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第4話

Author: 芽吹きの春
二人の視線が、かち合った。

日和は、息をするのも忘れた。

体の後ろで握りしめた拳が、ぶるぶる震えている。爪が手のひらに、深く食い込んでいた。

なのに真司は、まるで彼女のことを知らないみたいだった。まっすぐ綾子のそばまで歩み寄ると、親しそうにそのほっぺを軽くつねった。

「ばかだな。さっき別れたばかりなのに、もう俺に会いたくなった?」

昨日の夜も、二人は同じベッドで眠ったばかりだった。そうでなければ日和は、本気で自分が幻覚を見ていると思ったはずだ。

目の前にいるこの男は、何年も夫婦であることを隠してきた自分の夫なんかじゃない。まるで、見ず知らずの他人だ。

綾子は可愛らしく頬を染めて、真司の胸を軽くぽんと叩いた。「もう、やめてよ。親友もいるんだから!」

真司はそこでやっと日和に気づいたかのように、何の感情もこもっていない視線を彼女に向けた。そして少しも動揺した様子もなく言った。「はじめまして、菅原真司です。綾子の婚約者です」

日和はうつむいて、自分に差し出された真司の手をじっと見つめた。

すらりと長くて、大きな手。丸い爪は、きれいに整えられている……いつも自分が、手入れをしてあげていた。

喉の奥が、きゅっと締めつけられる。感情が、爆発しそうだった。

綾子が不思議そうに日和を見て、小声でたずねた。「どうしたの、日和?二人とも……知り合い?」

その場の空気が、ぴしりと凍りついた。

「知らないわ!」

「いや、知らない……」

男と女、二人の声が同時に響いた。

女の声は焦っていて、男の声は冷淡だった。

日和は無理に口の端を上げて、言い訳をした。「ごめん、ちょっと考えごとをしてて、ぼーっとしてた」

そう言って、すぐに気持ちを立て直す。目の前の手をそっと握るだけで、すぐに離した。「はじめまして、菅原日和です」

真司の瞳が一瞬、暗くなったように見えた。彼の視線が数秒、日和の顔の上で止まる。そして、ようやく口を開いた。「菅原さん、はじめまして」

綾子は甘えるように真司の腕に絡んだ。「もう、さん付けなんて水臭いな。まるでビジネスの交渉みたいだよ。真司、日和は私の大親友なんだから。これからは二人も友達なんだからね、わかった?」

真司は綾子を見て、優しい眼差しで笑った。「分かったよ。お前の言う通りにする」

その言葉は、なんとか冷静を保っていた日和の心を、鋭く突き刺した。

彼女はふと、何年も前の夜を思い出した。睦月が、二人の結婚を決めた、あの夜のことを。

花の香りが満ちるベランダで、真司は片膝をつき、真剣な顔で約束してくれた。「おばあちゃんの願いを叶えたいんだ。結婚したら、この菅原家のことは全部お前が決めていい!」

あの頃の自分は、二人は熱く愛し合っているんだって、心の底から信じていた。

日和の目に涙が光るのに気づいて、真司は思わず彼女を抱きしめようと体を動かした。

だが、一歩踏み出しかけたところで、ぴたりと動きを止めた。

彼自身も気づかないうちに、声が少し震えていた。「もう遅い時間ですし、俺がご馳走しますので、菅原さんも夕食をご一緒しませんか」

日和は奥歯をぐっと噛みしめ、必死に平静を装った。「ごめんなさい、今日は本当にだめなんです。家にまだ用事がありますから」そして、綾子のほうを振り向いて言った。「綾子、婚約者さんも来てくれたことだし、私はここで失礼するね。また連絡する」

そう言うと、綾子が何か言うよりも先に、慌てて雲上カフェを飛び出した。

数本先の通りまで走って路地に駆け込むと、ようやく全身の力が抜けた。その場にうずくまり、声を押し殺して泣きじゃくった。

日和が息を整える間もなく、スマホが鳴り出した。

電話の相手は、真司の秘書の亮太だった。上司そっくりの冷たい事務的な口調で言った。「たった今、社長のご指示で、奥様の口座に2億円を振り込みました。

何を話すべきで、何を黙っておくべきか、奥様なら、お分かりのはずです。ご両親のお墓のことを、よくお考えください」

それは事務連絡の形を装った、あからさまな脅迫だった。
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