LOGIN週末。
午前中の部活を終え、駿は家に戻るとすぐシャワーを浴びた。
◆◆◆
髪を洗って、流して。
念のためもう一度首元にシャワーを当てる。絶対に汗の匂いが残らないよう、念入りに身体を綺麗にする。
(気にしすぎだろ)そう思ったが、手は止められない。
今日は、果奈と二人きりで出かける。
考えるだけで、落ち着きを保てなくなっていた。
シャワーを終え、家にある姿鏡の前で服を広げる。候補が何着も並んでおり、着てみては脱ぎ、鏡を見る。
しっくりくるやつもあったが、すぐに違う気がして、また着替え直す。
「……何やってんだ、俺」
服選びがただの繰り返し作業へと変わり始めようとしたなか、たまたま通りかかった結が足を止めた。
「柄でもないことやって、今日何かあるの兄さん?」
柄でもないって失礼だなと思いながらも、女の子である結に質問してみる。
「結、ちょっと見て欲しいものがあるんだけどいい?」
「別にいいですよ」
「今着ている服と持ってる服どっちがいい?」
結は一瞬固まり、次に呆れたような深いため息をついた。 「それを普通、妹に聞く?」「女子としての意見が聞きたくて……」
「だったら、美生姉さんに聞けばいいじゃん」
「別に美生に聞くほどでも無いしな~」
「もう、知らない!」
呆れを通り越して怒りへと変わり、不貞腐れながら結はその場を離れる。
「そこまで怒らなくていいじゃん……」
結局。迷いに迷い、鏡の中の自分と相談して、これだと思う服を選んだ。
正直これでいいのか分からない。でも、これ以上考えても答えは出ない。
一旦深呼吸をし、少しは冷静さを取り戻したところで、家を出て待ち合わせの場所へと向かった。
待ち合わせは十五時なのに、着いたのはまだ十四時半を少し過ぎたところだった。
早く着き過ぎてしまったけど、遅れるよりはマシかと思いつつ、待ち合わせ時間まで何しようかと考えながら辺りを見渡す。
すると、知っている人影を見て驚く。
「果奈!?」
そこには、待ち合わせ場所の前で、きょろきょろと辺りを見渡している果奈の姿があった。
白いバックリボンニット。
揺れるスカート。 チャームポイントの一つであるポニーテールには、白いシュシュ。今まで制服や体操着の姿しか見てこなかったから凄く新鮮で、同時に見惚れてしまう。
「駿!?なんで居るの?」「それはこっちのセリフ。待ち合わせ三時でしょ?」
「そうだけど……」
果奈は少し視線を逸らしながら、照れたように口元を緩めた。
「駿だったら待ち合わせ時間よりも早く来ると思ったし、それに……早く駿に会いたかったから」
最後の一言に嬉しさあまり、一瞬、心臓が止まった気がした。
そして、言葉の意味が遅れて胸へ届き、叫びそうになるのを、なんとか飲み込む。
「ありがとう。果奈が今日を楽しみにしていたことを知れて俺も嬉しい」果奈は言葉を返せず、頬がみるみる赤くなっていく。
その姿が可笑しくて、でも愛しかった。
二人でショッピングモールの方へと入り、有名なカフェへ向かった。カフェには女性客が多く、甘い匂いと賑やかな声に囲まれて、ここに居ても大丈夫なのかと感じ始める。
「この店は特にショートケーキが美味しいよ。でも、チーズケーキも侮れないんだよね。でもでも、季節限定ケーキも捨てがたいな~」 だけど、果奈が目をきらきらさせながら、スイーツを選ぶ様子を見て、不安は自然と消えていった。 「果奈ってほんと、スイーツ大好きなんだね」「あ……ごめん。私ってスイーツのことになるとつい」
「謝らなくていいよ。スイーツをオススメする時の果奈の幸せそうな表情は初めて見たし、それに……」
一瞬迷ったけど、ちゃんと言葉として伝えたかった。
「……可愛かった」果奈は固まりながらもゆっくり頷く。
耳まで真っ赤になっていた。
結局。俺はショートケーキと紅茶を注文し、果奈は季節限定のケーキと紅茶を注文した。
ケーキが来ると、果奈はつかさず写真を撮る。
嬉しそうに写真を撮る横顔を見ていると、それだけで満たされた気持ちになった。
季節のケーキはメロンのケーキでケーキの上だけではなく、生地と生地の間にもメロンが入っており、鮮やかな緑が映えていた。 ショートケーキも贅沢に苺が使われていて凄く美しい。そんなケーキに心躍らせながら、口へと運ぶ。
「うん、美味しい」
「そう?満足してくれたみたいでよかった。私もいただきます」
安心したような笑みを浮かべた後、果奈もケーキを口にする。「うん、美味しい~」
ケーキを口にした途端、天に登りそうなくらい幸せな表情をし、見ているこっちも頬が緩んでしまう。
「メロンの風味と甘さが口いっぱいに広がって食べてるだけで幸せ」
美味しそうなメロンのケーキと果奈の反応を見て一か八かの賭けにでる。「あのさ、果奈」
「ん?」
「無理だったらいいんだけど、一口貰ってもいい?」
ケーキを食べ進めていた果奈が止まり、そのまま動かなくなる。
そして、沈黙が流れ、発言に後悔した。
「急に変なこと言ってごめん……」反射的に謝り、慌てて引っ込めようとした時だった。
「……いいよ」小さな声。
「本当に?」
「……うん」
本当に食べさせてくれるとは思わず、自分から貰いたいと言ったのに、果奈のケーキに手を出せないでいた。「……食べないの?」
そう言われて食べることを決意し、まだ手がついてないケーキの端の方を取って無心になって口にする。 「ど、どう?」「……ショートケーキとはまた違う甘さで、美味しかった」
そうは言ったが、実際は緊張のあまり、ケーキの味なんて分かる筈もなく、反応するだけで精一杯だった。
「ショートケーキも少し食べてみる?」流石に自分だけ貰う訳にはいかないので、同じようにショートケーキを差し出す。
「……うん」 果奈も手がついてないケーキの端の方を取って口にする。 「……美味しい」そう言っているが、メロンのケーキを食べた時よりも明らかに反応が違う気がした。
その後は互いに無言になってしまい、さっきまでの自然な空気が、少しだけ変わってしまう。ケーキを食べ終えてカフェを出ても、その空気は変わらなかった。
隣を歩いているだけで、妙に意識してしまう。さっきの一口の衝撃がまだ頭から離れない。
果奈もまだ頬が赤く、まだ動揺しているのが分かった。
「……駿」沈黙を破るように果奈が名前を呼ぶ。
「っ、どうしたの……早川さん?」場の雰囲気と急に声をかけられたことで、反射的に最初の呼び方で呼んでしまう。
しまったと思った時には遅かった。
「もう」頬を膨らませる。
「果奈って呼んでって言ったでしょ」
「ごめん。急に呼ばれてつい……」
「次、そう呼んだら帰るからね」
「絶対に気をつけます……」
「絶対だからね」
「はい……」
そんなやりとりをしてると、果奈が小さく笑い始める。それを見て、さっきまでの重たさがふっとほどけたかのように、つられて笑ってしまう。
「ごめんね。駿とこういう会話をしていたら、さっきまでのモヤモヤが無くなって、つい笑っちゃった」
「俺も、果奈が笑ったから、安心した」
間違えて早川さんと呼んだことが結果的に果奈との間にあった重苦しい雰囲気を解くきっかけとなった。 付き合う前にはなかった沈黙。 付き合ったからこそ生まれる戸惑い。 それすら今は、少し愛おしかった。週末。 駿は来週の地区大会に向けての追い込み練習をしていた。 ◆◆◆ 初夏の日差しは容赦なくコートへ降り注ぎ、地面から立ち上る熱気が足元を包み込む。 そんな中、取り組んでいたのは、二人の相手を一人で受ける2対1ラリー。 大会を想定した、体力と判断力の両方を極限まで鍛えるメニューだった。「はぁ……はぁ……!」 額から流れ落ちる汗が視界へ入り込む。 それを拭う暇もなく、次のボールが飛んでくる。「もう一本お願いします」「分かった。行くよ」 大会に出場出来なかった先輩がそう言うと、ラインギリギリに向かってサーブを放つ。 それを返すと、別の先輩が逆側のラインに向かって返してくる。 やっとの思いでその球を取ったが、球はラインからオーバーしてしまう。「きっつ……」 左右へ振られ続けるたび、体力が削られていく。 それでも大会を勝ち抜くには、この程度で音を上げてはいられなかった。「浅村、交代」「分かりました」 返事をすると、ラケットを肩へ担ぎながら日陰へ移動し、スポーツドリンクを一気に喉へ流し込む。 冷たい水分が身体中へ染み渡っていく感覚に、ようやく少しだけ息が整った。 そこへ、同じく休憩へ入った祐希が歩み寄ってくる。「浅村先輩、お疲れ様です。ほんと、2対1ラリーきついですよね」「ガチできつい。左右の振られると、シャトルランをやってるみたいで疲れる……見た感じ、祐希は俺よりも対応出来てると思うけどな」「そんなことないですって、俺も返すの精一杯なんですよ」「まぁ、これも来週ある地区大会の為だからしょうがない。互いにベストを尽くそう」「はい」 祐希と共に再び照り返しの強いコートへ足を踏み入れた。 しば
次の日の昼休み。 駿は果奈といつものように、二人の時間を過ごしていた。 ◆◆◆ 初夏の風がゆるやかに吹き抜け、昼休みの校舎からは生徒たちの笑い声が遠く聞こえてくる。 そんな穏やかな昼だった。「三時間目の体育きつかった。グラウンド七周とか次の日、筋肉痛確定」 情けない声を漏らすと、果奈は小さく笑う。「私は男子と違ってサッカーだったから、全くきつくなかったし、どちらかと言えば楽しかったよ」「俺もサッカーの方が良かったな~」「近いうちに男子と女子で種目変わるんだから、もう少しの辛抱」「まぁ頑張るよ」 そんな何気ないやり取りが楽しかった。 けれど。 そこで会話が途切れる。 いつもなら、そこから自然に話題が広がっていく。 部活のこと。 クラスのこと。 昨日の出来事。 どちらかが何か話せば、もう一人が笑って返す。 それが二人の日常だったのに今日は違った。 静かな時間だけがゆっくり流れていく。(……あれ?) 違和感を覚え、視界の端で、果奈が時折こちらをちらりと見ていることに気付く。 何か言いたそうなのに、何も言わない。 視線が合うと、すぐ逸らしてしまう。 このまま昼休みが終わるのは嫌だったので、なんとか話題を探す。「そういえば、月末にあるテストに向けて勉強やってる?」「少しずつやってます」 その返事は短く、どこか拗ねているようにも聞こえた。「果奈、いつもと様子が違うけど何かあった?」「なんでもない!」 その声は明らかに不機嫌だった。「なんでもなくないじゃん、絶対に怒ってるでしょ」「別に、怒ってないって」 そう返しながらも、視線は一度もこちらへ向かない。 その横顔を見て、ますます分からなくなる。(え、本当に何だ?) 部活? クラス? 家で何かあった? 頭の中でいくつも理由を探すが、どれもしっくりこない。 また沈黙が落ちようとしたその時、昼休みの放送が始まった。「六月十二日、木曜日、今日の放送を開始します」 その放送を聞いた瞬間、一ヶ月前の景色が、一気によみがえった。 教室。 放課後。 震える声で伝えた告白。(……しまった) 今日がなんの日なのかようやく思い出したのと同時に、どうして今まで気付かなかったのかと、自分を責めたくなった。「今日は付き合い始めてから、一ヶ月だったね」「
その日の夜。 駿の家で夕食を終えた美生は、小さな弁当袋を手に抱えながら、夜道を歩いていた。 ◆◆◆ 住宅街は静かで、街灯がぽつりぽつりと道を照らし、夜風が頬を優しく撫でていく。 その穏やかな景色とは裏腹に、胸の中では一つの決意が静かに膨らんでいた。 (……今日、ちゃんと話そう) 何度も心の中で繰り返した言葉だった。 来年には高校三年生になり、進路を決める時期が近づいている。 もう、自分の夢から目を逸らしたくなかった。 少しだけ緊張しながら家へ帰る。 家に着くと、いつもは鍵がかかっている筈の玄関の鍵が空いていて、そのまま玄関に入り、茶の間に向かうと、そこにはお父さんが居た。 「お父さん、ただいま。今から夕飯準備するから、ちょっと待ってて」 「おかえり、お父さんも準備手伝うよ」 「お父さんは仕事で疲れてるんだから、休んでいて」 「分かった」 手際よく夕飯の支度をこなし、お父さんに料理を出す。 「美生、また料理の腕上げたね。生姜焼き凄く美味しい」 「ありがとう、夕飯の買い物の前にお父さんが帰って来るの知れたから、お父さんの大好きな生姜焼きにしたの」 「今のお父さんにとって一番の楽しみは美生の料理を食べることだよ」 「そんな褒めても何も出ないよ」 お父さんは笑った後、少しだけ表情を曇らせる。 「でも、仕事の関係とはいえ、帰ってくるのが遅い時間ばかりで、ごめんな」 申し訳なさそうに視線を落とすお父さんを見て、自然と言葉が出ていた。 「お
練習が終わった後。 駿はさっき笑っていた隆二を問いただす為に話しかける。 ◆◆◆「俺が祐希との試合の後、喋っていた時に、後ろでこそこそ笑っていたけど、何か面白いことでもあった?」 真正面から問い掛けるが、隆二は眉一つ動かさなかった。「別に笑ってないけど」 あっさり否定し、何もなかったように続ける。「早く早川の元に行かなくて大丈夫なのか?」 話題を見事にすり替えられる。「隠し通そうとしても、無駄だぞ」 そう言うと、隆二は観念したように大きく息を吐いた。「だって、祐希の言葉に、浅村が分かりやすく反応するものだから、笑わないでいる方が無理」 思わず顔を顰めてしまう。「そんなに分かりやすかった?」「凄い分かりやすかった」「マジか……」 思わず額を押さえた。 自分では必死に誤魔化したつもりだったのに、それが全部顔に出ていたらしい。「にしても、その都度思うんだけど、祐希って、こういうことに関する感が鋭いんだ?」「さーな、強いて言うなら、祐希も気になってる人が居るから、感が鋭いんじゃないか?」「へえ……祐希にも気になる人がいるんだ」「それよりも、本当に早川の所に向かわなくて大丈夫なのか?」 その一言で、時計を見てみると。待ち合わせ時間が近づいていた「ヤバい、そろそろ行かないと。じゃあ、また明日」「じゃあな」 部室を後にして、果奈と待ち合わせしている場所へと急いで向かった。 待ち合わせ場所には、既に果奈が待っていた。「ごめん、少し待たせちゃった。」 息を整えながら謝ると、果奈は首を横に振った。「ううん、今日は練習長引いたんでしょ?それくらい分かるよ。」 責めるような様子は全くなく。その優しい笑顔に、胸を撫で下ろした。「ありがとう。」 二人は並んで歩き始める。 夕暮れに染まる住宅街。 部活帰りの生徒たちが、それぞれ家路についていた。 しばらく歩いたところで、果奈は両腕を大きく伸ばす。「今日も部活の練習疲れた~」「そういえば、果奈の県大会って今週末だったよね。俺も見に行きたかったな~」 果奈は少し驚いたようにこちらを見る。 けれどすぐに、小さく笑った。「駿も大会前で練習が忙しいからしょうがないよ。今は自分の練習を優先して」「分かった。目標に向かって頑張るよ」 部活動の話題が盛り上がったので、果奈の
次の日の放課後。 駿はもうすぐ行われる地区大会に向けて練習をしていた。◆◆◆ 照り返しの強いコート。 ラケットを振るたびに腕へ衝撃が伝わり、額から流れた汗が頬を伝って落ちていく。 容赦のない球出し練習が終わると、コートの隅でボールを拾っていた隆二へ声を掛ける。「玉拾い、お疲れ様」 「代表メンバーに選ばれなかったからしょうがない」 その言葉は冗談めいていたが、代表入りを逃した悔しさが完全に消えたわけではないことを、知っていた。「そっちもお疲れ、今江先生が球出していたから、相当きつかっただろ?」「ガチできつかったし、最後なんて腕が上がらなくなるかと思った」 そんな話をしていると、あることを思い出す。「この後祐希とラリーする約束してるんだけど、水飲んだりトイレ行ったりしたいから、少しだけ代わり頼める?」「勿論」「助かる。少しの間、頼んだ」 そう言って、学校の玄関へと向かう。 校舎へ入り、上履きへ履き替え、そのまま部室近くのトイレへ向かおうとする。 だけど。 今日は、途中で足が止まった。 体育館の方から聞こえてくる。 ――パンッ! 乾いた羽根を打つ音。(……もしかして) 自然と体育館の方へ視線が向き、何かを察したように、体育館の方にあるトイレへ向かうことにした。 少しだけ迷ったけど、足は体育館へ続く廊下を歩いていた。 体育館へ入ると、熱気が一気に身体を包み込み、汗と体育館特有の床の匂いが鼻をくすぐる。 手前ではバドミントン部。 奥ではバスケットボール部。 それぞれが大会へ向けて声を張り上げ、体育館全体が活気で満ちている。 邪魔にならないよう壁際を歩きながら、自然と視線を巡ら
部活を終えた駿は家へ帰ると、茶の間へ向かった。 ◆◆◆ カレーの香りが家中に広がっていて、思わず腹が鳴りそうになるほど食欲を誘う匂いだった。 しかし、その匂いとは正反対の空気を目にする。「直己、落ち込んでそうだけど大丈夫か?」 その姿を見て、一瞬胸がざわつく。 美生と買い物をした時、関係を思ったより縮められなかったのだろう。 そんな考えが頭をよぎる。「はぁ……結ちゃんがまだ俺に冷たくてさ、いつになったら忘れてくれるんだよ…」「あのことね、結も頑固なところがあるからそこまで気にしなくてもいいよ」 そうは答えたが、美生との買い物じゃなくて、結との蟠りで落ち込んでいたのかよと、ツッコミそうになる。 「そんなことよりも美生との買い物はどうだった?」 その瞬間、さっきまで曇っていた直己の表情が、少しだけ明るくなった。「最初は会話が続かなかったり、会話の頻度が少なかったけど、一緒に買い物をするにつれて会話が弾むようになって、駿の家に向かう時は一度も途切れることなく会話出来た」 いい報告が聞けて、自然と口元が緩む。「良かったじゃん」 心からそう思えた。 あれほど悩んでいた親友が、一歩踏み出せた。 その事実だけで嬉しかった。「ありがとな駿、この話を持ち出してくれて。こういう機会がなかったら、ずっと島内さんとの距離を縮められないで、もがいていたと思う」「お礼を言いたいのはこっち。今日は買い物行ってくれてありがとう」 二人で笑い合う。 少し前なら、お互いこんな素直な言葉は照れくさくて言えなかったかもしれない。 それでも今は、不思議と口に出来た。「お礼がてらじゃないけど、一つお願いいいか?」 「いいよ」「また島内さんと買い物する機会があっ
帰り道。 駿は告白が成功したことを実感できないまま、家に向かって歩いていた。 ◆◆◆ 果奈と途中まで一緒に帰っていたのだが、正直何を話したのか覚えてない。 それどころか、ついさっき告白が成功したという事実を、まだうまく受け止めきれずにいた。 夕暮れの街を歩きながらも、足元がどこか浮ついている。 通り過ぎる自転車の音も、信号機の電子音も、妙に遠かった。 頭の奥では、さっきの声が何度も繰り返されている。 ――「……いいよ」 あの小さな返事。 照れたような表情。 夕陽に染まった頬。 思い返すたび、胸の奥が熱くなるが、同時に、現実感が薄かった。 (……本当に、付き
果奈に流されるまま、駿は映画館へと向かった。 ◆◆◆ 映画館は休日ということもあり、様々な人たちで賑わっていた。 「私、観たい作品があるのだけどそれでもいい?」「いいけど、どんな作品?」「恋愛もの。ラスト泣けるって友達が言ってたから気になってたんだよね」「そうなんだ」 特に観たい作品も無かったし、一緒に見られればそれでいいと思い、この作品を観ることにする。 作品のタイトルは『失いたくない』。 主人公がヒロインへの告白から始まる恋。 想いが通じ合い、幸せな結末へ向かう筈だったが、ヒロインが通り魔に刺されてそのまま死んでしまう。 絶望していた主人公がヒロインの真実
駿が倉庫裏に着いた時、早川さんの姿はまだなかった。 ◆◆◆ 夕焼けに染まった校舎の影が、静かに地面へ伸びており、風が吹くたび、木々がかすかに揺れていた。 スマホの時間を確認するが、まだ数分しか経っていない。 本来なら、早川さんが所属するバドミントン部はテニス部よりも早く終わって、待っているはずだった。(……練習、長引いてるだけだよな) そう思おうとするのに、別の考えが勝手に浮かんでくる。 疑いたくないのに、疑ってしまう。(何考えてんだよ、俺) 頭では分かっている。けれど、不安は理屈じゃ止まらない。 胸の奥に、小さな黒いものが広がっていく。 その時だった。 「
翌朝。 駿は目覚ましが鳴る少し前に、自然と目が覚めた。 ◆◆◆ カーテンの隙間から差し込む朝の光が、やけに眩しい。 ぼんやり天井を見上げながら、小さく息を吐く。 胸の奥が落ち着かない。だけど、嫌な感覚ではなかった。 むしろ逆だ。 何かが始まってしまった後特有の、ふわつくような高揚感。 昨日の放課後。 夕陽。 震える声。 思い返した瞬間、身体が熱くなる。 枕に顔を埋めたくなるくらい恥ずかしいのに、何度も思い返してしまう。 (……付き合ってるんだよな、俺たち) まだ実感は薄いけど、昨日の出来事を頭の中で繰り返すたび、少しずつ現実が輪郭を持







