Masuk駿が倉庫裏に着いた時、早川さんの姿はまだなかった。
◆◆◆
夕焼けに染まった校舎の影が、静かに地面へ伸びており、風が吹くたび、木々がかすかに揺れていた。
スマホの時間を確認するが、まだ数分しか経っていない。
本来なら、早川さんが所属するバドミントン部はテニス部よりも早く終わって、待っているはずだった。(……練習、長引いてるだけだよな)
そう思おうとするのに、別の考えが勝手に浮かんでくる。
疑いたくないのに、疑ってしまう。(何考えてんだよ、俺)
頭では分かっている。けれど、不安は理屈じゃ止まらない。
胸の奥に、小さな黒いものが広がっていく。
その時だった。 「ごめん!練習が長引いて遅くなった」弾むような声に振り向くと、果奈が駆け寄ってきた。
少し乱れた髪。
肩で息をしている姿。 その瞬間、全身からふっと力が抜け、自分でも驚くくらい、安心してしまっていた。早川さんの声が聞こえた瞬間、強い安心感に襲われる。
「……安心した顔してるけど、どうしたの?」「と、特に何もないよ」
不安になっていたことを勘付かれないように話したつもりだったが、ぎこちない返答になってしまった。
そして、早川さんはじっとこちらを見つめてくる。逃がさないみたいに。
「もしかして……私が来ないと思ってた?」
言葉に詰まり、否定しようとして、できなかった。その沈黙だけで、十分伝わってしまったのだろう。
「私がそんなことするわけ、ないでしょ!」早川さんは眉をきゅっと寄せた。
怒っている。最初はそう思った。
でも、違った。その表情の奥にあったのは、傷ついたみたいな寂しさだった。
「ごめん、こういう経験が初めてで、嬉しい気持ちと同時に不安な気持ちもあって……」「私も初めてなんだから……」
ぽつりと落ちた声は、思ったよりずっと弱かった。
「今まで、何回も告白されてきた。だけど……」
一度、視線が落ちる。言葉を探しているみたいだった。
「“可愛いから”とか、“好きだから”とか……そういうのばっかりだった」夕陽が、早川さんの横顔を淡く染める。
「ちゃんと私のこと見てくれてるって、思えなかった」
何も言えず、視線を逸らすことしかできない。
「でも、駿は違う気がした」
真っ直ぐな声だった。「ちゃんと、私を見てくれる人だって思った。だから、付き合おうって思ったの」
その瞳が、わずかに揺れ、夕陽の光を受けて、小さな涙の粒みたいに見えた。
「……なのに」少しだけ、唇が震える。
「来ないかもって思われるのは……ムカつくし、悲しい」
何か言わなきゃいけないのに、うまく言葉にならない。遠くで聞こえる運動部の声だけが、やけに鮮明に耳へ届く。
「……ごめん」ようやく絞り出した声は、情けないくらい小さかった。
早川さんは小さく息を吐く。
「私も、ちょっと言いすぎた」
そして、少し不安そうに笑った。
「でも、私の駿への想いは伝わった?」
早川さんの想いを知り、それに応えなきゃと思い、咄嗟に話し返す。「伝わってる」
はっきりと言う。「謝るのはこっちだよ。早川さんの想いに気づけなかったのが本当に恥ずかしい」
一度、言葉を切る。
「でも、それ以上に早川さんがこの関係を大切に感じてくれてることを知れてすごく嬉しい」
早川さんが、一瞬だけ目を見開いた。次の瞬間、頬が夕陽みたいに赤く染まる。
「私、ちゃんと“好きな人”として付き合えてるよね?」その声は、少しだけ不安そうだった。
人気者で、明るくて、誰からも好かれている彼女が、今はただ一人の女の子みたいな顔をしている。
「もちろん」すぐに答えた。
「果奈の気持ち、ちゃんと受け取ってる」
その言葉を聞いた早川さんはようやく安心したように笑った。
力が抜けたみたいな、柔らかい笑顔だった。
「じゃあさ……呼び方、変えて」少し照れながら、早川さんが言う。
「早川さんじゃなくて、“果奈”って呼んで。付き合ってるのに早川さんって、呼ばれるの何か他人行儀みたいで嫌」一瞬、心臓が跳ねた。
名前。それだけなのに、急に距離が近くなる気がする。
「分かった。改めてよろしくお願いします。果奈」「そこは普通によろしくでいいのに。でも、私こそ、よろしくね」
さっきまであったぎこちなさが、少しずつ溶けていく。一度ぶつかったからこそ、お互いの気持ちが、ちゃんと見えた気がした。
「ちなみに、みんなの前ではどちらで呼べばいい?」「う~ん、そこは早川さんでいい。でも、二人の時はちゃんと、果奈って呼んでね」
「分かった」
「だけどいつかは、みんなにバレる日が来ると思うから、その時はみんなの前でも果奈って呼んでね」
「バレた時は周りから目が痛そうだな…」
「まぁ、その時はその時」
「人事だな~」
二人で笑い合う時間が、驚くほど自然だった。 果奈と会話しながら歩いていると、気づけば別れる場所にたどり着いていた。「じゃあ、また明日」
「ちょっと待って!」
果奈が足を止める。振り返った彼女は、少しだけ照れくさそうに笑っていた。
「土曜日、空いてる?」
「部活があるけど、午前中で終わるから、午後は空いてるよ」
「じゃあ、土曜日の午後に遊ばない?」
一瞬、思考が止まる。 ――それって。心臓が、大きく跳ねた。
「決まり。楽しみにしてるね」その笑顔が、やけに眩しかった。
「俺も楽しみ。早川さ……」
不意に果奈の事を再び、苗字で呼んでしまう。
そして、果奈がじっとこちらを見る。
「だから、果奈って呼んでって言ってるでしょ!」
少しだけ睨むような目。
でも、完全に拗ねた顔だった。
「もしも、土曜日に早川さんって呼んだら、私帰るからね!」
「それは困るって」
「じゃあ、ちゃんと覚えて」
苦笑しながら言い直す。
「ごめん……果奈、また明日」
その瞬間。
果奈の表情がふっと柔らかくなった。
「うん。また明日」
遠ざかっていく背中を見送りながら、空を見上げる。
夕焼けが、やけに綺麗だった。
——同じ夕暮れ。
女子テニス部に所属している美生は夕飯の買い物をしていた。
◆◆◆
女子テニス部は男子テニス部よりも一時間以上早く練習終わり、通り道にあるスーパーで夕飯の買い物を済ませて、駿君の家に向かうのが日課だった。
夕飯の食材を買い、スーパーを後にして、通りへと出る。通りを見渡した瞬間、小さく目を止める。
「……あれ?」 いつもなら、このくらいの時間には見えるはずの姿がない。部活が長引いてるのだと思い、何も気にすることなく、駿君の家へと向かう。
「……駿君、遅いな」 ぽつりと零れた声は、夕暮れの中へ静かに溶けていった。翌日。 駿は朝日が照らす校門を駆け抜ける。◆◆◆ いつもより少しだけ早い登校。 今日だけは、誰よりも早くコートに立ちたかった。 着替えなどをしてコートに向かうと、コートで一人黙々とサーブを打ち込む隆二の姿があった。「おはよう、ダブルスの選抜戦で勝ち抜いて、大会出場しような」「勿論」 その返事に迷いはなかった。 隆二と共にダブルスの動きの再確認や互いの苦手なことの練習をして、出来るだけ完璧な状態で選抜戦へと臨もうとしていた。 ダブルスは六組のうち二組が代表として出場することが出来、シングルスの時よりも狭き門となっていた。 しかも。 祐希は三年生の中で一番強い先輩と組み、代表最有力候補だった。 選抜戦が始まり、最初は二連勝したがその後に祐希のペアと違うペアに負けて、二勝二敗で最終戦へと挑む。 相手は同学年のペアで同じく二勝二敗で、この戦いに臨もうとしていた。 勝った方が代表。 負けた方は敗退。 すべてを懸けた一戦だった。 試合は最初から一進一退だった。 1ゲーム奪えば、1ゲーム奪い返される。 どちらも譲らない展開が続き、ついに勝負はタイブレークへもつれ込んだ。 タイブレークに入る前のゲーム間。 隆二と水分補給をしながら、ここまでの反省やここから作戦を手短に話し合う。 それが終わり、コートに戻ろうとすると、隆二が話しかけてくる。「ここからが正念場だ。行くぞ、浅村!」 その声は力強かった。 普段の冷静な口調とは違い、感情がそのまま言葉になっていた。 見ているだけで、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。「ああ、そうだな。絶対に勝とう!」
駿はその後も一戦一戦を戦い抜いた。◆◆◆ 勝つ試合もあれば、惜しくも落とす試合もある。 それでも、大きく崩れることはなかった。 苦しい試合ほど粘り、一本でも多く勝利を積み重ね、七勝四敗で最終戦を迎える。 相手は隆二だった。 五勝六敗で最終戦を迎え、隆二自身この試合に勝てないと、代表入りは絶望的な状況だった。 試合前。 隆二に話しかけようとした。「隆二――」 その名前が喉まで出かかった。 けれど。 前を歩く隆二の背中を見た瞬間、言葉を飲み込む。 背中越しにも伝わるほど張り詰めた空気。 肩には余計な力が入り、拳は固く握られている。 その姿を見れば分かった。 今、掛けるべき言葉なんて存在しない。 励ましも。 冗談も。 どれも軽すぎる。 今の隆二には、自分自身と向き合う時間が必要だと思い、静かに口を閉じる。 サーブ権のじゃんけんをする為に会話出来るくらいの距離に迫っても、何も喋ることなく、そのまま試合が始まる。 隆二は意地でもこの試合を勝ちに来ると思い、最後の力を振り絞って、隆二から放たれる球を必死に打ち返す。 どちらも一歩も引かない。 親友だからこそ、手加減なんて失礼だ。 勝つために戦う。 それが互いへの敬意だった。 しかし。 予想していた接戦にはならなかった。 隆二は必死に食らいつき、何本も拾う。 それでも。 あと一本が届かず、ポイントが重なるたび、スコアは少しずつ開いていった。 そのまま試合は進み、後1ゲームで勝利のところまでたどり着いた。 サーブ位置につき、ボールを
二日後の土曜日。 駿は所属する男子テニス部の地区大会選抜戦に挑もうとしていた。◆◆◆ ここ最近の果奈との穏やかな日々とは対照的に、男子テニス部の空気は張り詰めていた。 ラケットを握る手に力を込める者。 一人静かにストレッチを続ける者。 それぞれが、自分自身と向き合っていた。 この二日間で、地区大会へ進めるかどうかが決まる。 だからこそ、誰一人として気を抜いてはいなかった。 朝のミーティングが始まり、今江先生がみんなの前に出て話し始める。「今年の地区大会はいつもよりも遅い時期となったが、その分、部員一人一人が最高のパフォーマンスに近づくことが出来たと思う。この二日間、悔いの残らない試合をすること。私からは以上」「はい!」 部員全員の声が揃う。 その返事には、緊張だけではなく覚悟も込められていた。 選抜戦は二.三年の十二人プラス一年の祐希を含めた十三人で行われ、上位七人が確定で個人戦と団体戦に出れることになっていた。 そうとはいえ、一試合一試合が重い。 選抜戦が始まり、初戦を勝ち、勢いに乗って、そのまま四連勝した。 身体は軽く、ラケットも思い通りに振れていて、先週まで部屋へ閉じこもっていた自分が嘘のようだった。 試合の合間。 水分補給をしていると、隆二が声をかけてくる。「今のところどんな感じだ?」「四連勝中、今のところは絶好調。隆二は?」「俺は今、三連勝中。今のところ互いにいい感じだな」「だけどまだ、祐希や強い先輩と戦ってないから、ここからが勝負ってところ」「俺もまだ強い先輩たちと戦ってないから、互いに頑張ろうな」 隆二はそう言って拳を差し出した。「ああ」 隆二の拳に拳を当てる。
三日後の放課後。 美生は駿と共に週に一回ある大きな買い物をして、駿の家へと向かった。 ◆◆◆ 夕暮れの空はまだ淡く、手に提げた袋が小さく揺れる。 する曜日は決まっていないけれど、この時間は私にとって当たり前になっていた。 家に着くと駿君の父親である、浅村健介(あさむら・けんすけ)が帰ってきていることに気付いた駿君が驚く。「父さん!?なんで居るの?」「なんで居るの?は酷いな~たまにはこういう日もあってもいいだろ」 そのやりとりを見て、自然と頬が緩んだ。 健介さんは普段、仕事で二十二時過ぎに家に帰り、今日のような時間に帰ってくるのは年に数回あるか、無いかだった。「美生ちゃん、いつも夕飯作ってくれてありがとね。今日は買ってきた食材でおじさんが作るから駿たちと一緒に待ってて」「いえいえ大丈夫ですよ。健介さんこそ、家族とのひとときを楽しんでください」「まぁまぁそんなこと言わずに、たまには美生ちゃんにも息抜きが必要なんだから、今日は任せて」 そう笑いながら言う健介さんだったが、 その笑顔の奥に、ほんのわずかな疲れが見えた気がした。「では、少しだけお手伝いさせてください」「美生ちゃんがそこまで言うなら、野菜とか切るのお願い出来る?」「はい、分かりました」 そう言って、共に台所へと向かい、調理を始める。 まな板の上で包丁が小気味いい音を立てて野菜を切っていると、健介さんが話しかけてくる。「美生ちゃん、改めてありがとね。平日の夕飯の調理だけじゃなくて、日用品の買い物や結の勉強に付き合ってくれたりしてくれて」「大したことないですよ。健介さんも毎日平日の夜遅くまで働いているのに、休日も駿君や結ちゃんの為に頑張っているじゃないですか。私は、本当に少しお手伝いしているだけです」 健介さんは何も言わず、私の話を聞いていた。
昼休み。 駿は購買でパンを買ってから、果奈が待っている倉庫裏へと向かう。◆◆◆ 倉庫裏には、既に果奈の姿があった。 こちらに気づくと、ふわりと笑顔を浮かべる。 その笑顔を見た瞬間、張りつめていた気持ちがふっとほどけた。「ごめん、待った?」「ううん、大丈夫」 そして、いつもの場所へ移動し、お昼を食べながら話し始める。 あの件が起こるまでは当たり前だった光景なのに、今日は何もかもが新鮮で、不思議と心地いい。「クラスに関係がバレたとはいえ流石にクラスで二人で過ごすってのは無理だよな」 果奈はすぐに首を縦へ振り、少し頬を膨らませる。「当たり前でしょ!関係を周りに見せつけてるみたいで嫌」「そうだよね」 そう返した後、空を見上げる。 夏が近づき、青空が広がっていて、吹き抜ける風が心地いい。 隣には果奈が居る。 それだけで十分だった。「でも、場所関係無く、こうして果奈と居れることが一番の幸せ」 飾るつもりはなかったし、格好つけたかったわけでもない。 本当にそう思ったから、そのまま口から出ただけだった。「えっ……」 果奈は一瞬目を丸くする。 頬がみるみる赤く染まっていき、照れ隠しなのか、慌てて顔を逸らした。「果奈どうしたの?」「駿がいきなり変なこと言うから、ちょっと驚いただけ………急にそういうこと言うの、ずるい」「そんなに変なこと言った?」「言った!」 嬉しさを隠しきれていない様子だった。 二人の間に流れる空気は、以前よりも柔らかかった。 きっと一度ぶつかって、本音を伝え合えたからだろう。 そんな穏やかな時間が流れていたその時――。『ガサガサ…』 近くで何かが動く音がして、二人同時にそちらを見つめる。「倉庫の近くで誰かが俺たちのことを見ていたみたい」 果奈も少しだけ表情を引き締めていて、多分あの日の出来事が脳裏を過ったのだろう。 そんな果奈を安心させるように笑った。「ちょっと見てくる」「うん……」 果奈は小さく頷くが、すぐに心配そうな表情になる。「でも、気を付けてね」「大丈夫」 物音が鳴った方向へ忍び足で近づこうとすると、走り去っていく音が聞こえ、走って追いかける。 角を曲がった瞬間、逃げる後ろ姿が目に入り、見慣れた髪型と走り方を見た瞬間、思わず叫ぶ。「直己!」 名前を呼ばれた瞬間、その生
次の日の朝。 目覚ましが鳴る五分前に果奈は自然と目が覚ました。◆◆◆ 天井を見上げ、しばらくそのまま瞬きを繰り返した。 不思議だった。 先週までは朝が来るのが怖くて、目を閉じても不安が消えず、眠っても心は休まらない日が続いた。 けれど今日は違う。 胸の奥にあった重たいものが少しだけ軽くなっている。 一昨日、駿と話せたからだろうか。 そう思うと自然と笑みが浮かんだ。 身支度を整えてリビングへ向かうと、お母さんの早川郁代(はやかわ・いくよ)が朝食の準備をしていた。「おはよう、お母さん」「おはよう、果奈」 お母さんは振り返り、そして私の顔を見ると少しだけ表情を和らげた。「今日は学校、行けそうなの?」 その声には心配が滲んでいた。 先週二日も休んだのだから無理もない。「うん、大丈夫」「なら良かったわ。でも、無理はしないのよ」 その一言が、心の中にじんわりと広がる。 “行かなきゃ”じゃなくて、“行ってもいい”と言われた気がした。 その時だった。 パタパタと足音が聞こえ、眠そうに目を擦りながら弟の早川翔太(はやかわ・しょうた)がリビングへ入ってきた。「ふぁ~……お姉ちゃん、おはよ。今日は学校に行くの?」 その言葉に果奈は少しだけ目を丸くする。 翔太も心配してくれていたのだ。「心配してくれてありがとね。お姉ちゃんもう大丈夫だよ」 そう言って優しく頭を撫でてあげると、翔太は安心したみたいで笑顔を見せる。 私は一人じゃない。 改めてそう思える朝のひとときとなった。 朝食を終え、残りの準備を済ませ、玄関の扉を開いた。「行ってきます」 外に出た瞬間、澄みきった青空が広がっていて、朝の光がまっすぐ降り注ぎ、思わず目を細めてしまう。 まるで空まで応援してくれているような気がした。 そんなことを思いながらゆっくり歩き始める。 通学路はいつもと変わらないけど、景色が少し違って見えた。 先週は下を向いてばかりだったからかもしれない。 学校へと向かう途中、駿といつも別れる場所の近くまでやって来ると、そこに立っている人影を見つける。 近づくにつれ、その姿がはっきりし、同時に心臓が一拍だけ強く跳ねる。「……駿!?」 駿がこちらを振り返ると、少し照れたような顔をしていた。 登校時は人も沢山居るからという理由で別々に登校し
果奈に流されるまま、駿は映画館へと向かった。 ◆◆◆ 映画館は休日ということもあり、様々な人たちで賑わっていた。 「私、観たい作品があるのだけどそれでもいい?」「いいけど、どんな作品?」「恋愛もの。ラスト泣けるって友達が言ってたから気になってたんだよね」「そうなんだ」 特に観たい作品も無かったし、一緒に見られればそれでいいと思い、この作品を観ることにする。 作品のタイトルは『失いたくない』。 主人公がヒロインへの告白から始まる恋。 想いが通じ合い、幸せな結末へ向かう筈だったが、ヒロインが通り魔に刺されてそのまま死んでしまう。 絶望していた主人公がヒロインの真実
週末。 午前中の部活を終え、駿は家に戻るとすぐシャワーを浴びた。 ◆◆◆ 髪を洗って、流して。 念のためもう一度首元にシャワーを当てる。 絶対に汗の匂いが残らないよう、念入りに身体を綺麗にする。 (気にしすぎだろ) そう思ったが、手は止められない。 今日は、果奈と二人きりで出かける。 考えるだけで、落ち着きを保てなくなっていた。 シャワーを終え、家にある姿鏡の前で服を広げる。 候補が何着も並んでおり、着てみては脱ぎ、鏡を見る。 しっくりくるやつもあったが、すぐに違う気がして、また着替え直す。「……何やってんだ、俺」 服選びがただの繰り返し作業へ
翌朝。 駿は目覚ましが鳴る少し前に、自然と目が覚めた。 ◆◆◆ カーテンの隙間から差し込む朝の光が、やけに眩しい。 ぼんやり天井を見上げながら、小さく息を吐く。 胸の奥が落ち着かない。だけど、嫌な感覚ではなかった。 むしろ逆だ。 何かが始まってしまった後特有の、ふわつくような高揚感。 昨日の放課後。 夕陽。 震える声。 思い返した瞬間、身体が熱くなる。 枕に顔を埋めたくなるくらい恥ずかしいのに、何度も思い返してしまう。 (……付き合ってるんだよな、俺たち) まだ実感は薄いけど、昨日の出来事を頭の中で繰り返すたび、少しずつ現実が輪郭を持
帰り道。 駿は告白が成功したことを実感できないまま、家に向かって歩いていた。 ◆◆◆ 果奈と途中まで一緒に帰っていたのだが、正直何を話したのか覚えてない。 それどころか、ついさっき告白が成功したという事実を、まだうまく受け止めきれずにいた。 夕暮れの街を歩きながらも、足元がどこか浮ついている。 通り過ぎる自転車の音も、信号機の電子音も、妙に遠かった。 頭の奥では、さっきの声が何度も繰り返されている。 ――「……いいよ」 あの小さな返事。 照れたような表情。 夕陽に染まった頬。 思い返すたび、胸の奥が熱くなるが、同時に、現実感が薄かった。 (……本当に、付き







