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第2話

Author: 六花
飛行機が着陸したのは午後7時半を過ぎた頃だった。

南島市の空気は湿気を帯びて重く、私が深夜2時まで残業していたあの街の冷たい風とはまるで違う。

ホテルへ向かうタクシーの中で、私はずっと考えていた。

ホテルに着いたら、どうすればいいのか。

部屋に乗り込んで問い詰めるべきか?泣きわめくか?それとも何も知らないふりをして、「偶然だね、私も遊びに来たの」と笑ってみせるか?

どれも違う気がした。

私、樫野亜依里は28年間生きてきて、感情をぶつけて騒いだことは一度もない。

子供の頃、珠希に物を取られても騒がなかった。騒げば両親に「聞き分けがない」と言われるから。

学校でいじめられても波風を立てなかった。騒いだところで事がこじれるだけだから。

社会人になって上司に怒鳴られても言い返さなかった。反抗すればクビになるから。

悔しさはいつも飲み込んで、その場に合わせた作り笑いを浮かべてきた。

でも今日は違う。

今日ばかりは飲み込めない。これは単なる悔しさなんかじゃない。4年間、彼に捧げてきた私の真心だから。

タクシーはホテルの正面玄関に停まった。料金を払い、車を降りてロビーへ入る。

フロントの若い女性が、笑顔で「ご予約のお客様でしょうか」と尋ねてきた。

「神森瑛士という者が宿泊しているはずなんですが」

私は微笑んだ。

「婚約者なんです。サプライズをしたくて」

女性は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「申し訳ございませんが、ご宿泊の有無やお部屋番号はお答えできかねます。お部屋へのお取次ぎでしたら承れますが」

「いいえ、結構です。ありがとうございます」

私は礼を言ってフロントを離れた。

実は、部屋番号には心当たりがあった。空港で珠希のインスタを見返した時、別の写真に写り込んでいたカードキーのケースに【1712】という数字が見えたのだ。

エレベーターに乗り、17階のボタンを押そうとしたところで、鏡に映った自分の姿に目が留まった。

髪はぼさぼさで、目の下には濃いクマが浮いている。

今朝家を出る時は化粧すらせず、髪をひとつに結っただけだった。

ジーンズは去年買ったもので、襟ぐりが少し伸びたTシャツを着ている。

一方でインスタの中の珠希は、白い花柄のワンピースを着て髪を綺麗に巻き、愛らしく華やかな笑顔を浮かべていた。

ふと、自分が滑稽に思えた。

今日何が起ころうと、少なくともこんな格好で向き合うわけにはいかない。

私は17階へ向かうのをやめ、スマホの配車アプリでタクシーを呼んだ。

駅前のショッピングモールに立ち寄って、必要な化粧品とワンピースを買い、ホテルに戻ってから身支度を整えることにした。

ホテルに戻ると、フロントの女性がパウダールームを案内してくれた。

顔を洗い、丁寧に化粧を施す。鏡の中の女が少しずつ変わっていく。自分の目は、思っていたよりずっと落ち着いていた。

髪をほどき、フロントで借りたヘアアイロンで緩やかに巻いて、買ったばかりのワンピースに着替えた。ワインレッドの、ウエストが絞られたスリット入りのワンピースだ。

鏡に向かって笑ってみる。珠希のあの顔と比べて、何が劣っているというのだろう。

何も劣っていない。

ただ、私が「物分かりが良すぎた」だけなのだ。

1712号室へと続く廊下は厚い絨毯敷きで、ヒールの音すら響かない。

ドアの前に立つと、中から笑い声が聞こえた。

いつもの甘えた調子の、珠希の声だ。

「瑛士、ファスナー上げてよ。この水着、脱ぎ着しにくいんだもん」

続いて、瑛士の低い声が聞こえた。

「水着なんか着てどうするの。今夜は部屋にいなよ、ルームサービスでパスタを頼んだから」

「やだ、プールで写真撮りたいの。綺麗に撮ってね」

「お前は何着たって綺麗だよ」

私は手を上げ、指先をドアベルに添えたまま3秒待った。

それから、押した。

ベルの音が部屋の中に響き渡る。中で衣擦れの音がして、瑛士の足音がだんだん近づいてきた。

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