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さよならは言わずに、海を渡った

さよならは言わずに、海を渡った

Par:  紗々Complété
Langue: Japanese
goodnovel4goodnovel
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あなたはいつ、大好きな人を諦める決心をするのだろう。 私の場合は、留学の申請がようやく通った日だった。申請が通ったことを知った瞬間に、彼氏にメッセージを送って報告しようとした。 けれどLINEを開いて、下までスクロールしてやっと彼とのトーク画面を見つけた。 最後にやり取りしたのは1ヶ月前の何か小さなことで、大喧嘩をした日だ。 最後は彼から音声メッセージが届いた。声には、どこか投げやりな響きが混じっていた。 「芽依、茉優だってわざとじゃないだろ。そんなに根に持つなよ」 「先に茉優の実験データを印刷しに行ってくる。戻ったら、ケーキ買ってやるから」 その後から彼は、後輩の桃井茉優のコンテスト指導や実験に付き合うのに忙しくなった。 私も単位のことやプロジェクト、IELTSの対策とやることが山積みで、彼に返信をする余裕すらなかった。 あの時の自分が何を根に持っていたのか、それすら思い出せなくなった。 ただ、1ヶ月経ってこのやり取りを見返して、ふと気づいたことがある―― 本当の別れに「さよなら」の一言なんて要らないものなんだと。

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Chapitre 1

第1話

私・早瀬芽依(はやせ めい)の出国前最後の食事は、親友の松岡結菜(まつおか ゆいな)と一緒だった。

「時間が経つのって本当に早いね。前にこの店に来たのは、芽依の彼氏が告白を計画してた時だっけ……」

結菜は言いかけて、何かを思い出したように言葉を止めた。

しばらく黙り込んでから、小さな声で聞いてきた。

「芽依、本当に別れたの?

あんた、あいつのこと丸ごと10年も好きだったじゃない」

私はきゅうりの酢の物を箸でつまんだ。

酢が効きすぎていて、酸っぱさに舌がひりついた。

別れた?まあ、そういうことになるんだろう。

実際のところ、黒瀬蓮(くろせ れん)と私の間に「別れよう」なんてセリフはなかったし、儀式めいたお別れの挨拶もなかった。

ただ、日常となりつつあった冷戦の末、お互いに「これもいつもの喧嘩だろう」と、当たり前のように思い込んでいたに過ぎない。

しかし、今回は違った。

そのまま、続きはなかった。

私たちはそれぞれの生活を続けた。相変わらずご飯を食べて、勉強をして。

ただ、お互いに連絡を取らなくなっただけ。

……それが、私たちが辿り着いた「別れ」の形だったのだろう。

店員が使い終わった皿を下げてから、テーブルの上に焦げ跡が小さく残っているのが見えた。

それを眺めていて、箸を動かすのを忘れていた。

2年前、同じこの店で、蓮は私の友人を全員集めて、大掛かりな告白を計画した。

彼は自分の体を特大の着ぐるみに押し込んで、ハート型の風船を大きな束で抱えながら、そっと私の前まで運んできた。

風船の紐の先には、値の張るブレスレットと、1万字にも及ぶラブレターが結びつけられていた。

後から蓮が言うには、着ぐるみの中に隠れたのは、もし告白が失敗した時のためだったらしい。

あの着ぐるみの中でなら、誰にも見られずに泣けるから、と。

けれど、まさか私が頷くとは思っていなかったようだ。

彼は嬉しさのあまり、私を抱き上げてくるくると回り、その拍子にテーブルの上の飾り用のキャンドルを倒して、テーブルの端を少し焦がしてしまった。

あの時、蓮は店主の桑原丈治(くわばら じょうじ)に頭を下げて謝り、弁償を申し出た。

丈治は、蓮が私の手をしっかりと握っているのを見て、気前よく手を振った。

「弁償はいらないよ。でも兄ちゃん、付き合うからにはちゃんと大事にしてやりな」

あの時の蓮の目はきらきらしていて、必ずそうすると力強く言い切った。

その後、彼は確かに約束を守って、ずっと私によくしてくれた。

ただその優しさは、後輩の桃井茉優(ももい まゆ)にも同じように向けられていた。

また新しい皿が運ばれてきて、我に返った私は一瞬戸惑った。

「すみません、これは注文していないのですが……」

丈治はにこにこしながら私に手を振った。

「サービスだよ。久しぶりに来てくれたんだから」

そう言ってから、「あれ」と声を上げた。

「彼氏くんは?一緒じゃないのかい?」

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commentaires

雨降る雪降る
雨降る雪降る
特別の存在どころか、平等ですらないのなら黙ってbye-byeだね。失恋してしまったね、阿呆が。
2026-10-13 11:09:31
1
0
松坂 美枝
松坂 美枝
ヴァカヴァカヴァーカざまああああああwwwな話 もうつきあってなかったんだからこれでよし!
2026-09-27 10:15:58
13
0
蘇枋美郷
蘇枋美郷
あんな盛大な告白を自らして付き合えた相手だったのに、後輩とはいえ他の女の私生活の世話までしだしたら、もう付き合ってるとは言えんよね。関係は破綻してるよ。主人公が去って当然。それなのによくもまぁ追い縋ってきたわwクズ達の最後も自業自得〜♪
2026-09-29 13:33:35
9
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ノンスケ
ノンスケ
ここまで行くと、彼の中には彼女は何をしてもそばにいて待っているのが当たり前で、優しくしたり気を配ったり、機嫌を取る必要すらない置物のようなものになってしまってたんだろうな。そりゃあ別れの言葉なんていらないわ。
2026-09-27 21:27:13
10
0
9
第1話
私・早瀬芽依(はやせ めい)の出国前最後の食事は、親友の松岡結菜(まつおか ゆいな)と一緒だった。「時間が経つのって本当に早いね。前にこの店に来たのは、芽依の彼氏が告白を計画してた時だっけ……」結菜は言いかけて、何かを思い出したように言葉を止めた。しばらく黙り込んでから、小さな声で聞いてきた。「芽依、本当に別れたの?あんた、あいつのこと丸ごと10年も好きだったじゃない」私はきゅうりの酢の物を箸でつまんだ。酢が効きすぎていて、酸っぱさに舌がひりついた。別れた?まあ、そういうことになるんだろう。実際のところ、黒瀬蓮(くろせ れん)と私の間に「別れよう」なんてセリフはなかったし、儀式めいたお別れの挨拶もなかった。ただ、日常となりつつあった冷戦の末、お互いに「これもいつもの喧嘩だろう」と、当たり前のように思い込んでいたに過ぎない。しかし、今回は違った。そのまま、続きはなかった。私たちはそれぞれの生活を続けた。相変わらずご飯を食べて、勉強をして。ただ、お互いに連絡を取らなくなっただけ。……それが、私たちが辿り着いた「別れ」の形だったのだろう。店員が使い終わった皿を下げてから、テーブルの上に焦げ跡が小さく残っているのが見えた。それを眺めていて、箸を動かすのを忘れていた。2年前、同じこの店で、蓮は私の友人を全員集めて、大掛かりな告白を計画した。彼は自分の体を特大の着ぐるみに押し込んで、ハート型の風船を大きな束で抱えながら、そっと私の前まで運んできた。風船の紐の先には、値の張るブレスレットと、1万字にも及ぶラブレターが結びつけられていた。後から蓮が言うには、着ぐるみの中に隠れたのは、もし告白が失敗した時のためだったらしい。あの着ぐるみの中でなら、誰にも見られずに泣けるから、と。けれど、まさか私が頷くとは思っていなかったようだ。彼は嬉しさのあまり、私を抱き上げてくるくると回り、その拍子にテーブルの上の飾り用のキャンドルを倒して、テーブルの端を少し焦がしてしまった。あの時、蓮は店主の桑原丈治(くわばら じょうじ)に頭を下げて謝り、弁償を申し出た。丈治は、蓮が私の手をしっかりと握っているのを見て、気前よく手を振った。「弁償はいらないよ。でも兄ちゃん、付き合うからにはちゃんと大事にし
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第2話
何と答えればいいのか分からなかった。結菜も黙ったまま、私の皿に料理を取り分けてくれた。丈治は、その沈黙から何かを察したようだった。不意に肩を軽く叩かれた。「もつは熱いうちに食べな。時間が経つと臭みが出てくるから」そう言うと、丈治は厨房の奥へ戻っていった。私はまだぐつぐつと煮立っているもつ鍋を見つめながら、唇を噛んだ。そうだ。蓮とはもう1ヶ月も連絡を取っていない。今さら何を話したところで、この鍋と同じように、以前と同じ味わいにはならない。いつからこうなったんだろう。たぶん、最後に喧嘩をした時からだ。具体的に何が原因だったのかは、もう覚えていない。覚えているのは、彼に長文のメッセージを何通も送って、電話も数えきれないくらいかけたことだけだ。私はひどい言葉ばかり並べたのに、蓮はずっと黙ったままだった。最後、電話をどう切ったのかも覚えていない。2時間後、彼から2つの音声メッセージが届いた。「芽依、茉優だってわざとじゃないだろ。そんなに根に持つなよ」「先に茉優の実験データを印刷しに行ってくる。戻ったら、ケーキ買ってやるから」彼は本当に、私の寮の下までケーキを持ってきた。私は返信もせず、下にも降りなかった。ルームメイトの話では、彼は下で10分ほど待って、その後に電話がかかってきてそのまま行ってしまったらしい。その時間帯に彼に電話をかけてくる人間なんて、茉優しかいない。私は寮のベッドに突っ伏して泣き、いつの間にか眠ってしまった。翌日、目が覚めてスマホを開くと、メッセージが3件届いていた。指導教員からが2件、結菜からが1件。蓮からは、何も来ていなかった。私は魔が差して、茉優のインスタを開いた。昨日の夜、彼女は実験室にいる投稿を上げていた。写真の端に、彼女のデータ記録を手伝っている人の手が写り込んでいた。その手の指には――私がいつも見慣れている指輪がはめられていた。私はその写真をじっと長い間見つめてから、勢いで蓮をブロックした。けれどすぐに、それで彼と連絡が取れなくなるのが怖くなるという、自分でも情けない気持ちになった。何度も試すようにブロックを解除しては、また悩んで。けれど、彼が改めて連絡してくることは、一度もなかった。たぶんその頃から、私たちはお互いの生
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第3話
「何それ、あいつ、一体何様のつもりなの?1ヶ月も連絡してこなかったくせに、最初の一言がそれ?」答えようとした瞬間、店のドアの開く音と、従業員の「いらっしゃいませ」と言う声が店内に響いた。蓮がドアを押して入ってきた。隣には、はしゃぎながら跳ねるように歩く茉優がいた。彼の肩にかけられた茉優のバッグを見て、私は唇を噛んだ。なるほど、私にメッセージを送ってきたのも、結局はあの後輩のためだったのか。視線がぶつかった瞬間、蓮の足が一瞬止まった。「芽依、お前もいたのか」なぜか、彼はわざわざ説明を付け足した。「茉優の実験がうまくいったから、お祝いに連れてきただけだ。他に意味はない。本当は前に芽依が言ってた焼肉屋に行きたかったんだけど、ずっと返信がなかったから」私は「うん」とだけ返した。「あの店の名前、私も忘れちゃった」あれは結菜と偶然見つけた、あまり人に知られていない名店だったはずだ。あの時は食べている途中で待ちきれなくなって、蓮にメッセージを送った。今度一緒に来たい、と。蓮の返信は早かった。【焼肉なんて別に美味くもないだろ】そのメッセージを受け取った瞬間、口の中から味が消えた。唇を噛んで、最後にこう返した。【そうだね】茉優が近づいてきて、私たちのテーブルをちらりと見て言った。「先輩、あのもつ鍋、すごく美味しそう!私たちも後で頼みましょうよ!」蓮は笑って彼女を支えるように手を添えた。「ああ」「あのドリンクも良さそうですね。1杯だけ頼めば十分かな、一人じゃ飲みきれないし」「うん、お前に任せる」二人は話しながら、店の奥の別の席へと歩いていった。結菜は腹を立てて箸を叩きつけ、小声で言った。「もう見てられない。別れたばかりで新しい彼女連れてあんたの前をうろつくとか、あの人一体何考えてるの!?この店、蓮があんたに告白した場所でしょ。良心って言葉知らないわけ?」私は牛肉を一口食べ、何も言わなかった。ただ、ふと思い出していた。初めて茉優という名前を聞いたのは、彼女が電話をかけてきて、機械がどうしても起動しないと泣きじゃくっていた時だった。あの時、私は蓮と映画を見ていた最中だった。映画が半分終わったところで彼は行ってしまい、私はスクリーンに映る幽霊に一人で怯えることになっ
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第4話
今日は生理痛の初日だった。下腹部に鋭い痛みが走り、私は少しずつ体を折り曲げた。「芽依、大丈夫か?」蓮が大股で歩み寄ってきた。同時に、茉優も小さく声を上げた。「痛い……」彼女は手首を押さえていた。テーブルの角にぶつけたのか、赤くなっている。蓮はすぐに茉優の元に戻り、彼女の手首を確認した。蓮はちらりと私を見て、なんともない調子で言った。「お前は自分でなんとかしといて。俺は茉優に湿布買いに行くから。戻ったら家まで送る」そう言って、彼は茉優を連れて店を出ていった。下腹部の痛みのせいで私は食事を続ける気力がなくなり、丈治のところへ会計をしに行った。結菜が支えに来てくれて、低い声で言った。「芽依、もう帰ろう。服も濡れてるし、着替えないと」私は首を振った。「戻らない」結菜は驚いた顔で私を見た。「本気であの人を待つつもり?」私は苦笑いして、スマホの航空券の情報を見せた。「もう時間がないの」店を出て、タクシーを呼んだ。車を待つ間、結菜は自分の上着を私にかけながら、念を押すように言った。「荷物、全部持った?スーツケースは?」「持った。荷物は数日前にもう向こうへ送ってある」結菜は頷いて、ふいに私を抱きしめた。目が少し赤くなっていた。「向こうに行っても、ちゃんと自分を大事にしてね」私は笑って頷いた。スマホが震えた。蓮から写真とメッセージが届いていた。写真には、私のサイズに合わせた新しいスカートと、鎮痛薬が写っていた。下にはこんな一文が添えられていた。【他に必要なものあったら、まとめて買って持っていくから】私は返信しなかった。ただ、写真の端に写り込んだ、茉優の手を握るもう片方の手を、じっと見つめていた。そこには――私が編んであげたブレスレットが、なかった。私は息を吐いて、文字を打った。【いらないわ】【蓮、私たち、別れよう】2通目のメッセージを送信する前に、蓮から立て続けにメッセージが届いた。【芽依、茉優が足を挫いた。先にタクシー呼んで病院連れていく】【店で待ってて、すぐ戻るから】【いらないとか言うなよ、後で腹が痛くなって辛いのはお前なんだから】指先が一瞬止まった。返信はしなかった。ふと、ネットで見たある言葉を思い出した。騒
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第5話
蓮は店の前に長い間立ち尽くしていた。スマホを耳に当てたまま、無機質な機械音が何度も鳴り続けていた。芽依の携帯は、電源が切られていた。彼は画面に目を落とした。23件の不在着信が表示されている。全部、彼女にかけたものだった。苛立ちを覚えて道端の小石を蹴ると、石は転がってゴミ箱の下にぶつかった。空が暗くなり、街灯が灯った。店の明かりも点いた。ゴミ袋を持って出てきた丈治の姿を見つけて、蓮は急いで駆け寄った。「丈治さん、俺の彼女、見ませんでしたか?前にここで食事したことあるんです。ここで告白もしたんですけど、覚えてますか?」丈治が顔を上げて彼を見た瞬間、表情が変わった。その表情を蓮は知っていた。何か言いかけて飲み込むような、同情の混じった顔だ。蓮の胸がざわついた。「兄ちゃん」丈治はゴミ袋をゴミ箱に投げ入れ、手をぱんぱんと払いながら言った。「別れたんなら、もうあの子に構うのはやめときな」蓮は呆然とした。「別れた?誰が別れたんですか?」丈治は首を振り、手を振って、店の中へ戻っていった。ドアが閉まり、ベルが1つ鳴った。蓮はその場に立ち尽くしたまま、スマホをまだ耳のそばに掲げていた。自分は芽依と別れてなんかいない。自分たちはただ……少し考えて、思い直した。ただ、しばらく連絡を取っていなかっただけだ。蓮は結菜の番号にかけた。2回のコールで、繋がった。「もしもし――」「結菜か、芽依はどこにいる?電話の電源が切れてて、今日お前ら――」「蓮、あんた頭おかしいんじゃないの?」結菜の声が、刃物のように切りつけてきた。「今さら彼女を探してるわけ?今まで一体何してたのよ?芽依がこの1ヶ月、一人でどう過ごしてきたか分かってる?よくもまあ、私に電話してこれるわね。あんたにその資格あると思う?」電話は切れた。再び機械音が鳴り響いた。蓮はその場で固まった。秋風が通りの入り口から吹き込んで、上着の裾をばたばたと鳴らした。彼はスマホの画面を見下ろして、ふと何かがおかしいと感じた。芽依とのトーク履歴を開いた。上へ遡る。昨日のやり取りはない。一昨日もない。さらに上へ、1週間前、半月前。指が止まった。最後のやり取りは、1ヶ月前の日付だった。彼が
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第6話
ケーキ屋の紙袋、透明な箱、その中身はマンゴーケーキだった。マンゴー。蓮の手が震えた。スマホが危うく落ちそうになった。芽依はマンゴーアレルギーだ。以前、うっかりマンゴープリンを一口食べてしまった時、その夜のうちに喉が腫れ上がって、息ができなくなった。その時、彼は芽依を背負って病院まで走った。救急の医師は、あと10分遅れていたら危なかったと言っていた。それ以来、彼は何かお菓子を買うたびに、原材料表示を何度も確認するようになっていた。それなのに、どうして……マンゴーケーキを芽依に買ったんだ?蓮は画面を見つめたまま、頭の中で何かが壊れるような感覚に襲われた。昔は、間違いなくマンゴーを避けていたはずだ。芽依のために買う物なら、マンゴーの香りのシャンプーにすら触れなかった。なのに、この写真のケーキには、マンゴーが入っていた。あの時写真を撮った瞬間は、まったく気づいていなかった。そう考えていると、スマホが鳴った。画面に「茉優」の文字が浮かんだ。蓮は電話に出た。「蓮先輩……」茉優の声は甘えるように柔らかく、少し鼻にかかっていた。「本当に会いに来てくれないんですか?風邪引いちゃって、一人で病院にいるの、すごく心細いんです」蓮はスマホを握ったまま、何も言わなかった。「そうだ」茉優が続けた。「マンゴーケーキ食べたいな。前に買ってくれたあのお店の、また買ってきてもらえませんか?」蓮は口を開いた。けれど、喉から声が出なかった。そうだ、マンゴーケーキを買ったのは、いつも茉優に買っていたからだ。それが習慣になっていた。彼は目を閉じた。自分の声が、ぞっとするほど掠れているのが聞こえた。「茉優、芽依がどこに行ったか知ってるか?」電話の向こうで、不自然なほどの沈黙が落ちた。「芽依さん?知りません」蓮は電話を切った。その場に立ち尽くしたまま、急に寒気を覚えた。さっき結菜に罵られた時の言葉を思い出した。「芽依がこの1ヶ月、一人でどう過ごしてきたか分かってる?あの子が今いなくなって、あんたは満足なわけ?」いなくなった。どこへ行ったんだ。蓮は駆け出し、学校へ向かって走った。国際交流学院の事務室に飛び込むと、顔見知りの職員が顔を上げて、どうしたのかと尋ねた。蓮は
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第7話
ルームメイトのジェニーがドアをノックして、顔だけ半分覗かせた。「メイ、下に荷物届いてるよ」私は返事をして立ち上がった。腰が少しだるい。一日中、机に向かっていたせいだ。1階に降りて荷物を受け取り、開けてみると、母から送られてきた使い捨てカイロと、鍋の素が何袋か入っていた。私は思わず笑って、箱を抱えて部屋に戻った。リビングを通りかかると、ジェニーが彼氏とビデオ通話をしていて、目を細めて笑っていた。私はそのまま通り過ぎて、あまり見ないようにした。部屋に戻って、使い捨てカイロを引き出しにしまう。引き出しの中には、もう何箱も溜まっていた。前に私が生理痛がひどくて机に突っ伏したまま起き上がれなかった時、ジェニーはひどく驚いて、救急車を呼ぼうとした。私はジェニーを止めて、いつものことだから大丈夫と言った。その後、母がそれを知って、毎月送ってくるようになった。私は椅子の背にもたれて、窓の外を眺めた。日が暮れていた。街灯が灯り、並木のカエデを照らしていた。葉は炎のように赤い。ふと気づいた。もうずいぶん長い間、蓮のことを思い出していなかった。来たばかりの頃は、夜中に目が覚めることがあった。天井をじっと見つめて、頭の中がぐちゃぐちゃになった。蓮が私がいなくなったことに気づいたかどうか。蓮が私を探したかどうか。送信しなかったあの別れのメッセージを、もし蓮が見ていたらどんな顔をするだろうか。そのうち授業が忙しくなって、実験レポートが山積みになって、教授の要求も厳しくて。私は毎日図書館に入り浸って、アパートに帰ったらすぐに寝てしまうようになった。少しずつ、そういう考えは薄れていった。やがて、薄れるという段階すら通り越し、忘れてしまったのだ。蓮の電話番号を忘れた。蓮が笑う時、口元がどちらに歪むのかを忘れた。蓮の左手首に着けていた、私が編んだブレスレットの色を忘れた。人を忘れるのに、わざとらしい努力なんて要らないんだと知った。ただ、自分を予定でいっぱいにするだけでよかった。私はコップを手に取って水を一口飲み、またノートパソコンを開いた。画面の光が顔を照らし、文書の末尾でカーソルが点滅している。いくつか文字を打っては、また消した。ふと、出発したあの日のことを思い出した。空港
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第8話
上着のジッパーは閉じられておらず、風にあおられて膨らんでいた。蓮は顔を上げて、こちらを見ていた。私がどの階にいるのか、蓮には分からないはずだ。それでも、ただそこに立っていた。私はカーテンを閉じた。「蓮」私は言った。「帰って」「芽依――」「私たち、別れたの」「いつ?」彼の声が焦っていた。「俺は同意してない」私は小さく笑った。「蓮の同意なんて要らない」電話の向こうが静かになった。私は机に戻って座り、スマホを肩と耳の間に挟んだまま、文字を打ち続けた。「蓮、メッセージ送ったよ」「何のメッセージだよ」「別れようって」「届いてない!」「届いたかどうかなんて、どうでもいい」私は手を止めて、少し考えた。「大事なのは、私がもう蓮と一緒にいたくないってこと」彼は長い間、黙り込んだ。電話が切れたのかと思うくらい長く。それから、低い声が聞こえた。「芽依、俺が悪かったのは分かってる。お前が一番好きな、あの店のモンブランを買ってきた。ちょっとだけ、出てきてくれないか?」私は画面の論文を見つめた。カーソルは句点の後ろで止まっている。ふと、少し可笑しくなった。モンブラン。私が一番好きなのがモンブランだって、覚えているね。だが、茉優にマンゴーケーキを買ったことも、覚えている。2つの記憶が、同じ男の脳内に並列して存在しているなんて。気味が悪いくらい、平然としているのね。「蓮」私は言った。「帰って」「帰らない」「なら、ずっと立ってれば」私は電話を切った。スマホを裏返しにして机に伏せ、論文の続きを書いた。3行書いて、また手を止めた。窓の外の街灯はまだ点いていたが、もう窓の外は見なかった。翌朝、授業に出るために家を出ると、玄関の前の地面に箱が1つ置かれていた。モンブランだった。もうすっかり冷え切っていて、クリームは崩れ、栗の欠片が箱の底に散らばっていた。私はそれを避けて通り過ぎた。蓮は帰らなかった。彼は教育棟の下で3日間、待ち続けた。3日目、授業から帰ってくると、蓮はアパートの下で私を待ち構えていた。目の下は青黒く隈ができていて、唇は乾いて皮がめくれていた。「芽依」蓮が私を呼んだ。私は立ち止まった。「一体何がし
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第9話
その後、蓮は何度か訪ねてきて、そのたびに違う物を持ってきた。ある時は、芽依が前に何気なく口にした限定版の口紅。ある時は、芽依が見に行きたいと言っていたミュージカルのチケット。または、彼が昔芽依に書いたラブレターをコピーして、アパートの掲示板に貼り出した。ジェニーが走って戻ってきて教えてくれた時、爆笑していた。「メイ、あんたの元カレ、ちょっとおかしいんじゃない?」私も少し笑った。それから、私は掲示板に貼られた紙を剥がして、ゴミ箱に捨てた。4週目になると、蓮は姿を見せなくなった。帰国したらしい。茉優が空港まで迎えに行った。飛行機を降りて茉優の姿を見た彼が、そのまま踵を返して立ち去った。これらの話は、全部結菜が教えてくれた。結菜は数日おきに音声メッセージを何通か私に送ってきて、国内の噂話を聞かせてくれて、最後にはいつも一言付け加えた。「芽依、絶対に情に流されないでよね」私は返した。「わかってる」さらに1ヶ月が過ぎた。実験室で作業をしていると、スマホにニュースの通知が表示された。地元のニュースで、国内のとある大学の学術スキャンダルだった。開いてみると、茉優が所属していた研究室の話だった。そこにはデータ改ざんと書かれていて、蓮の名前も載っていた。蓮が茉優のために手伝った実験データに、大規模な改ざんが見つかったという。大学は正式に通達を出し、二人とも停職の上、調査を受けることになった。私はスマホを置いて、実験を続けた。手にしたピペットは安定していて、液体が一滴ずつビーカーに落ちていった。その夜、アパートに戻ると、ジェニーに誘われてキムチ鍋を食べに行った。赤いスープがぐつぐつと煮え立ち、湯気が立ち上っていた。ジェニーは、最近何かいいことでもあったのかと聞いてきた。機嫌が良さそうに見えると。私は少し考えた。「別に」私はモツを一切れ箸で取った。「ただ、今日の月がすごく丸いなって思っただけ」彼女は不思議そうに私を見た。私は笑って、それ以上は説明しなかった。キムチ鍋を食べ終えてアパートまで歩いて帰る途中、私は空を見上げた。月は確かに丸かった。風は少し冷たかったけれど、頬に当たると気持ちよかった。私はポケットに手を入れた。ポケットの中には、新しい研
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