは崩れ落ちるようにその場にへたり込み、付き添っていた部下に支えられながら、慌ただしく立ち上がった。ふらふらと引きずられながら私の横を通り過ぎる時、パパは突然抵抗して立ち止まった。そして私の服の袖を強く握りしめ、最後に残った未練と懇願を込めた声でかすれた声で言った。「渚……お願いだ、ママに言っておくれ……パパが悪かった……本当に申し訳なかった……」その声には深い絶望が滲んでいた。私はカーペットの上に座ったまま、手に赤い積木を一つ持っていた。そして、顔を上げて、静かにパパを見つめた。目の前のこの男は、かつて学校の前や遊園地で、私に優しい笑顔を向けてくれた人だ。しかし同じ男が、別の女性のために私に暴力を振るったこともある。今、涙と悔恨にまみれたその顔は塵のように卑屈になり、私に許しを請うている。私は唇を動かして、静かに言った。「今のパパは、すべて自業自得だよ」パパは見えない鈍器で殴られたかのように体を激しく震わせた。驚きに目を見開き、最後に残っていた生気すら完全に消え失せた。そして、力が抜けたまま、部下に引きずられてドアの外へと消えた。ママは最後まで振り返ることなく、無表情でテーブルの上の書類を片付けていた。ドアが静かに閉まり、外の世界と完全に遮断され、ママがかすかなため息をついたのが聞こえた。そして、こちらへ歩み寄り、私の目の前にしゃがんで、温かな手で私の頭を優しく撫でた。「渚、今夜は何が食べたい?ママが作ってあげる」その後、パパについてのニュースは、テレビでごく短く流れるだけの財政記事となっていた。加藤グループは債務超過により破産手続きが開始され、創業者であるパパの名義の資産は凍結されたという。商業上の不正取引にも関わっていたようで、現在捜査中とのことだった。アニメの合間にそのニュースを見た。映像の中のパパは人々に取り囲まれ、髪は乱れ、その表情は恐慌に満ちていて、もうかつての面影はほとんどなかった。ママは最近、生け花に凝っている。庭でチューリップを美しく手入れしているママの背中を、私は静かに見つめた。私はママに声をかけるのをやめ、リモコンを手に取って再びアニメのチャンネルに変えた。ママがベランダに作ってくれた小さな庭には、アイビーやミント、プチトマトがいっぱいだ。夏の夕暮れ時、私たちは
これからの人生も、穏やかで希望に満ちたものになると信じていた。午後の日差しが差し込む中、湊がとある情報を持ってきた。パパが経営する会社は破産寸前で、政府主導のスマートシティ計画に最後の望みをかけていた。何としても実績のある専門家を招きたくて、パパはコネを駆使し、今この業界で飛ぶ鳥を落とす勢いの「M」、つまりママと技術提携しようと必死になっていた。湊は軽蔑したような目で笑う。「加藤グループでは、『M』のことを、それこそ神格化して持ち上げているんだ。『M』さえ口説ければプロジェクトの成功率は倍になるとか何とか……もし加藤のやつが、その『M』の正体が光希だって知ったら、どんな面白い顔をするだろうな」ママは数秒間黙り込んだあと、「会ってみよう」とだけ言った。あの日、私はたまたまママのスタジオで積み木をして遊んでいた。パパはママの秘書に伴われて、約束の時間ぴったりに現れた。パパは今日の日のために身なりを整えていたようだが、スーツ姿の奥からは隠しきれない憔悴と焦りが見えていた。パパはペコペコと頭を下げ、「M」がどこにいるのかと尋ねている。ママはデスクに背を向けたまま、椅子にゆったりと腰掛けていた。パパは居心地悪そうに薄ら笑いを浮かべたが、そんなことは気にせず、そばにいる部下に準備してきた資料をママのデスクへ置かせた。それからパパは、自分からひたすら熱心に事業説明を始めた。「Mさん、本日はどうしても直接お願いしたく、伺いました。我が社の案件をぜひともお引き受けいただけないでしょうか。Mさんの技術力がどうしても必要なのです……」パパの言葉が終わらないうちに、ママがふっと勢いよくこちらを振り返った。パパの表情は一瞬で歪んだ。言葉は喉につかえ、血の気のない顔で凍りついた。「光希?」パパは信じられないものを見るような目でママを見つめた。「お前が……まさか、お前がその『M』なのか?」ママは表情を変えず、淡々と告げた。「お掛けください」パパはその場に立ち尽くし、何度も指を組み合わせては離し、やりきれない感情に苛まれていた。傍らにいた部下は、そんな空気も読まずに微笑みながらママを持ち上げた。「まだお若いのに素晴らしいですね。女性の希望の星といっても過言じゃありません」パパの顔色はますます青くなっていく。ママは冷やや
重い足かせが外れたように、ママの中に眠っていた才能が、まるで大地を割る芽のように息吹き、力強く育ち始めていた。ママはコア技術を携えて、湊が勤める上場企業へ無事に入社し、そのまま部長職に就任した。一年以上にわたるママの献身的な取り組みで、核心技術は重要な分野で飛躍的な進化を遂げ、湊の会社を世界市場のトップへ押し上げた。ママが開発した技術は世界中で注目を集め、多くのメディアがインタビューしようと列をなした。ある日、長いドレスをまとったママがステージの中央で、若きイノベーターを代表してスピーチをしていた。私はそこに見違えるほど美しく輝く、ママの姿を見つめていた。こうして、湊の協力もあり、ママは自分のスタジオを立ち上げた。注文や協力の依頼が絶え間なく舞い込んだ。ママは目まぐるしく忙しくなったが、私のことは決して疎かにしなかった。週末になれば科学館へ連れて行ってくれたし、寝る前には勉強を見てくれた。私が「トンカツが食べたい」と一言こぼせば、ママは料理の本を調べて腕を振るってくれた。パパについては、噂が途切れ途切れに届いていた。パパの会社は大規模な事業転換の危機に瀕していたが、コア技術はママの手にあった。さらに経営も不調で、資金繰りも完全に詰まっていた。かつて寄り添っていた凛は、金を巻き上げると姿を消してしまったらしい。パパは何度かママのスタジオを訪ねて来ては、いつも門の外に立っていた。パパは往時の情愛を盾に、どうか助けてほしいとママにすがった。しかし、ママの返事は一貫して冷静で、決然としたものだった。「正人、私たちには渚という絆しかない。あなたの会社のことは、私とは関係ないわ」ある日の放課後、学校の門の前でパパの姿を見かけた。向かいの道路に立っていたパパは、以前のような輝きは消え、痩せ細り、目尻には深い皺が刻まれていた。パパはじっとこちらを見て、何かを言いたそうに唇を震わせていた。瞳にはまだ、微かな期待が浮かんでいるようだった。けれど私は振り返ることなく、ママが迎えに来た車へとまっすぐ乗り込んだ。パパの人生、パパが抱く悔恨も転落も、すべてはもうママと私の生活とは関わりのないことなのだ。
ママは、離婚に向けた話し合いの準備を本格的に始めた。ようやく、あの日ママと話していた碓氷湊(うすい みなと)と会えた。湊は以前からママに好意を抱いており、ママのITスキルの高さも深く評価しているようだった。「光希、だから言っただろう。あんな男は辞めておけと」湊は、心配そうな表情でママを見つめた。ママは静かに首を振った。「自分をごまかしていただけよ。今気づけただけでも、まだ間に合うはずだわ」それからというもの、ママは毎日走り回っていた。パパに「社会から取り残された人間だ、稼ぐ力などない」とレッテルを貼られた屈辱を晴らすべく、複雑なプログラムの設計図や実績をまとめ上げ、弁護士と共にパパの不倫や財産隠しの証拠を固めていったのだ。パパが凛にお金を横流ししていた記録や、親密そうに歩くツーショット写真が集まるたび、ママの表情はどんどん冷徹に変わっていった。そんな中、パパは学校に何度も押しかけてきた。高級なおもちゃや菓子をぶら下げて校門に立ち、私に向けて無理やり優しい笑みを見せる。「渚、さあ、パパと帰ろう。欲しがってたお人形も、かわいい洋服も全部買ってやるぞ。ママには、こんなの買ってやれないだろ?」かつては憧れたはずのそれらを見ても、私は首を振ってママの背中に隠れた。するとパパは逆上し、人目もはばからずに街中で罵詈雑言を浴びせ始めた。ママは私をかばうように、背を向けて立ち去った。「ママが一人でも渚をちゃんと守れると信じている?」「うん、ママは世界で一番強いよ!」あの日、ママの瞳には迷いのない、確かな決意が宿っていた。そして迎えた、うだるような暑い午後。ママとパパの話し合いが始まった。私は、キリッとした服に身を包んだママにしっかりとしがみついていた。向かい側には、傲慢な笑みを浮かべる弁護士を連れたパパと凛が座っている。パパはすでに勝利を確信したような面構えだった。先にパパ側の弁護士が、冷徹な声でこう告げた。「相手方には安定した職もなく、社会的な繋がりも乏しい状況です。このような不安定な精神状態にある者が、子供の養育に向いているとはお言い難いです」凛が作り笑いで続く。「渚ちゃんのためを思って言っているのよ。正人は最高のお嬢様学校に行かせてあげられる。光希さんは子供にカップラーメンでも食べさ
しかし、そんな穏やかな日々は、すぐに終わりを迎えた。ある日、ママが私を遊園地に連れて行ってくれた。メリーゴーランドで楽しそうに笑っていた私がふと顔を上げると、パパと凛の姿が見えた。パパは凛の腰を抱き、大きなわたあめを彼女の口元へ運んでいた。パパのその柔らかな笑みは、随分と見ていなかった。ママもそれに気づき、笑顔は凍りつき、私の手を握る手に自然と力がこもった。凛も私たちに気づくと、最新の宝石を身につけ、勝ち誇ったように笑った。「あら、光希さんじゃない?渚ちゃんと一緒に遊びに来たの?」凛はママを見下すように鼻で笑い、私たちの地味な服を視線でなぞる。「ここは高上がりな場所よ?光希さん、やっと仕事でも見つかったのかしら?」パパは居心地が悪そうに、凛の手を振りほどこうとした。しかし、凛はよりいっそう腕を組み、耳障りな声で言った。「ねえ正人、見てよ渚ちゃん。痩せ細っちゃって。貧しい人間についていくと苦労するって言ったでしょ?」周囲の視線が、どこか落ち着かない様子でこちらに向いていた。ママは青ざめた顔で、凍りつくような声でパパに告げた。「正人、自分の女をちゃんと教育してよ。人前で恥をさらさないで」「誰を教育するっていうの?」と凛がわめき立てる。「光希さん、自分が今どんな立場か分かってるの?あなたはもう終わったのよ!正人が愛しているのは私なんだから、さっさとその『お荷物』と一緒にどこかへ消えなさい!」ママは眉をひそめ、何かを言いかけたが、結局言葉を飲み込んだ。ママは私を抱きかかえ、振り返ることなく歩き出した。その背筋はピンと伸びていたけれど、私を抱えるその腕が震えているのがわかった。その夜、ママが一睡もしなかったのは言うまでもない。ママはタンスの奥から大きな段ボール箱を探し出し、大量の書類と古いUSBメモリを取り出した。ノートPCを開き、USBメモリを差し込んだ。長年封印されていたファイルが、一つまた一つと開かれていく。やがて意を決したように、ママはスマホを手にした。「私よ。あの時の話、受け入れることにしたわ。ただし、一つ条件がある。離婚専門のトップクラスの弁護士を頼みたいの。正人と離婚するわ。渚の親権も、絶対に渡さない!」
病院から帰ってきたママは、まるで別人のようだった。スマホをぼーっと眺めることも、深夜に窓の外を見てため息をつくこともなくなった。ママは忙しそうだった。私を学校に送り出すと、すぐに書斎へ引きこもり、古いパソコンの電源を朝から晩まで入れたままにしていた。パパがたまに帰ってくる時、香水の匂いをさせていた。それは、凛がいつもつけている香りと同じだった。ママはパパが視界にいないかのように振る舞う。パパはイライラして「光希、話し合おう。いつまでこうしているつもりだ?」と怒鳴り散らした。ママは顔を上げることさえせず、冷たく「忙しいから無理」と言った。信じられないという目でママを見たパパは、高笑いを上げた。「忙しいだと?誰にも必要とされてないプログラミングなんかして、自己満足してるな!渚はお前みたいに何の役にも立たない人間に育つぞ!」ママのキーボードを叩く指が一瞬止まった。それからゆっくりと振り返り、パパを穏やかな目で見つめた。「正人、渚は私が立派に育てる。あなたは心配しなくていいわ」ママのその冷ややかな眼差しにひるんだのか、パパは舌打ちをしてドアを乱暴に閉めて出て行った。私は知っていた。パパはもう、ママを捨てる準備をしていることを。ママと私は、郊外のアパートに引っ越した。小さな部屋で古かったけれど、温かい空間だった。パパからの生活費を断ったママは、貯金と、合間に請け負うプログラミングの仕事だけで私たちを支えてくれた。夜、私は小さな机で宿題の練習をしていると、ママは横でパソコンの画面を見つめて眉を寄せていた。電気スタンドの光が、日に日にやつれていくママの横顔を照らしていた。私は首をかしげて、じっとママの顔を見ていた。時々、パパのことも思い出した。小さい頃に買ってくれたお菓子やお人形のことも。でも、薄々感づいてもいた。パパには新しい家庭ができて、ママも私もいらなくなったのだと。私はそっとママの顔に触れた。「ママ、疲れた?」ママは振り向いて優しく微笑むと、私の頭を撫でて小声で言った。「ううん、渚のためだから、全然疲れないよ」生活はシンプルで、少し質素になった。遊園地にも行けず、高価な玩具も買ってもらえない。小さくなった服は、ママが裾や袖に似た色の布を器用に継ぎ足して直してくれた。