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クスノキの嫁入り箱を失った日、私は家族を捨てた

クスノキの嫁入り箱を失った日、私は家族を捨てた

作者:  ニタマゴ已完成
語言: Japanese
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9章節
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故事簡介

逆襲

ひいき/自己中

家族修羅場

原家族問題

私が生まれた地元では、娘が生まれた年にクスノキを1本植える風習がある。 そして娘が嫁ぐときには、その木で大きな嫁入り箱を2つ作り、布団や衣類などの嫁入り道具を詰めて持たせる。 箱も、中身もきちんとそろえて婚家へ運ぶことが、娘を送り出す家の務めとされていた。 嫁入り箱は、夫婦と同じように2つで一組とされ、2人が末永く寄り添って暮らせるようにとの願いが込められている。 私、森川美月(もりかわ みづき)と、双子の妹である森川陽菜(もりかわ ひな)は、2週間後の同じ日に、それぞれ結婚式を挙げることになっていた。 兄の森川拓海(もりかわ たくみ)は、出来上がった大きな嫁入り箱を2つ、重そうに家の中へ運び込んだ。 「陽菜、できたぞ。お前の嫁入り箱だ」 陽菜は目を輝かせた。母は目を細め、もうすぐ嫁いでいく娘の髪をそっとなでた。 「陽菜も、もう結婚する年になったのね。いつの間に、こんなに大きくなったのかしら」 父も眉を寄せ、真剣な顔で言った。 「結婚して、向こうでつらい思いをするようなことがあったら、俺が黙っていないからな」 運び込まれたのは、陽菜の嫁入り箱2つだけだった。誰ひとり、私の分がないことを気に留めなかった。 兄の後ろへ目をやったが、私の箱はどこにも見当たらなかった。 「お兄ちゃん、私の箱は?」 兄は一瞬、言葉に詰まった。私も同じ日に結婚することを、すっかり忘れていたらしい。

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暫無評論。
9 章節
第1話
「陽菜の嫁入り箱を作るのに木材が足りなかったから、美月のクスノキも使っちゃったよ」母は、面倒そうに顔をしかめた。「もう使っちゃったものは仕方ないでしょう。あんたは大きなバッグを2つ買えばいいじゃない。何よ、その不満そうな顔は」陽菜を囲む家族の背中を見ながら、両親が以前、嫁入り箱を作る兄に念を押していた言葉を思い出した。「嫁入り箱は、きちんと作ってあげて。娘の一生のものになるんだから」けれど、その「娘」の中に、私は含まれていなかった。だったら、私のほうから、この家族を捨てよう。「お母さん、見て。箱の縁には、クスノキの葉っぱまで彫ってあるの!」母は陽菜の手を包み込み、少し涙ぐんだ。「陽菜には、これくらい立派な箱が似合うわ。嫁入り支度はきちんとしておかないと、向こうで恥ずかしい思いをするでしょう」母は、粗末な嫁入り箱を持たせれば、娘が嫁ぎ先で肩身の狭い思いをすると知っていた。それでも、私には箱すらなかった。けれど、嫁ぎ先で肩身の狭い思いをするのが私なら、母にはどうでもよかった。父も陽菜のそばへ行き、その髪を撫でた。「嫁入り支度はきちんと整えてある。向こうで何かあっても、無理に我慢するな。つらくなったら、いつでも帰ってくればいい」つい1週間前、父は私にこう言ったばかりだった。「結婚したら、もう向こうの家の人間だ。少しくらい嫌なことがあっても、我慢しなさい」私はリビングの壁際に立ったまま、細かな模様が彫られた箱の留め金を見つめた。握りしめていた拳から、ゆっくり力を抜く。私だって、あなたたちの娘じゃないの?私は喉まで出かかった言葉を、のみ込んだ。聞いたところで無駄だった。子どもの頃から、似たようなことを何度も尋ねてきた。しかし、返ってくる言葉は、いつも同じだった。「そんなことまで陽菜と張り合うの?」そのあとに続く言葉も決まっていた。「陽菜は昔から体が弱いんだから」「あなたはお姉ちゃんなんだから、少しくらい譲ってあげなさい」私たちは双子だ。生まれたとき、私のほうが陽菜より150グラム重かった。たったそれだけで、両親は、姉の私が陽菜になんでも譲るのは当然だと思うようになった。小学生の頃、家計に余裕がなく、夏のキャンプに参加できるのはひとりだけだった。あのときも、母は言った。
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第2話
翌日、ウエディングドレスの試着を終えて帰ると、リビングからにぎやかな話し声が聞こえてきた。陽菜の婚約者、佐久間亮介(さくま りょうすけ)も来ていた。テーブルには菓子や果物が並び、父は普段は使わない来客用の上等な湯のみまで用意していた。両親は、亮介が来るたびに手厚くもてなした。結婚してからも陽菜を大切にしてもらいたい、その一心だった。私の婚約者のこととなると、両親が知っているのは、黒瀬航平という名前と写真で見た顔だけだった。本人とは、一度も会ったことがない。私が両家の顔合わせの話をするたび、母は決まってこう返した。「結婚するなら、いずれ会うことになるでしょう。あんたが選んだ人なら、それでいいじゃない」忙しくて会えないわけではない。私のことなどどうでもいいから、私が選んだ相手にも関心がない。それだけだった。亮介も、帰ってきた私にちらりと目を向けただけで、挨拶もしなかった。まだ陽菜と結婚もしていない亮介にさえ、この家では私をぞんざいに扱っていいと伝わっているらしい。私に気づいた陽菜は、ぱっと顔を明るくした。「お姉ちゃん、ちょうどよかった。お父さんとお母さんが、話があるんだって」私は靴を脱ぎ、リビングへ入った。父が軽く咳払いをした。「美月も帰ってきたことだし、亮介さんもいる。結婚にあたって、何を持たせるか、今日きちんと話しておこう」そう言うと、父は書類の入った封筒を取り出し、陽菜の前へ置いた。「陽菜、結婚祝いにマンションを用意した。名義もお前にしてある」兄も車のキーを取り出した。「これは俺から。新車だぞ」陽菜は目を見開き、封筒とキーを手に取るなり、亮介の腕へ抱きついた。「見て。私には、こんなに大事にしてくれる家族がいるんだから。結婚してから私を泣かせたりしたら、みんなが黙ってないからね!」亮介は笑いながら、その肩を抱いた。「はいはい、分かってる。陽菜は、これからもずっとみんなのお姫様だからな」私がテーブルのそばへ行くと、母はようやくこちらを見た。「美月もお姉ちゃんなんだから、陽菜の結婚祝いくらい用意してるんでしょう?」私のグラスを持つ手が、かすかに震えていた。 「その前に聞いてもいい?私の嫁入り支度には、何を用意してくれたの?」リビングが静まり返った。母は視線をそらし
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第3話
結婚式の1週間前、母が突然、航平に一度会っておきたいと言いだした。驚いた。それでも、ようやく私の結婚にも関心を持ってくれたのかもしれないと、期待してしまった。ほんの少しだけ。翌日の正午、ホテル内のレストランに個室を予約した。航平にも、少し改まった服装で来てもらった。私たちは11時半には店へ着き、個室で家族を待った。午後1時、2時、3時……母に何度連絡しても返事はなく、時間だけが過ぎていった。午後4時を過ぎたころ、ようやく母から返信が届いた。【美月、今日は急用ができたの。また今度にしましょう】ほぼ同時に、家族のグループチャットへ陽菜から写真が送られてきた。【お母さんと一緒に選んだブライダルネイル、きれいでしょう?】写真には、細かなストーンをびっしりとあしらった陽菜のネイルが写っていた。照明を受けてきらきらと輝き、見つめているうちに目の奥がつんと痛んだ。兄はすぐに返信した。【きれいだな。陽菜にぴったりだ】父も続いた。【よく似合ってる。これで準備万端かな】私は震える手で、スマホを伏せた。母の言う急用とは、陽菜のネイルに付き添うことだったのだ。私は、いったい何を期待していたのだろう。期待するほど、自分が惨めになるだけなのに。気持ちを押し隠し、心配そうにこちらを見る航平に首を振った。「大丈夫。料理を出してもらおう」航平は、いたわるような目で私を見つめた。「式の翌日にはスイスへ行こう。もう戻らない」私は小さく笑って、うなずいた。「うん。もう戻らない」……家に帰ると、リビングは足の踏み場もないほど散らかっていた。父も母も兄も、陽菜の嫁入り支度に追われていた。父はクスノキの箱からはみ出した荷物を両手で押し込み、何度もふたを閉めようとしていた。2つの嫁入り箱は、すでに縁までいっぱいだった。床には夏用と冬用の寝具一式が、まだいくつも積まれている。母は入りきらなかった寝具へ目をやり、陽菜に言った。「陽菜、残った分は別に運びましょう」そして私に気づくと、笑みを消して眉をひそめた。「こんな時間まで何をしてたの?もうすぐ結婚式なのに、何の準備もしないで」喉が詰まり、すぐには声が出なかった。「今日、4時まで待ってた」母の顔がこわばった。「急用ができたって連絡
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第4話
結婚式まで、あと3日。家族は朝から慌ただしく動き回っていた。父は親戚や知人へ電話をかけ、「うちの陽菜が結婚するんです」とうれしそうに話している。母は陽菜の嫁入り道具を何度も確認し、何一つ不足がないよう、細かなところまで気を配っていた。兄も、陽菜に呼ばれるたびに駆けつけた。遠方の友人を迎えに行き、買い物を頼まれればすぐに出かけ、文句ひとつ言わない。家中が陽菜のために動くなか、私の結婚式の準備が整っているか、足りないものはないかと尋ねる人は誰もいなかった。玄関の棚には、私の結婚式の招待状が置いてある。嫌でも目に入る場所だった。それでも、この1週間、誰も封を開けようとしなかった。私の式が陽菜とは別の日に変わったことにも、気づいていない。家族は、私の結婚式にも、これから私が幸せに暮らせるかどうかにも興味がないのだ。みんなにとって、私の結婚は陽菜の晴れ舞台に添えられたおまけにすぎない。私は、妹を引き立てるための脇役だった。私は静かに靴を履き、家を出た。航平は、結婚祝いなんて何も用意しなくていい、私さえいてくれればそれでいいと言っていた。それでも、私は気持ちを形にしたかった。結婚指輪のお返しに、腕時計を贈るつもりだった。ところが、会計でカードを差し出すと、店員から申し訳なさそうに返された。「申し訳ございません。残高不足のため、こちらのカードでは決済できませんでした」私はその場で動けなくなった。思い当たることがあり、急に息が詰まった。カードをしまい、すぐに家に戻った。玄関を開けると、母が陽菜の披露宴で配る菓子を袋に詰めていた。私はその袋を脇へ押しやった。「お母さん。私が管理を任せていた口座から、200万引き出した?」家族の視線が、一斉にこちらへ向いた。母は悪びれる様子もなく、まるで私も了承していたかのような口ぶりで、菓子を詰める手を止めずに答えた。「使ったわ。いざというときのために、陽菜へ金のアクセサリーを持たせたかったの。家のお金だけでは足りなかったから、美月の口座から出したのよ」あまりにも当然のように言われ、喉の奥がひりついた。「あれは、私が2年間働いてためたお金なのよ」「家族なんだから、誰のお金かなんて関係ないでしょう?」母は眉をひそめた。「それに、陽菜の結婚支度にお金を
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第5話
航平と迎えの車に乗り、式場へ向かった。到着すると、義母と航平の妹である黒瀬結衣(くろせ ゆい)が、すぐに迎えてくれた。義母は私の手を取り、うれしそうに微笑んだ。「美月さん。やっと家族になれましたね。私にとっては、もう実の娘と同じよ」結衣がうれしそうに身を乗り出した。「私も美月さんのこと、お姉さんみたいに思ってる。でも、呼び方は今までどおり美月さんがいいな。そのほうが慣れてるから」義母は結衣の言葉に微笑みながら、私のドレスの裾をそっと整えた。「航平、美月さんを控室へ案内して。式の前に、少しでも食べてもらわないと。こんなに痩せて……スイスへ行ったら、胃に負担のかからないものを作るから、少しずつ元気になりましょうね」心配するあまり、少し叱るような口調になっていた。その気遣いが、胸にしみた。実家では、私と陽菜が同時に話せば、家族の目が私へ向くことはなかった。その日、初めて知った。私も、誰かに真っ先に気づいてもらえる。痩せた姿を見て、勝手なダイエットのせいだと決めつけず、心配してくれる人もいるのだ。やがて、挙式が始まった。チャペルには、航平の友人だけでなく、私の同僚や、2人の共通の友人も集まってくれていた。誰も、私の家族がいない理由には触れなかった。ただ笑顔で、私たちの結婚を祝ってくれた。挙式を終え、チャペルの扉が開いた。航平と外へ踏み出した途端、両側に並んだ友人たちから、色とりどりの花びらが舞った。「美月、きれい!」「航平、絶対に幸せにしろよ!」次々に祝福の声が飛び、拍手が広がっていく。参列者の中にいた小さな女の子も、母親の手を握ったまま、弾んだ声を上げた。「お姉さん、お姫様みたい」そばにいた担当プランナーが、航平へ冗談めかして声をかけた。「これだけ大勢の方に祝福されたんですから、新婦さんを泣かせてはいけませんよ」航平は笑顔でうなずいた。「もちろんです。やっと結婚してもらえたんですから、大切にします」周囲から歓声が上がり、明るい笑い声が重なった。花びらの舞う道を航平と並んで歩いた。私は、なかなか顔を上げられなかった。顔を上げて航平を見たら、涙がこぼれてしまいそうだったからだ。「航平、ありがとう」航平は、つないだ手にそっと力を込めた。「美月は、ず
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第6話
陽菜の結婚式当日、森川家は朝早くから準備に追われていた。最初に美月の不在に気づいたのは、美月の部屋をのぞきに行った陽菜だった。部屋の中から、母を呼ぶ声が上がった。「お母さん!お姉ちゃん、部屋にいないよ。まだ帰ってないの?」母は、その声を聞いて動きを止めた。「そんなはずないでしょう。今日、結婚式を挙げないつもり?」陽菜は、ベッド脇に残されていた新品の布団を抱え、部屋から出てきた。「これも部屋に残ってたよ」兄は気にも留めず、片手を振った。「慌てなくていい。美月なら直接、式場へ行ったんだろ。家族とけんかしたって、本気で怒ったことなんてないじゃないか」母は胸に引っかかったものを振り払い、陽菜を急かした。「早く支度しなさい。私たちは先に式場へ行きましょう。今日は、あなたの結婚式なんだから」家族が式場へ到着し、受付で予約してある会場名を告げると、スタッフは陽菜を見て首をかしげた。「失礼ですが、昨日、こちらでお式を挙げられましたよね?」「え?」陽菜が目を見開いた。「昨日の花嫁は、森川美月でしたか?」スタッフは予約表を確認し、うなずいた。「はい。森川美月様は、昨日こちらでお式を挙げられました。大変失礼しました。本日は、佐久間様と森川陽菜様のお式で間違いないでしょうか?」母は息をのみ、その場でわずかによろめいた。「昨日、美月がここで結婚式を挙げたの?あの子、いったいどういうつもりなの……」少し離れたところで美月へ電話をかけていた兄が戻ってきた。「駄目だ。美月のスマホ、電源が切れてるみたい。何度かけてもつながらない」しばらく誰も口を開かなかった。陽菜が不満そうにつぶやいた。「どうして勝手に式を早めたの?家族を誰も呼ばずに結婚するなんて、ひどいよ」だが初めて、誰も陽菜に同調しなかった。美月を責める言葉も続かなかった。重い沈黙のあと、父が口を開いた。「話は、今日の式が終わってからだ」披露宴の途中、親戚のひとりが母を人目の少ない場所へ呼んだ。「美月ちゃん、昨日ここで式を挙げたんですって?ふたりとも今日だと思っていたから、私たちも何も知らなくて……」母は返す言葉が見つからず、黙って目を伏せた。自分が娘の結婚式の日取りすら知らなかったとは、とても説明できなかった。まして
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第7話
それから数日、拓海は朝から晩まで、美月の行方を捜し回った。以前の勤務先にも足を運び、自分は美月の兄だと名乗った。美月の結婚式に出席した同僚のひとりは、いぶかしげに拓海を見た。「美月さんのお兄さん?でも、結婚式ではお見かけしませんでしたけど。本当に、ご家族なんですか?」喉を締めつけられたように、拓海は何も答えられなかった。別れ際、その同僚が結婚式の動画を送ってくれた。拓海が背を向けると、後ろからひそひそと話す声が聞こえた。「実のお兄さんなのに、妹の結婚式を知らなかったってこと?」「美月さん、家でどんな扱いを受けてたんだろうね」拓海の背中がこわばった。美月が家を出る直前の出来事が、頭に浮かぶ。あのときは家族全員で美月を責め、自分も力ずくで押さえつけた。「家の中をめちゃくちゃにする気か!」と怒鳴りつけたのも、拓海だった。美月は、自分のお金を返してほしいと訴えただけだった。家へ戻ると、拓海は両親に美月の結婚式の動画を見せた。画面を見た母の目から、また涙がこぼれた。「美月、いったいどこへ行ったの……」父も目を赤くし、拓海へ言った。「とにかく美月を捜すんだ。あの子が、このまま何も言わずにいなくなるはずがない。拓海、お前はクスノキの嫁入り箱をもう2つ作れ。美月が戻ってきたら、今度こそ渡してやるんだ」拓海は拳を握りしめ、強くうなずいた。……スイスへ来て2週間がたった頃、ある金融会社から採用面接の連絡が届いた。昼すぎ、面接を終えて家へ帰ると、玄関を開けた途端、クラッカーの音が響いた。結衣が目の前へ飛び出した。「じゃーん!美月さん、就職おめでとう!」義母も笑っている。「美月さん、おめでとう。お祝いに、お料理をたくさん作ったの」「まだ決まったわけじゃないんです」航平は、私のバッグを受け取りながら言った。「でも、採用されるのは間違いない。美月の実力は、俺が一番よく知ってる。ほら、中へ入って食べよう」結衣が不満そうに訴えた。「美月さん、聞いてよ。お母さんに麻婆豆腐を作ってって頼んだのに、全然辛くないの。これじゃ麻婆豆腐じゃないよね」義母が結衣の腕を軽くたたいた。「今日は美月さんのお祝いなの。それに美月さんは辛い物は食べられないでしょう。結衣の分は、夜ちゃんと作ってあ
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第8話
父から届いていたメッセージは、1件だけだった。【美月のクスノキの嫁入り箱も作ってある。帰ってきたら持っていきなさい】父はもともと口数が少ない。家族が言い争うたび、最後に結論だけを言い渡してきた。まるで判決を告げる裁判官のように。そして私は、いつも負ける側だった。父にとって、このメッセージは精いっぱいの歩み寄りなのだろう。それは分かっていたが、受け入れる気にはなれなかった。私はそれ以上読まず、かといって誰もブロックしなかった。これから家族とどう向き合えばいいのか、自分でもまだ決められずにいた。新しい会社から採用の連絡が届いた日は、私の誕生日だった。義母が大きなケーキを用意してくれた。プレートには、こう書かれている。【Happy Birthday & Congratulations, Mizuki!】料理もテーブルいっぱいに並んでいた。何度か台所を手伝おうとしたが、そのたびに追い返された。「今日は美月さんが主役なの。何もしなくていいのよ」私は言われるままソファに座り、しばらくぼんやりしていた。実家で陽菜と一緒に誕生日を祝うとき、ケーキに書かれる名前は、いつも陽菜だけだった。幼い頃、陽菜が「お姉ちゃんの名前は書かないで」と泣いたからだ。大きくなってからも、それが当たり前になっていた。願い事をしたあと、結衣にも一緒にろうそくを吹き消そうと声をかけた。いつもは冗談ばかり言う結衣が、珍しく真面目な顔をした。「駄目だよ。美月さんのお誕生日なんだから、自分で消さないと願いがかなわないでしょう?その代わり、私の分のケーキは大きめに切ってね」みんなが笑った。ケーキは何切れも食べた。もちろん、食べるのは初めてではない。それでも、この日のケーキは今までで一番甘く感じた。……さらに半月ほどがたち、私は新しい会社にも少しずつ慣れていた。ある日、仕事を終えて外へ出ると、会社の前に兄が立っていた。私を見つけた瞬間、兄の目がぱっと輝いた。警備員が小声で教えてくれた。「あの方、午後からずっと待っています。怪しいので、気をつけてください」私は警備員に礼を言い、兄へ向き直った。兄は数歩近づいた。キャリーケースの車輪が音を立てたが、途中で足を止めた。「美月。ずっと捜してたんだ。いくら腹が立ったから
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第9話
翌年の夏、妊娠が分かった。航平は、スイスの家の庭に立つ大きなブナの木に、私のためのブランコを作ってくれた。最後のロープを結び終えると、まず自分で腰を下ろした。「大丈夫。しっかりしてるよ。美月も座ってみて」ブランコへ座ると、航平が後ろからゆっくり押してくれた。夕暮れの風が頬を撫で、心地よかった。それから毎日、夕方になると、しばらくブランコで過ごすようになった。……私があの家を出たあと、実家ではいろいろなことがあったらしい。返事をしなくても、兄からは何度もメッセージが届いた。いつか私が読んでくれると思っていたのだろう。【母さんは、いつも美月の部屋でぼんやりしてる。できれば、1度電話してやってくれないか】【陽菜は結婚生活がうまくいってなくて、しょっちゅう実家に戻ってきてる】【母さんは、胃にやさしい料理をいくつも覚えた。お前が帰ってくるのを、ずっと待ってる】【美月。もう、実家には帰ってこないのか?】義母が持ってきてくれたイチゴを食べながら、最後のメッセージを開いた。指先が震え、イチゴの果汁が服にこぼれた。背後から航平が手を伸ばし、私のスマホをそっと取り上げた。「もう読まなくていいよ。つらくなるだけだろ」航平はスマホの代わりに、温かい飲み物の入ったカップを手渡してくれた。「赤ちゃん、また蹴った?」私は首を横に振り、ふくらみ始めたおなかへ目を落とした。これからの日々を思うと、自然に頬が緩んだ。……さらにおなかが大きくなった頃のことだった。庭で散歩している途中で疲れ、ブランコへ腰を下ろしたところへ、航平が帰ってきた。その後ろには、父と母がいた。母は以前より背中を丸め、ゆっくりと歩いていた。父に支えられながら、落ち着かない様子でこちらを見ている。私はブランコから勢いよく立ち上がった。義母が慌てて声を上げた。「美月さん、急に立ったら危ないでしょう。びっくりしたわ。疲れたなら中に入りましょう?今夜はお魚にしましょうね」そう言いながら近づいてきた義母は、私の視線を追い、両親に気づいた。義母の笑顔がわずかに薄れた。短く挨拶を交わすと、航平と一緒にその場を離れた。母は私の前まで来たものの、あと数歩のところで足を止めた。これ以上近づいていいのか、分からないようだっ
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