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Ⅰ-5

last update Last Updated: 2025-07-11 20:30:22

 燿は午後の授業でも食後の眠気と戦っていたが、放課後になればその眠気は驚きの速さでどこかへ飛んでいく。

「燿ちゃん、今日は部活だよね?」

「おう。お前は? 手芸部行くのか?」

「今日は委員会の方に出なきゃならないんだ」

 蒼波は小さいころから花が好きだったこともあって、中学生の時も高校に入ってからも園芸委員をしている。校内の花壇の管理が主な仕事だと聞いた。季節の変わり目なので、花がらを摘んだり肥料をまいたりと仕事はたくさんあるのだろう。

「なら終わったら帰ってろ」

「そうする。じゃあ、行くね」

 それでも恐らく燿の所属する陸上部の練習よりは、園芸委員会の集まりの方が早く終わると判断してそう告げる。蒼波は少し残念そうな表情を浮かべながら教室から出て行った。蒼波を見送った燿も部室に行くために、急いで鞄に教科書とノートを詰め込む。

 部室で競技用ウェアに着替えた燿は、グラウンドに出るとひとつ伸びをした。蝉の声がずいぶん小さくなってきたように思えるけれど、太陽はまだ眩しく肌を刺すように照っている。

 着替えているときに今日は各自が決めている練習メニューをこなすようにと指示された。短距離を専門としている燿は、スタートダッシュと加速走に重点を置いたメニューの日だったので、頭の中でイメージしながらまずは入念にストレッチを行う。

 前屈をしたのち上体を大きく反らせると、空が見えた。ふと、今朝蒼波が拾っていた水色のビー玉のことを思い出す。

 蒼波ははたから見ればガラクタのようなものでも、きれい、かわいいと言って集めるのが好きだ。それは小石やどんぐり、落ち葉だったり、コンビニエンスストアで売られているお菓子のオマケだったり、ボルトやナットだったりすることもある。すべて丁寧に汚れを落として空き瓶に入れて部屋に飾られているので、蒼波の部屋はガラス瓶だらけだ。さらにそこへ蒼波の両親がお土産としてガラス細工をはじめとする海外の工芸品を与えるので、とにかく蒼波の部屋にはものが多い。そして学校の行き帰りに歩いている間が、蒼波にとっては宝物探しの時間なのだ。

 燿には蒼波の美の基準はよく解らなかったが、否定する気持ちは一切ない。むしろそんな風にものをいつくしむことができる蒼波をすごいと思っていた。

「室橋ー! 準備にいつまでかかってるんだ!」

「はい! 今行きます!」

 部長の声にはっとなった燿は、頭の中を占めていた思考を追い出す。練習のときに別のことを考えるのは性に合わなかった。

 まずは四百メートルを流して走り、その後ラダートレーニングを行って、スタートダッシュ三十メートルを三本、五十メートルを二本こなす。さらに加速走というトップスピード向上のための練習や計測、体幹トレーニング、クールダウンまでみっちりと行った。気づけば辺りは夕焼けに包まれ始めている。

「よし、今日は上がれ!」

 練習終了を告げるた部長に「お疲れ様でした」と一礼して、トレーニングに使用した器具を片づけた。部室にはシャワーがついていて、先輩から順に使用できることになっている。

 シャワーを浴び終わると燿の腹がぐうと音を立てた。補給食は摂っていたものの、早く夕食を食べたい。燿は急いで身なりを整え帰路についた。

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  • ガラクタはキラキラ   Ⅰ-6

     帰宅した燿は鞄を部屋に投げ込むと、制服のままリビングへ向かう。母親が呆れたと言わんばかりの声を出した。「燿、着替えてきなさい」「腹減ってんだよ」「でも、蒼波くんがまだよ?」「はあ!? あいつまたか!」 燿はがっくりとうなだれる。時計を見ると午後七時半を少し過ぎたところだ。委員会などとうに終わっている時刻である。 このように蒼波が遅くなるのは、決まって燿と別々に帰る日だった。「俺、ちょっとその辺見てくるわ」「だから着替えなさいって」「わーったよ」 部屋へと戻ってTシャツと黒のデニムパンツに着替えた燿は、スマートフォンをポケットにつっこみ、蒼波を迎えに行くため家を出る。「今日はどこにいるんだか」 スマートフォンを耳に当てながら近所を歩いてみるが、コール音は聞こえているものの蒼波が出る気配はなかった。別に蒼波は迷子になっているわけではない。その点は心配する必要はなかった。ただ、例の宝物探しに夢中になってしまうのだ。 ふいに今朝、蒼波がどのコースを走っているのかと訊いてきたことを思い出した。「あいつ、もしかして」 蒼波は恐らく朝に燿が立ち寄った公園にいる。燿はそう直感した。公園まで行くには時間的なことを考えると走らなければならない。部活を終えてくたくたの燿は気が重かった。それでも足は不思議と軽やかに動く。 日が落ちて薄暗くなった住宅街を走り抜け公園まで行くと、やはりそこに蒼波はいた。何かを見つけたのかビー玉を拾ったときのように茂みの前にかがみこんでいる。「蒼波! あーおーば!」「燿ちゃん」 驚く蒼波のそばまで行くと、かがんでいる蒼波の前になにやら光るものが落ちているのが見えた。「どうした? それ、持って帰らないのか?」「うん……迷ってて」 燿は手を伸ばして光るそれを拾い上げる。おもちゃの指輪だった。こんなに蒼波が喜びそうなものはない。それなのに何を迷うのかと燿は首を傾げた。「なんで? 持って帰ればいいだろ」「だって、これは誰かの大事なものかもしれないから」

  • ガラクタはキラキラ   Ⅰ-5

     燿は午後の授業でも食後の眠気と戦っていたが、放課後になればその眠気は驚きの速さでどこかへ飛んでいく。 「燿ちゃん、今日は部活だよね?」 「おう。お前は? 手芸部行くのか?」 「今日は委員会の方に出なきゃならないんだ」  蒼波は小さいころから花が好きだったこともあって、中学生の時も高校に入ってからも園芸委員をしている。校内の花壇の管理が主な仕事だと聞いた。季節の変わり目なので、花がらを摘んだり肥料をまいたりと仕事はたくさんあるのだろう。 「なら終わったら帰ってろ」 「そうする。じゃあ、行くね」  それでも恐らく燿の所属する陸上部の練習よりは、園芸委員会の集まりの方が早く終わると判断してそう告げる。蒼波は少し残念そうな表情を浮かべながら教室から出て行った。蒼波を見送った燿も部室に行くために、急いで鞄に教科書とノートを詰め込む。  部室で競技用ウェアに着替えた燿は、グラウンドに出るとひとつ伸びをした。蝉の声がずいぶん小さくなってきたように思えるけれど、太陽はまだ眩しく肌を刺すように照っている。  着替えているときに今日は各自が決めている練習メニューをこなすようにと指示された。短距離を専門としている燿は、スタートダッシュと加速走に重点を置いたメニューの日だったので、頭の中でイメージしながらまずは入念にストレッチを行う。  前屈をしたのち上体を大きく反らせると、空が見えた。ふと、今朝蒼波が拾っていた水色のビー玉のことを思い出す。  蒼波ははたから見ればガラクタのようなものでも、きれい、かわいいと言って集めるのが好きだ。それは小石やどんぐり、落ち葉だったり、コンビニエンスストアで売られているお菓子のオマケだったり、ボルトやナットだったりすることもある。すべて丁寧に汚れを落として空き瓶に入れて部屋に飾られているので、蒼波の部屋はガラス瓶だらけだ。さらにそこへ蒼波の両親がお土産としてガラス細工をはじめとする海外の工芸品を与えるので、とにかく蒼波の部屋にはものが多い。そして学校の行き帰りに歩いている間が、蒼波にとっては宝物探しの時間なのだ。  燿には蒼波の美の基準はよく解らなかったが、否定する気持ちは一切ない。むしろそんな風にものをいつくしむことができる蒼波

  • ガラクタはキラキラ   Ⅰ-4

    *** 午前の授業の終わりを告げるチャイムが燿の意識を浮上させる。購買に向かう生徒もいるせいか、教室の中は一気に騒がしくなった。  燿がぼんやりとしたまま弁当の包みを取り出していると、後方の席の蒼波が弁当を抱えて小走りに寄ってくる。 「お腹空いたね」 「ん」 「燿ちゃん、今の授業寝てた?」 「まあ、ちょっとな。あとでノート写させてくれ」  教師の声を子守唄代わりに眠り込んでいた燿に蒼波は気づいていたようだ。百八十センチを超える身長の持ち主である蒼波は自然と後ろの席に配置されてしまうため、燿の姿が見えていたのかもしれない。別に知られたからといって困る相手でもないので、ノートを借りる約束を取りつける。蒼波はうんうんとうなずいて燿の向かいに腰かけると弁当を広げ始めた。  弁当は燿の母親のお手製で二人とも中身は同じである。中学生のときにはこの弁当が原因となり、付き合っているのかとか同棲しているのかとか、くだらないからかい方をされたものだ。高校に入りたてだった去年の春にもクラスメイトたちがどよめいたが、燿の方に相手をする気がなかったこともあってすぐに騒動は収まった。気の弱いところのある蒼波はあわあわしていたけれども。 「今日は肉がいいっつったのに」 「ハンバーグも肉じゃない?」 「塊の肉が食いたかったんだよ」 「ハンバーグも塊だけど?」  他愛のない会話を交わしながら弁当を食べる。購買から戻って来たクラスメイトの辻山が燿たちの会話を聞きつけたらしく、笑いながら「確かにハンバーグは肉の塊」と蒼波の髪の毛をかき混ぜ通り過ぎて行った。 「なにするんだよ、もう」  乱れた髪を整えようとしてさらにひどい状態にしている蒼波に、燿は仕方なく向かいから身を乗り出す。 「やってやるから」  緩く髪をすいてやると心地よかったようだ。燿には目を細めている蒼波がまるで大きな猫みたいに思えた。  すると蒼波の頭をぐしゃぐしゃにした辻山が、少し離れた席から声をかけてきた。 「お前らほんっと仲いいよな」 「まあ、十七年の付き合いだし」  燿が簡潔に答えると、蒼波が突然顔を上げる。そして大

  • ガラクタはキラキラ   Ⅰ-3

     自宅ではできたての朝食がテーブルに並べられていた。燿の父親はすでに出勤してしまったらしく、テーブルに着いているのは小学三年生の妹、煌だけだった。 「かーちゃん、蒼波来たから」 「はーい。蒼波くん、おはよう」 「おはようございまーす」  燿はスープをテーブルへと運ぶ。その間に母親が全員分のサラダを取り分けてくれた。  蒼波は煌の話し相手をするのがここでの役目だ。なにせ煌は蒼波が大好きで、兄の燿によりも懐いている。昨日の夜も話をしただろうに、今朝もテレビ番組や本についてとりとめなく話していた。 「煌、俺ら遅刻しそうなんだ。蒼波に食わせてやれ」  話をするばかりで食べるのがおろそかになっている蒼波を見かねて、燿は煌にそう頼んだ。煌もすぐに気づいたのか「ごめんね」と慌てて自分の皿に視線を落とす。 「夜にまた話そうね、煌ちゃん」  蒼波はにっこりと笑って食事を進めた。断り切れずに話に付き合ってしまうのが蒼波らしいなと思いつつも、なにかが喉の奥につかえているように感じられる。燿はハムエッグを頬張りながら、今朝も母親の目を盗んでミニトマトを蒼波の皿へと放り入れた。 「行くぞ、蒼波」 「ちょっと待って。これ食べてから」  燿が声をかけると蒼波は慌てた様子でミニトマトを口に入れ、鞄を手に立ち上がる。どうにか本日の遅刻は回避できそうだ。しかしそれはまっすぐ学校に行くことができればの話に限る。燿は学校までの道のりを思って、少し暗い気持ちになった。  家を出た二人は速足で駅に向かって歩き出す。高校までは最寄りの駅から電車で五駅、そこからは再び徒歩で十分ほどと通学環境には恵まれている方だった。利用している路線は電車の本数も多い。燿にとっての問題は家から駅までと、駅から学校までを歩く時間にあった。 「待って、燿ちゃん!」  蒼波の弾んだ声がする。振り返れば予想通り蒼波は道端にしゃがんで何かを拾っていた。急いで引き返し、蒼波の制服の襟首をつかんだ燿は、自分より十センチも背の高い蒼波を無理やり立たせる。 「ダメだ! 今日はダメだ!」 「ええ。だってほら、空みたいなんだよ?」  

  • ガラクタはキラキラ   Ⅰ-2

     燿はペース配分もなにもかもを吹っ飛ばした走りで家まで戻った。そのまま二階の自分の部屋へ制服を取りに行き、階下のリビングを突っ切る。 「おはよう、燿」 「はよ、かーちゃん」 「蒼波くんはまた寝坊なのね」  キッチンからのんびりと母親が声をかけてきた。燿は軽くうなずくと、シャワーを浴びるために浴室へ飛び込んだ。  汗を流し短めの黒髪にざっとドライヤーをかけて制服を着る。そしてまたもドタバタと家から飛び出し隣へと走った。渡されている合鍵で勝手に上がり込み、蒼波の部屋のドアをたたく。 「蒼波! 起きてるか!」 「んー」  これはダメだと判断した燿は、部屋に押し入った。  カーテンの隙間から朝日が射し込んでいる。それが飾り棚に並べられた瓶や小物に反射して、部屋の中は美しい光に彩られていた。  一瞬見とれていた燿だったが、そんな場合ではないと頭を振ってベッドに近づく。眠っている蒼波に声をかけても起きる気配はなかった。仕方なく布団の塊をバシバシと殴って名を呼び続ける。すると、ようやく目を覚ましたのか蒼波がひょっこり顔を覗かせた。 「燿ちゃん、おはよ……」 「おはよじゃねぇよ。遅刻するぞ」 「着替える」 「先に顔洗って、その爆発してる頭なんとかしろ」  蒼波がきょとんとした顔で自分の茶色くふわふわとした髪の毛に触れる。カールがかったクセのある蒼波の髪の毛は、毎朝跳ね放題で寝ぐせがひどい。 「なんとかしてみるよ」 「俺、水一杯もらうわ」  喉が渇いたと燿は感じていた。そういえばシャワーを浴びてから水分補給をしていない。それなのに走ってきたのだから仕方ないと思って、勝手知ったるなんとやらで、キッチンへ行こうとした。  そんな燿に蒼波は顔を輝かせて嬉しそうに笑う。 「待っててくれるの?」 「どうせウチで飯食うだろ?」 「うん。じゃあすぐ支度するね」  洗面所に消えていく蒼波を見送り、燿は棚からグラスを出して水を飲んだ。朝からひと仕事終えた気持ちだった。  高遠蒼波は室橋燿の幼馴染みである。生まれた時から一緒に過ごしてきた。蒼波の両親は海外での仕

  • ガラクタはキラキラ   Ⅰ

     早朝の住宅街は静寂に包まれていた。聞こえるのはアスファルトを蹴る自分の靴音と息遣い、それから鳥のさえずりだけだ。 九月に入っていくぶん涼しく感じられ、走りやすくはなってきている。燿はこめかみを伝う汗をこぶしで拭った。「そろそろか?」 どうにも長距離を走るのは苦手なので、休憩を入れながらのランニングが燿の日課である。ぽつりと漏らした独り言に応えるかのように、二の腕にバンドで固定したスマートフォンのアラームが鳴った。丁度いつも立ち寄る公園の入り口に差しかかっていることもあって、燿は足を止める。 アラームを切って自動販売機でスポーツドリンクを購入しベンチに腰かけた。息を整えることなくスマートフォンを操作して、画面に表示された『蒼波』の文字をタップしてから耳へと当てる。 相手はなかなか出なかった。もっともすぐに返事をするような相手なら、わざわざ毎朝この時間に起こしてやらなくてもよいので、またかと思いつつ根気よく待つ。上がっていた息がこの待ち時間で自然と落ち着くことを燿は知っていた。『……おあよう』 やっと通話状態になった電話の向こう側で、衣ずれの音と共に蒼波のかすれた低い声が朝の挨拶をつむぐ。「おはよ。目、覚めたか?」『なんとか。今日はどこ走ってるの?』「公園のコース」 スポーツドリンクを煽りつつ答えると、蒼波が大きな欠伸をしているのが聞こえた。「おい、二度寝すんなよ!?」『らいじょーぶ』「蒼波!」 無言になってしまった蒼波は明らかに大丈夫ではない。燿は通話を終了させると、今来た道を再び走って戻り始めた。家に帰ってシャワーを浴び、身支度を整えてから蒼波をたたき起こしに隣家へと乗り込まなくてはならない。果たして遅刻を免れるだろうか。

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