幼い頃、近所で仲の良かった女の子と結婚の約束をした葩御(はなお) 稜(りょう)はモデルを経て、俳優として自分を使ってもらうべく、仕事の関係者と闇の交渉で役をもらい、徐々に人気をあげた。 幼馴染の事を探偵に調べてもらい、自分のCMが放映されるタイミングでふたりの前に現れた陵。圧倒的な存在感を放ちながら幼馴染鈴木理子の許婚と称して意表を突き、彼女の手首を強引に掴み寄せ、痛みを感じさせるキスをしてその場を去る。 計画的に彼女に近づきつつ、すべてを手に入れようと画策する陵の思惑を超えたなにかが、彼を翻弄することになる。
View Moreひと仕事を終えたあとに、時間指定で呼び出された高級ホテルのスイートに足を運ぶ。部屋のインターフォンを鳴らすと相手はすぐに扉を開けるなり、満面の笑みを浮かべて俺の肩を抱き寄せ、高級感漂う室内に誘った。
俺を見つめる視線から、値踏みするような感じが漂っていたが、それを無にするために、持っていたクリアファイルを相手の目の前に突きつける。 「む? なんだこれ?」 「これからおこなうことについての契約書だよ、森さん」 肩に触れている手を払い退けて、目についたソファに腰を下ろす。仕方なさそうな顔をした森さんも、向かい側にあるソファに座った。そして手渡したクリアファイルから契約書を引っ張り出し、ザッと目を通してから、訝しそうに俺を見つめる。 「こんなことも契約って、なにを考えてるんだ?」 「俺にとって、芸能界での仕事がかかっているからね。裏切られないようにするための手段ですよ」 「この俺が、裏切ると思っているのか?」 森さんはくだらないと言わんばかりに契約書をクリアファイルごと、テーブルに放った。バサッという無機質な音が最初からなにもなかったように、スイートの室内に溶け込む。 「森さんだってわかってるでしょ。芸能界に長くいれば裏切りはもちろんのこと、いきなりの解雇や身に覚えのないネタを、週刊誌に売られたりするとか」 「まあな……」 「モデル出身の俺が森さんにたどり着くまでの苦労を、少しだけ考えて欲しいんだけどな」 肩まで伸びた黒髪を耳にかけ、ニッコリほほ笑んで立ち上がり、森さんの傍にしゃがみ込む。 「契約書の内容は、森さんの喜ぶことばかりがプリントされているのに、契約に応じない感じですか?」 上目遣いで質問した俺に、森さんは顔色を一切変えずに低い声で口を開く。 「俺が断ったら、次はどこの誰を相手にするんだ?」 質問を質問で返されたものの、訊ねられたセリフは想定内のものだった。困惑の表情を作り込むために眉根を寄せ、瞳を潤ませながら少しだけ震える口調で告げる。 「森さんよりも有能なプロデューサーなんて、この俺が見繕えるわけがないのに。意地悪なことを言わないでくださいって」 言いながら森さんの利き手を掴み、頬に擦り寄せて熱い吐息を吹きかける。ついでに流し目をして、手のひらにキスを落とした。これで俺のヤル気が伝わったら、こっちのものだ。 「……これに署名すればいいのか?」 少しだけ掠れた声に変化したことで、あと少しで落ちるのがわかり、森さんの利き手を両手で包み込んで強く握りしめ、押しの一手を使う。 「ほかにオプションを付け足したいとかあれば、遠慮なく言って。どんなことでも、快く応じてみせるよ」 「どんなことでも、か?」 下卑たまなざしが、俺の全身を舐めるように這う。これまでいろんなコトをしてきた俺だから、どんな注文をされても平気だった。 「その体で、どこまで俺を狂わせるつもりだ?」 森さんが掠れた声で呟き、俺の肩を強く掴む。 「どんなことでもやってみせるけど、それに見合う仕事をくれないと、俺はどこかに行っちゃうかもです」 敬語とタメ口の両方を絶妙に使い分け、交渉相手を翻弄するのはいつもの手口。裏取引に慣れているお蔭で、どんなトラブルが起きても対処できる。 「わかったわかった。清涼飲料水のCMで使えそうな役者がいないか、知り合いから頼まれていたところさ。それなりに知名度の高い商品のCMだが、どうだ、やってみるか?」 「やる! テレビに出られるのなら、CMだってかまわない」 「そんなに有名になりたいのか?」 「なりたいさ。有名になって結婚の約束をした、幼馴染の女のコを迎えに行くんだ」 俺の返事を聞いた森さんは、呆れた表情をありありと浮かべる。 「そのためだけに俺と関係を持つなんて、実際信じられない話だな」 「彼女が俺のやってることを、知られなければいいだけなんだって。それよりもCMの話、今ここで進めてくれなきゃ、俺はなにもしないからね」 包み込んでいた森さんの手を放し、座っていたソファに戻って、わざと距離を置いた。 「わかった、知り合いに電話する。ちょっと待ってろ」 森さんがスマホで相手に連絡しているのを見ながら、これまで自分が辿った過去の出来事を思い出す。 ここまでくるのに、どんなに長かったことか。思い描いたように、うまく人生が進まなかった。回り道を繰り返した挙句に手酷い仕打ちに遭って、何度も諦めかけた。 それでも諦められなかったのは、心の奥底に彼女の笑顔が残っていたから。雑踏の中に紛れていても彼女を見つけ出せたのは、昔と変わらない、純粋でキレイなままの君がそこにいたお蔭だよ。 俺は目に映るもの、すべて手に入れる。だからそのまま、そこにいてほしい。じっくり見極めて、君の心の中に忍び込んであげる。*** 彼に連れて来られたマンションは、理子さんの勤めている会社に意外と近く、歩いて十分ほどの場所にあった。「はいはーい、ここが俺ン家です。マンションの最上階のイイとこに住んでますって自慢したいんだけど、貧乏モデルの駆け出し芸能人なんで、三階に住んでるんだ。相田さんは遠慮しないで、エレベーターを使って。俺は健康のために階段で行くからさ」 言いながらエレベータの昇降ボタンを押してくれたのだが、彼に合わせて階段を使うことにした。日頃から営業で出歩いているので、三階までの階段なんて正直余裕だった。 息を切らさずに彼の後ろを無言でついて行くと、「負けずキライなんだねぇ」とどこか楽しそうに言いながら、肩まで伸びている黒髪を揺らした。「相田さんって呼ぶのなんだか堅苦しいから、リコちゃんと同じく克巳さんって呼んでもいい?」 鍵を差し込みながら窺うように訊ねられ、思わず眉根を寄せた。 初めて彼の口から自分の名前を呼ばれた瞬間、馴れ馴れしくて嫌なヤツという認識を示すべく、眉根を寄せて不快感を表してみたのに、さっきから笑みを絶やさない彼の心情が掴めずにいる。(コイツはいったい、なにを考えているんだろうか――)「エリートな克巳さん家と違って、俺の家は狭いところだけど、どーぞあがってください」 考えあぐねているところに話しかけられたので、恐るおそる入ってみると、自分の家の広さと違いのない1DKの部屋だった。「稜くん、俺はエリートじゃないですし、家の広さも同じくらいですよ」 向こうが名前で呼ぶなら、こっちも呼んでやれと考え、思いきって告げた俺の言葉に、印象的な瞳を一瞬だけ見開いて、どこかくすぐったそうに笑った顔が、さっきまで浮かべていた笑みと違うなと思った。心の底から笑ったと表現すべきなのか、それとも素直な笑みというか。 芸能界という華やかな場所で仕事をしているから、笑うなんてことは彼の中では当たり前だろうが、テレビで見ることのできないその笑みが、なぜだか心に残ってしまった。「へえ~、同じくらいなんだ。克巳さんって有名銀行にお勤めだから、てっきりすごいトコに住んでいるんだと思ってた。ああ、そこのソファに座っててください。今、コーヒー淹れますね」 「……おかまいなく」 彼から視線を外して、指定されたソファに座るべく、躰の向きを変えた途端に、それが目に飛び込んで
探偵が入念に調べてくれたリコちゃんの行動履歴をもとに、仕事が終わった彼女が彼氏と待ち合わせしている場所――リコちゃんが勤めている会社前にあるカフェに向かうと、店先でスマホを眺める姿が目に留まった。 大事な彼女を心配した彼氏が、なにかあったときにすぐに対処できるところを待ち合わせ場所にしたのだろう。 適度に人が行き交う歩道から、理子ちゃんの背後にうまいこと回り込む。熱心にスマホの画面に視線を注ぐ彼女の文面を覗き見たあとに、形のいい耳元に顔を寄せて口を開く。「ラブラブなメッセージを、これから送信しちゃうのかな?」 耳元にふわりとかかる吐息に感じたのか、リコちゃんは体をビクつかせながら振り返った。大きな瞳が俺を認識した瞬間に、頬が真っ赤に染まる。「あはは、リコちゃんってば驚きすぎだよ。てか、俺にドキドキしてくれたとか?」 この間と同じようにサングラスをかけて、白いシャツにジーンズというラフな格好で現れた俺にときめいてくれるなんて、リコちゃんってば純情だな。 見入っていたスマホを胸に抱えながら、じりじりと俺から後退りしていく。「やだなぁ、リコちゃん。そんな顔してたら、彼氏に嫌われちゃうって」 かけていたサングラスを外してワザとらしく肩を揺すり、通りの向こう側を指差した。それに従うようにリコちゃんが振り返ってそこを見ると、信号待ちをしている恋人が心配そうな表情で、こっちをじっと見つめる。「大好きな彼女の一大事に、必死になって走ってきました! ぎりぎりセーフで、息を切らしながらご到着♪」 楽しげに実況中継をした俺の前に、仲良さそうに並んで立ったふたりに向かって拍手をしてやる。「葩御さんっ――」「稜って呼んでください、相田克巳さん。俺よりも年上なんですから、どうぞ遠慮せずに」「どうして名前を知って……」 眉根を寄せた恋人が顔色を青ざめさせながら、リコちゃんを大きな背中に隠した。今頃リコちゃんを隠す遅すぎる対応があまりに滑稽で、笑いだしたくなる。それを隠すべく肩にかかる黒髪を格好よくなびかせて、返事をしてあげた。「だって敵のことを知っておかないと、戦略が立てられないじゃないですか。恋は戦争なんですよ。攻め落とした方が勝ちなんだから、ね。守ってばかりいると、その鉄壁をぶっ壊して、リコちゃんをさらいますけど」 恋人の相田さんよりも俺のほうが背が低か
*** リコちゃんに逢った後、森さんの住む高級マンションに来ていた。久しぶりのオフだったけど今すぐに来いと呼び出されてしまったので、仕方なく出向くことになったけれど、気分がよかったので足取りは軽かった。(足取りだけじゃなく上下させる腰まで軽かったなんて、信じられない事実だけどね) 契約書に沿った濃厚な情事を終えて、先にシャワーを浴び、バスローブを身にまとった俺がベッドルームに顔を出すと、煙草を美味しそうにふかした森さんが饒舌な口調で話し出す。「どうしたんだ、今晩は前回よりも積極的に腰を振って。なにか良いことでもあったのか?」 室内を淀ませる紫煙に視線を飛ばしながら、口角を上げて教えてあげる。「CMの放映に合わせて、彼女と逢うことができたんだ。彼氏と一緒だったけど俺が登場したことで、いい感じに不仲にさせてやった」 予想通りの展開に、ムダに躰が疼いてしまったのは必然だろう。 森さんはつけたばかりの煙草の火を消し、突っ立ったままの俺を抱きしめる。モデルの俺よりも背が低い彼の吐息が耳にかかって、変な声が出そうになった。「まだ帰るなよ。午前0時まで、あと20分近くあるじゃないか」 契約書には、午前0時以降のお誘いはダメって記載している。次の日の仕事に影響を与えたくないのが理由のひとつだけど、こうしてギリギリまで粘る客がいるのも事実。 そして昼間の出来事で、俺の躰が疼いてしまっているのがヤバい。「ヤりたくて興奮してるだろ。ちょっと触っただけで、こんなになって」 イヤらしい笑みを浮かべた森さんが後ろに移動し、バスローブの隙間に手を突っ込んで、俺自身と中の両方を煽るように卑猥なお触りをした。「ンンっ……ふぁ、ぁあ! ソコっ、ヤバイって! あぁあん!」 好きでもない男に触れられただけで簡単に躰に火がついてしまう、己自身を恨まずにはいられない。「ほらほら。俺を欲しがって、指を締めつけてるじゃないか。イヤがってるクセに、腰が微妙に動いてる」 森さんは豪快に笑うと、俺をそのままベッドにうつ伏せで押し倒し、バスローブを捲りあげて、秘部にローションを垂らす。その冷たさに身を縮こませる間もなく腰を持ち上げられて、強引に挿入されてしまった。「ぁあっ、やぁ、森さんっンンン!! あぁ、もう! っう――」 室内にはぐちゅぐちゅというローションの水音が響き渡り、互い
「理子さん、さっき見たCMは今日から放映予定だったみたいだよ。えっと彼の名前は、葩御 稜(はなお りょう)だって。珍しい漢字を使っているから、多分芸名だろうなぁ」 俯いた彼女が見えやすいように、スマホの画面を手元で見せてあげる。スマホの画面には、上半身裸姿で寝転がりながらこっちを見ている写真と一緒に、プロフィールが詳細に掲載されていた。「稜、りょう……稜くんっ!?」 理子さんは彼の名前を呟いたと思ったら、いきなり立ち上がって部屋を移動して、寝室のクローゼットの扉を開け放ち、奥にあるダンボールを慌てて引っ張り出した。「理子さん、それは?」「普段、使わない物をしまってあるんです」 言いながらガムテープをバリバリと引き剥がし、中からアルバムを一冊だけ取り出した。表紙を捲ったら、かわいらしい女の子の写真がたくさん貼られているのが目に留まる。「わぁ、これは理子さんが子どもの頃の写真だね。どれもかわいいなぁ」 嬉しそうに感想を述べた俺を尻目に、理子さんは必死に彼が映っている写真を捜す。分厚いアルバムをパラパラめくって、半分くらいきたときに。「いたっ! このコよ、さっきの彼!!」 その写真はランドセルを背負った幼い理子さんを、どこか羨ましそうに見つめている小さな男の子の姿だった。サラサラの黒髪は今と違って、短く整えられていても、幼いながら整った顔立ちはあまり変わらない。「羨ましいな。こんな頃からカッコイイんだから、彼は人気者だったろう?」 本音を告げた俺の言葉に、理子さんは首を横に振った。間違いなくモテそうな容姿なのに、どうしてだろうと首を傾げてみせると、理子さんはアルバムを閉じて瞼を伏せる。「それがね、友達がいなかったの。小さい頃から子供服のモデルをしていて、そのことをネタによくからかわれていたなぁ。そんな小さい稜くんがかわいそうで、意地悪しているコを見つけ私はよく怒っていたっけ」「なるほど。年上の理子さんはかわいそうな彼のことを思って、結婚の約束をしたんだ?」 アルバムの表紙から理子さんの顔に視線を移しながら、意味深な上目遣いで彼女を見つめた。「約束したことを、なぜだか思い出せなくって。私から見たら稜くんは、かわいい弟のような存在だったから」「だけど彼は本気で、君を狙って逢いに来ていたよ。CMのオンエアに合わせて俺たちの前に登場したじゃない
*** 気落ちしたまま理子さんと一緒に、彼女の自宅に帰り着いた。「克巳さん、とりあえずお茶を淹れるんで、そこに座って待っていて」 無理やり笑顔を作った理子さんが、俺の背中を押してソファーに座らせてからキッチンでお茶を淹れはじめる。 会話のない静まり返った状態に居心地の悪さを感じ、目の前にあるテーブルの上に置いてあったリモコンを手に取って、キッチンにいる理子さんに声をかける。「理子さん、テレビつけてもいい?」「あ、どうぞ。好きに使ってください」 思いきって声をかけた俺に、理子さんはさっきとは違う自然な笑みを浮かべて答えてくれた。 気遣いのできるあたたかい彼女に感謝しつつ、テレビの電源をつけて、ぼんやりと画面を眺める。テレビは今日のニュースが流れていて、社会情勢など仕事の関係で頭に入れておきたいことが話題になっていた。 キャスターたちが熱心に口にする情報を覚えておかなければと思うのに、さっき出逢った彼のことが脳裏を過り、流れていく大切な内容が頭の中に入ってこない。「本当に情けない彼氏だと、俺でも思う……」 彼氏の俺がいる前で理子さんに手を出された状況だというのに、守るどころか声すら出せずに見てるだけなんて、誰もいないも同然だろう。 手にしたリモコンをテーブルに戻し、額に手を当てて大きなため息をついたその瞬間、聞き覚えのある声が耳に届いた。『君を知ってから、もう他のモノはいらなくなりました……』 その声に導かれるように画面を見たら、脳裏に焼きついた彼の顔がテレビに映し出されていることにハッとする。「理子さんっ、彼が出てる!!」 俺の呼び声に理子さんはキッチンから走ってやって来て、同じようにテレビの画面に釘付けになった。 そこには肩まで伸ばしたクセのない髪を艶やかに揺らしながら、印象的な瞳を細めて、どこか切なそうな面持ちをしている、さっき逢ったばかりの彼が、テレビのCMに堂々と出ていた。『さぁ、僕の渇きを君の力で癒しておくれ!』 掠れた声で言い放つとコインを三枚自動販売機に投入し、細長い指でボタンを押す。すぐに落ちてきたペットボトルを優雅に手にとり、素早くキャップを空けて喉を鳴らしながら飲む姿に、ふたりそろって声を出せずに見入ってしまった。 生で逢ったときも思ったが、動きの一つ一つに妙な色気があって、なぜだか彼から目が離せなくなる。
「ちょっ、なにするの!?」 俺から逃れるように腕を引っ込めたリコちゃんは、びっくり眼で手首に見入る。彼氏は俺らの様子をポカンとしたまま眺めるだけで、言葉すら発することがなかった。 だからあえて、こちらからアクセスする。「カレシさん知ってる? キスする場所には、深い意味があるんだよ。唇は愛情、首筋は執着、そして手首はなんだと思う?」 自分の手首をぷらぷらさせながら、彼氏に視線を注いで質問を投げかけた。「すみません。そういった雑学的知識は、自分はさっぱりなもので」 残念なセリフに反応するように、ニッコリほほ笑んで答える。「答えは欲望だよ。いずれアナタから、リコちゃんを奪っちゃうからさ」 彼氏の唇が開きかけた刹那、リコちゃんが怒った表情のまま一歩前に進んで俺に近づき、声を張りあげる。「勝手なことを言わないで! 私は克巳さんと別れるつもりはないし、見ず知らずの礼儀のない人と、付き合うワケがない!」 わざわざ俺に近寄ってくれたことが嬉しくて笑いかけたら、リコちゃんは怒りに目を血走らせた。(ここは俺を優位に見せる場面。痛いところをここぞとばかりに突いて、彼氏の立場を失脚してもらおうか) 怒り心頭を露わにするリコちゃんから視線を逸らし、彼氏に向かって口を開く。「その見ず知らずの礼儀のない人からぁ、大事な彼女の手首にキスマークを堂々と付けられてぇ、ぼんやりしてるカレシって、いったいなんだろうって、俺は思うけどねぇ」「……なっ!?」 俺から現状を指摘された彼氏は、悔しさを滲ませた顔面を隠すように、がっくりと俯いた。 モデルの俺よりも背が高いゆえに目立ってしまうせいで、俯いたところで第三者からは感情が見て取れてしまうことに、気づいていないらしい。リコちゃんは哀れな彼氏を、気遣う感じで寄り添う。 肩まで伸びた長い髪をかきあげながら、会心の笑みを湛えて彼氏に声をかける。「せいぜい、しっかり者のリコちゃんに慰めてもらえよ優男」 現れたとき同様にサングラスをかけて、わざと彼氏にぶつかり、颯爽と通り過ぎてやった。「克巳さん大丈夫? なんかいきなりの展開で、隙を見せてしまった私が悪いの」「いや……彼の言う通りだよ。俺がしっかりしていなかったのが悪かったと思う。今度彼が来たら、きちんと話し合うから安心して」 わざとゆっくり歩いていたら、ふたりの会話が背後
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