เข้าสู่ระบบ昼休みのチャイムが鳴る少し前から、デスクの周囲がざわつき始めていた。キーボードを叩く音が次第にまばらになり、書類を閉じる音や、椅子を引く金属音が交じり合っている。晴臣はファイルを片づけながら、隣の岡田の動きを視界の隅でとらえていた。
岡田は、まだパソコンの画面を睨んでいた。寝癖のついた髪を指で無意識に掻き上げ、肩を一度落としてからようやく椅子を回転させる。
「……ちょっと外、行くか? 社食も飽きてきたやろ」
「今日は持ってきたんで。課長は?」
「俺も。珍しない?」
そう言って岡田は、バッグからタッパーを取り出した。適当に詰めただけと言いつつ、白飯に焼鮭と煮物、それに漬物が別容器に入っている。晴臣はふと、それを自分の母親が作ったものと錯覚しそうになって、内心で苦笑する。
休憩スペースは、窓辺に向いたカウンターと小さなテーブルが並ぶ簡素な作りだ。晴臣と岡田は、いつものように窓際の席に並んで座った。陽射しが斜めに差し込み、白いテーブルの上に二人の腕の影を落とす。カーテンは半分だけ引かれていて、そのせいか部屋の片側だけがほの暗い。
「この煮物、うまいですね」
「自分で作ったんやけど、味見せんまま詰めたわ。いける?」
「十分です」
箸をすすめながら交わされるやりとりは、毎日繰り返されるものと大して変わらない。けれど、晴臣の中には、どこかささくれだった感情が静かに顔を覗かせていた。
昼の光が岡田の頬を柔らかく照らしている。髪は相変わらずぼさぼさで、前髪の一部が右側にはねていた。それがずっと気になって、目線がそこに吸い寄せられる。気がつくと、晴臣は箸を置き、指先でそっとその髪に触れていた。
「……ここ、跳ねてます。寝癖、ですね」
岡田が驚いたように目を見開いたあと、ふっと笑った。
「まきちゃん、よう見とるなあ」
「毎日見てますから」
言葉にしてから、その響きの重さに気づいた。晴臣は慌てて手を引っ込め、少し視線を逸らした。岡田は気にする様子もなく、髪を自分でぐしゃぐしゃとかき混ぜて、再び笑う。
ノートパソコンの画面に、ずらりと物件のサムネイルが並んでいた。白い間取り図、フローリングの室内写真、築年数と駅からの距離――そのひとつひとつが、まだ見ぬ生活を象徴しているように思えた。晴臣と岡田は、肩を並べてテーブルに向かっていた。窓際のカーテンからは淡い昼下がりの光が差し込み、ふたりの手元とディスプレイを優しく照らしている。「このへん、静かそうやな」岡田が画面を指差す。そこにはやや郊外のファミリー向け物件が表示されていた。緑の多い住宅地で、広めの2LDK。リビングの写真には陽の光が溢れている。「でも駅から徒歩18分です。バスも便数が少ないですし」「そんな歩く?って感じやな。帰宅中に干からびそうや」「夏場は確実に後悔すると思います」「せやな、俺、汗かきやしな」岡田は苦笑し、マグカップに口をつけた。中のコーヒーはすでに冷めかけていたが、飲む仕草はどこか落ち着いている。彼のすぐ隣にいるというだけで、晴臣は不思議と胸の奥に柔らかい熱を感じていた。「じゃあこれ。駅徒歩7分、築浅、1LDK」晴臣がマウスを動かして別の物件を示す。壁は白く清潔感があり、キッチンも広めだ。「内装ええな。収納も多そう」「ただ……リビングが狭めですね。ベッドルームに大型の家具は厳しいかと」「つまり俺のソファは持ってけん、と」「断捨離の好機です」「ひどい」岡田は笑いながら肘で軽く晴臣の腕をつついた。その仕草にふっと体温が走る。距離は近い。けれど、その近さが心地よい。「じゃあ、次。ここは?」「うーん……築年数は10年超え、駅からの距離は理想的ですが……防音が心配ですね」「お前、音に敏感やもんな」「岡田さんがテレビの音量を上げすぎるんです」「耳が遠いんや」「三十代でそれは言い訳です」小さな応酬の中に、どこか微笑みがこぼれる
冬の朝の光は、どこか柔らかく鈍い。カーテンの隙間から差し込む淡い陽が、テーブルの上に置かれた湯気立つマグカップをぼんやり照らしていた。コーヒーの香ばしい匂いが部屋中に広がり、静かな音だけが漂っている。トースターのチーンという音が、ようやくその沈黙を破った。晴臣はパソコンの前に座り、マウスを慎重に動かしていた。ディスプレイの上には「同棲生活ルール一覧」という文字。画面の右端で点滅するカーソルが、どこか緊張を象徴しているように見える。「……これでいいかな」プリンターの音がカタカタと鳴り始める。紙が一枚、また一枚と出てくるたび、晴臣の胸の奥で鼓動が重なる。印刷が終わると、彼はゆっくりと息を吐き、整った書類をクリップで留めた。タイトルの下に自分の名前と岡田の名前が並ぶのを見て、一瞬だけ指先が止まった。振り返ると、キッチンでは岡田がゆるく寝癖のついた髪のまま、トーストを皿にのせていた。グレーのスウェットに古びたパーカー。休日の気の抜けた姿が、妙に絵になっている。どんな格好をしていても、彼の動作には不思議と温かさがあった。「課長、少しお時間いいですか」「ん?なんや朝から改まって」「これを」晴臣が書類を差し出すと、岡田はトーストを持ったまま受け取った。目を走らせる岡田の眉が、わずかに上がる。「……なにこれ、“ルームシェア誓約書”?」「“同棲ルール一覧”です」「こっわ…表題からして堅苦しすぎるわ」晴臣は微かに眉をひそめながらも、真面目な口調を崩さなかった。「同棲は生活です。ルールがなければ破綻します」「はあ…なるほどな。まるで会社の規定書みたいやな」岡田はソファに腰を下ろし、ページをめくった。そこには整然とした箇条書きが並んでいた。『1.食費・光熱費は折半』『2.掃除は週に一度、交代制とする』『3.家
玄関の扉が閉まる音とともに、今日という一日がそっと幕を下ろす。岡田の部屋に戻ったふたりは、言葉を交わさず、コートを脱ぎ、靴を揃えた。沈黙は、もう重たくはなかった。ただ、必要なものとしてそこにあった。リビングに入ると、岡田がまっすぐキッチンの冷蔵庫へ向かい、缶ビールを二本取り出す。片方を持ったまま、振り返る。「飲むか?」晴臣は頷きながらソファに腰を下ろした。深く沈むクッションに体を預けると、ふわりと柔らかな疲労感が全身を包む。岡田がソファの反対側に腰を下ろし、二人は小さな乾杯を交わした。「おつかれ」「……おつかれさまです」プシュ、と静かに弾けた炭酸の音と、テレビから流れるバラエティの笑い声が重なる。けれど、ふたりのあいだには、それを遮るような空気はなかった。晴臣は缶の冷たさを掌で転がしながら、岡田の横顔をちらと盗み見た。照明の加減で頬がやわらかく照らされていて、まるで別人のように静かだった。岡田は、缶を口元に運びながらぽつりと呟いた。「なんか、今日、変なこと言うたな。悪かったな」その言葉に、晴臣は心の奥が小さく波打つのを感じた。「……いえ」「別に、プレッシャーかけるつもりちゃうかってん。なんとなく、ああいう店行くと…その、想像するやん。もし一緒に住んだら、みたいな」晴臣はすぐに答えられなかった。けれど、岡田の声は急かさなかった。ふたりの間に流れる時間は、ゆるやかで、ほどけた毛布のようだった。「晴臣」呼ばれて、彼はゆっくりと視線を上げた。岡田は遠くを見ているような目で、淡々と続けた。「俺さ、これまで誰かと住むとか、考えたこともなかったんよ」「……そうなんですか?」「うん。自分のペースでしか動けんし、だれかと居ると気ぃ遣い過ぎてしんどくなるやろって思ってた。でも、お前とおると…なんやろな」そこまで言って、岡田は
アーケードの商店街を抜けた先、小さな路地に足を踏み入れた瞬間、空気の温度が変わった。人混みとネオンから解放された歩道は、ひどく静かで、どこか取り残されたように感じられた。ふたりの足音だけが、カツン、カツンとアスファルトの上に落ちていた。正月休みの終盤とはいえ、初売りセールで混雑していたモールの喧噪が、まだ耳の奥に残っている。だが今は、その反動のように、あまりにも静かだった。晴臣は、岡田の右隣を歩いていた。互いに半歩ずつズレた歩幅。岡田のポケットに入った手と、晴臣の手がぶつかりそうでぶつからない位置。ふたりとも、口を閉ざしていた。何かを言いたいのに、言えない。そんな沈黙が、重くではなく、じれったくふたりの間を漂っていた。陽は西に傾き、空は茜に染まっていた。遠くにある電車の音が、小さく耳に届いた。晴臣は視線を落としたまま、岡田のスニーカーと自分のブーツがアスファルトを踏む音に耳を澄ました。――さっきのあの一言。ベッド売り場で岡田が言った「一緒に住むかって気分なるな」という軽い調子の言葉が、頭の中で繰り返されていた。軽口だった。冗談に違いない。…でも、少しだけ、違って聞こえた。それがただの気のせいなら、自分のこの動揺はなんなのか。岡田は、何も言わなかった。いつもと同じように、気怠げな横顔をして歩いている。だからこそ、余計にわからなかった。沈黙が続く。ふたりの間には、ちょうど猫一匹が通れるくらいの距離があった。それがたまらなく、遠く感じた。晴臣は一度、唇を開きかけてやめた。喉が渇くような感覚に、襟元を指で少し引いた。岡田が気づいたふうもなく、空を見上げたまま、肩をすくめるように歩いていた。もうすぐ駅だ。このまま電車に乗って、家に帰って、いつもどおりの夜に戻る。そうしたら、あの言葉も、今感じていることも、全部なかったことになってしまうかもしれない。でも。「……課長」ようやく晴臣が言葉
ベッド売り場の空気は、家具屋の喧騒からほんの少しだけ隔たれていた。通路の片隅、整然と並べられたマットレスの島の間を歩くふたりの足音だけが、カーペットの上に静かに落ちていく。岡田が立ち止まり、手近な展示品に腰を下ろした。ゆっくりと体重をかけて沈み込むマットレスの反発が、わずかに空気を揺らす。「おお、これ意外とええな」そう言って、岡田はごろんと仰向けになった。腕を頭の下に入れ、うっすらと目を閉じる。無造作な姿勢なのに、やけに様になっていた。晴臣は隣のマットレスの端に立ったまま、どこか居心地悪そうにその様子を見下ろしていた。「課長、さすがに売り物ですから…」「試してくれって書いてあるで。ちゃんとタグ見てみ、お行儀のいい営業スマイルで『お気軽にお試しください』って書いとる」晴臣が視線を落とすと、確かにその文言がマットレスの下端にプリントされていた。仕方なく、自分も腰を下ろす。隣に並ぶ形になった岡田の肩が、ほんの少し触れた。体温が伝わる距離。誰も見ていない空間。なのに、晴臣はなぜか目線の置き場に困っていた。岡田が片目だけ開けて、こちらを見た。「お前も横になれや。比べんとわからんやろ」「……はい」背中を預けた瞬間、柔らかな沈み込みが全身を包んだ。岡田の腕が、ほんの数センチ先にある。香水ではない、岡田自身の香りが、微かに鼻腔をくすぐった。目を閉じれば、自分がどこにいるのかわからなくなりそうだった。すると、岡田がぼそりと呟いた。「どれがええ?…なんなら、やっぱり一緒に住むかって気分なるな」その言葉が、空気の表面にぽつんと落ちた。ふいに、世界が止まったように感じた。岡田の声は軽く、冗談に近いトーンだった。けれど、その“仮定”が持つ重みが、晴臣の胸に静かに沈んだ。「……」返事ができなかった。喉が詰まり、呼吸がうまくできていない気
ショッピングモールの二階、家具売り場の一角。昼前のフロアはすでに混雑していて、客たちのざわめきと店内放送、足音や笑い声が絶え間なく響いていた。セール札の貼られたソファがずらりと並び、その間を岡田が軽やかな足取りで歩いていく。肩にかけたトートバッグが揺れ、黒のロングコートの裾が、ほんのわずかに翻る。「課長、速いです」後ろから追いついた晴臣は、思わず声をかけながら呼吸を整えた。岡田は振り返ると、悪びれもせず笑った。「お前、体力ないな。正月食っちゃ寝しすぎたんちゃうか」「課長に言われたくありません」「いや、俺は動いてた。雪かきとか、掃除とか」「東京で?」「気持ちの話やろ。心の雪かき」岡田が真顔で言うものだから、晴臣は小さく吹き出した。その笑みが残ったまま、岡田の後ろ姿を見つめる。黒のコートの下は、白のハイゲージニットにデニム。コーディネートとしてはシンプルで、どこにでもいそうな休日の服装だ。だが、岡田のそれには、妙な色気があった。無造作に後ろに流された髪と、首の後ろにちらりとのぞく肌の色。すれ違う人々の視線が、岡田の方にちらちらと向けられていることに、晴臣は気づいていた。女性客のひとりが、隣の友人と視線を交わしながら、岡田の背中を目で追っている。若いカップルの女性の方が、岡田とすれ違いざまにちらりと目をやり、小声で何かを言った。晴臣の胸に、きゅっと小さな鈍痛が走った。何をしているわけでもない。ただ隣を歩いているだけなのに、岡田は人の目を引く。それを誇らしく思う一方で、自分以外の誰かに見られることが、急に落ち着かなくなった。そんな気持ちを抱く自分に、晴臣はさらに驚いていた。いつから、自分はこんなふうに思うようになったんだろう。岡田は、気づいていないように見えて、その視線の波にまるで無頓着だった。ニットの袖を少し捲りながら、ディスプレイされたダイニングセットの椅子に腰を下ろす。軽く伸びをしながら、晴臣を見上げた。「これ、座り心地ええな」「え