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第4話

Author: 森と島と夏
私は彼女の手を振り払う。

夏海は二、三歩よろめき、手を上げると、私の頬を思いきり平手打ちした。

耳元で、キーンと音がする。

彼女は声を落とす。

「この一発は、忠告よ。自分のものじゃないものに執着しないで」

私は反射的に、彼女の頬を叩き返す。

そのとき、湊がドアを開けて入ってくる。ちょうど、夏海がロッカーの脇に倒れ込むところを目にする。

湊は大股で歩み寄り、私の手首を強くつかむ。

「お前、何やってる?」

夏海は頬を押さえ、泣き出す。

「白川さんを責めないで。湊が彼女のことを好きじゃないって言ったから……きっと、ショックだったのよ」

湊の手に、さらに力がこもる。

「謝れ」

「先に手を出したのは彼女」

「もういい」

湊は私を突き放す。

私は背中をロッカーの角に強くぶつけ、その場で痛みに耐えきれず体を折る。

湊が反射的に手を伸ばしかける。けれど、同僚たちが次々と駆け込んでくるのを見て、その手を引っ込めた。

誰かが夏海の頬に残った手形に気づき、すぐに総務へ連絡する。

「白川さん、最近ちょっとやりすぎじゃない?プロジェクトを横取りして、人を突き飛ばして、そのうえ今度は暴力まで……」

「まさか、本当に社長が原因?」

「社長のマンションにも行ってたらしいし。前からちょっとおかしいと思ってた」

夏海は泣きながら首を横に振る。

「みんな、もう言わないで。白川さんは、たぶん私と社長の関係を誤解してるだけだから」

総務の責任者が湊を見る。

「社長、警察に連絡しますか?」

「社内で処理する」湊は冷たい声で言う。「白川はすべての業務から外す。調査結果が出るまで自宅待機にしてくれ」

私は痛みに耐えながら、なんとか体を起こす。

「じゃあ……彼女に殴られたことは?」

湊の視線が、私の頬に残る指の跡を捉える。その瞳が、一瞬だけ揺れる。

けれど夏海が先に口を開いた。

「私は殴ってない。証拠でもあるの?」

着替え室の監視カメラは、先週から故障している。

湊もそれを知っている。修理の申請書を、私が直接彼に渡していたから。

私は湊を見つめる。

「どっちを信じるの?」

「夏海が先に手を出すはずがない」

たったそれだけの言葉で。私が何を言っても、すべて無意味になった。

その日の午後。突然、ネット上に匿名の記事が投稿される。そこには、私が長期間にわたって会社の上司につきまとい、男女の関係を利用してプロジェクトを奪っていたという内容が書かれていた。

記事には、私が湊のマンションへ出入りする写真まで添えられている。

コメントは瞬く間に広がり、やがてクライアントとのグループチャットにも転載される。

青嵐側から、すぐに担当者を変更するよう会社へ申し入れが入る。

湊は私を会議室へ呼び出す。テーブルの上には、一枚の書面が置かれている。

「これにサインしろ。私的な交際トラブルが原因で、俺につきまとったと認めるんだ。会社はお前のポジションを残す」

私は一字ずつ、最後まで目を通す。

そこに書かれている私は、上司にしつこく付きまとい、同僚を陥れ、プロジェクトの成果まで横取りした人間になっている。

「サインしなかったら?」

「解雇だ」

「写真は本物よ」私は湊を見る。「私がどうしてあなたのマンションに行っていたのか……一番よく知ってるのは、あなたでしょう」

湊は声を落とす。

「だからこそ、俺がお前の尻拭いをしてる。ここまで騒ぎになれば、周りはお前が俺との関係を利用して出世したって言うだけだ」

「だったら、私たちの関係を公表して」

「今、公表したら、逆に噂が事実だと認めることになる」

「すぐに公表するって言ったよね」

「今このタイミングで、わがままを言うな」

会議室の外には、結果を待つ同僚たちが大勢集まっている。

そこへ夏海がドアを開け、一通のメールを印刷した紙をテーブルに置く。

「青嵐から、白川さんが私の企画を盗用したっていう通報が来ている。湊、会社としてクライアントに説明しないと」

その告発メールには、企画の制作履歴が何枚か添付されている。

けれど、作成日時の部分だけが切り取られ、残されているのは夏海の名前だけ。

湊が一目見る。

「サインしろ」

「この企画を誰が作ったのか、あなたは自分の目で見てたでしょう」

この三ヶ月間、私はマンションで何度も徹夜して、企画書を修正してきた。

湊は私のために牛乳を温めてくれたこともある。隣に座って、私が企画の全体像を話し終えるまで、ずっと聞いてくれた。

誰よりも真実を知っているのは、湊のはずなのに。

「会社の利益のほうが、個人の不満より大事だ」湊は私の前へボールペンを押し出す。「今は一度認めろ。騒ぎが収まったら、俺が埋め合わせる」

私は、そのペンを取らない。

総務、法務、そしてプロジェクトメンバーが次々と会議室へ入ってくる。

その場で誰かが私に問い詰める。

「白川さん、佐伯社長とは結局どういう関係なんですか?もしかして、ずっと個人的な関係を利用して、佐伯社長を脅してたんじゃないでしょうね?」

私は湊を見る。

「社長。私たち……付き合ってましたか?」

湊の指先が、ぴくりと止まる。

その隣には、夏海が立っている。彼女が静かに促す。

「みんな、答えを待ってるよ」

湊は私から目を逸らす。

「いえ」

二年間の抱擁も。「おやすみ」と交わした夜も。誕生日も、記念日も。そのすべてを、この瞬間、彼自身の口でなかったことにされる。

会議室に、嘲笑が漏れる。

私は書面を手に取る。

湊の表情が、少しだけ緩む。

「サインしたら、今日は帰れ。あとは俺が処理する」

私はその書面を、真ん中から破る。

一度。

そして、もう一度。

破り捨てた紙が、テーブルの上に散らばる。

「私たちが付き合っていなかったのなら……もう、仕事として処理しましょう」

私は退職届と、著作権の登録証明書を湊の前に置く。

「青嵐の企画書に関する著作権は、最初から私にあります。会社がプロジェクトを立ち上げる三ヶ月前に、すでに登録済みです」

湊の顔色が、わずかに変わる。

そのとき、会議室の外で法務担当のスマホが同時に鳴る。

電話に出た彼は、数秒話しただけで、勢いよく私を見る。

「社長、青嵐が契約を打ち切るそうです」

その言葉が終わる前に、二人の調査員が会議室へ入ってくる。

「白川さんから実名で申告を受けています。企画の著作権侵害と、職場での誹謗中傷について調査しますので、御社にはご協力をお願いします」

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