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どうしてあなたを好きになってしまったんだろう
どうしてあなたを好きになってしまったんだろう
Author: 桜 こころ🌸

プロローグ

last update Last Updated: 2025-05-17 21:17:05

「星が、綺麗……」

 ため息交じりに、ぽつりとつぶやく。

 その声は、静かな夜の闇へと溶けていった。

 時刻は、夜の九時を少し過ぎたところ。

 ふと腕時計に目を落とすと、針は、Lとは逆の形を描いていた。

 仕事も佳境を迎え、最近は残業続きの日々。

 会社を出たのが夜八時前。

 駅まで歩き、電車に揺られ、最寄り駅からまた歩く。

 それほど遠くない自宅までの帰路が、いつもより長く感じられる。

 疲れた体をうんと伸ばしながら、何気なく空を見上げた。

 すると、珍しい星の瞬きが目に飛び込んできた。

 だから、思わず声が漏れてしまった。

 普段は、星なんて滅多に見ることができない。

 いや、見えていたとしても、きっと気づきもしないのだ。

 みんな、疲れたように俯いているか、スマホに夢中の人ばかりだから。

 そういえば――

 私の働く会社は、そのスマホにとって欠かせない精密機器を作っている。

 主に半導体を取り扱う大手企業だ。

 そこでOLとして働いている。

 とても忙しいけれど、仕事にやりがいを感じていた。

 私には三つ年の離れた弟、新(あらた)がいる。

 私が二十六歳で、新が二十三歳。

 彼にあまり苦労はさせたくない。そう思い、大手企業を選んだ。

 無事に就職はできたものの……想像以上に忙しく、毎日クタクタだった。

「姉さん!」

 聞き慣れた声に、顔を上げる。

 目の前には、元気よく手を振る新の姿。

 ニコニコと微笑みながら、こちらへ駆け寄ってくる。

 少し息を弾ませながら、私の前に立った。

「新、また迎えにきてくれたの?」

「うん、本当は駅まで行きたかったんだけど、ちょっと遅れちゃって、ごめんね」

「そんなの、いいのに。いつもありがとう」

 新は、来れる日は毎日のように、こうして私を迎えに来てくれる。

 『姉さんが心配なんだ』そう言って、譲らないのだ。

 しっかり者の弟で、ありがたいような、ちょっと心配なような……。

 私が微笑みかけると、新は嬉しそうに可愛らしい笑みを返してくれた。

 歩き出した私に、新が寄り添うように並ぶ。

 とても可愛い、私の弟――佐原(さはら)新。

 私たちは、ずっと二人だった。

 今も二人で暮らし、仲睦まじく生活している。

 かつては、養護施設でお世話になっていたこともあった。が、今はこうして自立できていることに、日々感謝している。

 そう、私たちには、もう両親がいない。

 母は、幼い頃に亡くなった。

 そして、父は――。

「姉さん? どうしたの?」

 新が心配そうに覗き込んできた。

 しまった。

 少し、考え込んでしまっていたらしい。

「ううん、なんでもない! ね、今日の晩御飯は何?」

 私は思考を打ち消すように、わざと明るく問いかけた。

「え? ……さあね、お楽しみだよ」

「何、それー」

 気持ちを悟られないように、できるだけ明るく振る舞う。

 過去を思うと、いまだに胸が疼く。

 新は心配症だから、これ以上、心配かけたくない。

 そう。

 あの、悲しい恋を――思い出してしまうから……。

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Comments (1)
goodnovel comment avatar
憮然野郎
二人がまだ幼い頃に母が亡くなってから、きっと今まで辛くて大変なこともあっただろうな……。 父の方はどういう経緯だったのか……気になります。
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