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幼なじみでいるのをやめたら、彼は死ぬほど後悔した

幼なじみでいるのをやめたら、彼は死ぬほど後悔した

By:  くらげCompleted
Language: Japanese
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私、糸賀一花(いとが いちか)と静間理玖(しずま りく)は、物心ついた頃からずっと一緒に育った。 両家の親も、大学を卒業したら私たちは自然に付き合うものだと思っていた。 理玖も人前でためらうことなく、いつもこう言っていた。 「一花は怖がりだから、俺がいないとダメなんだよ」 私は、その言葉を十年以上ずっと信じていた。 大学に入って最初の学科の食事会。 同じ学科で美人だと評判の久留宮茉白(くるみや ましろ)が、飲み物を手に理玖の隣へ座り、笑いながら聞いた。 「幼なじみがいるって聞いたけど、恋人なの?」 周りに冷やかされ、私は頬が熱くなるのを感じながら、理玖がうなずくのを待った。 けれど、理玖は一瞬だけ間を置いた。 「違うよ。小さい頃から近所に住んでて、妹みたいなもんだ」 誰かが茉白を肘でつついた。 「ってことは、まだチャンスあるじゃん」 茉白は目を細めて笑った。 「じゃあ、これからよろしくね」 理玖は避ける様子もなく、笑って答えた。 「うん」 その瞬間、高校の体育祭の練習で日焼けしないようにと、理玖が夜遅くまで開いている店を探して日焼け止めを買ってきてくれたことを思い出した。 進路を決めたときには、私の手を握って「大学に行っても、ずっと一緒だから」と言ってくれたことも。 それでも、茉白が笑えば、私との十数年は「妹みたいなもの」のひと言で片づいてしまうらしい。 帰り道、追いかけてきた理玖は言い訳した。 「茉白って、思ったことをそのまま口にするタイプだろ。あそこで否定して、恥をかかせたくなかっただけ」 「じゃあ、私が恥をかくのはいいの?」 理玖は眉をひそめた。 「一花、いつからそんなこと気にするようになったんだよ」 私は、それ以上何も言わなかった。 その夜、SNSに載せていた理玖との写真を、すべて非公開にした。 その日から、私もただの近所の人になることにした。

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Chapter 1

第1話

「一花、SNSの投稿、俺だけ見られないようにした?」

学生寮の前に立っていた理玖は、片手にホットミルクを持っていた。

「うん」

「なんで?」

「そうしたかったから」

理玖がホットミルクを差し出してくる。

「まだ怒ってんの?朝飯抜くと、また胃が痛くなるだろ」

私は受け取らなかった。

「なんで朝ごはん食べてないって知ってるの?」

理玖が一瞬、言葉に詰まる。

「同室の子に聞いた」

私は差し出されたホットミルクを見て、ふっと笑った。

「じゃあ聞かなかった?私、牛乳飲むとお腹壊すんだけど」

理玖は少し間を置いた。

「でも、温かいやつだし。これなら平気だろ」

「茉白は牛乳、飲めるの?」

理玖が顔を上げる。

「一花、なんでも茉白に結びつけるのやめろよ」

「聞いただけ」

「今朝、茉白が低血糖だっていうから、ついでに朝飯を買ってやっただけ。このホットミルクは、お前のために特別に買ったんだよ」

「砂糖、入ってる?」

「ああ」

「私、甘いホットミルク飲まないよ」

理玖は少し黙った。

「一花、いちいちケチつけるなよ」

私は両手をポケットに入れた。

「持って帰って」

理玖が眉をひそめる。

「昨日の飲み会で言ったこと、あれはそういう意味じゃないからな」

「どういう意味?」

「お前のこと、昔からの幼なじみで、妹みたいなもんだって言ったのは、みんなに冷やかされたくなかったから。俺たちのこと、わざわざ大っぴらにする必要ないだろ」

「じゃあ、茉白に『恋人なの?』って聞かれて『違う』って答えたのも、大っぴらにしたくなかったから?」

理玖は眉間を揉んだ。

「俺たちがどういう関係か、一花だって分かってるだろ。言い方ひとつでいちいち突っかかるなよ」

私は黙って理玖を見つめた。

初めて思った。

理玖って、本当に自分に都合よく解釈するんだ。

「理玖!」

後ろから声が飛んできた。

教材を抱えた茉白が、小走りでこちらへやってくる。

私に気づいた途端、顔に浮かんでいた笑みが少しずつ消えた。

「もしかして、邪魔しちゃった?」

「いや」

理玖はいつもと変わらない顔で答えた。

茉白は私に目を向ける。

「2人、ケンカしてるの?昨日のことだったら……一花ちゃん、勘違いしないでね。私、本当に2人がそんなに仲いいって知らなくて」

そんなに仲がいい。

茉白から見れば、私と理玖はただ仲がいいだけらしい。

私はホットミルクをゴミ箱のふたの上に置いた。

「別に、勘違いしてないよ」

理玖はすぐにカップを手に取った。

「一花。朝からわざわざ持ってきたのに、そんな扱いする?」

「飲めないから」

「あ……もしかして、私のせい?」

茉白が慌てて口を挟んだ。

「じゃあ、別の飲み物買ってこようか?」

「茉白は関係ない」

理玖の声に、わずかな苛立ちが混じった。

「一花は昔からこうなんだ。ちょっとなだめれば、すぐ機嫌直すから」

目の奥が熱くなった。

私は理玖を見た。

「理玖、私、もう子どもじゃないよ」

理玖が一瞬、黙る。

「分かってる」

「だったら、もう機嫌なんて取ってくれなくていい」

カップを持つ理玖の指に力が入った。

「分かった。じゃあ、少し一人で頭冷やせよ」

茉白が小さな声で言った。

「一花ちゃん、そんなに理玖に怒らないであげて。昨日も、一花ちゃんって昔から怖がりで、1人じゃ夜道も歩けないって。そこが変わらなくて笑えるって言ってたよ」

「茉白」

理玖が低い声で遮った。

暗い道が怖いことまで、理玖にとっては人に笑って話せることだったんだ。

1限の開始時刻が迫っていた。

理玖はバッグを反対の肩に掛け直す。

「行くぞ。遅れる」

「2人で先に行って」

私はそう答えた。

「パン、買ってくる」

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11 Chapters
第1話
「一花、SNSの投稿、俺だけ見られないようにした?」学生寮の前に立っていた理玖は、片手にホットミルクを持っていた。「うん」「なんで?」「そうしたかったから」理玖がホットミルクを差し出してくる。「まだ怒ってんの?朝飯抜くと、また胃が痛くなるだろ」私は受け取らなかった。「なんで朝ごはん食べてないって知ってるの?」理玖が一瞬、言葉に詰まる。「同室の子に聞いた」私は差し出されたホットミルクを見て、ふっと笑った。「じゃあ聞かなかった?私、牛乳飲むとお腹壊すんだけど」理玖は少し間を置いた。「でも、温かいやつだし。これなら平気だろ」「茉白は牛乳、飲めるの?」理玖が顔を上げる。「一花、なんでも茉白に結びつけるのやめろよ」「聞いただけ」「今朝、茉白が低血糖だっていうから、ついでに朝飯を買ってやっただけ。このホットミルクは、お前のために特別に買ったんだよ」「砂糖、入ってる?」「ああ」「私、甘いホットミルク飲まないよ」理玖は少し黙った。「一花、いちいちケチつけるなよ」私は両手をポケットに入れた。「持って帰って」理玖が眉をひそめる。「昨日の飲み会で言ったこと、あれはそういう意味じゃないからな」「どういう意味?」「お前のこと、昔からの幼なじみで、妹みたいなもんだって言ったのは、みんなに冷やかされたくなかったから。俺たちのこと、わざわざ大っぴらにする必要ないだろ」「じゃあ、茉白に『恋人なの?』って聞かれて『違う』って答えたのも、大っぴらにしたくなかったから?」理玖は眉間を揉んだ。「俺たちがどういう関係か、一花だって分かってるだろ。言い方ひとつでいちいち突っかかるなよ」私は黙って理玖を見つめた。初めて思った。理玖って、本当に自分に都合よく解釈するんだ。「理玖!」後ろから声が飛んできた。教材を抱えた茉白が、小走りでこちらへやってくる。私に気づいた途端、顔に浮かんでいた笑みが少しずつ消えた。「もしかして、邪魔しちゃった?」「いや」理玖はいつもと変わらない顔で答えた。茉白は私に目を向ける。「2人、ケンカしてるの?昨日のことだったら……一花ちゃん、勘違いしないでね。私、本当に2人がそんなに仲いいって知らなくて」そんなに仲が
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第2話
理玖は眉をひそめた。「このまま講義棟まで行ったら、パン買えるところないだろ。だからって、当てつけみたいに何も食わないのやめろよ」私はバッグを肩に掛け直した。「そこまでしてないけど」すると茉白がバッグを探り、ピーナッツクリームを挟んだビスケットを取り出した。「じゃあ、これ食べる?」理玖はそれを受け取ると、そのまま私のほうへ差し出した。「ほら。もういいから、食べとけ」パッケージの原材料表示に目が止まった。小学生の頃、遠足で友達にもらったピーナッツバターを食べて、発疹が出たことがある。あのとき理玖は、私を背負って保健室まで走ってくれた。保健室に着くまで、理玖はずっと泣きそうな顔をしていた。それなのに、今はもう覚えていない。私は手を伸ばさず、静かに言った。「いい。私、ピーナッツアレルギーだから」理玖の顔色が変わった。茉白もはっと目を見開く。「ごめん。一花ちゃん、私、知らなくて……」理玖は何か言いかけ、少し遅れて口を開いた。「忘れてた」「うん。分かってる」「一花……」「もう授業始まるよ」2人の横を通り抜け、そのまま講義棟へ向かった。後ろから、茉白の声が小さく聞こえた。「一花ちゃん、私のこと嫌いなのかな」「違うって。ただ妬いてるだけ」理玖はそう答えた。その日の夕方、新歓の実行委員を決める集まりがあった。出かける準備をしていると、同室の羽倉彩葉(はぐら いろは)が不思議そうにこちらを見る。「一花、ほんとに行くの?こういうの苦手じゃなかった?」私は理玖にもらったペンケースを、机の引き出しの奥へしまった。「ずっと避けてるわけにもいかないし」そのとき、スマホが光った。理玖からメッセージが届いている。『夜、一緒に講義室行こう』『席、取っとくから。勝手に変なとこ座るなよ』返したのはひと言だけだった。『大丈夫。1人で行く』すぐに着信が来た。画面に理玖の名前が浮かんだけれど、そのまま出なかった。講義室に着いた頃には、前のほうはほとんど埋まっていた。理玖の隣だけが空いている。反対側には茉白が座っていて、私を見つけると手を振った。「一花ちゃん、こっち!」そちらには行かず、一番後ろの席に座った。ほどなくして、スマホが震
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第3話
強い雨が階段に打ちつけていた。図書館の入口で雨宿りをしていたけれど、吹き込んでくる雨で靴のつま先はもうすっかり濡れている。電話越しに聞いた。「傘、茉白に貸したの?」数秒、返事がなかった。『熱あるんだよ。あのまま濡らすわけにいかないだろ』「じゃあ、私は?」『待っててって言ったじゃん』「10分って言ったよね」『道が混んでるんだよ』スマホの画面を見る。理玖から『今行く』と連絡が来てから、もう42分経っていた。「理玖、図書館もう閉まるよ」電話の向こうで、疲れきった声が返ってくる。『一花、そういう言い方やめて。今日ずっとあちこち動き回ってて、俺も疲れてるんだよ。とりあえず雨に当たらないところで待ってて。もうすぐ着くから』小さく息を吐いた。「もう来なくていい」『今度は何?』「自分で帰る」『この雨の中、どうやって?』「走る」すぐに声色が変わった。『一花、やめろ。絶対走るなよ』そのまま電話を切った。図書館から寮までは、それほど遠くない。走れば10分もかからない。前は、こんなふうに雨の中を走って帰る必要なんてなかった。理玖はいつもバッグに折りたたみ傘を入れていた。雨に濡れると頭が痛くなるだろ、と言って。なのに今日は、茉白には熱があるから濡らせないらしい。シャワーを浴びて部屋へ戻ると、スマホには10件以上の着信が残っていた。その直後、理玖からボイスメッセージが届く。『開けて』ドアを開けると、理玖が立っていた。片手には風邪薬と、持ち帰りの卵雑炊。髪は雨に濡れていた。理玖は上着を脱ぐと、そのまま私の肩に掛ける。「待ってろって言っただろ」タオルで髪を拭きながら答えた。「来なかったじゃん」「来ただろ」「遅かったよ」理玖は何か言いかけたけれど、結局何も返さなかった。テーブルに雑炊を置く。「とりあえず食えよ」「いらない」「夜、パン1個しか食べてないだろ」思わず顔を上げた。「それは覚えてるんだ」「当たり前だろ」「じゃあ、私が三つ葉嫌いなのは?」理玖が容器のふたを開ける。湯気の向こうに、細かく刻まれた三つ葉が浮いていた。それを見て、眉間に皺が寄る。「店で入れたんだろ。そこまで見てなかった」
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第4話
留学担当の職員が、念を押すように聞いた。「ご家族には、もう話してありますか?」「はい」昨夜、母から電話があった。『一花が行きたいなら、行っておいで。いつまでも誰かに決めてもらうのを待ってちゃだめ。もう大人なんだから、1度くらい自分の足で歩いてみなさい』スマホを握ったまま、しばらく何も言えなかった。電話を切ったあと、机の引き出しからパスポートを取り出すと、そのそばに古い乗車券が1枚挟まっていた。高校3年のとき、志望校の実技試験を受けに行った日のものだった。あの日、理玖は私の身分証も受験票も、自分の上着の内ポケットにしまっていた。「一花は俺についてくればいい。絶対、迷子にさせないから」ずっと理玖について歩いてきた。そのせいで、自分だって地図くらい読めることを、いつの間にか忘れかけていた。職員が書類をこちらへ返した。「成績も語学要件も問題ありません。ただ、先方の受け入れ日程の関係で、遅くとも明後日には出発してもらうことになります」「大丈夫です」寮へ戻る途中、理玖から電話がかかってきた。『今どこ?』「大学」『俺、寮の前にいる。なんで俺があげたタンブラー捨てたの?』昨夜、荷物を片づけていたとき、底にひびが入っているのを見つけた。大学に入ったばかりの頃、講義の合間に温かいものを飲めるようにと、理玖がくれたものだった。「壊れてるなら、もう捨てたら」と彩葉に言われて、そのまま処分した。「壊れてたから」すぐに不機嫌な声が返ってくる。『壊れたなら言えばいいだろ。新しいの買ってやったのに』「もういいよ」少し間があった。次に聞こえた声は、かすかに掠れていた。『一花、お前、あと何を捨てたら気が済むんだよ』何も返さなかった。しばらく黙ったまま、そのまま電話を切った。寮の前まで戻ると、理玖がこちらへ歩いてきた。「今日は茉白のところ行ってない。練習付き合ってって言われたけど断った」私の前で足を止める。「鍋焼きうどん食いに行こう。好きだろ」「夜、やることあるから」「飯より大事なこと?」「資料まとめないと」「また実行委員のやつ?」理玖はため息をついた。「前はああいう面倒なの、一番嫌がってたじゃん。今さら誰にいいとこ見せたいんだよ」そう言って
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第5話
到着してスマホの電源を入れると、通知が一気に押し寄せてきた。彩葉からも、10件以上メッセージが届いている。『理玖、やばい』『一花がどこに行ったのかって聞かれたけど、知らないって言っといた』『絶対、本当に行くわけないって』『今、国際交流センターまで行った』そこへ母からビデオ通話がかかってきた。『着いた?』「着いたよ」『寒くない?』「平気」『無理しないの。ちゃんとマフラーしなさい』首元に目を落とす。グレーのマフラーは、きちんと巻いたままだった。「してるよ」画面越しに、母がしばらく私の顔を見つめる。『泣いた?』「泣いてない」『そう』少し間を置いてから、いつもの調子で続けた。『じゃあ先に寮行って、荷物片づけてから泣きなさい。空港で泣いたらみっともないでしょ』思わず笑ってしまった。「お母さん、私そこまで弱くないよ」『知ってる』母は少しだけ声をやわらげた。『今まで、迎えに来てくれる人がいるのが当たり前だっただけよ』空港の出口には、「リヴェル大学」と書かれたボードを掲げたスタッフが立っていた。留学生向けのシャトルに乗り、窓際の席に座る。またスマホが鳴った。表示されたのは、国内の見覚えのない番号だった。そのまま切る。けれど、すぐに別の番号からかかってきた。さらにもう1件。隣に座っていた女の子が、不思議そうにこちらを見る。「出ないの?」「勧誘みたい」かかってきた番号を順番に着信拒否にした。寮に着くと、シーツを敷いている途中、ベッドフレームのささくれで指を切った。小さな傷口に、赤い血がにじむ。こういうとき、前なら理玖が眉をひそめて、すぐに私の手を取った。「何やってんだよ。ほんと危なっかしいな」そう言いながら絆創膏を貼って、最後に傷口へふっと息を吹きかけてくれた。私はスーツケースから絆創膏を探し出した。少し斜めになったまま貼ってしまって、端を指で押さえる。それで十分だった。夜になると、彩葉から音声データが送られてきた。再生すると、理玖の声が聞こえてくる。『一花が手続きしたのは、いつですか?』留学担当の職員が答える。『個人の手続き状況については、お答えできません』『なんで俺には何も言わなかった
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第6話
「俺の傘だから。今は貸すだけ」そう言って、男の子は傘を差し出した。「弓削蒼士(ゆげ そうし)。よろしく」「糸賀一花です」「いとか……?」どうやら、名字を聞き間違えたらしい。「いとが。最後、濁るの」私が言い直すと、蒼士もゆっくり繰り返した。「いとが……一花、ね」ふいに理玖のことを思い出した。理玖は、私の名前を聞き間違えたことなんて1度もない。でも今は、理玖が呼んでも、私はもうそこにはいない。……スーパーでパンを選んでいると、電話の向こうから理玖の声がした。『一花、切るなよ』画面に表示されていたのは母の番号だった。出てみれば、母が理玖にスマホを渡したらしい。「うちに何しに行ったの?」『おばさんが、今日一花から電話くるって言ってたから』「それで待ってたの?」『声、聞きたかっただけ』手にしていたパンをかごへ入れた。「もう聞いたでしょ」『今どこ?』「大学」『どこの大学?』「理玖」『どこって聞いてるんだよ』声が低くなる。「聞いても意味ないよ」『なんでだよ。場所が分かれば行けるだろ』「来なくていい」『1人で外国にいて、体調崩したらどうすんの?道に迷ったら?夜、寮まで1人で帰れるの?』ヨーグルトを手に取り、表示に目を落とした。「自分でなんとかする」『できないだろ』すぐに遮られた。『昔からそうじゃん。家の鍵だって3回なくしただろ。一花、無理すんなよ』ヨーグルトを棚へ戻した。「あれ、小学生のときでしょ」『でも俺の中じゃ、ずっとそうなんだよ』「だから離れたの」電話の向こうが静かになった。聞こえるのは、かすかな息遣いだけ。しばらくして、理玖がようやく口を開いた。『一花。俺が悪かった』私は何も言わなかった。『みんなの前で妹みたいなもんだって言ったのも、雨の中待たせたのも、ピーナッツアレルギー忘れてたのも。茉白のことばっか優先して、一花に我慢させてたのも』少し間が空く。『帰ってきて。今度はみんなの前で、ちゃんと話すから』「もういいよ」『何がいいんだよ』「もう欲しくないから」『一花。そんな簡単に、いらないって言うなよ』レジでパンのバーコードが読み取られた。スマホを肩と耳の間に挟み
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第7話
母がスマホを取り返した。『ちゃんと夕飯食べた?』「パン買った」『またパン?』「明日は学食行くよ」『そう。今日は早く寝なさい』少し間が空いた。『あと、情に流されちゃだめよ』「うん」電話が切れても、私はしばらく寮の前に立ったままだった。すぐに理玖からメッセージが届く。『俺、そっちに行くから』パンの袋をきゅっと結んだ。ちょうどそこへ、蒼士が通りかかった。スープジャーを2つ持っている。私を見ると、足を止めた。「夕飯、まだ?」「これから」蒼士の目が、私の手元へ落ちる。「パン?」「うん」すると、スープジャーを1つ差し出してきた。「作りすぎたから、こっち食べる?」「いいよ」「ほんとに余ってるんだって」そう言って、スープジャーを1つ私の手に押しつける。「明日、容器だけ返して」容器越しに、じんわり熱が伝わってきた。その温かさに、思わず手元へ目を落とした。……理玖は、本当に来た。講義棟を出たところで姿を見つけたとき、私の手には蒼士へ返すスープジャーがあった。黒いジャケットを着た理玖は、長い移動のせいか、後ろの髪が少し跳ねていた。私を見るなり、ふっと笑う。けれど、その笑みはすぐに消えた。「一花」私は足を止めた。「なんでここが分かったの?」「彩葉もおばさんも教えてくれなかったけど、青凪大学の留学プログラムを片っ端から調べた。時期と期間で絞ったら、ここしかなかった」そこまで言ってから、少し声を落とす。「別に困らせたいわけじゃない。ただ心配だったんだよ」私はスープジャーを握り直した。「でも、こういうことされると困る」理玖の表情が止まった。「困るって……俺、10時間以上かけてここまで来たんだぞ」「来てって頼んでない」理玖は一度目を伏せた。もう一度顔を上げたとき、目元が赤くなっていた。バッグから小さな箱を取り出す。「胃薬、持ってきた。それと、一花が好きなはちみつ飴も」手は伸ばさなかった。「もう食べないよ」「じゃあ、焼き芋は?」理玖は保温バッグを開いた。「こっちで見つけた。冷めないようにしてたから、まだ温かい」袋を開くと、焼き芋の甘い匂いがふわりと漂った。冬になると、理玖はよく校
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第8話
理玖が蒼士を見た。「俺たちのことだから、他人は口出さなくていい」蒼士は理玖には目を向けず、私だけを見ていた。私は理玖の手を振りほどく。「大丈夫」理玖の手が力なく下がり、指先がきゅっと丸まった。蒼士にスープジャーを差し出す。「昨日、スープありがとう」蒼士はそれを受け取った。「午後のグループワーク、忘れないでね」「分かった」蒼士がその場を離れると、理玖が低い声で聞いた。「グループワークって、あいつと同じグループなの?」「そう」「一花、俺に当てつけてる?」「ここで授業受けてたら、グループ組むくらい普通でしょ」「でも、前のお前なら……」「前ならしなかったこと、今はいっぱいしてるよ」理玖は私を見たまま、しばらく何も言わなかった。やがて、小さく聞く。「……俺、どうしたらいい?」「帰って」「それ以外で」「ないよ」長い沈黙のあと、理玖は足元に保温バッグを置いた。「俺が来たのは無駄だったってことでいい。せめて焼き芋だけは持ってって。このまま持って帰りたくない」私は袋を見つめた。結局、かがんで持ち上げる。「みんなに分けるね」理玖の口元がわずかに歪んだ。「好きにすれば」午後のグループワークでは、焼き芋を食べやすい大きさに分けてテーブルに置いた。みんながそれぞれ手を伸ばしていく。蒼士も1切れ取ろうとして、私を見た。「糸賀さんは食べないの?」「甘すぎるから」蒼士は伸ばしかけた手を引っ込めた。「じゃあ、俺もいいや」……理玖は大学の近くにホテルを取り、それから毎日のようにメッセージを送ってきた。『朝はちゃんと温かいもの食べろよ』『今日は冷えるから、いつもより厚着して』『前に好きだって言ってたスープ買った。寮の受付に預けてある』どれにも返事はしなかった。しばらくして、寮の受付から連絡が入った。取りに行くと、預けられていたスープはまだ温かかった。受付の人が私を見て聞く。「これ、彼氏さんから?」私は首を振った。「違います」受付の人は少し意外そうな顔をした。「そうなの?じゃあ、次からは受け取らないほうがいい?」「すみません。次からは断ってもらえますか?」その夜、寮の前には理玖がいた。図書館か
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第9話
私は理玖を見た。「私が怖がりなのも、胃が弱いのも、夜道が苦手なのも覚えてるよね」理玖は黙っている。「でも、何か選ばなきゃいけないときは、いつも私に我慢させた」「一花なら分かってくれるって思って、説明もしなかった」「私が離れないって思ってたから、後回しにしても平気だと思ってた」理玖が唇をきつく結んだ。「違う」「違わないよ」自分でも驚くほど、声は静かだった。「理玖が私のことを好きなのは分かってる。でも、私がずっと同じ場所にいるって決めつけてた」理玖は何か言おうと口を開いたものの、言葉は出てこなかった。私はノートパソコンのバッグを持ち上げた。「もう帰って」「帰らない」「じゃあ、好きにして」翌日、SNSに写真を1枚投稿した。青い屋根のメイン棟を撮った写真だった。添えた言葉は短い。【新生活1週目】投稿して1分もしないうちに、理玖から「いいね」がついた。けれど、すぐに消えた。そのあと、DMが届く。『あの男に撮ってもらったの?』『通りすがりの人』そう返すと、すぐにまた通知が来た。『一花。俺、しんどい』前なら、理玖が具合悪いと言えばすぐに駆けつけていた。薬と白湯、それから理玖が好きなシュガーレスのミントタブレットを持って。今は一言だけ返した。『病院行って』返事はすぐに来た。『前はそんなこと言わなかっただろ』それ以上は返さなかった。夜になると、茉白からフォローリクエストが届いた。承認すると、長いメッセージが送られてきた。『一花ちゃん、ごめんね。私、本当に理玖を取ろうと思ってたわけじゃないの。ただ、理玖って優しいし、一緒にいると安心できて、それでだんだん何でも頼るようになっちゃった。一花ちゃんが嫌がってるのも途中から分かってた。でも、何も言わないから、勝手に大丈夫なんだって思ってた』数分後、またメッセージが届いた。『理玖が一花ちゃんを追いかけて行って、やっと分かった。理玖がずっと好きだったのは、一花ちゃんだったんだね』『知ってる』そう返した。画面には何度も「入力中」と表示されては消えた。しばらくして、ようやく届く。『それなら、理玖のこと許す?』私は画面を見つめた。そして返した。『許さない』……
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第10話
理玖から、もう1件メッセージが届いた。『前に言ってたよな。初雪は一緒に見ようって』返事はしなかった。数分後、今度は音声メッセージが届く。『一花。今日、前によく行ってた鍋焼きうどんの店に行った』少し間があった。『店の人、まだ一花のこと覚えてたよ。「いつもの女の子は?」って聞かれた。一花が好きだった鍋焼きうどん、三つ葉抜きで頼んだ』そこで、理玖の声が一度途切れた。『半分くらい食べたところで、やっと思い出した。もう一花、ここにいないんだって』少しだけ息を吐く音がする。『俺、なんでずっと、一花はどこにも行かないって思ってたんだろうな』そこで再生を止めた。向かいにいた蒼士が聞く。「元カレ?」私は首を振った。「違う」「じゃあ、何?」少し考えた。「昔から、いるのが当たり前だった人」蒼士は軽くうなずいた。「当たり前って、変わるもんだよ」「うん」「俺も前は、変えられないと思ってたことがあったし」「どんな?」「夜更かしするとか、朝飯食べないとか」少し間を置いて、笑う。「1人のほうが楽だって思ってたのも、そうかな」「今は?」「ある人に会って変わった」私は本へ目を落とした。「その人、大変そう」「うん。かなり」蒼士も笑った。「来たばっかりで道に迷うし、放っておくとパンばっか食べてるし」冬休みに入る前、1度国内へ帰った。空港には両親が迎えに来ていた。母は私を見るなり抱きしめ、背中を軽く叩いた。「痩せたんじゃない?」父がキャリーケースを受け取る。「向こう、飯ないのか?」「あるよ」「じゃあ、なんで痩せるんだ」「勉強が大変だから」すると父が、何気ない調子で言った。「そういや理玖、少し前まで毎日のように来てたぞ」母がすぐに父を睨んだ。父は口を閉じる。私はマフラーを巻き直しながら聞いた。「今も来るの?」「前ほどじゃないわ」父が鼻を鳴らした。「来たって入れないけどな」帰国した翌日。醤油を買いに家を出て、近所のコンビニまで行くと、店の前に理玖が立っていた。手には、焼き芋の入った紙袋を提げている。私を見ると、理玖はその場で固まった。「一花」軽くうなずく。「久しぶり」目元がみるみ
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