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1-4 大切な時間と変化

Penulis: 青サバ
last update Tanggal publikasi: 2026-06-11 21:25:37

 駿が倉庫裏に着いた時、早川さんの姿はまだなかった。

 ◆◆◆

 夕焼けに染まった校舎の影が、静かに地面へ伸びており、風が吹くたび、木々がかすかに揺れていた。

 スマホの時間を確認するが、まだ数分しか経っていない。

 本来なら、早川さんが所属するバドミントン部はテニス部よりも早く終わって、待っているはずだった。

(……練習、長引いてるだけだよな)

 そう思おうとするのに、別の考えが勝手に浮かんでくる。

 疑いたくないのに、疑ってしまう。

(何考えてんだよ、俺)

 頭では分かっている。けれど、不安は理屈じゃ止まらない。

 胸の奥に、小さな黒いものが広がっていく。

 その時だった。

「ごめん!練習が長引いて遅くなった」

 弾むような声に振り向くと、果奈が駆け寄ってきた。

 少し乱れた髪。

 肩で息をしている姿。

 その瞬間、全身からふっと力が抜け、自分でも驚くくらい、安心してしまっていた。

 早川さんの声が聞こえた瞬間、強い安心感に襲われる。

「……安心した顔してるけど、どうしたの?」

「と、特に何もないよ」

 不安になっていたことを勘付かれないように話したつもりだったが、ぎこちない返答になってしまった。

 そして、早川さんはじっとこちらを見つめてくる。

 逃がさないみたいに。

「もしかして……私が来ないと思ってた?」

 言葉に詰まり、否定しようとして、できなかった。

 その沈黙だけで、十分伝わってしまったのだろう。

「私がそんなことするわけ、ないでしょ!」

 早川さんは眉をきゅっと寄せた。

 怒っている。

 最初はそう思った。

 でも、違った。

 その表情の奥にあったのは、傷ついたみたいな寂しさだった。

「ごめん、こういう経験が初めてで、嬉しい気持ちと同時に不安な気持ちもあって……」

「私も初めてなんだから……」

 ぽつりと落ちた声は、思ったよりずっと弱かった。

「今まで、何回も告白されてきた。だけど……」

 一度、視線が落ちる。

 言葉を探しているみたいだった。

「“可愛いから”とか、“好きだから”とか……そういうのばっかりだった」

 夕陽が、早川さんの横顔を淡く染める。

「ちゃんと私のこと見てくれてるって、思えなかった」

 何も言えず、視線を逸らすことしかできない。

「でも、駿は違う気がした」

 真っ直ぐな声だった。

「ちゃんと、私を見てくれる人だって思った。だから、付き合おうって思ったの」

 その瞳が、わずかに揺れ、夕陽の光を受けて、小さな涙の粒みたいに見えた。

「……なのに」

 少しだけ、唇が震える。

「来ないかもって思われるのは……ムカつくし、悲しい」

 何か言わなきゃいけないのに、うまく言葉にならない。

 遠くで聞こえる運動部の声だけが、やけに鮮明に耳へ届く。

「……ごめん」

 ようやく絞り出した声は、情けないくらい小さかった。

 早川さんは小さく息を吐く。

「私も、ちょっと言いすぎた」

 

 そして、少し不安そうに笑った。

「でも、私の駿への想いは伝わった?」

 早川さんの想いを知り、それに応えなきゃと思い、咄嗟に話し返す。

「伝わってる」

 はっきりと言う。

「謝るのはこっちだよ。早川さんの想いに気づけなかったのが本当に恥ずかしい」

 一度、言葉を切る。

「でも、それ以上に早川さんがこの関係を大切に感じてくれてることを知れてすごく嬉しい」

 早川さんが、一瞬だけ目を見開いた。

 次の瞬間、頬が夕陽みたいに赤く染まる。

「私、ちゃんと“好きな人”として付き合えてるよね?」

 その声は、少しだけ不安そうだった。

 人気者で、明るくて、誰からも好かれている彼女が、今はただ一人の女の子みたいな顔をしている。

「もちろん」

 すぐに答えた。

「果奈の気持ち、ちゃんと受け取ってる」

 その言葉を聞いた早川さんはようやく安心したように笑った。

 力が抜けたみたいな、柔らかい笑顔だった。

「じゃあさ……呼び方、変えて」

 少し照れながら、早川さんが言う。

「早川さんじゃなくて、“果奈”って呼んで。付き合ってるのに早川さんって、呼ばれるの何か他人行儀みたいで嫌」

 一瞬、心臓が跳ねた。

 名前。

 それだけなのに、急に距離が近くなる気がする。

「分かった。改めてよろしくお願いします。果奈」

「そこは普通によろしくでいいのに。でも、私こそ、よろしくね」

 さっきまであったぎこちなさが、少しずつ溶けていく。

 一度ぶつかったからこそ、お互いの気持ちが、ちゃんと見えた気がした。

「ちなみに、みんなの前ではどちらで呼べばいい?」

「う~ん、そこは早川さんでいい。でも、二人の時はちゃんと、果奈って呼んでね」

「分かった」

「だけどいつかは、みんなにバレる日が来ると思うから、その時はみんなの前でも果奈って呼んでね」

「バレた時は周りから目が痛そうだな…」

「まぁ、その時はその時」

「人事だな~」

 二人で笑い合う時間が、驚くほど自然だった。

 果奈と会話しながら歩いていると、気づけば別れる場所にたどり着いていた。

「じゃあ、また明日」

「ちょっと待って!」

 果奈が足を止める。

 振り返った彼女は、少しだけ照れくさそうに笑っていた。

「土曜日、空いてる?」

「部活があるけど、午前中で終わるから、午後は空いてるよ」

「じゃあ、土曜日の午後に遊ばない?」

 一瞬、思考が止まる。

 ――それって。

 心臓が、大きく跳ねた。

「決まり。楽しみにしてるね」

 その笑顔が、やけに眩しかった。

「俺も楽しみ。早川さ……」

 不意に果奈の事を再び、苗字で呼んでしまう。

 そして、果奈がじっとこちらを見る。

「だから、果奈って呼んでって言ってるでしょ!」

 少しだけ睨むような目。

 でも、完全に拗ねた顔だった。

「もしも、土曜日に早川さんって呼んだら、私帰るからね!」

「それは困るって」

「じゃあ、ちゃんと覚えて」

 苦笑しながら言い直す。

「ごめん……果奈、また明日」

 その瞬間。

 果奈の表情がふっと柔らかくなった。

「うん。また明日」

 遠ざかっていく背中を見送りながら、空を見上げる。

 夕焼けが、やけに綺麗だった。

 

 ——同じ夕暮れ。

 女子テニス部に所属している美生は夕飯の買い物をしていた。

    ◆◆◆

 女子テニス部は男子テニス部よりも一時間以上早く練習終わり、通り道にあるスーパーで夕飯の買い物を済ませて、駿君の家に向かうのが日課だった。

 夕飯の食材を買い、スーパーを後にして、通りへと出る。

 通りを見渡した瞬間、小さく目を止める。

「……あれ?」

 いつもなら、このくらいの時間には見えるはずの姿がない。

 部活が長引いてるのだと思い、何も気にすることなく、駿君の家へと向かう。

「……駿君、遅いな」

 ぽつりと零れた声は、夕暮れの中へ静かに溶けていった。

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