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もう、季節は私を通り過ぎていくだけ

もう、季節は私を通り過ぎていくだけ

By:  芽吹きの春Completed
Language: Japanese
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結婚の事実を隠して3年。菅原日和(すがわら ひより)は999回、公表を夢見てた。でも夫の菅原真司(すがわら しんじ)がしたのは、他の誰かへの999回のプロポーズ。 日和は、真司の秘書でいられた。彼の友達からかわれれば「愛人」と呼ばれることも受け入れた。 義理の妹としても振る舞えた。でも、真司の妻にだけはなれなかった。 はじめは真司もこう言っていたのに。「日和、もう少しだけ待ってくれ。あと数日したら、俺たちの関係をちゃんと公表するから」 でもその後、彼から数億円が振り込まれた。それは冷たい警告でしかなかった。 「何を話してよくて、何を話しちゃいけないか。お前なら分かるだろ。 お前の両親のお墓のことも、よーく考えるんだな」 さらに時がたち、日和がすっかりおとなしくなって、泣きも騒ぎもしなくなったころ。なぜか今度は、真司が泣いて彼女にひざまずいていた。 「行かないでくれ、お願いだから」

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Chapter 1

第1話

結婚の事実を隠して3年。999回も待ち望んだ公表の約束が、また破られた。

菅原日和(すがわら ひより)はスマホの画面をじっと見つめた。そこに表示された菅原真司(すがわら しんじ)からのメッセージ。【今夜は会議が長引くから、帰らない】

彼女は返信しなかった。

翌朝、菅原グループの社長秘書として、日和はいつも通りに出勤した。

ただ、真司のスケジュールを書き込んだメモを握りしめることも、エレベーターの前で数分前から待つこともしなかった。

お昼になっても、真司のデスクには、いつも置いてあった温かいコーヒーはなかった。

夜10時。会議で遅くなるとき、いつもビルの下で待っていたはずの女は、もう姿を見せなかった。

日和は、振り向いてくれない人を追いかけるのはもうやめよう、と心に決めた。

ところが真司は、パーティーで友人たちにからかわれていた。

「あれ、例のかわいい愛人は連れてこなかったのか?」友人がグラスを片手に笑って聞く。

真司はグラスを持つ手をぴたりと止め、数秒ほど間を置いてから、わざと強調するように言った。「都合が悪いんだ」

そのそっけない態度は、まるで日和と特別な関係であることが、なにかやましいことでもあるかのようだった。

誰かがそのときの動画を、日和に送ってきた。

日和は冷えきった邸宅でひとり、その動画を何回も再生した。

スマホの明かりに照らされた彼女の顔は、無表情だった。

7年前、日和の両親は交通事故で亡くなった。

事故を起こしたのは菅原家だった。彼らは慰謝料を払い、何度も「申し訳ない」と頭を下げ、当時17歳だった日和を「養女」として引き取ったのだ。

彼女を物置に住まわせながら、対外的には、「養女」だと言っていた。

菅原家での7年間で、日和は人の顔色をうかがい、何も望まず、息をひそめて生きることを覚えた。

そんな日々のなか、真司と出会った。

あの日、池のほとりで鯉にえさをあげていた日和は、菅原家の長男に突き飛ばされて池に落ちてしまった。

そこを通りかかったのが、地方の分家から菅原家に引き取られてきたばかりの真司だった。彼は日和を水の中から引き上げてくれた。

真司は日和の前にしゃがみこみ、タオルで濡れた髪を拭きながら、そっと尋ねた。「お名前は?」

「小林日和です」

「小林日和……」彼は名前を口ずさんで、にっこり笑った。「きれいな名前ですね」

日和が真司の笑顔を見たのは、それが初めてだった。

それから、彼はいつも日和のそばにいてくれるようになった。

日和が菅原家の他の子供たちにいじめられている日も、お腹をすかせて宿題をしているときも、物置でひとり泣いている夜も。

そんな二人の様子を察した菅原家の祖母・菅原睦月(すがわら むつき)は、日和への償いもかねて、彼らの結婚を取り決めた。

日和は、これを運命の巡り合わせだと思った。ついに、自分だけのあたたかい家庭が手に入るのだと信じた。

ところが、睦月が亡くなったとたん、真司の態度は手のひらを返したように冷たくなった。

あれほど宝物のように大切にしてくれた義理の妹は、今や彼にとって、ただの邪魔者になってしまった。

日和が999回もお願いした結婚の公表は、理由も告げられずにすべてキャンセルされた。

3年間の結婚生活。日和には、結婚式も、誰からの祝福も、指輪も、結婚写真の一枚すらなかった。

婚姻届も、真司が会議へ向かう途中で、むりやり時間を作って提出しただけ。

はじめて妊娠したときでさえ、一人きりだった。

心労がたたって、日和は流産してしまった。

真司が病院に顔を出したのは、日和が入院して数日経ってから。彼はただ、「子供ならまた作ればいいだろ。俺たちはまだ若いんだから」と、あっさり言っただけ。

その瞬間、日和の心のなかで、何かが音を立てて砕け散った。

それでも、彼女は自分に嘘をつき続けた。真司はただ、忙しいだけなんだって。

気持ちを表現するのが下手なだけ。この結婚を受け入れるのに、まだ時間が必要なだけなんだ、って。

あの夜の出来事が起きるまでは。

日和は、青木綾子(あおき あやこ)を誘ってバーで飲んでいた。

綾子は、日和にとって「一番の親友」

少なくとも、日和はそう信じていた。

二人は高校からの友達。日和がずっと片思いをしていた青春時代を、綾子はすべて見てきたはずだった。

ぐでんぐでんに酔っぱらった綾子は、日和に抱きつきながら、「あなたって本当に恋愛のことばっかりよね」とからかう。

片思いの相手が自分を好きじゃないって分かってるのに、何年もよくやるよ、と。

日和は苦笑いするだけで、何も答えなかった。

でもその日の綾子は、ひそひそ声でこう打ち明けてきた。「ねぇ日和、私はアプローチしてくる男の人を二人とも好きになっちゃったんだけど、どうしよう?」

日和は一瞬ぽかんとして、軽い気持ちで答えた。「えーっと、じゃあ両方を比べてみて、一番条件がいい人にすれば?」

すると綾子は、SNSに投稿したという比較表をスマホで見せてきた。タイトルは、【この二人、どっちがいいかな?アドバイス待ってる!】だ。

日和は思わず笑ってしまった。「ほんとに比較表まで作ったの?あなたをそんなに悩ませるなんて、どんな人たちか見せてよ」

日和はそう言って、画面をじっくりと見始めた。

だが、画面を見ているうちに、彼女の笑顔はこわばっていった。

片方の男性のプロフィールが、あまりにもよく知っているものだったから。

名前:菅原真司。

年齢:28歳。

身長:185センチ。

職業:菅原グループ社長。

結婚歴:未婚。

住所の欄には、日和が真司と暮らしている家の住所が、部屋番号まで寸分たがわず書かれていた。

日和の酔いは一気に醒めた。震える指で、書かれている文字を一字一句、何度も確認する。

自分の夫が、まさか親友の綾子にとっての予備の彼氏だったなんて。
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第1話
結婚の事実を隠して3年。999回も待ち望んだ公表の約束が、また破られた。菅原日和(すがわら ひより)はスマホの画面をじっと見つめた。そこに表示された菅原真司(すがわら しんじ)からのメッセージ。【今夜は会議が長引くから、帰らない】彼女は返信しなかった。翌朝、菅原グループの社長秘書として、日和はいつも通りに出勤した。ただ、真司のスケジュールを書き込んだメモを握りしめることも、エレベーターの前で数分前から待つこともしなかった。お昼になっても、真司のデスクには、いつも置いてあった温かいコーヒーはなかった。夜10時。会議で遅くなるとき、いつもビルの下で待っていたはずの女は、もう姿を見せなかった。日和は、振り向いてくれない人を追いかけるのはもうやめよう、と心に決めた。ところが真司は、パーティーで友人たちにからかわれていた。「あれ、例のかわいい愛人は連れてこなかったのか?」友人がグラスを片手に笑って聞く。真司はグラスを持つ手をぴたりと止め、数秒ほど間を置いてから、わざと強調するように言った。「都合が悪いんだ」そのそっけない態度は、まるで日和と特別な関係であることが、なにかやましいことでもあるかのようだった。誰かがそのときの動画を、日和に送ってきた。日和は冷えきった邸宅でひとり、その動画を何回も再生した。スマホの明かりに照らされた彼女の顔は、無表情だった。7年前、日和の両親は交通事故で亡くなった。事故を起こしたのは菅原家だった。彼らは慰謝料を払い、何度も「申し訳ない」と頭を下げ、当時17歳だった日和を「養女」として引き取ったのだ。彼女を物置に住まわせながら、対外的には、「養女」だと言っていた。菅原家での7年間で、日和は人の顔色をうかがい、何も望まず、息をひそめて生きることを覚えた。そんな日々のなか、真司と出会った。あの日、池のほとりで鯉にえさをあげていた日和は、菅原家の長男に突き飛ばされて池に落ちてしまった。そこを通りかかったのが、地方の分家から菅原家に引き取られてきたばかりの真司だった。彼は日和を水の中から引き上げてくれた。真司は日和の前にしゃがみこみ、タオルで濡れた髪を拭きながら、そっと尋ねた。「お名前は?」「小林日和です」「小林日和……」彼は名前を口ずさんで、にっこり笑った。「き
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第2話
「この人、あなたに気があるの?」日和は、自分の声が震えているのがわかった。綾子はその名前をちらっと見て、にっこり頷いた。「気があるなんてもんじゃないわ。初めて会ったとき、いきなりみんなの前でプロポーズされたんだから。冗談で、『999回プロポーズしてくれたら考えてあげる』って言ったら、まさか本当に続けてるの。毎週一回、しかも毎回ちがうやり方でね」綾子はうんざりした顔で言った。「先月、あなたとドライブしたあのオーダーメイドのフェラーリ、あれも彼がくれたものよ。先々月は海外旅行に行ったでしょ?そしたらなんと、彼も追いかけてきて、山頂から日の出を見せてくれたの。それに、世界にひとつしかないアンティークのジュエリーまでくれたんだから。おまけに、すごく気が利くの。私が生理痛でつらかったとき、わざわざ車で何十キロも走って、農家から特別な生姜を買ってきてくれたの。それで、手作りの生姜湯を飲ませてくれて。こんないい男、好きにならないわけないじゃない?」日和は呆然と聞いていた。胸がナイフでえぐられるように痛んだ。綾子の話すことは、すべて心当たりがあった。海外のスキー場で貸し切りのゴンドラに乗ったり、海辺でキャンドルディナーをしたり。雪山の頂上で星空と日の出を眺めたりも。ニュースで何度も見た、あのロマンチックなプロポーズの数々のことだ。かつては自分も、うらやましがって綾子にこう言ったことがある。「そんないい人、もう結婚しちゃいなよ」って。それなのに、まさか。その一途でロマンチックな男性が、自分が3年も結婚を隠してきた夫だったなんて。これまで、真司が気が利かないことに不満を言ったこともあった。でも、彼はいつも面倒くさそうに冷たい態度をとるだけだった。「日和、結婚したからには軽々しいことはできないんだ。わかってくれ。今の地位まで来るのは大変だったんだ。俺が結婚していて、しかも相手が菅原家の養女だと知られたらどうなる?隙を狙ってるライバルたちが、よってたかって俺を潰しにくるに決まってる」日和が悲しい思いをするたび、真司は彼女を抱きしめて、いつも同じ言葉で慰めた。「日和、もう少しだけ待ってくれ。俺が菅原家で立場を固めて、もっと力をつけるまで。そうしたら、世界中に向かって堂々と、お前が俺の妻だって発表するから」そのたびに、日和
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第3話
嵐のような歓声のなかで、日和だけが、ひとり涙を流していた。彼女は背を向けて逃げだしたけど、たいして走らないうちに道で転んでしまった。ひざをすりむくと、血がふくらはぎを伝って流れていく。でも、痛みは感じなかった。それよりも、心が無数の矢で射ぬかれたように痛んだ。ふらつきながら家にたどりつくと、珍しく真司が先に帰っていた。書斎のドアが少し開いていて、彼は窓際に立ち、秘書の木村亮太(きむら りょうた)と電話をしていた。「離婚協議書を作ってくれ。財産分与をはっきりさせたら、裁判所に訴訟を起こす。すべて内密に進めるんだ。日和が騒ぎださないよう、気をつけろよ」ドアの外でその言葉を聞き、日和は、ふと笑ってしまった。そういうことだったんだ。真司は、とっくに自分と別れる準備をしていたんだ。どれくらい時間が経っただろうか。真司が寝室にもどってきて、日和の隣に横になった。彼女は、ぽつりと尋ねた。「真司、あなたは、愛する人にはすごく優しくするんでしょ?」真司はどきりとした。なぜそんなことを聞くのかわからなかったが、落ち着いて答えた。「もちろんだよ。俺は、お前に優しくなかったかな?」日和は声もなく笑い、自分にだけ聞こえる声でつぶやいた。「なら、あなたの望みをかなえてあげるわ」二人は互いに背を向けたまま、眠れない夜を過ごした。翌朝早く、真司はそそくさと家を出ていった。日和も後を追うように家を出て裁判所へ向かい、亮太が提出した離婚の申立書に、自らサインをした。まもなく、綾子から電話がかかってきた。「日和、助けて!昨日の夜、真司のプロポーズを受けたばっかりなのに、もう今日ウェディングドレスを選びに来てるの。スタッフみんなが私を見てて、どれにすればいいか全然決められないよー!」日和はとっさに断った。「私がお邪魔するのもなんだし、二人が気に入ったものを選んだらいいじゃない」でも綾子は譲らない。「だめ!絶対あなたに選んでほしいの。午後に雲上カフェで待ってるから!」コーヒーの豊かな香りが漂うなか、日和は綾子の口元についていたミルクの泡をぬぐってあげた。小さいころから、日和はいつも彼女のお世話をする役だった。綾子は目を輝かせながら日和の手を握った。「ねぇ日和、私、今すっごく幸せなの!もう迷わなくていいのが、こんなに幸せなこと
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第4話
二人の視線が、かち合った。日和は、息をするのも忘れた。体の後ろで握りしめた拳が、ぶるぶる震えている。爪が手のひらに、深く食い込んでいた。なのに真司は、まるで彼女のことを知らないみたいだった。まっすぐ綾子のそばまで歩み寄ると、親しそうにそのほっぺを軽くつねった。「ばかだな。さっき別れたばかりなのに、もう俺に会いたくなった?」昨日の夜も、二人は同じベッドで眠ったばかりだった。そうでなければ日和は、本気で自分が幻覚を見ていると思ったはずだ。目の前にいるこの男は、何年も夫婦であることを隠してきた自分の夫なんかじゃない。まるで、見ず知らずの他人だ。綾子は可愛らしく頬を染めて、真司の胸を軽くぽんと叩いた。「もう、やめてよ。親友もいるんだから!」真司はそこでやっと日和に気づいたかのように、何の感情もこもっていない視線を彼女に向けた。そして少しも動揺した様子もなく言った。「はじめまして、菅原真司です。綾子の婚約者です」日和はうつむいて、自分に差し出された真司の手をじっと見つめた。すらりと長くて、大きな手。丸い爪は、きれいに整えられている……いつも自分が、手入れをしてあげていた。喉の奥が、きゅっと締めつけられる。感情が、爆発しそうだった。綾子が不思議そうに日和を見て、小声でたずねた。「どうしたの、日和?二人とも……知り合い?」その場の空気が、ぴしりと凍りついた。「知らないわ!」「いや、知らない……」男と女、二人の声が同時に響いた。女の声は焦っていて、男の声は冷淡だった。日和は無理に口の端を上げて、言い訳をした。「ごめん、ちょっと考えごとをしてて、ぼーっとしてた」そう言って、すぐに気持ちを立て直す。目の前の手をそっと握るだけで、すぐに離した。「はじめまして、菅原日和です」真司の瞳が一瞬、暗くなったように見えた。彼の視線が数秒、日和の顔の上で止まる。そして、ようやく口を開いた。「菅原さん、はじめまして」綾子は甘えるように真司の腕に絡んだ。「もう、さん付けなんて水臭いな。まるでビジネスの交渉みたいだよ。真司、日和は私の大親友なんだから。これからは二人も友達なんだからね、わかった?」真司は綾子を見て、優しい眼差しで笑った。「分かったよ。お前の言う通りにする」その言葉は、なんとか冷静を保っていた日和の心
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第5話
日和が家に帰ると、リビングで真司が彼女を待っていた。彼は改まった態度で言った。「日和、安心して。お前の今後の生活は俺がちゃんと手配する。この家にも、そのまま住んでいいから」日和は、玄関に立ったまま動かなかった。シャンデリアのきらめく光を浴びながら、彼女は目の前の夫を静かに見つめた。この3年間、ずっと愛してきた人だった。その視線の先には、真司の左手の薬指。そこには、別の女性との婚約指輪がはめられていた。「真司」かすれた声が出た。「あなたは、私と綾子の関係、知ってるでしょ?」真司は、思わず言葉をさえぎろうと口を開いた。だけど日和はそれを手で制した。「最後まで聞いて。今のあの子、本気であなたのことを好きみたい。だからお願い、彼女を裏切らないであげて」そこまで言うと、日和の目頭が熱くなった。真司はため息をついた。「俺たちのことを認めてくれるなら、なるべく早くこの東都から出ていってくれないかな?」日和は彼を見て、ふっと笑った。自分の人生って、なんて哀れなんだろう。リビングの空気が、まるで凍りついたかのようだった。日和が不意に口を開いた。「真司、私のこと、愛してくれたことはあった?綾子のために私をだますって決めたとき、少しでも、ためらったりはしなかったの?」真司の喉がごくりと鳴り、かろうじて上ずった声が漏れた。「す……すまない」その言葉に、日和の心はきつく締めつけられた。でも、彼の残酷な言葉はまだ続く。「綾子には、初めて会った時から惹かれていたんだ。おばあちゃんからこの結婚を頼まれていなければ……」このとき日和は、自分が夢見た結婚も家庭も、真司にとっては迷惑な押しつけでしかなかったのだと悟った。自分でも驚くほど、彼女は落ち着いた声が出た。「もともと海外に行くつもりだったの。来週月曜日の便で」真司の表情がやっと和らいだ。「月曜は俺に時間がないから、明日の夜にしてくれ」彼は有無を言わせぬ口調でスマホを取り出した。「木村さんに連絡して、向こうでお前の世話をしてくれる人を探させる」言い終わると、真司はさっさとゲストルームへ行ってしまった。翌日、日和はまとめておいた荷物を持って、空港へ向かう準備をしていた。でも、その途中で綾子から電話がかかってきた。「日和?もうすぐいなくなっちゃうって聞いたんだけ
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第6話
手術は数時間かかった。真司は手術室の外を、いらいらしながら行ったり来たりしていた。彼はいてもたってもいられず、握りしめたこぶしは、小刻みにふるえている。通りすがりの人に病院まで送ってもらった日和が目にしたのは、そんな真司の姿だった。複雑な気持ちで一歩前に出て、なにかを言おうとしたその時、日和は思いきり頰をひっぱたかれ、パンッ、と乾いた音が響いた。日和は驚いて頰をおさえる。「真司、今ぶったの?」真司は、人を殺しそうな目で彼女をにらみつけた。「綾子との結婚をめちゃくちゃにしたい気持ちはわかる。でも、どうしてあんなひどいやり方で彼女を傷つけたんだ!」「私じゃない!」真司はさらに目を血走らせ、日和の首を強くつかんだ。「まだ言いのがれるつもりか!手術室に入る前に綾子から聞いたんだぞ。彼女がどこにいたか知ってたのは、お前だけだってな!あの子は意識を失う直前までお前をかばってたんだぞ。お前を尾行してきたやつらの仕業かもしれないから、ぬれぎぬを着せないでくれってな!それなのに、お前は!」そこまで言うと、彼の目は赤くなった。それは綾子への想いであふれていた。「綾子は、お前をあんなに大事にしてた。親友だって思ってたんだぞ!日和、お前には心がないのか!」日和はもう涙を抑えきれない。声を詰まらせながら訴える。「真司、私じゃないって言ってるでしょ!綾子を傷つけるようなこと、絶対にしない!あなたを失うのはすごく辛いけど、二人の邪魔をしようとなんて考えたこともないわ!」けれど、真司はまったく信じようとしなかった。彼は日和を疎ましそうに振りはらい、冷たい声にもどった。「綾子は、あの中に寝てるんだぞ。これ以上お前のなにを信じろって言うんだ?日和、見逃してやろうと思ったが……お前が自分でまいたタネだ。誰か来い。こいつを物置部屋に閉じ込めておけ。俺の命令があるまで、絶対に出すな!」その言葉を聞くと、数人のボディガードがすぐさま前に出て、日和を取り押さえた。彼女は必死に抵抗した。「こんなことしないで!私じゃないの!綾子を傷つけるわけないでしょ!」もがいたせいで、体中の傷口がすべて開いてしまった。そして、そこからまた血が流れ出す。そのとき、下腹部にひやりとした鋭い痛みが走る。日和は思わず体を丸めたくなった。しかし真司はもう彼女を見よ
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第7話
1週間後、綾子は青木家と菅原家の人たちに付き添われて退院した。真司は、そばで看病ができるようにと、綾子を自分の家に連れて帰った。車が停まると、執事の陣内正人(じんない まさと)がすぐに出迎え、そして、ひそひそ声でこう言った。「真司様、お電話が繋がらなかったこの数日間、物置部屋のことで……」「綾子がいるんだぞ。なぜ物置部屋の話をするんだ?」真司はすぐに正人の言葉をさえぎり、思わず綾子の方に目をやった。正人は何か言いたそうに口を動かしたが、結局は言葉を飲み込んだ。真司はそんな正人を無視して、綾子の肩を抱き寄せた。「しばらく綾子はこの家で休む。気の利く使用人をちゃんと手配しておけ。この子の邪魔になるようなことは、何一つあってはならない。分かったな?」正人はとうとううなだれた。「かしこまりました」真司は綾子を抱きかかえるようにして、家の中へ入っていった。「真司、私たちまだ結婚もしてないのに、ここに住むのはまずいんじゃ……」「今やお前は、俺の正真正銘の婚約者なんだ。何の問題がある?」真司は愛おしそうに彼女のほっぺを軽くつねると、その赤い唇にキスを落とした。甘い吐息がもれ、一気に二人の間の空気が熱を帯びる。正人が言いかけた言葉は、完全に居場所を失ってしまった。深いキスのあと、二人は息を切らしながらソファに身を沈めた。そこでようやく真司は立ち上がり、さっきから何か言いたそうに控えていた正人のもとへ向かった。「日和は……何か言っていたか?」正人は首を横に振った。「真司様、日和様のことでございますが、一度、ご自身の目で確かめられたほうが……日和様は今……」その言葉を、真司はまたも遮った。「もういい。あいつに反省の色がないなら、家のルールどおりに罰を与えろ。過ちを認めないなら、毎日10回……いや、20回だ!20回棒で叩け!」正人はその場に立ち尽くしたまま、動かなかった。真司は苛立ちを隠さずに怒鳴った。「ぼさっと突っ立ってないで、さっさと行け!」とうとう、正人の目頭が赤く潤んだ。覚悟を決めたように、震える声で言った。「しかし真司様、日和様は、日和様はもう、おそらくは……」「おそらく、なんだ?」真司の鋭い目がすっと細められる。その視線には、明らかな警告の色が宿っていた。「まさか、あいつのために命乞いでもするつも
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第8話
真司は、雷に打たれたようだった。彼はよろめいて、危うくその場に座りこみそうになった。「ありえない、そんなことあるわけないだろ!あいつはずっと物置部屋にいたんだ。一歩も外に出てないのに、どうやって斎場なんかに行けるんだよ?!それに……さっきなんて言った?子供?なんのことだ?!あいつが妊娠してたなんて、なんで誰も俺に言わないんだ!」正人は声も出せずに泣いていて、体中がぶるぶると震えていた。「本当でございます、真司様、お気を確かに。日和様は重傷を負われ、その影響で流産なさいました。彼女に何度も頼まれて、ようやく病院へお連れしたのですが……数日間治療が続いたものの、最終的には感染性ショックで……」「嘘をつけ!」真司は、正人の顔に拳を叩きこんだ。「誰に言わされたんだ、こんな嘘!日和か?!あいつは一体なにを企んでるんだ!今すぐ、ここに連れてこい!」正人はなんとか起き上がると、必死に首を横に振った。「真司様、嘘ではございません。お気を確かに……」ドンッ。真司は、もう一発殴りつけた。今度は正人が吹っとび、そばにあった大きな花瓶にぶつかり、派手な音を立てて花瓶が砕け散った。「まだ嘘をつくのか?!今すぐ日和を連れてこい!あいつに伝えろ、もう許してやると。今なら海外旅行にだって行かせてやる。だが、これ以上ごねるなら、それもなしだ!」「真司様、どうかお気を鎮めてください。嘘ではございません、日和様は本当に……信じられないのでしたら……」正人の言葉が終わるまえに、物音で目を覚ました綾子がナイトガウンを羽織って階段を降りてきた。彼女は心配そうな顔で近づくと、真司の腰に抱きついて胸に顔をすり寄せた。「真司、そんなに怒ってどうしたの?なにかあったなら話してよ。手荒なことはやめて」けれど、綾子に抱きしめられた真司は、なんの反応も示さなかった。綾子は眉をひそめ、彼の顔を見上げた。すると、真司の目は真っ赤に充血していて、まるで魂が抜けてしまったみたいだった。「真司?どうしたの?なにかあったの……」綾子が言い終わるまえに、真司は彼女を激しく突き飛ばした。勢いが強すぎて、綾子は机の角に腰を打ちつけた。あまりの痛さに、息をのむ。けれど真司は彼女のことなど気にもとめず、物置部屋へ向かって走り出した。物置部屋。
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第9話
真司はよろめいて、その場に崩れ落ちた。白い布をめくって、遺体を見る勇気が、自分にはないことに気づいた。その時、斎場の職員と正人が一緒に入ってきた。二人は真司の姿を見て、一瞬言葉を失った。「故人様とは、どのようなご関係ですか?」真司は硬い表情で顔を上げ、かろうじて声を絞り出した。「……夫です」それを聞いた職員は、あからさまに彼をあざけるような表情を浮かべた。その態度は、とたんに冷たいものに変わった。「故人様のご遺体はこちらで3日間お預かりしています。緊急手術の間も、誰も駆けつけなかったそうですね。病院がリスクを承知のうえで、単独で手術を行ったと聞いています。あなたはその時、どこにいたんですか?」これは事務的な質問ではなかった。職員が、ただ見過ごせなかっただけの問い詰めるような言葉だった。真司は言葉もなく、苦しげにうなだれた。しかし、彼の苦しみはそれだけでは終わらなかった。職員が、小さな医療用のガラス瓶を取り出したからだ。「ご主人だというのなら、お子さんの胎児もご確認ください。のちほど、一緒に火葬しますので」真司は、はっと顔を上げた。血走った目で、そのガラス瓶を食い入るように見つめた。あれが……自分の、子ども?その瞬間、真司は崩れ落ちた。彼はガラス瓶に飛びついてきつく抱きしめたけど、声にならない嗚咽がもれるだけだった。以前、流産してしまった後のことを思い出す。日和はよく、他人の子を見ながらこう言っていた。「真司、私たちも、また赤ちゃんが欲しいね?」彼女は、それほど子どもが好きだったのだ。定期的に児童養護施設でボランティアをしたり、学校に通えない子を支援したり……道ですれ違う小さな子にも、優しく微笑みかけていた……真司は、ふと正人の言葉を思い出した。「日和様は流産しかけて、必死にお願いなさったのです。しかし青木さんは、それをことごとく退けたと……」だから、あれほど子どもを愛していた日和は、自分のお腹の子が、目の前で再び死んでいくのを見ているしかなかったんだ。真司の心は引き裂かれるように痛み、息をするだけで刃物で切り刻まれるようだった。「そうか……俺たちに、また子どもができていたのか……こんなに小さい。この世界を見ることさえ、できなかったなんて。もし知っていたら……日和、どうして教え
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第10話
次の日、真司はあの夜、綾子が消した通院記録を彼女に突きつけた。綾子はうろたえ、その場にひざまずいた。「真司、日和はあなたの義理の妹かもしれないけど、私はあなたの婚約者よ。あの女、どこの誰の子かもわからない子を妊娠して、菅原家の恥だったわ。だから私が、あなたのために片付けてあげただけ。何が悪いの!日和の体が弱くて、手術に耐えられなかったのも私のせいだと言うの?」この期に及んで、綾子はまだ悪びれもせずにいる。彼女の言葉を疑いもせず信じていた自分が、本当に愚かでたまらない。真司は雄叫びをあげ、飾り棚の花瓶を拳で殴り砕いた。血の滲む拳の痛みさえ、心の痛みを和らげることはできなかった。婚約は破棄され、綾子は邸宅の一室に閉じ込められた。3日間、与えられたのは水だけだった。「綾子、自分が何をしたのか、よく考えるんだな。すべてを話せ。さもないと、俺がお前に何をするか保証できない」それが、この3日間で真司が綾子にかけた、ただ一つの言葉だった。綾子はいろいろな想像をしていた。きっと真司は自分を可哀想に思うはず。そうでなくても、勝手なことをしたと責めるだけ。でも、まさか日和のために、こんな風に部屋に閉じ込められて放置されるなんて、思ってもみなかった。彼女は狂ったようにドアを叩き続けた。「真司!そもそも、あなたがしつこく言い寄ってこなければ、こうはならなかった!ええ、日和は死んだわ。でも、彼女を殺したのは私じゃない、あなたなのよ!あなたの偽りの優しさと身勝手さ、その冷たさがあの女を殺したの!」ドアの向こうで、どさり、と重い音が響いた。まるで真実を突きつけられて、誰かが崩れ落ちたかのような音だった。すぐに正人の焦った声が聞こえてきた。「誰か来い、真司様が倒れたぞ!すぐに先生を呼ぶんだ!」3日後、真司は朦朧とした意識のなかで目を覚ますと、正人から綾子が姿を消したと聞かされた。残されていたのは、一枚の書き置きだけだった。【真司、私があなたに良かれと思ってしたことを、まだ責めているの?日和は私の一番の親友だった。彼女が逝ってしまった今、私だけ生きていても意味がない。あなたに憎まれたまま生きるくらいなら、いっそ死んでしまいたい。だから、あなたの手を煩わせる前に、私も日和のそばへ行く。私が悪いというのなら、この命で償うから、探さな
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